LACETELLE0062
-the CREATURES-
intermission

Drive Me Crazy?

カリナ・エプスタイン整備主任伍長が、ドゥーローのマシン開発部に移動の打診を受けている、という話をガベルが聞いたのは、その夜のことだった。

「へー」

「へーって……何かもっと言うことはないの?アル」

「別に。ここんとこずーっとお前も向こうに詰めてたし、いずれはそうなってもおかしかなかったんだし……何か他に言うことがあるか?」

 

翌朝。

「隊長、お早うございます……どうしたんですか?その顔」

「コニーで四人目だな、そのコメント」

タイプb小隊オフィスにて、そんな会話がなされたその傍らには、手形のきっちりついた横顔のガベルが座っていた。

「昨夜一悶着あったらしいぜ?」

「一悶着?ところでグランド中尉、中尉がどうしてここに……」

「まーまー硬いことは言いなさんなって。てか俺様は、こいつのその昨夜の首尾を聞きに……」

「フェーン、そいつをつまみ出せ」

低く、ガベルの声が放たれる。ほぼ全員が揃ったオフィス内で、フェーンは困り顔で、いささかどころかとても機嫌の悪そうな上司とその友人を見比べていた。

「グランド中尉……お願いですからここは大人しく……」

「何だよフェーン、お前だって聞きたいだろ?誰にどうして殴られたのか、って……」

「いやそれは……大体の予想はつきますし……ちらっと聞きましたから……」

「何ィー!!アル、親友の俺にはだんまりでフェーンには話したのか?それってずるくね?」

「フェーン、レオン、カイル、ジェイク、いいからそこにいる馬鹿をここからつまみ出せ!」

ガベルがキレる。直後、シロは男四人に捕まって羽交い絞めにされて、哀れオフィスから投げ出されたのであった。

「隊長命令は絶対ですから!」

「つーかグランド中尉も物好きッスねー……」

「単なる親父の野次馬根性だろ?」

「というより、一個小隊の隊長ともあろう人間が、こんなところで油を売っているのも問題だと思うが」

 

それから数時間後。

「おい、おっさん」

勤務時間が終了して、いろいろのお咎めはあってその辺の処理もあったのだが、何とか事無きを得て、ガベルが宿舎に帰宅する。待ち伏せは馴れていたが、今夜の来訪者はいつもの襲撃者ではなかった。部屋のドアの前にいたマチルダの姿にガベルは目を丸くさせる。

「何だマチルダ。何か用か?明日は通常任務だぞ、早く帰って寝ろよ」

「何だじゃねぇ。話があんだよ」

マチルダはドアの前に立ちはだかる。ガベルは目を丸くさせ、それから、

「じゃあ中で話せ。どっかに出刃亀野郎が隠れてるともかぎねぇからな」

宿舎は一応軍務特務機関の施設である。いくら特務機関構成員とは言え、素人が盗聴器を仕込むのは無理なはずだ。というより、ばれたら事である。その点で言えば出刃亀や野次馬に対しては、室内の方が安全だった。もちろんマチルダのことはシロでなくとも機関中の人間が知っている。夜に尋ねてきたところで変な噂が立つ心配もなかった。いや立った所で一笑に付されて終わりだが。

「あー……コーヒーくらいならあったかなー……なんか飲むか?」

マチルダは怒っているような顔をしていた。ガベルはそれを見ながら一応の接客を試みるが、何しろ寝に帰るだけの部屋である。歓待のしようもなさげだった。

「おっさん」

「何だよ……てか、何だこりゃ……オレンジジュース?」

何故か冷蔵庫の中に紙パックがあるのを見つけてガベルはそれを取り出す。グラスに注いで小さな食卓に運ぶと、そばにいたマチルダが言った。

「カリナが異動するの、聞いたのか?」

「あ?……ああ、昨夜な」

「今朝、俺んとこに来たぞ」

「あ、そうか……お前ら昨日あんなんだったから、こっちで勝手に休ませちまったが……マデリンはどうだ?落ち着いたか」

「あいつのことはどーでもいい、俺はカリナの話をしに来たんだ」

マチルダは不機嫌である。椅子に座りもせず、ガベルを睨んでいる。何だこいつは、どうしたんだ。思いながらガベルは眉をしかめ、

「別に俺がメシ作りに行ってくれ、なんて頼んだ訳じゃねぇぞ。あいつが勝手に「マチルダのところにも行かなきゃ」とか言って……」

「飯の話じゃねぇ!大体あいつのああ言うのは前からだろ。おっさんに怒ってもしょーがねえよ」

マチルダの不機嫌さが増す。何かあったのか。ガベルが思っていると勝手にマチルダは言った。

「今日一日、車に載せられてショッピングだの何だのって、連れまわされたけど……」

「そりゃまあ……ご苦労さん」

何となくマチルダに同情するガベルである。カリナ・エプスタインは特務機関内「最強」の人間だ。何しろトリオGの一人として彼女に勝てる人間がいないのだ。恐れ入るどころか、である。

「マデリンの奴もマシンについて色々教えてもらうんだ、とか言って息巻くし……どーしてくれんだよ」

「そんなことを俺に愚痴られてもなぁ……」

ぶつぶつ言い始めるマチルダに同情しながらも、何も言えないガベルである。いやサポートがマシンについて色々勉強してくれれば、フォワードの仕事は楽になるので、その辺は大変結構なのだとは思われるのだが。

「で、カリナだよ、カリナ。おっさん、どーすんだよ?」

話題はいきなり切り替わる。ガベルは突然の事に不意打ちでも食らったように目を丸くさせ、

「何だよ……カリナがどうかしたか?」

「ドゥーローに行くって、さっき言っただろ?聞いてんのか?」

「ああ……その話なら、別に……」

「どうすんだよ、おっさん。カリナがドゥーローにいっちまうんだぞ!」

マチルダはそのことで何やら意見があるらしい。ガベルは目を丸くさせたまま、

「ああ……でも別に、どーってことも……」

「何寝とぼけたこと言ってんだよ、本当にいいのかよ?誰があんたの世話するんだよ、ええ?」

「俺は別に、カリナに世話になってることなんかこれっぽっちも……」

「だから!!……っ、わかんねぇオヤジだな、このくそオヤジ!!

マチルダが怒っている、のは解る。が、論点が見えないと言うか、何に対して怒っているのか良く解らない。何だこいつは、カリナがドゥーローに移動になるのが、そんなに嫌なのか。思ってガベルは言った。

「俺は別にかまやしねぇが、何だマチルダ、寂しいのか?」

にやりと、口許が笑う。マチルダはそれを見ると更に激昂した。

「べっ……別に俺は何ともないぞ、何ともないんだからな!!い、今までだってカリナに世話になってることなんて別にないし、整備の人間だってゴマンといるし……」

「……解りやすいヤツ」

ガベルは呆れて言った。むきになったマチルダの顔が興奮のために赤くなる。

「そういうおっさんこそどうなんだよ!!てか、カリナにちゃんと言ったのかよ?」

「ちゃんと?ちゃんとって、何をだ?」

「「へー」だけじゃなくて、おっさんが思ってることだよ!!

マチルダが怒鳴ったところでガベルには大した痛手でもないらしい。けろっとした顔で、

「だって、今お前だって言っただろう。別に俺だってあいつに世話になってる訳じゃねぇし、ここんとこドゥーロー詰めばっかだったし、今更騒ぐほどのことかよ?」

「そりゃそうだけど!!

「もういいから、とっとと部屋に帰って寝ろ、お前は。明日、昨日の対戦のデータの洗い直しやるからな。みっちりしっかりダメ出ししてやるから、覚悟しとけ」

言いながらガベルはマチルダを部屋から追い出す。マチルダは喚きながらも追い出され、室内は静けさを取り戻した。

「ったく……どっちを向いてもカリナカリナかよ……俺に自由はないのかね」

ガベルは一人の部屋でぼやく。そして、その部屋で溜め息をつく。

昨夜その女はここにいた。許可した覚えはないのだが一緒に入ってきて、一晩過ごして出て行った。出張で戻ると、いつも彼女はここを訪れた。連絡もなしでやってくるのだ、迷惑なことこの上ない。そしてここが帰る場所だと言う。いや、自分のいる場所が、か。

愛していない、とは言わない。一度は結婚も考えた。今も勿論、何より大切に思っている。姿を見れば目で追うし、どんな女よりもいつも光り輝いて見える。それは彼女の生き方事体も認めているからだ。妥協を許さないその性格も、一度決めたら譲らない頑固さも、貫き通す強さも、何もかもが美しい。眩しくてもずっと見詰めていたい、見失えば、多分冷静でいられない。同じ輝きなど二人と存在しないだろうし、手を離れたら最後、戻るものでないことも解っている。

「別に地の果てに行っちまうわけじゃねぇんだ、ドゥーローだろ?四、五時間車で走りゃ、いつだって行けるじゃねぇか」

傍においておきたい、そう言ったら彼女はどんな顔をするのか。想像は容易くできた。少女のように笑って、自分を抱きしめるだろう。そして何度も繰り返すのだ、大好き、愛してる、と。そして自分の生き方さえ曲げて、それを叶えようとするだろう。それも一つの選択肢だと、こともなげに言って。

けれどそれは、彼女の生き方を奪う、そのものだ。戦災孤児として施設で育ち、生きるために整備士になった。たまたま興味のある仕事で、素質もあったから良かったようなものの、そうでなかったら今頃彼女はどうしていただろう。ごく普通のありふれた女になって、どこか知らないところで知らない誰かと結婚して、平凡に暮らしていただろうか。それも一つの形だ、否定はしない。けれど彼女は今、自分の傍にいて、眩しいほどに輝いている。巨大な人型兵器の中に分け入って、時には潜り込むようにして、毎日油まみれで、くたくたになるまで動き回っている。時には疲れて、思い通りにならないことに悩んで、泣き喚くこともある。それでも輝きを失うことなく、自分を貫いて生きている。呼べば振り向いて駆け寄って、今立て込んでるの、もう少し待ってて、そんな風に言って笑う。

その彼女が望むなら、少しの距離を離れるくらい、訳のないことだ。通信機器もないわけではないし、毎日対面で会話する事だって出来る。触れ合うことはできないし、何かあっても手出しも出来ない。それでも、死に別れるわけではないのだ。どうということはない。

「って言っても……あいつらはなぁ……承知しねぇわな」

一人ごちる。死ななければいいのかと、きっと二人とも言うに違いない。いや、離れたい訳ではない、別れたい訳でもない。叶うなら独占したい。けれどそれは叶わないし、願っても無駄なことだ。第一、彼女自身の輝きを奪うことになる。

その全てを愛している。豊かな赤茶の髪も、サファイアの大きな瞳も、男勝りの性分も、それでいて、柔らかな心も。世の中がもっと平穏で、自分も平凡な市民であれば、簡単に彼女を手に入れて、一生傍においておけただろう。いや、ある意味それは困難かもしれないが、少なくとも余計な葛藤などせずにすんだに違いない。

「アル、戻ってる?」

部屋のドアが外から突然に開けられた。声に、ガベルは我に返ると同時に苦笑する。

「何だよカリナ、また何か用か?てかお前、夜遅くに一人でこんなところに来るなって、あれほど……」

彼女はいつも突然、許可した覚えもないのにこの場所に訪れる。そしてこう言うのだ。

「何よ、別にいいでしょ?アルの部屋に来るだけなんだから。それに、危ないって言うくせに、送り迎えもしてくれないじゃない」

「なんで俺がそんな事しなきゃなんねーんだよ。ほら、とっとと帰れ」

「ちょっと、今「危ない」って言ったくせに、一人で帰す気?」

カリナがガベルに詰め寄る。ガベルはすっとぼけた顔になって、

「そりゃアレだ、社交辞令さ。お前なんか襲うやつはどこにもいないから安心しろ、っつーか、一応軍隊の中だ、そんな馬鹿やるヤツぁいねーだろ」

膨れた顔のカリナがいる。どうして自分にこんなに構うのか、時々それが解らなくなる。彼女を失いたくないと、手に入れたいと思いながら、その生き方を阻むまではしたくないと地団太を踏む、そんな情けない男に、どうしてこの女はこんなにも、温情を与えてくれるのか。

「……何、アル。どうかした?」

言葉が途切れて、カリナは目を丸くさせる。ガベルは苦笑して、

「いや……言われる通りだと思ってな。しょうがねぇから送って……」

「いやよ、帰らない。そんなに優しい事言ってくれるなんて、滅多にないんだもの。今夜はもっと沢山、甘えなくちゃ」

うふふ、とカリナが笑う。擦り寄ってくる彼女を除けもせず、ガベルは吐息した。

「何だよ……俺は疲れてんだぞ……」

「そう?じゃ、何か作ってあげましょうか。何がいい?」

「腹は減ってねぇよ」

くすくす笑いながらカリナはガベルに抱きつく。抱きつかれたまま、ガベルは苦笑した。

「……なんつーか、なぁ」

「何?アル」

「お前にゃかなわねーよ……色々と」

言葉の後、ガベルの頬に口付けが下りる。くすくす笑いながら、カリナはその耳元でささやいた。

「何言ってるの、こんなに愛されてるくせに。叶わないのは私の方よ」

「どーだか……それが本当に「愛」とか言うもんなのか、疑わしいぞ」

笑いながらガベルは返す。途端にカリナは怒って、

「何よそれ、どういう意味?」

「俺だって疲れてるんだ、たまには一人でゆっくりさせてくれ、って意味だよ」

「あら、疲れてるからこそ、傍にいてあげるんでしょ?癒されない?私といると」

どこか図々しくも聞こえる言葉にガベルは笑う。カリナはその様子にふくれっ面のまま、

「何よ、何がおかしいの?」

「お前、時と場合を考えて物言えよ?俺は「一人でゆっくり休みたい」と言っとるんだ」

「あら、何か考え事?じゃ、静かにしてるわ。邪魔はしないわよ」

「だから、そうじゃなくてだな……」

何を言っても通じない上、彼女の意思は曲がらない。やれやれと息をついて、ガベルは困ったように言った。

「こんなんだから困ってるんだよ、俺は」

「こんな、って、何?」

「一人で寝られなくなりそうだ」

言葉は、やや低く発せられた。カリナは目をしばたたかせ、うふふふ、と、少々不気味に笑った。

「やーねー、アルったら。だったら一緒に住んだっていいのに。もぅ、照れ屋さんなんだから♡」

「いや、照れてるわけじゃねぇが」

ついでに、何か誤解されていると言うか、何と言うか。そういう意味も、なくはないがそれだけじゃないんだがなぁと、胸の中でガベルは呟いた。

「……こんな仕事に就くんじゃなかったな」

抱きつかれたままガベルはぼやく。カリナは笑うのをやめて、ぼやいたガベルの顔をまじまじと見詰めた。

「何だ、カリナ」

「アル……何かあった?」

どことなく不安げに、カリナはガベルの目を覗いた。いい年だと言うのにその表情はどこか幼い。ガベルは笑って、

「いや、そういう訳じゃない。お小言は食らったが、いつものことだしな」

言いながら抱きつく彼女を抱き返す。腕の中に納まって、カリナは少し黙り込んだ。心配させたか。黙った彼女の様子にそんなことを思って、ガベルは言葉を紡いだ。

「大したことじゃない、ちょっとした考え事さ」

「でも、アル……」

「お前が心配する事じゃない。これは俺自身の問題だ」

「ダメよ、アルの問題は私の問題だもの。放ってなんて置けないわ」

「じゃ、ちょっと黙ってろ。で、出来たらそのまま、大人しくしててくれ」

ガベルはそう言って軽く笑い、カリナを軽々と抱き上げると、そのままベッドに移動し、彼女を抱いたままそこに腰掛けた。かすかな振動にカリナが小さく声を漏らす。

「アル、ちょっと……」

「何だよ、大人しくしててくれないのか?」

「そうじゃなくて……何なの?」

「何って……何が?」

腕を緩めて彼女の顔を覗く。カリナは困惑と怒りの混じったような顔でガベルを見詰め返し、

「何って……それは……」

「ああ……何つーのかな……たまには甘やかしてくれ、でいいのか?」

けろっとした顔でガベルは言った。カリナは眉をしかめる。それを見てガベルはまた笑い、

「なんて、ガラでもねぇか」

「……何かあったの?本当に、何もないの?」

「まぁ……なくもないが」

お前が離れていくのが嫌なんだと、ここで言ったらこの女は何と言うだろう。どんな顔をするだろう。別れると言うほど大袈裟な事でもない。ただ少し距離が出来るだけだ。異動が決まれば、彼女の住まいもこちらではなくなる。現状でも大差はないが、それでもどこか寂しい。数ヶ月の間の不在など、これまででも幾度もあった。とは言え合間を縫って彼女はこちらに戻っていたのだが。

「アル?」

「マチルダが怒鳴り込んできたぞ。お前の異動に不満らしい」

自分のことは棚に上げて、ガベルは笑いながら言った。カリナはその言葉に目を丸くさせ、

「マチルダが?どうして?」

「あいつにはどう話したんだ?」

「どうって……ドゥーローに移るかも、って言ったらあの子、怒っちゃって……怒ったくせに「なんでそんなことわざわざ言うんだ」なんて言うのよ?そんなこと、言うに決まってるじゃない」

「どうしてだ?」

「どうしてって……だってマチルダよ?顔も見たことのないその辺のパイロットとは違うでしょ?」

「だから、マチルダが特別なのはどうしてだ?」

「……何、その質問」

カリナは眉をしかめる。ガベルはそれを見て笑うと、

「お前はいいよな。母親にならない、って言ったのに、あいつにちゃんとなつかれてて」

「そうかしら。それも違う気がするけど。でもあの子が私を嫌いでも、私はあの子を嫌いにならないわよ」

「俺が「養女に」とか、言ったからか?」

笑いもせずに、疲れた口調でガベルが言う。カリナは、はん、とそれを一笑に伏し、

「そうね、そんなこと言ったわね、誰かさんは。でも残念な事に、そういう理由じゃないわよ」

「じゃ、何だよ?」

「あの子のことが好きだからよ、当然でしょ?」

あっさりカリナはそう言った。ガベルはそれに驚くが、すぐに声を立てて笑い出す。

「ちょっとアル、どうして笑うのよ?私、何かおかしなこと言った?」

「いや……あいつにもそういう風に言える口がついてりゃいいと思ってな」

カリナはその言葉に目を丸くさせる。ガベルは笑いながら、

「マチルダもマデリンが来てから変わったな。前はそんなこと、おくびにも出さなかったのによ?」

「そうね……今朝も、ちょっと泣かれちゃったし」

「何だ、泣いた?あいつが?どうして」

「私の予測が正しければ……ああでも、恥ずかしいから、これ以上はナイショ」

くすくすとカリナが笑った。どことなく照れくさそうなその表情にガベルは目を丸くさせる。そして、何故か深く息をついた。表情には疲労が覗く。カリナも笑うのをやめて、そんなガベルに問いかけた。

「どうしたの?アル。本当に、少し変よ?」

「別に変じゃねえだろ……俺だって、たまにはマチルダみたいに、お前に甘えたくなるさ」

カリナの耳元で、ささやくようにガベルが言葉を紡ぐ。腕の中でカリナは困惑したようにその目を泳がせた。

「マチルダみたいって……何?」

「言ってもいいのか?それを」

「聞いてみなきゃ解らないでしょ?」

「……どこへもやりたくねぇ」

躊躇うと言うほどの時間もおかず、ガベルは呟いた。カリナの体が僅かに強張る。驚いているらしい。その反応にガベルは笑った。笑っていると、カリナがまた小さく憤る。

「何よ……ちょっと今の……卑怯でしょ?」

「何が」

「何って……昨夜は「へー」なんて言って……いつもはそんなこと、言わないくせに……」

口調で、すねているのが解る。勝ったな、とガベルは内心ほくそ笑んだ。

「アルって……ずるいわよ。いつもはつれないくせに……どうしてそういうこと言うのよ?何か企んでるの?私に、どうしろって言いたい訳?」

「別に」

「……だったらそういうの、やめてちょうだい。私が……アルの言うことに、逆らえないって、解ってるくせに……」

いつもの勢いを微塵も感じられない、細く小さな声でカリナが言葉を紡ぐ。そのうち泣き出すかもしれない。思いながらもガベルは笑っていた。泣かせたいわけではないが、その顔も嫌いではない。泣きながら自分を詰る声も、なかなかに心地いい。

「アルのばか」

「お前のそれって、昔と全然変わらないよな」

「……他に、どう言えって言うのよ?」

かなり悔しがっているらしい。それが愉快でガベルは笑う。カリナは憤るが、声は細く小さなままだ。

「どうして笑うの?私、本気で怒ってるのよ?」

「そりゃ、痛くも痒くもねえからさ」

「……アルのばか」

「馬鹿でも何でもかまやしねぇが……俺だってお前のこと、愛してるんだぜ?だから本気で……どこへもやりたくねぇんだよ」

「……っ、アルのばかぁっ」

とうとうカリナは泣き出した。と言っても、喚くわけではない。最後の一言を吐き出して、ガベルの胸に顔を押し付け、後はそのままぐずぐずやり始める。それだけだ。

「何だ、今のが不服か?」

「っ……違うわよ、ばか」

愛おしく、女を抱きしめる。耳元で囁くと、彼女は困り顔でそっと目を伏せる。今までにも幾度となく繰り返した行為だ。それに、いつまでも女は慣れない。繰り返したと言っても、それはいつもひそやかで、不規則すぎるからかもしれない。体を委ねるカリナのその重さを感じながらガベルは笑っていた。

「俺の方が甘えたかったのに、何かお前が甘やかされてるな」

「どこがよ?泣かせてる、の、間違いでしょ」

「でもなんでここで泣くんだ?いつも」

「……いつもしてくれたら、泣かないわ」

カリナが顔を上げる。不貞腐れた顔は、出会ったばかりの少女のころと変わりがない。しかしそれにしても、いい女になったものだ。見かけもそうだが、内面も。こんな風に、いつまでたっても拗ねるくせが直らないことさえ、愛おしくてたまらない。

「……笑ってんじゃないわよ、意地悪」

「別に苛めてねぇぞ、俺は」

「……解っててやるのは、意地悪でしょ」

「お前なんか四六時中俺を苛め倒してるじゃねぇか、普段」

「それはそれ、これはこれ……ちょ、ちょっと、アルっ……」

言葉の終わりを待たずにガベルがその首筋に口付ける。その白い首筋が一瞬にして朱色に染まると、またガベルは笑った。

「アル!いきなり、何……」

「さっきから言ってるだろ、俺に甘えさせろって」

「甘っ……何よ、そういうこと?」

ひときわ、カリナの声が小さくなった。ニヤニヤとガベルは笑う。

「何だ、毎晩来るくせに、嫌か?」

「ま……毎晩、通わせるくせに、なんで今日はそんなに……そんな風なのよ」

嫌だと、その口は言わなかった。拒む理由はどこにもない。自分が甘えれば、女はいつもそれを許した。いつもこんな風だと色々と楽なのだが、それはそれで可哀相か。小さくなった、らしくないカリナの様子にガベルは胸で呟く。

「アル」

小さな声が名前を呼んだ。顔を覗くと、真っ赤になって、カリナはガベルを見ていた。

「何だ?」

「……さっきの、もう一度、言って」

「さっきの?俺、何か言ったか?」

「い、言ったじゃない!その……」

「俺に甘えさせてくれ、って?」

「違う!それじゃなくて……」

真っ赤になってカリナは何かをせがむ。怒ったようなじれったそうなその様子も、何もかもが愛おしく見えて、ガベルは声もなく笑った。

「どれだよ?だから」

「……どこへも、やりたくない、って……」

「どこへもやらない……俺の傍にいろ」

真っ赤になった彼女の耳の傍で、ガベルが言葉を紡ぐ。カリナはそのまま固まって、微塵も動かない。

「どこへも行かせない、俺の傍にいろ」

言葉を重ねて、顔を捕まえる。額に口付けして見下ろすと、女の目から涙がこぼれた。

「アルのばか……」

「って……お前が言えって言ったんだろ?」

「……アルのばか、ばかばかばか……最低」

「……なんでだよ」

小さな声でカリナが泣き始める。どうしてここで罵られるんだ。思いながらガベルはややげんなりした。女は、泣いても喚いても、その腕の中に納まっている。胸に抱いたまま、ガベルはぼやく。

「まあ……お互い様だよな」

「何が?」

「色々と、さ」

カリナが顔を上げる。ガベルは頬と耳とに口付けして、その耳元で囁いた。

「だから泣くなよ、頼むから」

「……だからって、何が「だから」なのよ?」

「愛してる」

カリナが驚いた顔になる。ガベルは少しだけ照れたように笑って、それからまた言った。

「だから、甘やかしてくれ、な?」

「……ばか」

カリナがそっぽを向く。腕を解いて、ガベルはその顔を捕まえた。

「もっと他に……っていうか、甘える、とか……そういう言い方、すること?」

「何だよ、いいのか悪いのか、はっきりしろよ?」

「悪いなんて……言ってないじゃない……」

「んじゃちょっと黙れ。で、大人しくしてろ……優しくするから」

唇を、重ねる。そのまま、ゆったりとした動作で、ガベルはカリナをベッドに倒した。

 

二人で眠るにはやや小さめのベッドで、ガベルは側らに眠る彼女を見下ろしていた。黎明まではまだ早い。それでも闇は少しずつ薄らいで、けれどまだ、何もかもがはっきりとは目には映らない。お互いいつの間に眠りについたのか解らないが、最後に罵倒の科白を聞いたのはいつだっただろうか。何だかんだ言って、こいつには勝てないけどな。胸の中で呟いてガベルは笑う。赤銅の髪に埋もれるように覗く白い肩が僅かに動いた。起こしたか、思っていると案の定、カリナは薄く目を開けた。

「……アル?」

「まだ暗い、寝てろ」

寝ぼけ眼の顔も、薄闇に隠れてはっきりとは見えない。カリナは少し黙って、それから少しだけ笑った。

「……何だよ」

「何でも。アルがいるなぁって、思っただけ」

「何だ、そりゃ」

くすくすとカリナは笑う。つられるように笑みを漏らし、ガベルがそっとその顔を撫でる。

「やん……くすぐったい……」

「寝起きからご機嫌だな」

「そうよ、とっても気分がいいの」

「何だ、そんなに良かったか」

からかい口調でガベルが尋ねる。さしものカリナもそれには眉を寄せた。その様子にガベルが笑う。

「違うのか?」

「……アルの意地悪」

不貞腐れて、カリナはガベルに背を向ける。軽く笑うとガベルも再びベッドに横たわり、その背中をそっと抱きしめた。

「冗談だよ。そんなに拗ねるなよ」

耳元でガベルはささやく。身をよじってカリナは男の顔を覗く。

「ん、何だ?」

眉を寄せた顔が間近に見える。どうやら何か不満があるらしい。けれどカリナは何も言わず、再びそっぽを向く。

「カリナ?」

「……もう少し、こうしてて」

「あ?」

「だって……私だって、甘やかされたいわよ」

膨れているらしい事が口調で解る。気付いてガベルは笑い、笑いながら言った。

「お前本当に……かわんねぇな」

「だって……こんなの滅多にないんだもん……私だって……」

「可愛いよ」

ガベルの言葉にカリナは一瞬黙る。嬉しいのか、照れているのか。思ってガベルはニヤニヤと笑った。が、少しの間の後、カリナが小さくぼやく。

「……だったら普段からもっと、優しくしてくれても、いいと思うんだけど?」

拗ねてはいるものの、その口調は強い。けれど構わずガベルは言った。

「馬鹿言え、こういうのはたまにだからいいんだろ。四六時中お前になんか付き合ってられるか」

「何よそれ、どういう意味……」

振り向こうとするカリナを抱く腕に僅かに力をこめる。体が密着して、カリナが小さく声を上げた。

「やんっ」

「言っただろ?一人で寝られなくなる、って」

「そしたら毎日隣で寝てあげるわよ?嬉しい?」

「いや、流石の俺でもそんな体力は……」

「ばか、そう言う意味じゃないわよ」

ガベルの拘束を解くように、無理やりカリナが振り返る。自分を向いた、少しだけ怒った顔を見て、ガベルは言った。

「愛してるぜ、ハニー」

「……そんな風に言われても、嬉しくないわ」

「何だよ、たまの事なんだ、ちったぁ喜べよ」

「そういう言い方するからでしょ!こういうのは、もっと……」

「お前なんか毎回大安売りじゃねーか、どこが違うんだよ?」

「失礼ね、大安売りじゃないわよ!「愛してる」なんてアル以外に私に言ってもらえる人なんていないんだから!」

ほほ同時に二人は体を起こす。黎明は、罵り合いながら迎えた。窓からゆっくりと朝日が差し込む。

「大体、愛してくれてるならどうしていつまでたってもこんな風なのよ?私のどこに不満なわけ?」

「そういうところにだよ。俺だってお前がいつも昨夜みたいだったら、もっと色々と……」

「毎回昨夜みたいだったら、って、それはこっちの科白でしょ?」

「何だお前、毎晩あんなんがいいのか?」

「っ……夜の話じゃないわよ!」

カリナの顔が真っ赤に染まる。ガベルは笑いもせず、

「まーでも、現状考えるとなぁ……倦怠期以下ではあるからなぁ……てか、倦怠もくそもねーか……」

「ちょっとアル、それ、どういう意味?」

「どうもこうも……お前はお前で大体ここんとここっちにいねぇし、俺も余力があるかって言ったら、そうでもねぇし……」

「そんなの、結婚して一緒に暮らしたら一発で解消できるわよ?って言うか、倦怠ってどういう意味よ?私に飽きたとでも言いたいの?」

「飽きるっつーか……まあ、お前とは長いしな」

とぼけた顔でガベルが言う。カリナはその言葉がショックだったらしい。やや悲壮な顔つきになって、

「嘘でしょ、アル……私に飽きたの?それとも、他に誰か……」

「まあ、あれだ。お互いこういうのだけが生きがいでもねぇし、こんな感じでいいんじゃねぇのか?」

ガベルはカリナの顔つきも科白も全く関係ないような、けろっとした顔で言ってのける。カリナに言葉はない。

「お前はお前で好きな事やってりゃいいし、俺は別に、そいつをやめさせる権利も……おい、カリナ?」

「そんな、そんな……だって私、ずっとアルだけなのに……アルったら、アルったら……ひどい……ひどいわぁぁぁっ」

わなわなと震えだしてカリナはそのまま顔を伏せた。何やってんだこいつ、とガベルが思った次の瞬間、カリナは喚いた。

「こんな、こんな男のために……他の誰のものにもならなかったのに!ずーっと待ってるのに!アルったら、私を捨てる気なのね?」

「……は?」

ガベルの目が点になる。何やら勘違いしているらしい。カリナは目が点のガベルを余所に、そのままわんわん泣き始めた。

「ひどい、ひどすぎるわ!!私にはアルだけなのに……そりゃ、アルより若いけど、私だってもうおばさんよ?もっと若くて可愛い女の子だって沢山いるわよ。だけどこんな仕打ちってないじゃない。もっと早く言ってくれたら、私だって諦められたかもしれないのに!そうよ、マチルダの事だってそうなんだわ!!遠まわしに、私に「別れてくれ」って、そういうことだったのね!!

「……カリナ?」

盛大に思い違いをしているカリナを、しばしガベルは呆然として見ていた。が、数秒とおかず、呆れ顔で、

「馬鹿か、お前は」

「誰が馬鹿よ!私なんかよりアルの方が、よっぽど人でなしじゃない!」

「昨夜俺が言った事を聞いてなかったのか、お前は」

「そんなこと言ったって、だってアル、いつもはあんなこと言わないじゃない。ああ言えば私が言うこと聞いてくれるって、そう思ったら……」

「俺だって、そう簡単に「愛してる」なんて他の誰かに言ったりしねぇよ」

朝っぱらから何だこのハイテンションは、疲れる。思いながらガベルは苛立たしげに髪を掻いた。カリナは涙目で、そんなガベルを見ている。

「アル……本当?」

「ああ、本当だよ。お前のそういうところがすんげぇ面倒くせぇって思ってるのも含めて、全部な」

忌々しげにガベルが吐き出す。カリナは少し黙っていたが、すぐにもまた膨れ、

「面倒くさいって、それ、どういう意味?」

「そういう意味だよ。本当にお前は面倒……」

「失礼ね、何がどう面倒なのよ?アルが素直に私の言うこと聞いてくれてたら、そんなこと全然ないのに」

「馬鹿言え、俺はデリケートなんだ。お前みたいなのに四六時中付き合ってたら、神経がイカレちまわぁ」

「何よそれ、どういう意味よ?」

 

数時間後。

「おは……お早うございます、隊長」

小隊オフィスで上司を見つけた副長、フェーン・ダグラムはその朝の挨拶に一瞬怯んだ。むっとした顔でデスクについている上司は、不機嫌そうにちらりと彼を見る。言葉はない。

「ど……どうしたんです?その痣」

「ああ……ちょっと、気の強いのに殴られてな」

目の回りにはくっきりと丸く、青い痣が浮かび上がっている。驚きを隠さないままフェーンはその顔をまじまじと覗き込んだ。特務機関は軍事施設であるので、腕力自慢の期間構成員も多くいる。が、早朝から「トリオG」のラスボスと名高いその男の顔に青タンを刻みつけられるような人間など、そうもいない。トリオの誰かか、それとも。

「まさか……エプスタ……」

「それ以上言うな、フェーン」

むっとした顔でガベルが言った。フェーンは心の中だけで、やっぱり、と力いっぱい納得し、とりあえず強張った笑みでも浮かべているしかなかったのだった。

「医療センターに行って、薬でも貰ってきましょうか?」

「いい、構うな」

 

その日一日、ガベルが不機嫌だったのは言うまでもない。一方のカリナはカリナで、やっぱり機嫌は良くなかったのだが、

「ああもう、本当にアルったらアルったら、腹の立つ男なんだから!!

とか言いながら、丸一日ガベルの部屋で掃除やら洗濯やら、夕食の支度やらをしていたのであった。

「今度こそ見てなさいよ!!ぐうとも言わせないで、入籍させてやるんだから!!

 

まあこんな感じで()オハリ。

 

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Last updated: 2007/11/29