小噺惟神

-コバナシカムナガラ-

 

御幣鼎の場合

 

僕が神和辰耶、という男に初めて会ったのは、多分、高校三年生の夏休み、くらいだったと思う。

 

あー、でも実はも何も、僕ら同じ高校の先輩と後輩なんだよね。一個しか年違わないけど。その頃からちゃんと存在を認識してたかっていうと、そうでもない様な、なくないような感じかな。

僕らの通ってた高校って、かなり特殊な学校なんだよね。神道科、っていうのがあって、表向きには神社の子なんかが、ちょっとでも神道に馴染むように、っていうか、将来そういう職業につくに当たっての基礎知識を勉強できる、っていう学科なんだけどさ、実際の所全然そうじゃなくて……何ていうのかなぁ、宗教関係の超能力者みたいな体質の子が、それなりに普通の高校教育を受けられるように、って、そういうコンセプトがあって、それでもってたようなもんだから。

あーでも、普通科もあったよ、三クラス。一クラスは近所のフツーの高校生が通ってて、一クラスはスポーツとか芸術系の特待生が集まってて、もう一クラスは本庁お抱えの、更正施設に入れられた、要するにヤンキーっぽいヤツが通ってたっけ。僕結構そっちのクラスに友達多かったんだ。て言うか、何か勝手に舎弟とかになられててさー……うん、ぐれるまでいってないけどね。喧嘩とか、負けたことないよ。今の僕からは想像できないでしょ?まあなんていうのかな、僕んちってよそ様から見るとかなり変わってるでしょ?で、まあ……繊細だったから、そんな感じになってた感じかな。だから未だに兄貴とか、仲良くないよ。大体あの人兄貴っていうけど、二十歳近く年も離れてるんだよねー……だから余計に僕の気持ちとか、これっぽっちも解ってくれてないしさー……。

って、神和くんの話だっけ。うんそう。高三の夏。バイトって言うか、誉田さんのアシスタントでちょっと本庁の仕事、手伝わされたんだ。大した仕事じゃないんだけどね。何しろ神和くんを捕まえる、って言うのがその仕事だったから。

神和くん、その頃一応、本庁の巫覡になってたんだ。就職?あー……そうなのかも。彼、高校生の時にうちの学校に無理やり入れられて、っていうか……なんか彼んちって、僕んちより複雑っぽいんだよね。自分の事じゃないからあんまり言いふらしたりたしくないんだけど……一応、ロシア系のクウォーターだか八分の一だか、らしいよ。あのサングラスも、顔だけじゃなくて目を保護してるんだって、本当に。ガラス玉みたいな色してるからね、彼の目って。色も無駄に白いし。

昔っから、本当に見た目だけは綺麗だったよ。僕が言うのも何だけど。って言うか……変な誤解されるといけないから断っとくけど、僕はそういう趣味じゃないからね。綺麗なら何でもいいなんて、そんなうちの神様みたいな趣味って、僕はどうかと思うなー。あーでも、女の子の可愛いのはいいよね。どっちかっていったら僕、年下趣味なんだ。で、綺麗って言うより、可愛い子の方が好み。ロリコンとかたまに言われるけど……まあそうだけど……でも変な趣味はないからね。二十代のフツーの趣味だよ、多分。

で、神和くんの話だっけ。僕が高三の夏休みに、彼を捕まえるから、って言うんで、誉田さんと一緒に動いてたんだ。探索っていうほどのことはしてないけど……ほら僕はそーゆー能力、皆無だし。下調べは本庁の巫覡がしてて。でも彼、隠れたり誤魔化したりするの、得意なんだ。感応系の巫覡の中でも、凄いハイレベルらしいよ。誉田さんも何回も撒かれまくって、凄く手、焼いてたしね。

誉田さん?この人こそ僕の「兄貴」って感じの人かな。昔っから良く知ってるよ。一時期僕の姉さんと付き合ってたんだけどさー……っと、これはしゃべっちゃいけなかったんだっけ。ああ、何でもない何でもない。昔はかなりヤンチャだったらしいけど、本庁の植芝さんにこってりしぼられて、それで改心したんだって。植芝さんて、そういう人なんだ。まともにやりあったことないけど、かなり手ごわそうだよ。ていうか、フツーのヤンチャ君もあの人に捕まって更正させられたっていうヤツ、結構いるんだよね。でも感謝してるって言うより、後々までずーっと苦手な人っぽいみたい。僕もちょっと苦手だけど、兄貴よりはいいかな。うちの兄貴とこの人、同期なの。兄貴?本庁の業務部長。ほらうちの組織って、半分くらい家族企業みたいなもんだからさ。そんなもんだよ。余所の似たような団体にいたら……どうなのかな……まあでも業界じゃ屈指の巫覡らしいよ?特技は僕と違って、いわゆる補助系?全般いけるみたい。

で、誉田さんと神和くんを捕まえに行ったんだ。高三の夏休みに。たまたま夏休みだったから借り出されたけど、でもそれがなかったら僕ら、まともに話すようなこともなかったんじゃないのかなぁ。まあ、彼はほら、見た目だけで学校中の有名人だったからね。

たまにいるんだけど、巫覡の体質で、やたらに外見の整った人、っていうの。彼の場合はもう、半端じゃなかったよ。高校生の頃だからさ、顔なんかもさらして歩いてるわけ。サングラスとか、一応校則違反だったからさ。けど伊達眼鏡くらいかけろって話だよ。女の子なんか特に大騒ぎだった。たまにふらっと彼が一人で校庭なんかにいたりすると、影からもう、みんな見てるわけ。主に普通科の子達だけどね。中には、美術部の先輩か何かだったかなぁ。モデルになってくれ、って食い下がってた人もいたなぁ……彼をモデルの全身像とか、作りたかったらしいよ。大学受験とかそういうのの課題で。でもそういうのにまともに返事したためしとか、なかったみたい。

神道科に来てる子達は、そんなに騒いでなかったかなぁ。時々同情的に「あれじゃどこに行っても気楽に暮らせない」とか、そういうこと言ってるヤツもいたよ。どうしてか?彼、そーゆー体質なんだ。神様、って呼ばれるヒト達に、好かれすぎるの。下手すると食べられちゃうってさ。あ、ここんところの「食べる」って言うのは、狭義じゃなくて広義の意味でね。いや、本当に、冗談じゃないらしいよ。まあそういう風だから今、僕と組まされてる、って言うのはあるんだけど。

で、高校に無理やり入れられて……でも一応それって彼を保護するためっていうのも、なくもなかったんだけど、何のためにって言われると、うーん……本庁も学校も営利団体で、だから損になるようなことは、あんまりしないわけだけど……植芝さんみたいな物好きな人以外は。あーでも不良の更正って言うのは、あれかな、宗教団体だからこそやる、社会貢献みたいなのも含まれるのかな……でも神和くんの場合は違ってたよ。何しろ彼、自分でも言ってるけど「国内一の審神者(さにわ)」だからねぇ……似たような宗教団体があったら、どこでも欲しがる人材だよ、はっきり言って。

ああ、そう言えば「審神者」って言うのは、彼を呼ぶ時の美称で、彼の本来の能力は「感応能力」って言うんだって。多分うちの神様が最初に呼び始めたんだと思うよ?まあ仇名だね。あのヒト達、本当の名前知ってても、あんまり呼ばないから。僕?僕最近、かっこいい仇名つけてもらったんだ。「()()(ぬし)」って言うの。へへへ。いいでしょ?意味?えーと……「神様を「ブツ」って切る」剣の名前、なんだって……うん、解ってるよ、僕の体質そのまんまだもん。それ考えるとちょっと哀しいけどね。でもそのお陰でいいこともあったし。だから結構気に入ってるよ?あ「教団の主祭神が地祇(くにつかみ)なのにどうしてその名前なのか」とか、細かいツッコミしないでね。僕そういう細かい事、良く知らないからさ。

で、神和くんの話だよね。高校卒業して、もち上がりって言うのも変だけど、そのまま本庁の巫覡にされたんだって。業務部巫覡課、その頃は対処係と地鎮係、分かれてなかったみたい。巫覡課、っていうくくりで、班長さんが何人かいて、それでする仕事分けてたっぽい、かな。係長、とかそういうのができたのって最近だからねぇ。出島機関ができてからじゃないのかな……出島?僕らの事務所。こういうと解りやすいでしょ?出島。

でも神和くんさ、一応就職して、住むところも支度してもらって、って言うか、寮があるんだけど、その寮に入れることになって、これで何とか食いっ逸れとか、しなくてすみそうになったんだけど、どうしても本庁がいやで、逃げちゃったんだ。僕も良く知らないけど、誉田さんなんか大騒ぎだったよ。だって彼、誉田さんが保護して学校に入れたんだから。しかも高校入る前から、人の目とか誤魔化して、色々悪さもしてたわけ。まあ彼、根がまじめだから、ついでに腕力とかないからさ、弱々しい一般市民の方々から金品を奪う、とかそういうことはしないんだけど……なんて言うのかなぁ……例えば、チンピラの人が普通に、って言ったらおかしいけど、人からお金を脅し取ったりするじゃない?そういうのを横から、って言うか、まあ悪い言い方すれば、騙し取っちゃうんだよね。で、取られた本人から回収料取ったりするの。変なところで悪徳いよね。しみったれって言うか、こすからいって言うか……あと酷い時は「美人局」みたいなことしてたらしいよ?っていうか、それって神和くん、どうなんだろうね……なんかさー、若さゆえの過ちって言うかさー……命とか貞操とか、あんまり考えてないよねー……まあ後者は本人の自由な部分が大きいから、あんまり口出ししても何だけどさー……あそうか、別に何にも危険じゃないからやれたんだ。うん、彼、そういう鼻、凄く利くんだ。危ない橋とか、絶対解るって言ってた。で大体いつも危ないことは僕がやらされてるよ……何か腹立つなあ。

ああ、ごめん、また話ずれちゃったね。誉田さんと僕と、本庁の他の巫覡の人と何人かで、神和くんを捜しに行った話だっけ。彼その時、確か地方の政令指定都市にいたんだ。まあ結構都会なところ。でもビルの間スカスカだったし……ちょっと牧歌的な都会、って言うのかなぁ……神和くんの、実家だったところの、割と近くらしいよ。あ、彼一応、北海道出身なの。って言っても五歳くらいまでしか住んでなかったから良く解らないって。暑いところ嫌いだから、夏でもちょっと凉しめのところにいたってことかなぁ……乾いた風とか、好きみたいだし。で、そこの下町っていうか……ダウンタウン的なところ?で、ダンボールで寝泊りしてた。不衛生だったよー。でも無駄に美人でさ。普通ならすごく目立つのに、全然目立たないの。要するにそういう術を使って隠れてた訳。で、本庁の巫覡も、みんな見つけられなかったんだって。追い詰めたら詰めただけ、彼がいる場所が解らなくなるんだって。それで、僕みたいなのを連れて行きたかったらしいよ……あー、僕ね、神様に嫌われるだけじゃなくて、そういう術式壊すのも、凄く向いてるんだって。ははは……うん、それが僕の能なんだけど、何かやっぱり嬉しくないけど、仕方ないよね。でまあそれで、彼を追い詰めて、誉田さん達が神和くんを無事、保護したってことなんだけど……。

 

駆け込んだ先は行き止まりだった。解っていたはずなのに。思い彼は舌打ちする。足音は背後から近づいてくる。ごみごみとした裏通り、逃げ道は他にはない。

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。焦りながらも彼はそれを考えていた。胸糞悪い宗教団体から逃れて、三ヶ月。つい最近までは上手くいっていた。この辺りのチンピラや不良少年に「眩まし」の術をかけ、身の安全の確保も、必要最低限以上の金品も、手に入れることができていた。補導や逮捕、それ以外の束縛からもすんなりと逃げおおせて、自由気ままにやっていたと言うのに。

「やっと追い詰めたぞ、もういい加減観念しろ!」

唯一の逃げ道に、ワイシャツにスラックス、といういでたちの若い男が立ちはだかる。胸糞悪い宗教団体に、自分を押し込めた張本人だ。舌打ちして、彼は怒りのままに怒声を放つ。

「チクショー、何だってんだよ!なんで俺がお前らに追い回されなきゃなんねーんだよ!!俺がどこで何してたって、俺の自由だろ?」

「馬鹿言え!お前みたいなのを野放しにしたら、こっちにだって色々困ったことが起こるんだ。そもそもお前、うちの部長はお前の親御さんに……」

「ふざけんな!あんな親父のこと、知ったこっちゃねー!!俺は俺だ!お前らなんかとつるんでたまるか!!

噛み付くように彼は吼える。目の前の男はうろたえて、僅かに後ずさる。

「誉田さん、まだ済まないの?」

その男の背後から、どこか退屈そうな声が聞こえてきた。あまり低くない、若い男の声だ。追っ手が増えたらしい。が、そんなことは構わない。何人いようと、「眩」ませてしまえればこっちのものだ。思いながら、彼は口許をわずかにゆがめた。誉田、と呼ばれた目の前に立ちふさがる男が振り返る。

「ああ……鼎、もう少し待っててくれ」

こちらから意識を逸らしたら、それがチャンスだ。思った彼はそれをしかけた。「眩まし」と彼が呼ぶ、相手の感覚を狂わせる能力を、発動させようとした、その瞬間。

「これ以上待てないよ。昼飯だってまともに食べてないんだよ?」

ややいらついた少年の声とともに、その少年が誉田の横を難なくすり抜けて、路地に入る。

「動けなくすればいいんでしょ。こいつ」

少年は溜め息まじりに、少々面倒くさそうに言った。二人の視線がぶつかる。睨み付けられて、彼はひるんだ。

「って……え?」

体に激痛が走ったのはその時だった。何が起こったのか判断する間もなく、その体がその場所に倒れる。びりびりと全身が、やけどをしたように痛い。何だこれは、何が起こったんだ。湿った路上に倒れて、彼はうめいた。

「いって……てめこのっ、何、しやがるっ……」

「鼎、やめろ、それ以上は……」

少年の背後で誉田が、困惑を隠せない声で言う。少年は横たわる彼にゆっくり歩み寄り、明らかに蔑むような目で、彼を見下ろした。

「鼎!それ以上はやめろと……」

「……カナエ?」

自分を見下ろす少年を見上げて、小さく彼はその名前を呼ぶ。疲れたような、眠そうな、そして冷たく表情の伺えない目で、少年は彼を見下ろしていた。が、突然きびすを返すと、すたすたと軽い足取りで歩き出す。

「か……鼎……」

「大丈夫、殺すつもりならもう死んでるよ。ここが片付いて、帰るんだったらその時また呼んでよ。僕、何か食べてくる」

言って少年はその場から姿を消す。驚愕と恐怖の入り混じった顔で誉田はそれを見送り、それから我に返ったように、倒れた彼へ振り返った。

「……大丈夫か、辰耶」

「……なわけあるか、くそ……」

痛みはまだ続いている。その痛みに、全身の力さえ奪われたようだ。思いながら、それでも彼、神和辰耶はその場に体を起こそうとしていた。駆け寄って、誉田が手を差し伸べる。が、彼はそれを一瞥して、けっ、と小さく吐き捨て、自力で半身だけをその場に起こした。

「……何だよ、あれ」

「ああ、鼎か?」

不貞腐れながらもされた問いかけに、誉田は苦笑する。そして再び、少年が歩き去った方向を見やると、その問いに答えて言った。

「うちの業務部長の、弟だ。少宮司の息子でもある」

少宮司(ふくしゃちょう)の、息子?」

言葉に、彼は眉を更にしかめた。誉田は呆れたような、からかうような口調で、

「お前みたいなヤツの能力を塞ぐには、ああいう人材が必要ってことだよ。お陰でやっと捕まえられた」

「塞ぐって……そんなレベルかよ」

誉田の言葉に、彼は小さくぼやく。力は、行使されようとしていた。いや、もう仕掛けていた。そのはずなのに、目の前の男にも、そしてあの少年にも、それは全く効いていなかった。いつもなら目の前で、自分を見失って慌てふためくはずなのに。それ以前に、だ。

「てか……何だよ、この……ロコツな攻撃技は」

「あー……それはあれだ。腹が減って気が立ってたんだろう、あいつ」

「腹が減って、だぁ?」

ぼやいた神和の言葉に、暢気に誉田が返す。誉田はそのまま、

「まあ言われてみればそうだよな。もう二時近いし。ほら、さっさと立て。お前だって腹も減ってるだろ。メシ食って、大人しく帰るぞ」

言いながら今一度、座り込んだままの神和に手を差し伸べる。きっと誉田を睨みつけて、神和は差し出されたその手を強か打ちつけた。ぴしゃりという小気味よい音の後、誉田は苦笑いで手を納める。

「俺なんかより、あいつ野放しにする方が、よっぽど危ねーんじゃねーのかよ?あいつほっとくと、その辺でふらふらしてる霊の類、無差別で「殺し」ちまうぞ」

「何だ、解るのか?」

目を丸くさせ、驚いたかのような顔で誉田が聞き返す。神和は不貞腐れた顔で、

「……まる解りだ。力垂れ流しで、よくのーのーと生きてられる……」

ブツブツと愚痴るように呟く様子に、誉田はまた苦笑する。そして、

「ま、のーのーとは生きてないと思うがな。あいつだってあいつなりに、しなくていい苦労もしてる。まあとにかく立て。で、帰るぞ」

重ねられた言葉に、神和は忌々しげに誉田を睨みつける。誉田は意にも介していないのか、からかい口調で更に言った。

「何だ……お前今ので、そんなにダメージ食らったのか?」

「っ……うるせー!!俺はあんたやさっきのみてーに、攻撃呪能もなきゃ、それに対する耐性もねーんだよ!!何だよあの人間兵器。てかふざけんなよ、力尽くかよ、ああ?」

 

そして現在。

「ねー、こーなぎくーん」

「……何だ、御幣」

事務所内のミニキッチンに置かれた小型の冷蔵庫に頭をつっこんで、御幣が声を投げる。自身のデスクに足を上げて腰掛けていた神和は、どこか鬱陶しげにそれに答える。御幣は、冷蔵庫を覗いたまま、

「ここに入れてた、この間僕が買ってきたチーズケーキ、知らない?」

「……チーズケーキ?」

「うん……デパートの物産展で買ってきたヤツ。君にもあげたでしょ?」

問いかけの後、御幣は顔を上げた。思案顔の彼を見ないまま、神和は何も答えない。御幣はそのまま一人、言葉を続ける。

「まだ残ってると思ったんだけどなー……六個入りだったからさー……」

「……チーズケーキが、どうかしたのか?」

やや遅れて、神和がそんな風に問いかける。御幣はやはり振り返らないまま、

「うん……あれ賞味期限短かったから、食べちゃわないといけないなーって思ってさー……一昨日、一個残しておいたんだけど……おっかしーなー……買ってきた当日に、君と一個ずつ食べて、次の日誉田さんが覗きにきた時に出して、僕も食べて……昨日見たとき二個あったから、一個食べて……」

「チーズケーキ如きでそんなに騒ぐことか」

淡々と、しかし僅かに上擦る声で神和が返す。御幣はちらりと、そんな神和を見遣り、

「……だよねぇ。犯人、君しかいないもんねぇ」

「……何だその「犯人」てのは。人聞きの悪い」

片眉を上げて、神和が返す。御幣は不貞腐れた顔で、

「だってそうじゃない。君以外、こんなとこ覗いてもの食べる人、僕しかいないじゃない」

場が、沈黙する。間をおいて、神和は言った。

「だったら自分で食ったんじゃないのか、お前」

「それなら覚えてるよ。記憶にないから言ってるんじゃないか」

しゃがみこんで冷蔵庫と対峙していた御幣は立ち上がり、衝立の向こうに見える神和を睨む。真っ向、足を高く上げて椅子に腰掛け、サングラスをした男はちっ、と大きく舌打ちして、

「お前な、幾ら何でも頭ごなしに俺が犯人だって決め付けるなよ。もしかしたら別の誰かが」

「別の誰か?考えられないね。何、じゃあ君は、ここに昨日の夜中かなんかに空き巣でも入って、わざわざチーズケーキ一個食べてったって、そういうわけ?」

「そういう可能性も、なくはないだろうが」

「でも確か昨日の夜って言ったらさ、誰かさんが出先で飲みすぎてここまで何とか戻って来たけど、そのままそこのソファで寝ちゃってたんじゃなかったっけ?今日なんか朝から凄いアルコールの臭いさせてたしさ?」

神和はその言葉に黙り込む。御幣はにっこり笑い、そんな彼の言葉を待った。束の間、沈黙。そして。

「……鼎、あのな」

「君って変な体質なんだよねー。飲みすぎるとケーキとか、凄い食べたがるもんねー。普段あんまり食べつけないー、とか言って」

言葉は短く交わされる。が、再びの沈黙がそこに降りた。神和は露骨に御幣から顔を背け、おもむろにデスク上のタバコを手に取り、それに火をつけた。

「神和くん、ここ禁煙」

「……いいじゃねーか一本くらい。俺は毎日毎日お前と顔つき合わせて、ストレス過多気味なんだよ」

「ここにあったチーズケーキ食べたの、君でしょ?」

ニコニコと御幣は笑っている。タバコを二度、三度とふかし、それから神和は言った。

「……たかがチーズケーキだろ。てか、そんなに大事だったら、テメエの家で冷蔵庫に鍵でもかけて保管しろ」

「やっぱり君なんじゃないか!って言うか神和くん、人のもの黙って食べたらまず真っ先に「御免なさい」じゃないの?」

ニコニコの御幣の表情が一変する。神和は額の血管を痙攣させつつ、無言でタバコをふかし続ける。

「そもそも君って人はねぇ……ちょっと、禁煙だって言ってるだろ!人の話ちゃんと聞いてるの?」

「怒鳴るな、バカナエ。聞こえてる」

「聞こえてる?とてもそうは見えないね。大体君って人はいつもいつも……僕だって、素直に謝ってくれたらこんなに怒らないのにさ。人のおやつ勝手に食べちゃうし、煙草は吸うし、仕事はしないし、寝てばっかだし」

小型犬が吼え散らすような御幣の声が続く。無言だった神和もとうとう堪りかね、タバコを携帯灰皿に押し付けて、椅子から立ち上がる。

「やかましい!チーズケーキ一個くらいでそんなに騒ぐな、このバカナエ!」

「一個くらい?じゃあ神和くん、あのケーキ、僕に返してよ!ああもう、あれ滅多に食べられないんだよ?デパートの物産展で並んで整理券貰って、やっと買えたんだよ?君にも一個分けてあげたじゃないか!それをそういう態度でそんな風に言うんだ?そうやって、僕に受けた恩を仇で返すんだ。ああそう」

「……お前な……」

食べるもの、ことに甘いものに関して、御幣の欲求は強い。この場合明らかに、盗み食いをして尚且つ開き直っている神和の方が悪いのだが、その神和でさえこの御幣の態度には、いささか腹立たしさを感じずにはいられない。まあこの場合、この男が素直に謝れば、事はここまで大きくならずにすむ、そのはずなのだが。

「あーあー、悪かった悪かった、勝手に食っちまって。これでいいか、あ?」

「あ、じゃないよ!て言うか何だよその態度。それが謝る態度なの?そもそも君はねぇ!」

「やかましい!細かい事をいつまでもグダグダ言ってんな!このバカナエ!」

 

……そうなんだよ。またこの間もさ、彼に取っといたケーキ、食べられちゃったんだ。本当にもう、最悪だよ。そうやって人のおやつは勝手に食べちゃうくせに、僕にお土産とか買ってきてくれたためしって、殆どないしさー……人の話は聞かないし、怒られるとすぐに開き直って逆切れするし、辰耶って本当に面倒って言うか、素直じゃないって言うかさー……まあでも、短くもない付き合いだし、僕は結構神和くんのこと、信用もしてるし、割と好きだけどね。向こうは、どうかなー……多分あんまり好かれてないと思うよ?僕のマイペースとか、嫌いらしいし。でもさ、彼だって結構わがままなところとかあるんだよ?この間も植芝さんと、一触即発っぽくなっちゃってさー、僕なんか気を利かせて、しょーもないボケとかかまして、場の雰囲気良くしようとしてる事だってあるのにさー……感応能力者だったらその辺、解ってくれてもよさそうじゃない?まあそういう能力じゃない、ってこの前言ってたけどさ。て言うか、彼が僕といるとストレス過多になる、とか言うけど、僕だって神和くんのフォローして、多少はストレスになってるんだから、その辺もう少し汲んで欲しいよね。まあ神和くんって素直じゃないから、もしかしたら解ってても、してくれないって言うより、できないのかもしれないけどねー。

うん、でもまあ僕ら、結構仲良くやってると思うよ?思うところは一杯あるけど、辰耶って本当は優しくて真面目でいいヤツだし。でもそうやって褒めようとすると怒るんだ。照れてるって言うか、そこが素直じゃないって言うかさー……別に何の下心も無いんだけど……そうだね、いいところは伸ばしてもらって、ツマミ食いとか居眠りとか、謝る時の態度とか、もうちょっと何とかしてもらいたいとは思ってるよ。そんなんだから出島に飛ばされたんだよ、って言っても……まあ彼の場合だと、その方が気楽でいいみたいだけどね。僕は……僕もそうかな。こっちにいると兄貴と毎日顔合わせなくていいからね。

あ、でも最後にもう一つだけ言っとこうかな。僕も彼も、変な趣味は無いからね。僕なんか特に、健全な二十代の男子だからね。向こうが、そうだなあ、どんなに好みの美人でも、男でその上あんなに素直じゃないなんて、全然僕の好みと違うし……あーでも素直で何でも言うこと聞いて気が利く神和くんがいたら、それはそれで気持ち悪いかもしれないなー……それに、彼「美人局」まがいのことしてたって言うから……彼の趣味にまで僕が言及できないけど……うーん……。

 

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Last updated: 2009/04/26