―設定補足の頁―

 

きっとも糞もなく何だか訳の解らない方が沢山いらっしゃるでしょう。

ここはそんな方のための補足頁です。ていうか、

「そういうのは本文内で解るようにしとけ!」なんですが、

それが上手く出来てたら苦労はしないのです。

……そうじゃなくて。

現在世の中に沢山のオカルト小説があったりしますが、

その中でも『神道』がメインというのは少ないかな、とか、

それにしてもちょっと設定が複雑かな、とか、

聞きなれない単語が多いかな、と思うので、

そこを補足しようと思います。

とは言え別に神道について学んだわけではないので、

てゆうか大学一応仏教系だった人なので、

かなり見方は民俗学的なのですが。

専門家の方。

私の前に職業作家のアラをつついてください。

時々余りにも素晴らしすぎて笑えます。

それが売りの方もいらっしゃるんでしょうが(え、違う?)

 

 

神道とは

 

審神者とは

 

巫覡とは

 

神々の愛児とは

 

神という存在

 

『惟神』的無神論

 

雑考 『神々の愛児』と『巫女』について

 

 

神道とは

物の本によく書かれているのは

『自然崇拝から発生した日本独自の宗教』まさにその通り。

日本人が古代から目の当たりにしてきた自然現象その他の

『人智の及ばざるもの』を『神』として崇拝したことから始まる、

一応『宗教』とされています。

色々なものの本を読むと『宗教?』と考えざるを得なくなってきますが……。

ここでは「神社を拝むアレ」くらいの認識で可。

日本の宗教観がこんなにいい加減なのは、

このわが国の原始宗教であるところの神道が、

「道はあれども教えはなし」という素敵なスタイルゆえではないかと、

私はちょっと思っています。

信徒の数え方は『お祭りの参加者』『お布施を出した人数』『交通安全祈祷の申し込み人数』

果ては『初詣に来た人数』で出しているとかいないとか。

いろんなものの本にそんなところが見え隠れです。

 

 

さ   に   わ

審神者とは

かつて正式の場(主に朝廷内)での降霊儀式の際には、

霊を呼ぶ巫女、霊を依り憑かせる依坐と同時に、

その霊が何者かを判別する役割の人間が同席していた、と、

記紀にも記されています。

それが審神者です。語源は恐らく『狭庭』。

神社などの敷地をさす言葉ですが、

その場所で儀式を行うためにこう呼ばれたのではないかと。

「お相撲さん」と同じ様なプロセスで呼び名に転じたわけですね。

『惟神』の主人公、神和辰耶くんは『国内一の審神者』と呼ばれていますが、

この場合はなんと言うか『文語的呼称にしたらこうなった』というくらいの意味で、

まあ八割がた格好付けです()

超能力で横文字な呼び方をすると『テレパシスト』?

取り敢えずは『感応能力者』ということです。

霊感がめっちゃあるのだと認識しておいて下さい。

「審神者」自体には特別超絶美形様でなくてもなれます。

ここちょっと重要です。

 

 

かんなぎ

巫覡とは。

元々は「神と人の間を取り持つもの」というくらいの意味。

一口に言えば神子(と書いてミコ)をさす。のですが。

世の中で『ミコ』という音は

どうしたって緋袴の若いおぜうさんのイメージがあるので()

こっちを採用した次第です。女の人だけの役割でもないので。

ちなみにこれは当て字で、音読みでは『ふげき』と読みます。

「惟神」では呪術を使う霊能力者や、

宗教法人『八百万神祇会』に関係する全ての超能力者を総称して、

この単語で呼んでいます。

御幣鼎くん曰く「エスパー」

それもちょっと違うんですけど。

取り敢えずここでは神道でも仏教でもその他の宗教においても、

術者やそれに類する人たちは全て『巫覡』と呼びます。

 

 

    まなご

神々の愛児とは。

読んで字の如く。神様に好かれる存在。

巫覡であるなしに関わらず。ですが、

たいていその影響で対象の人は巫覡の能力を持つ羽目になります。

神様の能力がある意味『感染』するようなもんか。

この呼称で呼ばれる巫覡は特に感応に優れ、

能く神々と交わります。

神様にも色々な独自の尺度があって、

それに当てはまる人だけが、

うるさいくらいに愛されます。

中には愛されすぎて不幸になる人もいたり、いなかったり。

ちなみに、というのも変ですが、

何処の国の何時の世の神様も、

美形がお好きなようで。

日本やギリシャでは特に、中世的な美人、

中でも女と見まがうほどの美しい男が好まれております。

シンちゃんが審神者として優れているのにはそういう訳もあるのです。

もっとも好かれているからと言って、

いい事ばかりがあるわけでもないのですが。

 

 

カミ

神という存在

それをどう認識するかをここで書く訳にはいかないのですが、

(だってここそーゆーところじゃないもん)

古来この国では、

人智の及ばないものや、事がらの全てを、

『カミ』と称していたようです。

幸いをもたらすところも、災いをもたらすところも、全てカミ。

疫神、悪神、鬼神、というように。

どうやら西洋の『悪魔』という概念が、

この国にははっきりとはなかった様子です。

で。

「カミ」というのは「肉の体を持たない意思体」の全てを指し、

「神」とちょっと区別していたりします。

ここでは、

漢字表記だった場合はいわゆる『神様』だと思っていただければいいかと。

賽銭投げてお願いしても何も叶えてくれない、とか。

そんな感じで。

どうでもいい話ですが、多くの天地創造神話において、

人間というものは、

神様を模して作られた、と言われています。

要するにそんな神様を雛形に作られたのが、

こんな人間なのよ、というわけです。

そして更にどうでもいい話。

『カミ』『カビ』『キバ』の語源は、

どうも同じらしいです。そして、

元はカビの発生する様子から、

「神」という意識というか概念が出来たのではないかと、

時々物の本に書いてあります。

『カミ≒粘菌』とか(ひでえ)

まあそんなもんなんでしょう。多分。

 

 

『惟神』的無神論

上記の事を踏まえて、ちょっと戯言など。

第一話作中で御幣くんが言ってますが、

あの人たちはキリスト教的なカミというものを信じていません、というか、

この国において神様というものは、

そういうものじゃないのかもしれません。

あ、その筋の方、石投げないで(こらこら)

さっきも書きましたが、この国において『カミ』とは、

本当に種々雑多の姿かたちで存在し、

何しろ時と場合によっては、

ざるやいわしの頭さえも『カミ』となるのです。

ほうきも神様になります。

面白いですね()

そんな訳で、

作中においても恐らくそういう形で彼らは顕れ、

また描かれていくのではないかと思います。

いやもうそのつもりで作ってるネタもありますから。

ここに載っかるかどうかは別として(?)

ちなみに外見は銀髪のロン毛で虹彩の真っ赤な瞳、

そして男で平安朝の衣装、が雛形です。

趣味がもろばれです()

勿論女神様もアリなので、

その辺は微調整が利くのではないかと()

そういえば人様の同人誌で、

「神様はクローンで増える」とか

「性別と性格は外見による」とか、あったなあ。

その辺も参考にしています。

そして人が作らないと神の存在もないけれど、

カミがいなければ人もないのよ、的なアレもあり。

自分で作っといて何ですが、

この辺ややこしいのです。困ってます。

 

 

雑考 『神々の愛児』と『巫女』について

 

「神々の愛児」要するに神様のお気に入り。で「神妻」とは異なりますが、思った事。

神妻は当然「神様の奥さん」なのでその仲を裂く、と言うか、

主祭神(神妻が奉じる神。だんなさんね)以外の男若しくは女(人間)

夫婦の関係(いわゆる情交ですか)を持とうとする時、邪魔が入ります。

赤い袴は「既婚者」のしるし。手出ししてはいけませんよ、のしるし。

なので、巫女さんには手出ししてはいけないのです、が。

巫覡である場合、当然純潔は重要視されます。

何故なら「穢れ」が少ない状態であるからで、

清浄を基本中の基本(潔癖……)とする神様連中にとっては

清くない相手なんてのは眼中にないですし、

穢れ=気涸れとすると、その状況は巫覡にとっても好ましくない

能力の発揮が難しい。何しろ気が涸れてる訳だからね)わけです。

然し巫覡の全てが純潔である事はなく、

どちらかというと純潔である場合のほうが少ないわけです。

何故なら経験年数の多い巫覡の方が、当然レベルも高いわけで、

そうなってくると当然巫覡の年齢も上がってくるわけです。

ついでに、神社などに属する、というか家が神社若しくは神道家である場合、

後継者に実子を据えるところもあるわけで。

子供がいる、ということはその人は純潔ではないわけです。

それでも巫覡たる事はできます。

神の妻ではなく、彼等は「神と人の間を繋ぐもの」であるため、

己の意識さえしっかりしていれば、結婚しようが子供をなそうが、

その能力に衰えは見られません。

ただ、神様に好かれる割合は低くなりますので、その点では不利ですが()

 

多くの巫覡はそんなわけで既婚者です。

お父さんが息子に術(と書いて「わざ」と読む)を伝える、

という事もその辺にざらにあります。

跡継ぎなんだから当たり前ですね。

両親共に能力者で、子供も当然能力者、ということもよくある話です。遺伝?()

松浦さんちはお母さん(お嫁入りした人)以外は全員巫覡。

多分爺さんもフツーの人だったんでしょう。松浦家は女系が大原則なので。

そのへんも、さておき。

巫覡の中でも「ミコ」である場合、当然純潔は重視されます。神の妻ですから。

浮気的行為の際には邪魔をされます。神の妻ですから。

然し恐ろしい事に「相手に本気にならない」という条件をクリアし続ければ、

ミコはミコたる立場(巫覡ではなくてあくまでミコとしての立場ね)を保持し続けられるのです。

白拍子なんかはそうですね。

性行為は彼女達にとって「情交」(情を交わす行為。要するに愛し合うこと。精神的な意味でも)ではなく

「商売」だったがために、

そのミコとしての立場を失わなかったのでは?と思うのです。

よく女の子が「彼氏が出来て人が変わった」ってヤツがあるでしょ?

この彼氏に相当する人間が現れない限り、巫女は神妻でいられるわけです。

白拍子の場合売春行為と拝み屋行為はいずれも職業だったので

(ただの踊り子さんではないですよ。ここ重要よ)その両立が可能なわけ。

後の世にチベット密教その他の修行でセクシャルな行為がどーのこーの言われて、

その辺で色々曲解したアレがありますが、

それはあくまでエロ重視の人の思いつきであって正論ではないと思います。

あっちの人は「普通の人がやらない過酷な事」をする事で己を鍛えるのだよ。

良く知らないけどそういう行為も普通の人がしないレベルまでしたら鍛錬になるらしいよ。

閑話休題。

巫覡は能力者の総称。ミコは神妻。さて、神々の愛児、とは、何ぞや?

神妻には一柱の神がその相手(ツマというべきか否か。日本語難しい)に限定されます。

妻の相手(神様)は一人だけど神様は何人も妻を持てます。

日本はそういうお国柄でしたから神様はずーっとそうなのです。

後添いもくそもあったもんじゃない。一夫多妻で当たり前。

然し妻となったなら他の何者を相手にする事も禁じられます。

もちろん、情のない行為の場合は「遊び」みたいなもので、お目こぼし可、です。

それでも神様はけちなので(大笑)そして人間のヒナガタなので怒るし拗ねるし妬きます。

余りに酷いと縁を切られ、ミコはその立場を追われます。

そんなことがあって別れた日には、当然巫覡としての能力の殆どが殺がれてしまいます。

巫覡として生き残ったとしても、神様に嫌われているので、後々ろくな人生は歩めないでしょう。

もっとも愛されててもろくな人生歩めなさげですけども。

神々の愛児、とは、ミコ以上に制約を受けないものだと私は考えています。

神妻ではないからです。一柱の神に縛られる妻ではないけれど、神々に愛されるもの。

もちろん、神々の愛児、でありながら、神妻であることも可能ですが。

八百万神祇会の主祭神、御坐主命(大御坐主とか大御坐彦とか名前は色々)の神妻たる巫女は、

とりあえず交代制です()

氏子の家から十五歳以上の娘さん達が数名、二十歳までの期間勤めることになっています。

彼女達は霊能のあるなしにかかわらず、巫女として神社に勤めます。

然しここんちの神様は気前がいいので、

ここで巫女を経験した可愛い彼女達みんなに、それとなく力のおすそ分けもしてくれます。

はた迷惑ですね(全くだ)

神と共に暮らす事で、彼女たちにはその力が感染します。

と言ってもそんな大した能力ではなく、神様のお仲間と会話できる程度の感応能力がつくくらい。

ミコを引退した後も、個人差がありますが、ある程度能力は残ります。

勘がいいので危険を回避、くらいに。

引退した巫女はただの人でもありませんが、神の妻でもない状態になります。

一応「巫覡」。

元々巫覡としての能力を持った人はお勤めの報酬、

でもないですが多少能力が上がるみたいです。

そして期間を終えても引き続き「神妻」であろうという人は、

神様と教団と調整して巫女を続けます(このネタの中では。他は知らない)

結婚も恋愛も余所で出来ないのでほとんどの人は嫌がりますが

(だってまだ20歳だよ?フツーに恋したいって)

そういう人は巫女です。ずっとそのまま、やめるまで巫女です。

神々の愛児、は、巫女たりえません、と言うか。

とにかく神様に愛されます。気に入られます。

時にはとんでもない目に合わされます。死にそうです()

しかし、一柱の神の妻に、特別に固定されない事があります。

誰にでも何者にも愛されて、独占されないのです。

それが不幸といえばそうなんでしょうなぁ。とにかく好かれます。

然しそれは本当に「愛されている」と言えるかどうかは定かではありません。

奪い合いされた挙句に本人の意思とは関係ない扱いも受けます。

シンちゃんはそれでとんでもない目に散々会っています()嗚呼可哀相に(オイ)

そんなわけで「巫女」より縛りが少ない「神々の愛児」なのです。

いや自由だという事では決してありませんが。

八百万神祇会には神々の愛児が数人います。

まず主人公神和辰耶ことシンちゃん(笑・でも私はこう呼ぶ)

この人は神職でも何でもありません。何かとにかく好かれていて「審神者」です。

それから「番外編」の妻櫛依頼。

依頼も神様たち(笑・御坐主の眷属のちいちゃいわらわら)に好かれています。

その愛され方はまるで幼稚園児が幼稚園の先生をお母さんの次に好き、

みたいな感覚(ってどんなんじゃ)です。

若しくはみんなで飼ってる大事なウサギ、的なの。アイドルか?それとも(滅茶苦茶)

依頼は神妻扱いというより神様のお気に入りとして置かれていて、現実に巫女として働いています。

神様は娘か妹みたいに愛しています。お気に入りだから。

職業として巫女。現役女子高生巫女……いかん何かやばい設定。

さてそれからもう一人、御巫五十鈴。

五十鈴は神々の愛児です。神様たちと仲良しです。依頼より好かれています。

お仲間みたいなところがあります(大笑)

ウサギや先生ではなくクラスメイトです。

お母さんよりスキ、とか言い出す男の子とかいそうです(しかし幼稚園)

御坐主は五十鈴も依頼と同じ、娘か妹みたいにめちゃめちゃ溺愛しています。

しかし同時にその存在を哀れんでいます。

カミサマの世の中にも色々あるのです(というかまだ出てこない設定なので内緒)

さて、神々の愛児、はそんなわけでこんなカンジなのです。

もてすぎて誰のものにもならないし誰かがモノにも簡単に出来ないけど

(神様が命を掛けて奪い合う人間の美形ってどうよ)

ちょっと疑問。つーかここまで来てやっと言いたいこと?

 

「シンちゃん千五穂とデートするとき邪魔されちゃうんじゃないの?神様に」(ズギャーン←効果音)

 

うーむ……引き裂かれたりしそうだな。

でもシンちゃんは妻じゃないから遊びなんだよ、神様側も(ズギャギャーン!!←凄い効果音)

 

お後が宜しい様で(そうでもない)

 

 

 

 

Last updated: 2005/10/11