小噺惟神

-コバナシカムナガラ-

 

迷子の神様

 

【宗教法人八百万神祇会・宗教総合相談事務所では、ありとあらゆる宗教に関するご相談を承っております。相談料は無料です。(相談後の対応は有償となる場合があります。)お気軽にお問い合わせ下さい。】

 

で。

「……うちは「人間用」の相談窓口なんだが」

その時、事務所には珍妙な来客があった。一応、この事務所の責任者という肩書きを持つその男は、来客用のソファでくつろぐ、奇妙ないでたちの子供を見下ろし、溜め息とともに言葉を紡ぐ。白い、水干と呼ばれる衣装を身に纏った、十歳前後と思しき子供は、そのあまり大きくない目を何度もしばたたかせ、けろっとした顔で言葉を返す。

「まあ、細かい事は気にするな。こちらもちょっと困ってるのだ」

ソファに座る子供を見下ろし、神和辰耶は無言で、再び嘆息した。そこにいるのは人ではない。彼が属する宗教法人では、その総てを「カミ」と称する。言うなれば霊体だ。とは言え「カミ」と呼ばれる側にしてみれば、自身が単なる霊であるとの認識をしているものは、ごく僅かである。自分はカミなのだから、人間風情に軽んじられる謂れはない、されてなるものか、というのが、あちら側の認識の様だ。そんなわけで彼らは、人間相手の「商売」をしているつもりなのだが、しばしはそれらの存在に使われる。

「何しろここ何百年と、我等より主らの方が幅も利かせておる。好き勝手に動くことも、中々出来ないしな。やっても良ければしなくもないが」

さらっと言われた言葉に、神和の額が痙攣する。運良く、と言うべきか。「神殺し」の異名を持つあの男は、現在ここにいない。所用で出払っている。で、そんな時に限って時折、その手の来客はあるのだった。要するに相手の方も、それを狙っているのだ。とはいえ、余りに急を要する場合、そんなことも構っていないものもあるのだが。

「で……何の用だ?」

「まあ、大した事ではない。迷子でな」

そこにいるその存在は、この辺りのカミの中では少々名の知れた存在だった。街中の小さな社がその住処なのだが、通称「迷子の神様」と呼ばれ、近隣住民からの信仰が妙に厚い。元々は下鴨神社の分祀らしく、道案内を得意とする。神徳は勿論、旅先での交通安全であったり、行き先で迷わぬようにとの、道案内その他、なのだが。

「迷子の引率はお前の十八番だろう。何だって俺にそんなことを……」

「いや何、迷子が、来た道も解らねば、自分の社も良く解らんと言うのでな」

賀茂建角身の分かち身であるところの存在は、けろっとした顔であっさり言ってのける。神和は眉を寄せ、

「はぁ?何だそりゃ」

「何処の者かと尋ねてはおるのだが、解らんと言うのでな。それでここに……」

「どこの何モノかも解らない迷子を、この俺に一体どうやって帰せって言うんだ、ああ?」

神和の言葉に苛立ちが混じる。解っているのかいないのか、そこにいる水干の子供の態度は変わらない。変わらない顔で、少々神和を馬鹿にでもする様に、

「だからここに来たと言っているではないか。解らん奴だな」

「だから、なんで専門職のお前が始末できないようなのを、俺のところに回すのかって……」

「まあ細かいことはいい。とにかく、手を貸さんか」

「貸さぬか、ってなあ……」

「細かい事は当人に会って聞け。行くぞ」

一方的で、ややもすると横暴なその言葉に、神和は怒りを通り越して呆れ始める。それらの存在は、常に自分たちを見下している。高い能力を誇る巫覡になればなるほどに、だ。例外もあるらしいが、巫覡の癖にそんなことも見通せないのか、と、無理のある罵倒を受けることもしばしばだ。カミである彼らですら、何もかもを見通し、須らくその意思の通りに出来る訳ではないというのに、人である巫覡にそれをしろ、というのは、無理からぬ話である。とは言え、あちらは絶対的に自分達よりも上位で、それを譲る事は全くない。何様なに小さく儚い存在であってもだ。そのために、感応に秀でた巫覡は、様々に彼らに利用される。それが当然であるかのように。勿論、それを由としない巫覡も、いないわけではなく、業界(?)ではそれが原因で起こるトラブルも、ザラではあるのだが。

「こんなところで儂と話しておっても、時を無駄にするだけだ。何しろ人間は、気が付いたらあっさり死んでおる。魂だけになれば、まあ話は早いが、それでは何の役にも立たん。さっさと行くぞ」

水干の子供はそういうとソファから立ち上がる。神和は手で額を押さえ、今一度無言で嘆息した。

 

事務所から徒歩二十分ほどの、オフィス街と住宅地との間に、その小さな社はあった。規模は小さいが歴史は古く、本人曰く「ここに来て四百年くらい、だったか」ということらしい。地域の区史などにもその小さな社が約四百年前にここに勧請されたことが見える。当時は村社としても信仰を集めていたが、最近では近隣の大きな神社の摂社として、管理はそちらの団体が行なっている。その点からして今回も、自分が出張るのはどうか、と思いながら、神和は水干の先導に従うように歩いていた。

「なぁ、前から聞きたかったんだが」

前を行く水干の子供の姿は、彼にしか見えていないのだろう。それを「見える」と認識することもまた、正しくはないのだが。それに呼びかけることは、傍からすれば独り言のようにさえ見えるのかもしれないが、神和はそれらと対峙する時、常にそうして会話をした。念話、俗に言うテレパスという能力が無いわけでもないのだが、それを行なうには彼の体質は、あまりにも敏感すぎた。()く感応を行なう。彼のその能力は「(わざ)」ではなく「(たち)」だ。望んで得たものでもなければ、その為に日々研鑽している訳でもない。御する事が叶わない訳ではない。それでも、彼はごく普通に、人が見聞きし、そう出来る対象であるかのように、それらに対応した。そうしていなければ、気が狂う。自分は彼らを体のどこでどう感じ、捕えているのか。自分でも思いも寄らない形でそれらを認識しているのなら、それはどういうことなのか。正直、彼はそれを考えたくはなかった。それは自分が人間である、そのことを否定する事にもなる。解っていたとしても、それを受け入れる事はできない。いや、受け入れられたなら、もしかしたら今よりもっと楽に生きていけるのかもしれない。もっともそれが、ごく一般的に人の言う「生」であるとも限らないのだが。

「下らん問いなら答えんぞ」

先を行く水干が短く答える。神和はその声に苦笑し、しながらも、

「なんで自分のところの人間を使わないんだ?お前」

「呼んでも聞こえない輩に、何が頼める?」

答え、ではなく問いかけが返される。神和はまた声もなく苦笑いを漏らし、それ以上は何も言わなかった。件の神社には、職業としての神職はいても、自分のような能力者はあまりいないらしい。確かに世間の多くある体質でもなし、その感度たるや、国内屈指ではあるのだが。

「お前も、余計なところで苦労してるな」

「そうだな。お前の様なのが近くにいるから、何とかできるが」

彼らとの間で会話を成立させる事は、通常、困難を極める。向こうの意思は常に一方通行で、此方から発信したものを受け取らせる事は、殆ど出来ない。そもそもそれらに対して意思を発することさえ、容易ではない。術者に拠れば多くの条件を必要とするし、またその条件を満たしても、叶わないことの方が多い。ツーカーとまでは行かないが、その点では、神和は比較的容易にそれをこなしている。とは言え彼の要求が飲まれることも、そう多くはなく、無理強いをされることの方が余程多いのだが。

「常の迷子なら、容易に送り届けられるんだがな」

「あ?」

唐突に、先を行く水干から言葉が発せられる。神和は片眉をあげて、そんな風に問い返す。

「あれは困った。何しろ、自分の社がどこにあるのか、解らんと言うのだ」

「ああ……例の迷子か……」

そんなことが本当にあるのだろうか。思いながらも、神和は黙ったままだった。前を行く背中は、更に言葉を続ける。

「とは言え、ここも勝手の解る土地でもない。人間などには解るまいが、己と所縁のない土地ほど、我等に頼りないこともない。彷徨えば、その分我等も儚くなる。本地と離れれば離れるほど、何と言うか……つらい」

こぼす言葉は、どことなく頼りなく、力弱い。迷子は自分ではないというのに、どこか痛々しい声だ。思いながら神和は軽く息をつく、そして、自分の性分を僅かに呪った。どうして俺は、こういうのを放置できないんだか。しかも、特に「カミ」と呼ばれるその存在に対して。思いながら、彼は言った。

「人間だってその辺は変わらんだろ。産土(うぶすな)と離れれば、それだけ守りも薄くなる。知り合いのいない土地に移れば、心細くもなる」

「そうか?では何故、我等を元のところより、わざわざ分けて祀るのだ?我等の心など解らんからであろう?」

「さあな。まあでもお前らは仮にも「神様」だ。人間風情は「神様」ってのは完璧だと思ってるからな。寂しいとか心細いとか、感じてるなんて思いもしないんだろ」

声に揶揄が混じる。水干は歩きながらちらりと神和へと振り返る。神和は口許に薄い笑みを浮かべて、何も言わない。

「短絡よの。ま、人間風情、その程度か」

「そうそう、その程度だ。買い被ってもらっちゃ困る。俺だって、こうしてついて歩いちゃいるが、お前の要望に応えられないかも知れんし」

「では、お前のところで引き取れ」

にやつく神和を一瞥して、水干は短く言った。言葉に、神和は思わず足を止める。

「は?うちで?」

「御坐殿の裾には数多のカミが寄っておろう。御坐殿は小さいものが好きそうだし、一柱くらい増えた処で構うまい」

立ち止る神和を置いて、水干は歩き去る。しばし見送るも、神和は慌ててそれを追いかけ、

「いやまあ、確かにそりゃそうだが」

「儂はそれで構わんし、迷子も、始めのうちは惑いもしようが、すぐにも馴れよう。お前も時々様子を見てやってくれ」

「ってちょっと待て、まだ俺が何も出来ないと決まった訳じゃ……」

「お前のことなどどうでも良い。要はあの迷子と儂が、安穏に暮らせればいいだけのことだ」

どこか冷たく言い放たれ、神和は言葉を失う。言い分は、少々無理があるが確かにその通りだった。迷子を送り届けられないなら、引き取れ。そうしたなら自分と迷子の問題は解決する。八百万神祇会の奉祭する主神、御坐主の膝元には、聖とも邪とも着かない、数多くのカミが暮らしている。どういういきさつで彼らが集まり、それを御坐主が許しているのかは解らないが(例外として排除されるものもないわけではない)今更その中に一柱増えたところで、彼らに支障はないだろう。が、

「って……そっちはそれでいいかも知れないが、こっちはそう簡単に行かないんだよ」

カミが動けば、その土地の気脈が異常を起こす。気脈のバランスが変われば、近隣の霊体にも影響が出る。となればそれらに絡んだトラブルも発生しないとも限らない。彼らがどうでもいいと扱う人間にも、多少なりとも影響を及ぼす。それ以前に、だ。

「そいつの意思はどうなんだよ……だったら最悪、元の場所に戻してやった方が、そいつの為だろ?」

「どこの何者かも解らんというのにか。阿呆か、お前は」

水干が足を止め、振り返って蔑みの目を神和に向ける。うっ、と小さく唸って、神和はそこで立ち止まる。しばし、水干は神和を睨んでいた。束の間、二人は奇妙に対峙する。水干は黙ったまま神和を睨みつけ、神和は、蛇に睨まれた蛙宜しく、微動だに出来ない。ふう、と小さく息をついたのは水干だった。直後、くるりときびすを返し、水干は再び歩き出す。

「って……ちょっと、オイ……」

「所詮お前は人であろう。儂の言う通りに動けば良い。全く、命もさして長いわけでもないくせに、いちいち難癖付けおって。これだから百年と生きない生き物は困る。頭が足りんと言うか、考える事もせんと言うか……」

ぶつくさ言いながら水干はそのまま歩き去る。神和は僅かに見送り、一瞬渋面を作るも、すぐにまた苦笑をその顔に浮かべてその背中を追う様に歩き始める。

しばらく進むと、舗道として整理されている石畳の上に、小さな社がおかれているのが見えた。近付くと、水干は小走りに走り出す。

元々は拡張された道路の上がその敷地だったらしい。高さ二メートル弱のごく小さな社の前には木製の看板が立てられ、社の由縁を語っていた。祭神は賀茂建角身。創建は江戸期。戦時中に社殿が焼けたことに加え、戦後の区画整理で、敷地は自治体に吸い上げられたようだ。キャプションの説明に神和は苦笑する。神々の、何と軽んじられる世である事か。同様に、巫覡も同じく。

「おいお前、どこへ行った?下手を打てばまた迷うぞ。どこにいる?」

社に駆け寄った水干が、慌てたよう素であちらこちらに声を投げる。何事かと神和が思ったその時、社の屋根の上にひょっこりと、また別の存在が顔を出した。人で言うなら、五歳児くらいだろうか。やはり水干姿のそれは、どこか脅えた様子で自分と、その先導をしてきた建角身の分祀とを見比べていた。建角身は安堵の息を吐き出すと、軽やかな足取りで、自身も社の屋根に飛び上がる。

「何だ、いたのか……お前は気配が弱いから、またどこかへ行ったかと思って、びっくりした」

屋根の上に馬乗りに腰掛けると、建角身はその小さな水干の子供を抱え、自分の前に同じ様に座らせる。子供の姿をしたそれは、やはりおどおどした様子で、自分を抱きかかえる建角身と、それに従って付いてきた神和とを見比べ、それから、無言で建角身の顔を覗くように見上げた。建角身はその様子に、自分も同じく神和を見ると、

「あれか?近在の審神者だ。お前を元の社に連れて帰ってくれるそうだ」

「ちょっと待て、俺はまだ何も……」

既にそれが決定事項のように言われて、思わず神和は反論しかける。が、幼い水干姿の存在にじっと見詰められて、そのまま言葉をなくした。威圧されている、というのではない。まん丸で黒目がちのその目に、単に怯んだのだ。正直なところ、神和辰耶は子供が苦手だった。理由は色々あるのだが、自分から進んでそれらに関わりたいとはあまり思っていない。が、のべつまくなし、彼は子供にも好かれる。理由は良く解らないが、その一つに「子供の神性」があるという人間もいる。幼い子供はその感覚が、人よりもカミに近しいことがある。もっとも、それでこの男が子供好きになるかと言えば、全くそうでもないのだが。

幼い子供の姿に見える、どこの何ものかとも解らないそのカミは、無言でじっと神和を見詰めていた。抗う事もできず、神和はその目を見返している。子供は、最初不安げな目をしていたが、ややもするとそこに、興味の光が浮かんだ。様子が変わった事に建角身も気付いたらしい。目をしばたたかせ、それから少し笑うと、

「審神者、目の覆いを外せ」

「……は?」

「構わんだろう。その下を見せてやれ」

ニヤニヤと建角身が、その外見に似つかわしくない表情で笑っている。神和が審神者たる由縁、もとい「神々の愛児」としてそれらに能く愛される由縁は、第一にその造形であった。小さな水干のカミも、その顔に興味津々らしい。ち、と神和は小さくしたうちして、それから、何も言わずにかけていたサングラスを外した。(おもて)は、言わずもがな。人もカミも、思わず嘆息するほどの、以下略。見るなり、小さな水干のカミは赤面した。そして小声で、建角身に耳打ちする。された建角身は目を丸くさせるが、すぐにもからからと笑い、

「そうか、この辺りも悪くないか」

「……悪くないって、何がだ」

「お前の様な者がいるなら、多少の居心地の悪さも忘れられる、だそうだ」

整った花顔(はなかんばせ)を渋く染めて、神和は舌打ちする。からからと笑いながら、建角身は幼いそれを諭すように言った。

「とは言えここは、お前の社ではない。ここにいたいと言うなら、儂は構わんが、お前を連れてきた人間は困ろうぞ。身を分けた元の実鞘の者も、それでは面目が立たん」

建角身の言葉に、幼いカミは軽く眉をしかめた。そしてその胸にしがみ付き、また小さく何事かを伝える。建角身は驚いたように目を見開き、それから、困ったように息をついた。

「……今度は、何だ?」

神和が、問いかける。建角身は苦笑を漏らし。しがみ付くその頭を撫でながら、

「まだ幼いのでな、一人は心もとないと。さもあろう。分けられて、幾年と言ったか」

「……四十、くらい……」

胸の中にいた小さなものが、言いながらちらりと神和を見た。建角身は再び嘆息し、神和は、と言うと、

「四十って……立派におっさんじゃねーか……」

何だこの見た目詐欺、じゃない、えーと……そんなことを思いながら、神和は冷汗する。ぼやいた神和を見、建角身は酷く眉をしかめる。

「何を言うか、まだ二桁だぞ。己の住処が解らんほどの幼い者を、年寄り扱いか」

「悪いな二桁で。こちとら四捨五入してもまだ二十歳なんだよ」

言ってから、あーあー、と声を漏らし、神和はそこにうなだれる。ムカついた様子で建角身は小さな水干を抱えたまま、そんな神和を睨んでいる。抱えられた方は腕の中でまごついて、建角身と神和の様子を交互に伺っていた。

「で、俺に何しろって?」

言いながら、神和が顔を上げる。建角身は眉をしかめたまま、

「二桁程度なら、人間の記録の方が確かだ。これがどこから来て、どういうものなのか、調べるのも容易かろう」

ぎゅ、と腕の中のものを抱きしめるようにして、建角身が言った。神和はそれを見、何気に反論する。

「随分とお気に入りじゃねーか。手放せるのか?」

「これはまだ小さい。年上が守ってやるのは、道理だ」

「人間風情から言わせたら、四十にもなったら一人前以上なんだ。過保護もいいとこ……」

「喧しい!我等と人を同じにするな!」

建角身が怒鳴る。瞬間、周囲の空気が大きく震えた。この辺りは彼の支配地でもある。その感情の起伏で、地脈も気脈も同様に振動する。強い風にでも押されたかのように神和はその場でよろめいた。そして、軽く笑い声を立てると、

「あーあー、そーかいそーかい。解ったよ、調べりゃいいんだろ、調べりゃ」

その笑い声とは裏腹に、やけっぱちとも取れる様なうんざりした声でそう言い返した。

 

約二時間後。

「……あー、解った、悪いな……あー、ああ……またそっちの資料見に行くわ。んじゃ」

件の社の前、神和は携帯電話を手にしていた。電話の先は彼の所属する宗教団体の本庁内の、資料室である。団体は小規模神社の互助会的な役割と、加えて大学などの学術機関と連携して、神道の民俗学見地からの研究も行なっている。要するに近隣の神社の資料なら、大抵揃っている、という訳だ。通話を切り、神和は社へと振り返る。子供の姿の二柱は、あまり広くない屋根の上で、じゃれあうようにして遊んでいた。人間の子供がやっていたら一喝するところなのだが、している相手はその社の主と彼が保護している、どこの誰とも解らない、ぶっちゃけ霊体である。注意するだけ無駄だった。何しろ「そんな高くて狭いところに二人でいたら落ちて怪我をする」という概念どころか事実すら、彼らにはないのだ。落下の衝撃で怪我などありえない。何しろ彼らは肉の体を持たないのだから。常識で図れない相手は、だから疲れる。思いながら神和は口を開く。

「大体見当が付いたぞ」

声に、屋根の上の二柱が振り返る。溜め息をつきながら、神和は続けて言った。

「隣の市の、総社の中の風の社がそれっぽい」

「シナツヒコか?」

「まあ……そうみたいだな」

建角身に問い返され、神和が曖昧ながらも答える。建角身は側にいる小さなカミを見て、尋ねるように問いかけた。

「お前は、級長津彦命(しなつひこのみこと)か」

問われて、その小さなカミはこくこくと頷く。建角身は眉を顰め、

「しかしあの総社の級長津彦なら……儂と、来た年も変わらんはずだが」

「あそこな、台風か何かで結構な被害が出てるんだと。その時に主殿以外、壊滅状態だったらしい」

いぶかる建角身に、神和が答えるように言う。級長津彦と呼ばれた幼い姿のカミは、建角身と神和とを交互に見て、それから言った。

「儂が社に連れてこられた時は、みんなちびだった。主殿はじいじだったけど」

「みんな、ちび?」

「じいじが言ってた。嵐で、ぼろぼろになって、拠るものもなくなったから、前いたのはみんな、帰っちゃったと」

拙いながらも紡がれる言葉に、建角身と神和が揃って目を丸くさせる。級長津彦はしばし考え込むようにして、それからまた言葉を紡ぐ。

「じいじが、ここに来るものはみんな、大事にするように、って言うから、儂、ちょっと退いたんじゃ。でも儂、風だもの。ひゅーひゅー、ってしてるうちに、小鳥が遊んでくれて、面白くて、もっとひゅーひゅーってしてたら、黒いのが」

「烏か?」

その言葉に、建角身が露骨に眉をしかめる。神和は思わず笑い声を漏らし、

「お前、烏に追いかけられて、ここに来たのか?」

「うん。なんか、かーかー言って、追っかけてきた」

建角身は無言である。さもありなん。賀茂建角身と言えば神武東征の折、先導を勤めた、三本足で有名な神である。烏と言えばその眷属でもある。無言の建角身を、級長津彦はじっと見つめている。神和は笑いながら、

「だとよ、建角身の。何ともはや、だな」

「喧しい。あれらはそういう生き物だ。それに、常に儂が見ている訳でもない」

「まあ、そりゃそうだ」

神和はその様子を見てニヤニヤと笑っている。級長津彦は戸惑いながら、

「タケ、怒ったか」

「……怒っている訳ではない。烏の粗相でお前がこんな目にあったかのと、思っているだけだ」

「黒いのも、じいじは大事にせいと言うた。じゃから、吹き飛ばさんかっただけじゃ。黒いのが、悪さしたではない」

級長津彦は、どうやら自分を追い立てた烏を庇っているらしい。建角身はそんな級長津彦を見ると、困ったように軽く息をつく。

「そうか。総社の主殿がそう申されたか」

「じゃってあれらは、ちいとしか生きぬから。儂がちゃんとすれば、言うことも聞いてくれるようになるから、と、じいじが言うた」

どうしてか、必死に訴えかけるその姿に、建角身が笑みを漏らす。傍から見ていた神和は、笑うのをやめ、それから改めて口を開いた。

「で、どうする?二柱(ふたり)とも。帰る場所は解ったんだ。あんたが送るか?建角身」

「元はと言えば、どこの者かは解らぬが、烏の粗相。烏に送らせよう。あれは少なくとも、儂に連なる。半ば儂の咎だ」

言いながら、建角身は級長津彦の頭を撫でる。級長津彦はその言葉に、困ったように視線を逸らした。

「でも儂……帰っても、良いのかな」

「は?」

「儂の社で、にゃーが、子を沢山産んだんじゃ」

小さく紡がれたその言葉に、神和は目を丸くさせる。そして、

「もしかしてお前……それで猫に、自分の社を明け渡したのか?」

「ちょっと避けただけじゃ。じゃってにゃー、大変そうじゃったし。儂、風じゃから、ひゅーひゅーってしてられるし。でもにゃーは、雨が降って、寒くなったら、可哀相じゃ。じいじも……」

神和は、あっけに取られて言葉もない。級長津彦はその様子にさえおろおろして、

「じゃって、じいじが言うたぞ。儂らは神様なんじゃし、ずーっとずーっとここにいるから、生きてるものみんなに、優しくせいと。にゃーの子は、生まれたばっかりじゃ。にゃーも、儂んところに来て、邪魔だから、って、しゃーって言って……」

「『野良猫に追い出される神』って、何だよ……」

言いながら、がくりと神和は肩を落とす。建角身はその様子に軽く吹き出すと、級長津彦の頭を軽く叩きながら、

「確かに、主殿の言われる通りだ。我等は命に限りのある者より、遥かに長く世にある存在(もの)。生きとし生ける総ての者を、守るのが役目だ。幼いとは言え、お前も神だ。とは言え、猫に脅されて、逃げておるようでは、頼りないがな」

「じゃって……にゃーが、しゃーって言うた……」

建角身の言葉に、級長津彦がべそをかき始める。柔らかくそれに笑いかけ、建角身は更に言った。

「嵐の後に連れられて来たなら、お前は嵐から、お前を呼んだ者らを守るのも役目。今烏に送らせようから、戻って、役目をきちんと果たせ」

「でも、儂、にゃーが……」

「何、困りごとなら、主殿にお頼み申せ。総社の主殿なら、その狭庭の者は主殿の意に従おう。猫も、お前を追い出そうとはしまいよ」

くすくすと、建角身が笑っている。抱きかかえていた級長津彦を離して、建角身は空を仰いだ。

「誰かある、我が(しもべ)

呼びかけから、数秒後。一羽の烏がその側に降り立った。黒いの、と再会した級長津彦は脅えて、慌てて建角身の後ろに隠れる。建角身は構わず、舞い降りた烏に向かって言った。

真坂城(まさかき)の総社へ、此方をお送り申せ。粗相があれば……解っておろうな?」

烏は建角身の陰に隠れた級長津彦を見るように、その首を二度、三度と上下させる。級長津彦は脅えながら、建角身の影から、その漆黒の鳥の様子を伺っていた。烏は一声カア、と鳴くと、建角身と級長津彦に背中を向ける。乗れ、とでも言っているようだ。

「タケ……」

「何を脅えておる。乗れと言うておるぞ。早うせぬか」

級長津彦は不服そうに、そう言った建角身を睨む。そして、

「ここを覚えたら……遊びに来ても良いか」

その言葉に、建角身と神和は目を丸くさせた。級長津彦は不貞腐れたような面持ちで、建角身の答えを待っている。建角身は困ったように息をつくと、

「ちゃんと役目を果たせるようになって、己の社を覚えたら、来ても良い」

「本当か?儂がちゃんとしたら、また来て良いか?」

「たかが四十過ぎの小童が、ちゃんと出来るまでに、如何ほどかかるか……見物といえば見物だが」

「ちゃんとする!明日にでも、儂、ちゃんとなる!したらまた来て良いな?良いな?」

級長津彦が、必死になって建角身に言い募る。建角身は疲れたように嘆息して、

「ああ。お前がちゃんと、己の役目を果たせるようになって、帰る場所も帰り方も覚えたら、意図でも遊びに来るといい。尤も、儂は忙しい。相手をする(いとま)も、ないかも知れんが」

言いながら、視線を上げる。級長津彦は返答の直後、満面の笑みを浮かべて、

「タケ、タケタケ!儂、すぐにでもちゃんとして、また来るぞ。来たらまた、遊んでたも、遊んでたも!」

「だから、ちゃんと役目を果たしてから、だ。お前は遊ばせるために、連れられた訳ではないのだぞ」

きゃーきゃーと、級長津彦が喜びの奇声を上げる。いなして、建角身はそれを自身が呼びつけた烏の背に追いやった。

「タケ、それから、えーと……サニワ……審神者か?またな」

烏の背に乗って、パタパタと級長津彦が手を振る。見ながら、神和、

「もう迷子になるなよ、風の宮」

言葉とともに軽く手を上げる。建角身は無言で顎をしゃくり、それを合図に、烏は社を飛び立っていく。笑いながら、神和はそれを見送り、やれやれと小さく息をつく。

「しかしまあ……あれで本当に、神様なのかねぇ……」

言いながら、神和は建角身へと振り返る。建角身はそっぽを向いて、

「初めは皆、あんな感じだ。あれなる級長津彦も、総社の狭庭の外に出たことがないのだろう。迷いもする」

声は何気に、力弱い。神和はその様子に目をしばたたかせ、今度はやや意地の悪い笑みを口許に浮かべ、

「何だお前……創建四百年の賀茂建角身でも、寂しいのか?」

「儂はこれでも忙しい。あれなる、小さな宮とは役目も違う。斯様な者に長々付き合う暇はない」

建角身は振り返らない。神和はニヤニヤと笑ったまま、

「へーえ、そんなモンかねぇ……」

「まあ、お前がずっとここに居ると言うなら、役目など放棄して、愛でてやっても良いが」

言葉とともに、ちらりと建角身が振り返る。神和は笑うのをやめ、逆に今度は彼が建角身から目を逸らす。

「冗談だろ。俺の方こそ、お前らよりよっぽどヒマじゃねぇ」

「だろうな。百年と生きぬからな、人間は」

言いながら、建角身は空を見上げる。そして小さく笑いながら、

「まあでも、次があれば、送ってやれるな。真坂城の総社なら、遠いと言うほどでもない」

呟いた言葉に、神和も笑みを漏らす。建角身はしばらく、そのまま空を見上げていた。何気に、神和、

「そんなに寂しいんなら、うちの山の連中の誰かに、たまにこっちに来てもらうか?」

「御坐殿のところの、か?……遠慮する」

「なんでだ?さっきのヤツと、大差ないだろう?」

「送っていくと御坐殿が面倒だ。それに、あやつらは数を頼みにうるさいではないか」

ちなみに、本庁の本殿に住まう、あまりにも雑多な()は、あまりにも雑多な為、社を持つレベルの神々よりも相当低位の存在だったりする。そこにいる、水干を纏った少年の姿の存在は、分祀とは言え創建四百年の社の主、賀茂建角身だ。人間の物指では図り難いが、それらの霊とは「格が違う」らしい。返答に、神和は苦笑した。

「確かに。数を頼みに、あそこはいつ言っても大騒ぎだ」

「お前こそ、あんなところで一人でいるより、御坐の社に仕えたらどうだ?尤も、お前が一柱の元に長くあれば、他の者達が黙っては居るまいが」

「……何だよそれ……怖いこと言うなよ……」

最後の建角身の言葉に神和は眉をしかめる。しれっとした顔で、建角身は言った。

「神々の愛児とは、そういうものであろう?」

 

「あ、おかえりぃ、神和くん」

事務所へ戻る。日はすっかり西に傾いて、外出していた御幣も、事務所に戻っていた。事務机に突っ伏す格好の御幣を見、神和は軽く返す。

「おう、御幣。お前いつ戻ったんだ?」

「んー、二時過ぎ……君はどこに行ってたの?こんな時間まで」

時計は既に定刻を過ぎている。見て、神和は、

「ああ……ちょっと野暮用でな……」

「野暮用?また仕事さぼって、パチンコとか行ってないだろうね?」

言葉とともに御幣の視線が鋭くなる。その内容と相手の態度にむっとしながら、神和はすぐにもそれに反論した。

「馬鹿言え、こっちはこっちで色々と面倒だったんだぞ。高島通りの賀茂建角身が……」

「高島通りの賀茂建角身って……あの、迷子の神様?」

突っ伏していた体を御幣が起こす。その目の奇妙な輝きを見た途端、しまった、と神和は自分の発言の迂闊さを呪った。その男は「神殺し」などという物騒な仇名をつけられているにもかかわらず、神和の相対する「小さい神様」が、小動物を構うレベルで大好きだったりするのだ。

「何、君、あの建角身くんに会ってたの?僕にナイショで」

「ナイショって、お前な……」

「ずるいよ!!神和くんばっかり!!なんでそういう時に僕をおつかいになんか出すのさ?」

「お前、人の話をちゃんと……」

そもそも、彼の建角身に会うためにその男を追い出した訳ではないのだが。思いながら、神和は喧しく言い立てようとする御幣に反論する。

「大体向こうは、お前のいない隙を狙ってここに来たんだ。それだけお前は嫌われてるって事だ。あいつらと仲良くなりたいなんて夢なんか見るな」

「何その言い方。ていうか、みんなが僕のこと嫌いなのって、実は君がそう仕向けてるんじゃないだろうね?」

「なんで俺がそんなことをわざわざ……」

「だって君、いつもそういうお客さんがある時、僕のこと邪魔者扱いするじゃない」

「そりゃ、仕方ないだろう。あいつらにとってお前は天敵なんだ。実際邪魔なんだし……」

わーわーと、そのまま御幣が喚き始める。面倒くさい事を面倒くさい相手に頼まれて、片付けて、戻ってみたらこれか。思いながら神和は、がくりと肩を落とした。それなりに気も使って、疲れて帰ってきて、トドメに更なる災難である。何だ今日は、厄日か、俺はいいことしたんじゃないのか、そもそもタダ働きだぞ。思ってぐったりしかけている神和に、御幣は更に畳み掛ける。

「大体何だよ、まともに留守番もできないって。玄関のドアは鍵がかかってたけど、留守電も入れてないし、窓も開けっぱなしだし、ガスの元も占めてないし……ちょっと神和くん、聞いてるの?」

「あーあー、俺が悪かったよ、ったく……」

御幣の弁もろくに聞かず、神和は来客用ソファにどさりとその身を投げる。疲れた。帰ってきて、また無駄に疲れた。思いながら神和はその場で目を閉じる。

「ちょっと神和くん、人の話聞いてるの?ていうか君はいつも僕の話、ちゃんと聞く気があるの?」

「……んなモンあるか、このバカナエ」

疲れのためか、思わず本音が漏れる。御幣の喚き声は更に大きくなり、神和はぐったりして、それ以上反論も対抗も、する余地もなかった。

「……腹減ったなー……」

「……何だよ、本当に疲れてるの?君」

「見りゃ解るだろ」

時経る毎にぐったりの度が増す神和を見て、御幣は喚くのをやめる。そして、

「じゃーさ、今日の晩御飯、ここでとろうか?」

「……奢らんぞ」

神和が僅かに顔を上げる。御幣は先ほどとは打って変わってニコニコと笑うと、

「近所のオム屋さんがデリバリー始めたって言うからさー……あそこ結構美味しいんだよ」

「……お子様か、お前は」

神和はそう言って、再びソファに体を預ける。携帯電話を取り出し、いそいそと御幣はそのデリバリーの洋食屋へと、電話をかけ始める。

「今、デリバリー開始記念で、全品二割引なんだって。僕が奢ってあげるよ。何食べる?」

「……グラタン系」

短く神和が返す。御幣はそのまま電話の対応に入ってしまい、何だかな、と思いつつ、神和はそれを見ていた。

「え、どこか解らない?えーと……×○△ビルの二階、なんですけどー……二丁目のー……」

どうやら相手はこちらがどこにあるのか解らないらしい。会話を伺いながら、何気に神和は呟く。

「役に立ったんだ。御神徳の新たかなとこ、見せてくれよな、建角身……」

「えーっと、どう説明したらいいのかなー……山田道、解ります?うんそう……そこの……」

御幣はまだ道順をレクチャーしている。一人ソファで、神和は苦笑を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

戻ル

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Last updated: 2009/05/04