小噺惟神

-コバナシカムナガラ-

 

()爪櫛(つまぐし)の、一歯の如し

 

その杜は、元いた社を取り囲む狭庭よりも、遥かに広かった。この山裾の総てが、主のものだからだ、と聞いたのは、その広い杜で迷いに迷った挙句の事だった。未だにその広さに参ってしまうのは、始まりがそんなだったからだろうか。

あまりにも広い庭で、迷ってしまったのは、ここを出て行こうとしたからだ。元いた社に戻りたかった。急に連れてこられて、混乱していたところに、その主にいきなり、不機嫌な目で睨まれた。だから帰りたかった。何しろ杜は、いや、その山の総ては、彼自身だった。そんなところに長居なんて出来るはずがない、そう思った。でもそれも、杞憂に過ぎなかった。主は、今では私の大好きなそのひとは、私をここへ連れて来た者達に対して不機嫌だったらしい。どうしてかと尋ねたら、お前は知らなくてよい、と言われて、笑われてしまったけれど、他に沢山いるモノ達が、後から教えてくれた。お前のように小さいものを、否応なしに無理やり連れて来て、それで怒っていたのだ、と。

それから、私はずっとこの杜にいる。あまり遠くに出歩かなければ、もう迷子になることもないし、何よりここには沢山の友達がいる。みんな私よりずっと小さくて、力弱いけれど、考えてみたら、ここに来た時から、私は一人ではなかった。みんな私を、最初は物珍しくして、でもすぐに仲良くしてくれた。杜のこと、社のこと、我等に仕える人間のこと、そして主のこと。みんなは先を競って、誰よりも沢山、解りやすくと、私にそれを教えてくれた。だからすぐに、私もみんなが大好きになった。

でもやっぱり最初は、主だ。あのひとが私に、ここにいても良いと言わなかったら、私はとっくに逃げ出していた。いや、ここではそれが決まりだ。あのひとに許されずに、ここで暮らすことは叶わない。ここはあのひとの杜で、あのひとの山。山も杜も、あのひとの一部。あのひとの心は、大地の意思。この山に暮らす、あまねく総てのものの、主にして守護者。人間はあのひとを、山神として崇め、奉る。

大御坐主尊。社を擁する杜と、その杜を擁する山の主で、その山自身。

 

宗教法人八百万神祇会の、通称出島機関、宗教総合事相談所の、いつもの午後である。

「ただいまー、神和くー……あれ?」

所用で外出していた御幣がそう言いながら玄関のドアを開け、中を覗く。手になにやら茶色の紙袋を抱えた彼は、年齢には不相応なほどの童顔で、更には子供のように首をかしげ、

「こーなぎくーん?あれ、おかしいな……玄関も開けっ放しなのに……」

大きな声で独り言めいたことを言いながら、うろうろと室内をうろつき始める。いつもの事務デスクにも、接客用のソファにも、その姿はない。どこへ行ったんだろう。思いながら、御幣は抱えていた紙袋の中に手を入れ、その中から何やらがさがさと取り出し始める。出てきたのは小分けの袋に入れられたラスクだった。駄菓子屋にでも立ち寄ったらしい。本日の釣果(?)でも披露するつもりだったようだ。

「まあ、いないんなら……一人でコーヒーでも飲もうかなー……」

そんなことを言いながら御幣は袋に入れたままのラスクを口にくわえ、自分の事務机へと歩み寄る。足音と、ドアの開閉音が聞こえたのはその時だった。振り返ると同時に、普段と同じ相方の姿が見える。

「何だ、戻ってたのか」

軽く声を投げられ、御幣は手にしていた荷物を机上に置くと、

「うん、ついさっき。何、君、どこにいたの?」

「ちょっと調べ物だ」

部屋に入ってきた神和は、その両手にハードカバーを数冊抱えていた。目を丸くさせ、御幣、

「へーえ、調べ物……じゃ、奥にいたんだ。呼んでも聞こえない訳だ。何調べてたのさ?」

「いや、ちょっとな」

問いかけに、神和は答える気がないらしい。御幣は、ふーん、と小さく言いはしたものの、特に追求するつもりもないらしい。そのまま、一抱えもある紙袋いっぱいの駄菓子に目をやり、

「今おやつにでもしようと思ってたんだ。神和くん、コーヒー飲む?」

「おう」

取り敢えず声をかけるも、返事は少々いい加減だった。何か気になることでもあったのかな。思いながらも、やはり深く追求もせず、御幣はコーヒーを入れるべく、キッチンに向った。神和はというと、埃っぽいハードカバーを抱えて、そのままソファに移動する。そして何も言わないまま、どっかりと腰を下ろし、その中の一冊を手に取り、読み始める。カップを両手に振り返って、御幣は苦笑する。神和が本を読み始めると、長い。折角入れたコーヒーだが、熱いうちに口をつけられることはなさそうだ。まあいいか。いつもの事だし。思いながら御幣は自分の事務机に戻り、その上に買い込んだ駄菓子を広げ始める。まるで縁日の屋台で買い込んだような、雑多で低価格で、ややもすると怪しげなそれらを前に、御幣は一人でご満悦だった。腹が減っては戦は出来ぬ、って、昔の人はうまい事言ったよね、というのが、こういう時の彼の口癖だった。が、本日のところはそれも封印である。どの道聞いていないし、あまり騒ぐと神和に睨まれる。尤も、睨まれても怒鳴られても、痛くもかゆくもないと言えばそうなのだが。

「なあ」

そんな訳で、一人いそいそと駄菓子のパッケージを開けていた御幣に、不意にそんな声が投げられる。蒲焼何とか、といういかにも胡散臭い、たらのすり身を薄くして作ったと思しき、おつまみ系駄菓子を口にくわえて、御幣は声に顔を上げた。

「ん、何?神和くん」

「本殿に、須賀社って……あったよな?」

視線はこちらを見ていない。御幣は口の中のすり身駄菓子を噛み切り、租借し、飲み込んでから、

「ああ……櫛笥ちゃん?」

「クシゲ?」

呼称の馴れ馴れしさに神和は、サングラスの下の眉を寄せる。解っているのか否か、軽い口調のままで御幣は返した。

「うちではそう呼ばれてるよ?愛称、ってやつ?」

「……筍でも出たか?」

「……タケノコ?」

やりとりは、少々かみ合っていない。御幣は首をかしげて、次の神和の言葉を待つ。神和は本を閉じることもなく、ソファから立ち上がり、事務机に向って歩き出す。

「あの辺でタケノコ、って、聞かないなあ……そういうのがあったら神様か誰かが気が付いて、採るなとか掘れとか言うよ?」

「じゃ、なんで櫛笥なんだ?」

自分の机について、その上に置かれたコーヒーを手に、神和が問いかける。御幣は首をかしげて、

「さあ……僕は姉さんに教えてもらったからなぁ……地元の人も、櫛姫さん、とか呼んでるし」

コーヒーを口に運び、神和は黙する。食べかけの駄菓子片を片付けて、御幣は問い返す。

「何、その須賀のお社がどうかしたの?」

「いや……なんで「姫」なのかと思って……」

「いるヒトが女の人だからじゃないの?」

「だから、なんで「須賀社に女神がいる」のかと思って……」

余談だが、そもそも神たる存在に性別は存在しない。それらは肉の体を持たない意思と力であり、高精神体とも呼べる、いわゆる霊体である。そのために「物質的な世界における男女という区別はない」はずなのだが、そこは如何せん、神のみぞ知る領域の話である。そして彼らが意思体であるために、性別という概念も存在する、ようである。故に「神々の愛児」と呼ばれる、それらの存在に特に愛される性質であるところの人間にしても、性別如何でその扱いが変化する事は、ほぼ在り得ない。男神であっても、人間の男であるところの「愛児」を良く好み、女神でも同様である。尤も、相手は意識と力のみの存在であるので、その辺りの微調整(?)は、朝飯前のようではあるのだが。

「須賀社の神様が女の人だと、なんか不都合なの?」

目を丸くさせて御幣が尋ねる。神和はコーヒーを口にすると、それから溜め息とともに言った。

「須賀社って言えばスサノオだ。普通男だと思うだろ」

「ああ……そういうこと?でもさ、そういうのってこっち側の既成概念だからさ、神様にしてみたらそんなのどっちでも、って言うか、あんまり関係ないんじゃないのかなぁ」

納得したようで、それでいてさらりと御幣が自分の意見を返す。神和は小さく舌打ちして、

「まあ、そうではあるがな。それでも珍しいんで、何でかと思って調べてたんだ」

「マメだねぇ……って言うか、そういうのは調べるんじゃなくて、直接聞いた方が早いんじゃないの?本人に」

にこにこと、何故か御幣は笑っている。神和はむっとした顔でまた一口コーヒーを飲み、

「お前とは一緒に行かんぞ」

「えー、なんでさ?僕、あのお宮の宮司の息子だよ?」

「お前がいると出来る話もできん……まあ、須賀社レベルなら、それほど心配もいらんかも知れんが」

語尾が少々濁る。御幣は笑うのをやめて、

「え?スサノオだと、なんかあるの?僕と」

「相手は、記紀では八岐大蛇を切り伏せた神だ。お前なんぞヘでもないかも知れんからな」

さらりと神和が言う。御幣は眉だけしかめた奇妙な笑顔を作ると、

「なんかその言い方って、いつもの事だけど、引っかかるなぁ」

そんな風にぼやいた。

 

「ええと、須賀社ですよね。確かあれは、戦中に分祀して貰ったんじゃなかったかと思ったんですが……」

本庁、資料室。民俗学見地からの、神道の学術的な研究を行なっている、組織内でも特に有名な部署である。団体の面の顔、と言っても差し支えないその資料室には、大学の書庫並みの蔵書と資料が収蔵されているが、勤務している職員は十名に満たないほど少ない。この資料室の機能は、大学との連携であったり、小規模神社の互助会であったりと、オカルト部門以外では組織内でも相当の重要度を持っており、組織として力を入れるべき部署ではあるのだが、如何せん「宗教団体」という枠組みからすると異端でもあり、学問を取り扱う性質上、団体が奉ずるべき存在を非科学として取り扱わざるを得ないことも多々あるため、あまりの重きを置くことも出来ない、というのが現状のようである。

「戦中に、分祀?」

「その辺の話は、先代の大宮司の方がお詳しいと思いますが」

「じゃあ後で僕んち寄る?」

資料室には学芸員である司書と、神和と、御幣がいた。司書は御幣の提案に、

「その方が早いでしょう。勧請の元がどちらで、いつ頃なのかはすぐにでも調べられますが……最近移ってこられたお宮さんですから、伝承の類も、そんなにあるわけでもないですし」

にこやかに言うその言葉を聞いてから。神和は嘆息してその肩を落とした。

「……何、神和くん」

「なんでお前がここにいる?」

「え?だって神和くん、宮に行く時って朝から抜け駆けしたりするでしょ?だから朝一でこっちに……」

「俺は今日は向こうに行かないから、お前に一日つめてろって、そう言わなかったか?」

あれから数日後の、朝である。片田舎の学術機関の、爽やかなはずの朝は、そこにはなかった。というより、あるはずだったものが消失した、とでも言うべきか。

「うん。だからさ、何となく張ってたんだ。君これから宮のみんなに会いに行くんでしょ?」

御幣はにっこにっこ、である。さもありなん。別名「神殺し」のその男は、小動物とそれに類似するもの、そして宮の狭庭に暮らす、どこからともなく集まってきた、通称「小さい神様」が大好きなのであった。そして毎回「特に理由もなく嫌われる」(本人談)のだが。神和は黙して何も言わない。くるりと背を向けると、司書に対して言葉を投げ、その場から歩き出す。

「朝から邪魔して悪かったな」

「細かいデータ、また送っておきましょうか?」

「悪い、頼むわ」

背中で手を振る神和は、御幣を見ようとすらしなかった。置いてけぼりを食らう直前、慌てて御幣がそれを追いかける。

「ちょっと神和くん、待ってよ。何でそんなに僕のこと嫌うのさ?」

「俺は、お前に好かれてるとは、全っ然全く、これっぽっちも思ってない」

「酷いなぁ……僕ら二人一組で、相棒じゃない。そういうつれないこと言わないでよ」

神和は何も答えない。参ったなぁ、とぼやいて、御幣は大人しく、その後に続いた。

 

朝の杜はいつでも静けさに満ちている。広い敷地には木々が生い茂り、その木々の間に間に、小動物も生息している。風がそよぎ、小鳥が歌い、時には獣のなく声までも響く森は、それだというのに静寂の雰囲気を醸している。玉砂利を踏む足音さえも、それを邪魔する事はない。何故なのだろうか。思いながら、神和は歩みを進める。

広い神社の敷地の杜は、特に狭庭と呼ばれている。神が住まうには狭い、という、謙譲の意味もあるのだろう。一度迷えば容易く抜けられるような、そんな範囲ではない。

宮は、この辺りでは最大規模の神社でもあった。神体は山、その本性もまた、山。歴史は古く、霊験もあらたかではあるその神社が、だというのに人を寄せ付けず、ひっそりとそこにある理由は様々だった。

一つは、新新興宗教団体の本拠である、という大前提のために、余所の土地の人間があまり近づかない事。尤もといえばその通りである。しかも、怪しい宗教団体宜しく、オカルト部門の充実加減は半端ではない。一応、その点に関しては組織的にあまり披露はしていないのだが、それでもその、逆宣伝効果とも言えそうなものは、程よく効を為していた。

もう一つは、そこがあまりにも山奥にあるため、である。山奥の宗教団体に、余所からわざわざ人が尋ねてくる、とあったら、それはそれで相当な事なのだが、そして、ここでも全くないわけではないのだが、如何せん「道は在れども教えはなし」の神道において、その理念さえも踏襲している団体である。説法を聞く、だの、集会を開く、だのという昨今の他団体とは体質も違い、ないわけではないが、それによって狂信的な信者を獲得している訳でもなく、何といおうか、割合地味な宗教団体であるため、そして、近隣においてはあまりにも古くからあるために、激しい異端視もされなければ突出して目立っている訳でもない、という具合だった。

「神和くん、どこ行くの?そっち行ったら本殿だよ?」

玉砂利を踏みしめて歩く傍らの男に、御幣は問いかける。神和は振り返らず、

「ああ」

「って、須賀社のこと調べに来たんじゃないの?」

「ここは一応、あいつの宮だ。近くに寄ったら、たまにはまともに挨拶の一つもした方がいいだろ?」

神和の歩みは止まらない。そんなもんかな、そんなもんか。御幣は無言で思いながら、その返答に何も返さない。狭庭の最奥に、宮の主祭神、大御坐彦尊を祭る社が建てられている。その本殿を中心に、斎館と呼ばれる神職や巫女達が住まい、日々の業務を行なう建物が配置されて、本殿祭礼係と呼ばれる団体の職員である彼らが、日々、主祭神に奉仕している。宮は、半ば人の住まいであって、神の住まいではない。神たる存在に、人の暮らすような建物など、本来重要ではないのだ。

「でもあのヒト、ここにいるって限らないんでしょ?山見て拝んだら、それでいいんじゃないの?」

「ここにいないとも限らんだろう。お前、氏子の癖に時々態度がでかくないか?」

「っていうかさー、うちの神様って、あんまり有難みがないんだよねー……自分が困ったり怒ったりする時には勝手に出てきて言いたいことだけ言うけどさ、僕らが必死になってお願いするような時って、滅多に顔も出さないし」

「……俺達の前に顔を出すだけ、マメだと思うがな」

御幣の言葉に、神和は僅かに眉をしかめて返す。御幣はけろっとした顔で、

「そうかなぁ……それは、君は好かれてるから、そうかもしれないけどさー……」

神和はその言葉に何も返さない。御幣は黙り込み、しばし考え込むようにしてから、独り言のように言った。

「本殿行くなら、五十鈴に会ってこっかなー……あーでも今日、何にも御土産ないや……」

神和は相変わらす黙っている。張ってたのが悪かったのかなあ。御幣は胸の中だけでそんな風に呟く。

「……僕はその、櫛笥ちゃんってヒトと、ちゃんと会ったことないんだけどさ」

歩きながら、御幣は黙ったままの神和に話しかけ続けた。二人でいるのに沈黙しているのも、気まずいと言うか、間が持たない。彼はそういう性分だった。相変わらず神和の反応はないが、それでも御幣は続ける。

「戦前だったか戦中に、結構大きい神社さんから、分けてもらったんだって。ほら、敷地ぎりぎりのちょっと離れたところにさ、靖国とか橿原の分社があるじゃない。アレが来た後って言ってたかな……」

戦時中は、全国各地に靖国神社と橿原宮の分祀が設けられた。国策神道の一環である。

「でもさ、うちの神様って、元々余所の神様連れてくるのって、好きじゃないじゃない?なんて言うか……自分に出来ないことはない、みたいな態度でさ?まあ、例外の人も沢山いるけど……で、一時期機嫌が凄く悪かったらしくてさ……この辺の近所の畑とか田んぼとか、とんでもないことになったんだって。それで、その頃に色んな神様を、色んな所で分けてもらって連れてきた、って言ってたっけ……」

「それと、ここの須賀社が女だって言うのと、どういう関係があるんだ?」

やっとの事で口を聞いた神和の態度は、あまりよろしくない。それでも、取り付く島が出来たとでも思ったのか、御幣の表情が僅かに明るくなった。

「それは僕も良く知らないけど……でも、その時に神様が出てきて、何か、櫛の歯がどーの、って言って、それかららしいよ?櫛笥ちゃん、って呼ばれるようになったの」

「ほーお」

神和の返答はおざなりだった。本気にしていないようである。御幣は困ったように笑いながら、

「でもさ神和くん、何でわざわざそんなこと調べになんか……」

「天王だの祇園だの、って言や、余所じゃ派手に夏祭りをやるだろ。うちはどうだ?」

「あー……「虫遣り」とか?やってるじゃない。まあうちのお祭って、全般的にこのヒト一柱(ひとり)、っていうタイプのお祭、あんまりないよね……『みんなで会食』みたいにはなるけど……」

それがどうかしたのだろうか。思って、御幣は首を傾げる。神和は振り返りもせず、そのまま先へと進み続けた。

 

「鼎兄さま、辰耶兄さま、いらっしゃい」

本殿拝殿で、取り敢えずの参拝を済ませる。こちとら団体職員なんだ、投げる賽銭と出所が一緒の金なんか誰が投げるか、というのは神和の弁で、御幣は、挨拶だけなんだから別にいいよね、という考えらしい。ごくごく一般的な二礼二拍一礼、の後、拝殿と続きになっている社務所から、神職や巫女達の詰める斎館へと渡る。平安貴族の住居を模したその建物の中程、渡りで繋がれたあまり大きくない離れの側、巫女装束姿の幼さの残る少女を見つけて、御幣は笑いながら手を振った。

「五十鈴。元気?」

「五十鈴は元気よ。兄さまも、お変わりない?」

二人を見つけて駆け寄ってきたのは、宮の巫女であり、教団の「祭主」でもある少女だ。長く伸ばした黒髪と、白い偏に緋色の袴。目元には藍の化粧が施され、瞬きすると蝶のようにそれが閃く。御巫五十鈴。現大宮司の孫娘で、今年十四歳だが、宮の奥に努める為に、外界との接触を殆ど絶ち、ここで暮らしている。珍しい客人に、彼女はご機嫌らしい。そのまま御幣の手を捕まえて、

「兄さま、今日は何の御用?お土産は?」

「あー、ごめん五十鈴。今日は御土産ないんだ……って言うか、それだと僕って言うよりお土産を待たれてるみたいだなあ……」

捕まれた手をぶんぶん振り回されながらも、御幣の、少々緩みすぎの感のある笑顔は崩れない。五十鈴はきゃー、と声を立てて、

「そんなことないわ。だったら兄さま、手妻で遊びましょ。五十鈴が石を隠すから、兄さまはそれを捜して」

「えー……僕、五十鈴の隠した石、見つけたことないんだよなぁ……」

来客にとにかく大騒ぎの巫女を余所に、神和は辺りを見回す。そして、誰に問うでもないように言った。

「今日は、あいつは居ないのか?」

その声に五十鈴は顔を神和に向けた。そして、

「お姿は顕していないみたい。なぁに、辰耶兄さまは、神様に御用?」

「いや……用ってほどじゃないが……いないなら、それはそれで……」

五十鈴は首を傾げるようにして、そう言った神和を見上げていた。が、不意に、

「ああでも、今日は櫛姫が五十鈴のところに来てるのよ。五十鈴のお着物、見せて欲しい、って」

思い出したかのように五十鈴は言って、渡りの先の小さな離れを見遣る。それに驚きの声を漏らしたのは御幣だった。

「櫛笥ちゃんが?どういう偶然だろ……」

「兄さま、櫛笥ちゃん、なんて呼んではダメよ。姫は須賀の御魂なんだから」

まるで小さな子供を叱るような口調で、五十鈴が言う。唇を尖らせるその幼い姿に笑いながら、

「それは失礼しました、祭主様。ねえ神和くん、君、その姫のことが気になってたんでしょ?会っていけば?」

言いながら、御幣は神和へと振り返る。神和はサングラスの下で苦笑して、

「できればな。五十鈴、取り次いでくれるか?」

「はぁーい。じゃあ、ちょっと待っててね。櫛笥ちゃーん、辰耶兄さまが、会ってお話したいってー」

言いながらパタパタと渡りを駆けていく。見送りながら、御幣、

「何だよ、僕にはダメって言っといて、自分は平気で呼んでるじゃないか、五十鈴のやつ」

「お前と祭主様とじゃ立場が違うからだろ」

苦笑する御幣を、鼻先で笑うように神和が言う。御幣はむっとした顔で、

「何だよそれ。それじゃまるで僕が五十鈴以下みたいじゃない」

「相手は教団の祭主様だぜ?一介の下っ端破壊能力者と同列なわけがあるか」

「……それは、そうなんだけどさ」

しれっとした神和の言葉に、御幣は不貞腐れて黙り込む。足音と声が消えて数秒後、離れから声は返された。

「兄さまー、お話してもいいから、いらしてー」

 

「ほら、もうすぐお田植えのお祭でしょ?それでね、五十鈴はみんなと直会(なおらい)するでしょ?櫛姫は、その時に五十鈴が何を着るのかな、って思って、覗きに来たの。ね?櫛笥ちゃん」

離れの中では色とりどりの上着が、所狭しと広げられていた。その中に、人間で言えば十二、三歳と思しき、水干を身に纏った少女が、ちょこんと座っているのが見える。少々おどおどしている様子のその姿を見て、驚きの声を上げたのは御幣だった。

「うわ、びっくりした。スサノオ、って聞いてたから、もっとこう、ごっついのかと思ってた」

「兄さま、姫に失礼よ」

「ああ、ごめんごめん……とってもかわいいから、それでびっくりしたんだけど……」

髪の色は白金、目の色は真紅。凡そ人とは思えないその姿が、それらが彼らの前に顕す姿だった。目元に紅をさした水干の少女は、御幣と神和とを見比べて、それから、困ったように五十鈴を見遣る。五十鈴は首を傾げて、

「なぁに、櫛笥ちゃん。やっぱり、お話、しない?」

「いや……これが、みんなが騒いでいる「布都主」と「審神者」なんだな、と思って……近くで、見たことがないから……」

とつとつとした言葉で言って、彼女は神和をじっと見詰める。神和はその様子に少々辟易して、その視線を傍らへと逃がす。

「みんな、お前の綺麗な顔のことで、いつも騒いでるから……それをとって、見せて欲しい」

その発言に、御幣と五十鈴が目を丸くさせる。そして、

「あー、この人もやっぱり、神様なんだねぇ……神和くんの顔が見たいって」

「……うるさい」

「いいじゃない、兄さま。櫛笥ちゃんに見せてあげて。だって兄さまのお顔って、本当に綺麗なんだもの」

無邪気に五十鈴が言う。しばし神和は黙し、しかしすぐに舌打ちとともに、かけていたサングラスを外す。見詰めていた少女は一瞬息を詰め、それから嘆息し、無言のままで神和に歩み寄り、その真下からまたその顔を見上げた。

「……本当に綺麗だ……しゃがんで、もっとよく見せて欲しい」

神和はそっぽを向いて黙っている。奇妙な笑い声とともに、御幣、

「うっわー……何か、変にアヤシイカンジ」

「変にアヤシイ?兄さま、何が?」

その傍ら、五十鈴は彼の反応がいまいち解らず、首を傾げている。御幣はそのまま、

「本当に神和くんって、神様にモテモテだよねぇ……何て言うか、凄いねえ……その顔……」

神和は眉をしかめ、ちらりと自分の側にいる須賀社を見下ろす。身じろぎも瞬きもせずに、それは彼をじっと見詰めているままだ。数秒の後、観念したかのように神和はその場に腰を下ろす。櫛笥と呼ばれた須賀の御魂は低くなった神和の顔をじっと見ながら、無言でその顔に触れた。

「……触っていいとまでは、言ってないぞ」

「時に人の中には、どうしてこんな綺麗な顔が生まれるのかな……不思議だな……でも本当に、綺麗だ……」

ぺたぺたと頬をなぶられる事に、神和は文句は言ってみても、振り払おうとはしない。その様子を見ていた五十鈴は、笑いながら、

「そうよね、兄さまって本当に綺麗なお顔よね。でも櫛笥ちゃん、あんまり独り占めすると、みんなが怒るわ」

「……うん……有り難う、審神者。見られて良かった」

いなされてすごすごと、彼女は神和から退く。サングラスを外したまま、その勢いのあまりない、やや大人しめの須賀の御魂を、神和は少々驚きながら見ていた。須賀社と言えばスサノオである。スサノオといえば、記紀において、八岐大蛇を退治したほどの、荒ぶる神のはずだ。それがここでは、大人しい少女と言って差し支えない姿で顕れている。これは一体、どういうことか。思っている神和を余所に、御幣はその、少女の姿を現すスサノオに興味津々らしい。近付いて、顔の高さを合わせるようにしてしゃがみこむと、

「ねえ姫様、僕は?じっくり見なくていい?」

「見なくていい。良く考えたらお前は、昔から宮をうろうろしていた。それでみんな「蹴られる」といって逃げているし、興味ない」

「あらら。そうなんだ……でも、貴女は他の人たちみたいに、僕を怖がらないね?」

「私は、スサノオだから。剣は使う側だ。使い方が解っているから、怖くない」

目を真直ぐに見返して、彼女は言葉を返す。御幣は体を起こし、軽く肩を竦めた。

「……これはご無礼を。でも、スサノオというのに、貴女はあんまり、それらしくないね」

「私はスサノオだけど、私だもの。それはそちらが勝手に言うことだ。いちいち聞かないし……ここには、祓うべきものは、入ってこないから」

御幣の目から視線を逸らさず、言葉はさらりと発せられた。目を丸くさせ、御幣、

「祓うべきものが、って、何?」

「だって兄さま、ここは神様の裾野でしょう?櫛笥ちゃんがわざわざ追い払うようなものは、神様が先に追い払っちゃうのよ。ね?」

仲良しの友達にでも話しかけるように、明るい口調で五十鈴がその疑問に答える。目をぱちくりさせ、御幣、

「へぇ……じゃあ、そんなにいかつくしてなくても平気、って事か……」

感心したように言って、ちらりと神和を見遣る。神和は、三人(?)でしているやり取りを観察でもしている様に、傍からそれを眺めている。言葉はない。

「でも……本当にお前は綺麗で……何だかとても、側にいて気持ちがいいな……」

須賀の御魂、ここでは櫛姫と呼ばれる存在が、そう言って再び、神和の顔を覗く。神和は無言でそれを見返していた。御幣はそれを見て笑いながら、

「良かったね、神和くん。余所のスサノオさんだったら、君、妻問われてるかも」

「うるさい、余計な世話だ」

いつも通りの相棒の言葉に、僅かに神和は眉をしかめた。それはしばらく、そのままそんな神和を見ていたが、先程のようにどこか力なく、またすごすごと、その前を退く。その様子に、小首をかしげたのは五十鈴だった。

「なぁに、櫛笥ちゃん。どうしたの?」

「……いや……齢百と満たない人間なのに……この者は、どうしてみんなに好かれてるのかと思って」

水干の少女は俯く。五十鈴と御幣は揃って顔を見合わせ、そして同じ様に首をかしげる。

「どうして、って……どうしてだろうね?」

「そうね……五十鈴も、あんまりそういうの、考えた事なかったわ。でもみんな、辰耶兄さまのこと、大好きよね」

五十鈴と、彼女と変わらない様子で首を傾げる御幣を見て、神和は呆れの吐息を漏らす。そしてどこか投げやりに、言葉を紡いだ。

「スサノオは根の国の主だ。同時に、「破壊」の象徴だ。畏れられてナンボだろう。それに……神たるものがそんな下らない事をいちいち気にするのか?」

須賀の御魂はその言葉に顔を上げる。傍らの二人が揃って眉をしかめたのは同時だった。

「ちょっと神和くん、何てこと言うんだよ。こんな可愛らしい女の子捕まえて」

「そうよ、兄さま、神様だって色んなこと、気にするのよ?例えば、えーっと……」

二人の同じ様なレベルの反論に、神和は苦笑を禁じえない。須賀の御魂は笑いも怒りもせず、そんな神和に淡々と言った。

「神たる我等は人たるお主等の雛型だ。人ほどには、些細な事は気にも掛けないが、心のある限り、何かしらに捕われるものだ。では問おう。お前は何ゆえ、その顔を隠す。男らしい造りではないそれを、苦にしているからだろう。そちらの方が余程に些細ではないか……願えば、常世にも暮らせるほどの美しさだというのに」

言葉に、それまでとは違う何かが潜む。怒り、というほどではなさそうだが、畏怖めいたものを感じ取って、神和は息をつめた。須賀の御魂はかすかに笑い、不意にその指で、神和の顔を指し示す。

「それとも、望めばその顔を、歪めてやっても良い。それとも、逆剥ぎに剥いでやろうか?良い具合に、ここに剣もある」

その深紅の瞳に、不思議に強烈な光が宿る。見詰められて、神和は息を飲む。と同時に、御幣がとっさにその間に割って入ろうとする。

「ちょっと待った!櫛笥ちゃん、そういうことは……」

「たかが剣、お主は我等に使われるモノ。口を差し挟むな……たたき折るぞ」

その顔が、御幣に向く。びくりと大きく痙攣するなり、御幣の体が硬直した。そのまま、御幣はそこに固まる。神々の勘気に触れれば、それは当然の報いだ。布都主とまで仇名される御幣でも、相手が荒ぶる神であるなら、その力には叶わない。困り顔で慌て始めたのは五十鈴だった。にやりと口許を歪めて笑う須賀の御魂に、何を思ったか飛びつく勢いで抱きつく。

「……何をする」

「だってだめよ!宮でオイタしたら、神様が怒るわ。そうしたら櫛笥ちゃん、神様に叱られちゃう。それに、櫛笥ちゃんはそんなことしなくていいって、神様に言われてるでしょ?女の子は、そんな乱暴な事、しちゃだめ!」

忌々しげに、抱きつく五十鈴を睨みつけるも、その言葉に、須賀の御魂は目を瞬かせる。そして、

「……うん、そうだな……私は、こんなこと、しなくて、良かったの、だっけ……」

そのまま、勢いをなくしたようにその場にしおしおと座り込む。先程の、顔を逆剥ぎに、と言った時とは全く違う、そのあまりの変わりように、神和は驚いて目を白黒させていた。硬直していた御幣の体も、それと同時に自由を取り戻す。ぐしゃりと床に潰れて、御幣、

「っわー……びっくり、って言うか……今の、僕でも怖かった……僕、たたき折られちゃうんだ……」

奇妙に歪な顔で笑って、御幣はしょげた様な須賀の御魂を見遣る。須賀の御魂は眉をしかめて、

「……主殿が、怒るから……しない……」

「主殿?えーっと……ここの、メインのヒト?」

問いかけに、彼女は答えない。五十鈴は小さくなった彼女に抱きついて、

「でも兄さま、何にもしないからって、櫛笥ちゃんを苛めたらダメよ。五十鈴、兄さまのこと嫌いになるんだから」

「いや、苛めたりは、しないけど……」

五十鈴に睨まれて、御幣が困り顔で笑う。神和は黙ったまま、五十鈴に抱き疲れて座り込んだ須賀の御魂を再び見遣った。叱られた子供のように小さくなって、それは時折、伺うようにこちらに視線を泳がせている。どこか脅えた子供のようだ。荒ぶる神、根の国の主、スサノオの分霊とは、到底思えない。そして同時に、

「……道理で、文句も来る訳だ」

「文句?」

何気に神和が言葉を漏らす。声に、その場の総ての目が彼に向けられた。嘆息しながら、神和は言葉を続けた。

「まあ大した文句でもないがな。俺のところに、直接来たんだよ。須賀社の、神使が。つい先達て分けた御魂が、どうもあんまり大事にされてないらしいじゃないか、どういうことだ、ってな」

御幣と五十鈴が、また同時にその目をぱちくりさせる。

「大事にしてない?うちが?櫛笥ちゃんを?」

「あら、ちゃんと大事よ。毎日お社にご機嫌いかが、って誰かが挨拶に行くし、直会にだっていつも来てくれるし。こうやって五十鈴や他の巫女の所にも、遊びに来てくれるし。この間は、みんなで一緒に狭庭で遊んだわ。五十鈴も、みんなも、櫛笥ちゃんのこと、大好きよ?」

当人は、その五十鈴に抱きつかれたまま、不思議そうにその目を瞬かせている。神和は苦笑を漏らし、しながら、

「そういうことじゃない。向こうとしては、何だってこんなか弱い姿で、こいつがここにいるのか、って、そういうことが問題らしい。向こうじゃこんな風に、巫女が持ってる着物をわざわざ見に来るようなタチのスサノオなんざ、想像も出来ないんだろ」

「でもここにいるこの子は、女の子なんだし……」

「天王社も祇園社も、害悪を追い払うのがその神徳だ。悪意も力も追い払えないスサノオの、どこにそれがある?」

神和の言葉に異を唱えようとした御幣の言葉は、途中で彼によって遮られた。言い負かされたような格好で、御幣は口ごもる。須賀の御魂は、どこか脅えたような目で神和を見つめていた。神和は疲れたように吐息して、そんな御魂に問いかけるように言った。

「……もしその意思があるのなら、呼び戻したいそうだ。俺達じゃ、お前らのそういうのは良く解らないが……人間の都合で慌しく無理やり引き離されて、きっと自分の役目も解らないうちに、こんな所に押し込められて、それで尚且つそんな扱いなら、と、向こうも案じてる」

答えず、御魂はその目をそらした。抱きついたままの五十鈴は、更にその肩を抱く手に力を籠めて、

「だめよ、そんなの。櫛笥ちゃんはここがいいの。この宮が櫛笥ちゃんのいるところよ。五十鈴やみんなと、御坐主様のところにいるの!」

やや高めの、泣き出しそうな五十鈴の声が辺りに響く。ざわりと、周囲にざわめきが起こったのはその時だった。湧き出すように、離れの中に、外に、何かの気配が現れる。一つ、二つとそれは増えていき、ざわめきは一秒ごとに、細波のように増えていく。

「……神和くん……何か、ざわざわして来たよ……」

どうやら今の五十鈴の軽い悲鳴で、この狭庭に住まう「カミたるモノ」が集まり始めたらしい。ち、と神和は舌打ちして、苛立たしげに言った。

「五十鈴、それはお前が勝手に決める事じゃない。ついでに……」

「だっていや!櫛笥ちゃんは五十鈴のお友達よ。大事にしてるし、みんな大好きなのよ?どうしてここから連れて行くの?みんなだって、いやだって言ってるじゃない」

耳に聞こえない、気配でしか負えないざわめきが、一段と増え、大きく広がっていく。離れの外からは人声までもが聞こえ始めた。騒ぎに気付いた他の神職や巫女達が集まっているらしい。何が起きているのか、と投げられる声がして、御幣はちらりと外を見た。

「神和くん、どーしよ……大騒ぎだよ……」

「うるさい、お前は大人しくしてろ」

「櫛姫を、どこへやるんじゃー」

「そーじゃそーじゃ、櫛姫は儂らの身内じゃー」

ざわめきの中から、恨みがましい声までもが聞こえ始める。それは気配だけではなく、影として、離れの中に一つ、二つと現れ始めた。

「うわ、何か涌いて来た!」

「何を言うか!我等を虫か何かみたいに!」

「そーじゃそーじゃ、大体「もののふ」、お前は人間で、宮に使える家の者の癖に、危ないんじゃー」

「じゃーじゃー」

気が付くと、あまり広くない離れの中には、ヒトならぬモノで溢れ返っていた。ぎっしりと、怪しい姿の影がひしめく中に、まるで捕われたかのようである。神和は舌打ちして、

「五十鈴、お前があんな声を出すから……」

「だってだって!いやなものはいや、ダメなものはダメ!みんなだって、そう思ったからここに来たのよ。五十鈴だけじゃなくて、みんなみんな、櫛笥ちゃんを余所になんかやらないんだから!ずーっとずーっと、櫛笥ちゃんはお山の櫛笥ちゃんでいればいいの!」

小さな子供がだだをこねるように、五十鈴がわめく。神和は眉を硬くしかめて、周囲にいるモノに向かって怒声を放った。

「あーもー、どいつもこいつもうじゃうじゃと!人の話は最後までちゃんと……てかお前らまで、何しに来た!」

「何しにって、のー」

「何じゃ審神者、おったのか」

「お前ももそっと、こー、儂らの味方でいいと思うんじゃがのー」

「櫛姫はここの者じゃぞ。どこにやると言うんじゃ」

「そーじゃそーじゃ」

神和の一括の後、声は更に笛、大きくなる。聞き分ける事も叶わないざわめきの中、御幣、

「ねえ神和くん……どうすんの、これ」

「……面倒だ、蹴散らせ」

「って……そんな事したら僕またみんなに嫌われちゃう……っていうか……」

「ダメよ兄さま!そんな事したら、櫛笥ちゃんにたたき折ってもらうんだから!」

怒りで我を忘れている五十鈴の声まで聞こえてくる。御幣は小さく、わぁ、と声を漏らし、

「……僕も多分、スサノオにたたき折られたら、死んじゃうなぁ……」

あはははは、と乾いた声で御幣が笑う。チ、と舌打ちして、神和は苛立たしげに声を放つ。

「とにかく、ここにいる全員、散れ!俺はただ頼まれただけだ。ここでもしそいつが不遇な扱いを受けてるなら、元の社に帰せ、って……」

「だめったらだめったらだめ!櫛笥ちゃんはここにいるの!五十鈴もみんなも、大事にしてるもの!」

「だからそれはそいつに……五十鈴、お前もいい加減にしろ!」

巫女が叫ぶ。共振するように、周りも大きく騒ぐ。これでは埒が開かない。外でも、幾人かが騒ぎ始めた。何が起こっているのか解らないから、そのうち扉を打ち破ってでも誰かが入ってくるだろう。いや、宮の神職にはそんな能力を持ち合わせた人間はいない。だとすると、騒ぎは余計に大きくなる。本庁の本部棟から破壊能力をもった巫覡が連れてこられれば、ここはもっと面倒な事になる。

「ああもう、めんどくせえな!」

「神和くんまで、こんな時にキレないでよ」

「やかましい!この役立たずの破壊巫覡!だったらちょっとはお前も何とか……」

「だって僕だって下手したら、そこにいる「スサノオ」に殺されちゃうんだよ?何が出来るって……」

忌々しげに怒鳴る神和に、僅かな意見をした御幣が八つ当たられる。ブチキレ状態の神和はそのまま、その場でひときわ大きく叫んだ。

「見てるんだろう、御坐主!出て来い、で、何とかしろ!」

声の直後、離れの中は一瞬で静まり返った。そして同時に、雑多な気配がその場から消え去り、ひいやりとした空気がその場所に満たされる。冷気、というよりも、霊気か。冷たいのではなく清廉とした、そして何ものにも侵されないその気配は、一瞬にしてその場を支配する。雑多な影も、それと同時にそこから消えていた。辺りはしんと静まり返り、無音の中に、それは姿を顕した。

「……御坐の主……」

櫛姫と呼ばれる、小さな須賀の御魂が、その名を呼ぶ。白金の、揃わない長い髪と、深紅の双眸。その身に孔雀緑の狩衣を纏った、美しい成人男子の姿をしたそれは、まず最初に神和を見て、言った。

「不躾だな、審神者。もっと己を弁えよ」

「人間風情に、大声で呼び付けられたくないってか?だったら騒ぎが起きる前に何とかしろ。最初から全部、見てたんだろう?」

にやりと口許を歪めて、狩衣の男は笑う。が、返された問いには答えない。そのままきびすを返し、今度は五十鈴と、彼女に抱きつかれたままの、水干の少女へと向き直る。

「……神様は、櫛姫を返してしまうの?櫛姫は、五十鈴の……」

「黙れ、巫女(すずしめ)。お主は己を何と心得る。所詮は人の子。我等に物を問うなど、赦されると思うか?」

やや強い口調で、御坐主が問い詰める。五十鈴はぐっと押し黙り、しかしそれでも、

「でも……でもでも、五十鈴もみんなも、櫛姫を大事にしてるわ。神様も知ってるでしょ?この間も、直会で一緒にご飯を食べたし、今日だって、櫛笥ちゃん、五十鈴のところに遊びに来たのよ?」

「巫女、黙れと言っておろうが」

苛立たしげに、御坐主の声は響く。肩をびくつかせ、五十鈴は脅えた目で、そんな御坐主を見上げた。御坐主は五十鈴に抱きつかれたままの須賀の御魂に目をやり、手を差し伸べる。

()爪櫛(つまぐし)の、一歯如きの者よ、此方へ」

白くしなやかな、その差し伸べられた手に、須賀の御魂は動揺しながらも、自身の手を伸ばした。ゆっくりと、音もない動作で、彼女は五十鈴の体を振りほどく。そして振り返ることなく、御坐主に歩み寄った。

「御坐主……おいっ……」

「我等は何者ぞ、言うてみよ、審神者」

音もなく、流れるように自然に、須賀の御魂は御坐主に寄り添う。笑顔でそれを抱き上げて、御坐主は神和に問いを投げる。神和は舌打ちして、

「お前らが何だろうと、俺には関係ない。お前らがそう言う様に」

「……さもありなん。されど我等と人とでは、余りにも在り方が違おう。思いもまた、夫々に違う」

言いながら、御坐主は抱き上げた須賀の御魂の顔を覗き込む。少し戸惑い気味の目で、少女の姿をしたその神は、そんな彼の目を見返していた。瞳を瞬かせ、御坐主がそれに尋ねる。

「何だ、櫛笥」

「……巫女は、私に良くしてくれる。今日も私は、巫女に会いに来たのだ。主とは言え、巫女に無体はされるな」

「然様か。櫛笥は、あれなる巫女が、気に入りか」

「でなければ、ここにはいない。主なら……嫌いなものはどうされる?」

「そうよの……山に入れぬ、かな」

くすくすと、御坐主は笑っている。少し不貞腐れた様な、少女の様子が楽しいらしい。そしてそのまま、彼女に尋ねる。

「斎つ爪櫛の、一歯如きなる、小さき者よ。ではこの宮は如何か。汝はこの山と宮は、お嫌いか?」

「……貴方は、どうなのだ?この小さき者が、お嫌いか?」

問いかけに答えず、逆に彼女は腕の中で、自身を抱き上げている存在に、問い返す。御坐主は楽し気に笑うと、

「嫌いであるなら、端から社など、置かせはせぬ。汝は我が意ではなく、人の手で此方に連れられし者。それも、未だ百歳(ももとせ)と経たぬ、心細くもあろう……お戻りあるか?元の社に」

楽しんでいる様子は、誰の目にも明らかだった。まるで、幼い少女を揶揄う青年の姿、そのものだ。須賀の御魂は躊躇いがちに、その目を伏せる。そして、少し困ったような目で、五十鈴へと振り返った。

「……櫛笥ちゃん?」

「巫女は……私が嫌いか?」

「そんなことないわ。みんな櫛笥ちゃんのこと、大好きよ?」

唐突な問いかけに、反射的に五十鈴が返す。下ろして、と小さく、須賀の御魂は御坐主に耳打ちした。御坐主は無言で彼女を床に下ろし、須賀の御魂はその顔を見上げて、真直ぐにその目を見詰めて言った。

「私は……主殿が去ねと申さば、すぐにもここを出てゆく。ここにいても良いなら、どこにも行かぬ……駄目か?」

問いかけに、御坐主は軽く息をつく。そして、少しだけ落とした声音で、こう答えた。

「……お好きにされよ、速素戔嗚尊(はやすさのおのみこと)。神使には、それでも其方より申されるが良い。この山裾に於いて、遇されておらぬような事はない、と。尤も、ここにいるのであれば、汝は我が眷属、斎つ爪櫛の一歯ほどの、小さきものであれと、申し置くが」

僅かに、御坐主の目が鋭くなる。須賀の御魂はそれに、細く笑い返すと、

「……御心の儘に、御坐主殿」

「なぁに、櫛笥ちゃん、ずっとここにいるの?どこにも行かない?ここにいるの?」

不安げに、五十鈴が須賀の御魂に問いかける。それは五十鈴に歩み寄ると、

「いても良いそうだ。どこにも行かない」

「本当?お迎えの誰かが来ても、ここにいる?神様も、櫛笥ちゃんを、どこにもやらない?」

繰り返し、泣き出しそうな目で五十鈴が尋ねる。須賀の御魂は笑いながら、

「御坐の主殿は、私がいたければ良いと仰せだ。迎えが来ても、私はここにいる。五十鈴とみんなと、宮の狭庭にいる」

「……良かった……」

その答えに、泣き笑いで、五十鈴が再び須賀の御魂に抱きつく。抱きつかれた須賀の御魂は、困ったように笑って、それからちらりと神和を見遣った。神和は不貞腐れた顔を逸らし、どこか苛立たしげにその髪を掻く。傍らでは御幣が、安堵の表情で笑っていた。

「審神者、手間をかけたな」

「それが俺の役目だからな。手間って程じゃない。それに、元はと言えばここにその神使を入れないヤツが悪いんだ。直接話が出来てりゃ、俺のところに苦情が回ってくる事もない」

言いながら、神和がその視線を御坐主へと向ける。そ知らぬ顔で、御坐主、

「山は我が懐。余所の者を容易く入れれば、主らとて厄介であろう?」

「まあそれも一理はあるけどねー。でも神様って時々、変なものの出入りは自由にさせるのにねー」

あはははは、と笑いながら言ったのは御幣だ。御坐主は眉の一つもしかめず、言葉の後、ふっとその場から姿を消す。見送るようにしてから、神和はその場で溜め息をついた。そして何気に、呟く。

「斎つ爪櫛の、一歯の如き、小さきものであれ、か……」

「あ、何?それ。さっき神様が言ってたこと?」

聞きつけて、御幣が身を乗り出して問いかける。神和はふん、と一つ鼻を鳴らすと、

「……呪いみたいなモンかも知れんな」

「呪い?」

言いながら、神和は須賀の御魂をちらりと見遣る。同じく、目を丸くさせた御幣が、未だ五十鈴に抱きつかれているその存在へと振り返る。

「そうであれと、ヤツが(よみ)したからな」

「……そういう訳でも、ないが」

神和の言葉に、少し遅れて須賀の御魂が返す。何気ないその表情の異変に、神和は軽く眉を上げた。素直ではない、けれど何かしらに、困ったような、照れたような、そんな表情だ。

「ところで、櫛笥ちゃん、君って時々、こうやって五十鈴のところに遊びに来たりするの?」

唐突に、何を思ったか御幣が問いかける。問われた側は口を開きかけるが、答えることに躊躇うように、御幣から顔を背ける。

「……あれ?なんか僕、変な事聞いた?」

「兄さま、櫛笥ちゃんはね、どんな上着がいいかな、って、見に来たのよ?」

そんな彼女の言葉を対弁するように、五十鈴が言った。須賀の御魂はそっぽを向いたまま、何も言わない。首をかしげ、御幣、

「上着?着物?何の話?」

「御坐の主様が、どんな着物が好きかな、って思ったのよね?櫛笥ちゃん」

「……何それ。良く、解んないんだけど……」

げふ、とその言葉に咳き込んだのは神和だった。御幣は首をかしげたまま、困った顔で笑っている。須賀の御魂は眉をしかめたような顔で、

「いや、その……ここでこうしていれば、いても良いのだけれど……時折しか来ない審神者は……時折しか来ないのに、主殿にも、みんなにも、好かれていて……その……」

「神和くんが?何それ、どういう……」

ごにょごにょと、須賀の御魂の口調が小さくなっていく。聞きながら嘆息して、神和は言った。

「帰るぞ、御幣」

「は?あ?え?何?何、神和くん、どういうこと?」

 

杜に来たその夜に、迷子になった。夜のうちなら、誰にも知られずに、元の社に帰れると思っていた。ここへ私を連れてきた者達は、どうしてか私を連れてきてすぐに、側を離れてしまっていた。何があったのか、その時には解らなかったけれど、後から、怒ったあのひとのことで、集まっていたのだと知った。だから一人で、一人にされて、だから余計に帰りたくなった。それでも、杜で迷って、迷っているうちに、杜に住まうたくさんのものに見付かって、社に戻されてしまった。ここに来たばかりで何も解らなかった私を、最初はみんな怖がった。何のためにどうしてここに来たのかさえ、その時には未だ解らなくて、それでも名前はあったから、名乗ると、みんな怖がって、私から遠ざかってしまった。

あのひとに会ったのは、だから次の夜だ。みんな、私を怖がるし、相変わらず社には、誰も来なくて、今度こそ帰ろう、逃げようと思っていた時に、また杜で迷って、あのひとに会った。何者か、何をしているのか、どこへ行くのかと尋ねられて、私は、そのひとが何だかとても怖くて、何も答えられなかった。でも、側にやって来たあのひとは、私を見て最初にこう言った。

「……斎つ爪櫛の、一歯ほどにもならぬ様な、斯様な小さな者を……」

怒っていて、とても機嫌が悪くて、怖い顔をしていたけれど、それは私にではなくて、私を連れて来たものに、で、そのひとはすぐ、私にこう言った。

「斯様な見知らぬ杜で、一人では心細かろう。小さき者よ、其方の役目はここにはない。が、戻る事もまた、容易くは叶わぬ。暫く杜で過ごしてみよ。それで、気に入らぬなら、出てゆくのも構わん。だか御前は、余りに小さい。櫛の一歯ほどに、力もない。この杜に暮らすなら、我が懐の内。何も畏れることはない。如何か」

難しいことは、何も解らなかった。けれどそのひとは、私が寂しくないように、自分の宮に連れて行ってくれた。杜の沢山のものに、私がどんなものなのかを教えて、私をひとりにしないようにと、そう言ってくれた。

この杜と、それを擁するこの山が、あの人の全て。ここにいれば、その息吹をいつも感じられる。ずっと側にいられる。私には、櫛の歯ほどに、力はないけれど、なくても、ないのなら、守ってくれる、そう言ってくれた。だから私は、強くも、大きくもならなくていい。なってしまったら、守りはいらなくなる。けれど、もしかしたらもう、この杜にはいられないかもしれない。小さいものなら、守ってやる。あのひとはそう言っていた。だから私は、大きくはならないし、強くもならない。小さくて弱いままでいる。そうしたら、ずっとここにいられるから。

 

「私は、弱くて小さくて……でも、それでいいのだ」

「え?櫛笥ちゃんは、弱くなんかないわ」

「……巫女は、私が強くて大きいと言うのか?」

「うーん……でも五十鈴は、櫛笥ちゃんのこと、怖くないわ。やさしいし、かわいいし、大好きよ」

「……「かわいい」というのが……良く解らないな」

「えーっと……かわいい、は、かわいい、よ。あんまり大きくなくて、怖くもなくて」

「ではやっぱり、小さいのだな」

「でもでも、弱くないでしょ?だって素戔嗚様なんだもの」

「でもそれでは……ここにいられない……」

「でも櫛笥ちゃんは、ここにいたいんでしょ?御坐の主様のところに、ずーっといたいんでしょ?」

 

「あー、あの須賀社?あれでしょ?確かうちのおばあちゃんが巫女やってたくらいの頃、県の支庁が橿原とか靖国の分社を無理やり持ち込んで、その次の年くらいに、うちの神様がへそ曲げて、そしたら村中の田んぼも畑も、病気は出るわ虫にはやられるわ、って大騒ぎになって、仕方がないからその伝で、結構大きいところに御魂分けしてもらってきたけど、それも神様が気に入らなくって、また次の年くらいに、今度は別のところで大騒ぎになって、っていう……」

一悶着の後、神和と御幣は社務所の客間でお茶を飲んでいた。というよりも、事情聴取されていた、というべきかも知れない。五十鈴の悲鳴がした直後に、杜に住まう殆どの「小さき方々」があの離れに寄り集まり、一触即発の状態にまでなったのだ。何も聞かれない方がおかしかった。一通りの説明をして、何事もなかったことを念押しすると、その対応に当たっていた巫女のうちの一人が、茶菓子と抹茶を持って二人のところにやってきた。御幣ぼたん。少宮司である鼎の父親の、妹の孫に当たる、今現在の御幣家の巫女だ。

「ぼたんはさ、櫛姫がなんで『櫛姫』って呼ばれてるか、知ってる?」

従兄の子、というなじみの深い間柄の御幣が、そんな彼女に問いかける。ぼたんは目を瞬かせて、

「ああ、その話?なんか神様が、来たばっかりの須賀の御魂を見て、こんな小さい子に、って言う意味でそう言ったんじゃなかったっけ?えーっと、確か……」

「『斎つ爪櫛の、一歯の如き』」

ぼたんの言葉を先んじるように、神和が言う。御幣と彼女は揃って目を瞬かせて、

「そうそう、それそれ。なんかうちの神様も、国文学には通じてる感じよね。上手いこと言う、っていうか」

「まあ日本の神様だからねぇ……でも結構しょっちゅう言ってることが解んないんだけど、あれ何とかなんないかな……」

「無理なんじゃない?うちの神様、わがままだから」

御幣家の二人はそんな風に言って笑い会っている。神和は、どこか暢気すぎるきらいのある二人を余所に、一人深く息を吐いた。そして、小さくぼやく。

「その荒ぶる素戔嗚が、たかが一柱の土地神に、あんなに懐くと言うか……惚れてるとはな……」

「え、何?神和くん」

「惚れてるって……櫛姫が、うちの神様に?」

暢気でいて耳聡く、そろって二人が神和の言葉に食いつく。神和は何かに呆れた様子で、二人を見もせず、

「多分な。でなきゃあいつに、あんなに懐く以前に、あんな風に「ここにいてもいいか」なんて聞かないだろ」

「へー、そうなんだー……何だかますます素戔嗚らしくないなあ……」

「ああでも、それなら櫛姫、って呼ばれる理由が解る気がするなー……そう言えば、うちの櫛姫って、名前からかも知れないけど、女の子の髪の毛のことにも、ご利益がすごくあるのよね」

楽しげに笑いながら、ぼたんがそんな風に言う。御幣と神和は揃ってそちにら顔を向け、

「女の子の、髪の毛?」

「何だそりゃ」

「綺麗な髪になりますように、ってお願いして、櫛を奉納すると、本当に綺麗になっちゃうの」

うふふ、と小さくぼたんが笑う。そして、こう付け足す。

「そうかー、櫛姫も「恋する女の子」なのかー……だったらそういうお願いも、聞いてくれる訳よねー……なるほどなるほど」

「……何かますます、素戔嗚らしくないね」

「……確かに」

男二人は奇妙な顔で、何やら楽しそうなぼたんの言葉に、それぞれのコメントを発した。

 

「ところで櫛姫、姫はあそこで何をしておったのじゃ?」

「そーじゃそーじゃ。ちい姫と何をして遊んでおった?」

「え?あ、いや、それは……」

狭庭の内の、何処とも知れないその場所で、須賀の御魂と、その他に数多暮らす、小さな神々が、普段の通りに集うでもなく集まっている。

「小さい巫女も、所詮は人であるからの」

「そんでも、なんであの宮の巫女はみんな、儂らを叱るかの」

「櫛姫も、叱られるのか?巫女に」

「私は……そんなことは、あんまり……」

「やっぱりのー。櫛姫は昔から、いいこじゃのー」

「というかのー、なんで儂ら、あんなに叱られるんじゃろー。神様なのに」

「そんなことゆったら、御坐の主でも、巫女に叱られておるぞ」

「まああの方は、人間の言うことなど、何にも聞きはせんがの」

わらわら、わいわいと、小さな者達が口々に騒ぐ。そんな中、少々困り顔で、彼女はその様子を見ていた。そのうち、その中の一人が唐突に、

「で、なんで姫は、そんなもの着ておるのじゃ」

「え?」

「あ、本当じゃ、今日は汗衫(かざみ)じゃのー」

わらわらと、彼女の周りにそれらはたかり始める。平安期の童女の正装であるところのその装束を身につけた彼女は、俯いて、

「……おかしい、かな……巫女が、これが良いと言ったのだが……」

「いやいや、おかしくはないぞえ」

「そんでも、そのナリだと、鬼ごっこは出来んのー」

「じゃのー。鬼になったら追いかけられんし、鬼でないなら、逃げられんのー」

「そんでは「つのつの」で遊べばよかろ?」

「てゆーか、そーゆーことではないであろーよ」

あちらこちらから、様々な意見が飛び出す中、須賀の御魂は俯いたまま、何も言おうとしない。

「巫女に、それが良いと言われたか、櫛笥」

騒ぐ声の向こうから、笑みを含んだ別の声が聞こえる。彼女は顔を上げて、またすぐに俯いた。周りを取り囲んでいた沢山の者達も、その声に振り返る。そして、

「主殿、櫛姫、鬼ごっこができんようになってしもうた」

「じゃからそーゆーことではのーて」

「じゃったらなんじゃ。てづまであそぶのか」

「「ずいずいず」でもよいぞ」

声は口々に、またそれぞれの意見を発する。それらに全く構わず、彼女を櫛笥と呼んだ存在は、躊躇いなくその側へと歩み寄る。

「あれはたかが人の子、巫女風情の言うことなど、聞かずとも良かろう」

「……主殿は、こういうのは、御嫌いか」

俯いたまま、少しだけ不貞腐れて、須賀の御魂は彼に問い返す。御坐主と呼ばれるその存在は、それにくすくすと笑うと、

「着ておるものなど、どうでも良いが」

「……然様か……」

「汝は汝……気に入った姿であれば良いであろう。斯様な裾では、走り難かろうに」

「……私には、速く駆ける訳もないし……いつも、あの形では……審神者の様に、綺麗でもないし……」

「汝は汝、審神者は審神者……」

「……もう良い。そういうことでは……」

ごにょごにょと言葉を濁らせて、須賀の御魂は御坐主に背を向ける。笑いながら、御坐主は言った。

「着たければ着ていると良い。皆はどう思う」

「そーじゃのー」

「櫛姫か。おめかしした時の、ちい姫の様じゃ」

「ほんにほんに。かわいいのう」

「あーでも、櫛姫は素戔嗚じゃからのー。かじったらいかんのー」

「いやいや、巫女とて、かじったら怒られるぞ」

「そうよの。審神者も、かじったら怒ろうの」

「見目などどうでも良いが、確かに、可愛らしいな」

最後に聞こえた御坐主の声に、須賀の御魂は振り返る。にこにこと笑ったまま、御坐主は言葉を重ねた。

「何処の姫神かと、見違えたぞ。真に、我が狭庭の櫛笥であろうな?汝」

「……見間違えるなら、元の形の方が良いか?」

「さて」

恐る恐るされた問いかけに、御坐主は笑いながら、曖昧に答える。須賀の御魂は膨れて、今一度問い返した。

「それでは解らぬ。私は、どうすればいい?」

「好きに致せ。我が爪櫛の、歯程の者よ」

 

 

 

 

 

 

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Last updated: 2009/05/24