惟 神

−惟神EXCELLENT!−

番外編・theFantasticarceFunnyDays

 

 

一台のスクーターがその時、他にほとんど自動車の気配の伺えない県道を、暴走していた。前方には一台の白いワゴン車が見える。乾いた道路の上を砂煙が舞い、原付の耳障りなエンジン音が響く中スクーターの運転手、ノーヘルでブレザーの上着を脱いだ女子高生は、その両手をハンドルから離す。全身でスクーターのバランスをとりながら、彼女は怒りも露に言った。

「いい?しっかりフカしてんのよ!止まってコケでもしたら、あんたはいいけど私も、それからあの子もおしまいなんだからね!」

右ハンドルには何も触れていないと言うのに、そのグリップは思いきり絞られていた。スクーターは減速するどころか、リミッターぎりぎりまで加速を続けていく。制服の少女はきっと前方をにらみつけ、その手で印を結ぶと、空に向かって叫んだ。

「あはりや あそばすとまうさぬ わがゆんでに いぶきのつかい やとなりて わがいにしたがへ」

閃かせた右手に、声の直後風のうねりが発生した。そのまま彼女は腕を振り抜き、風の矢を前方のワゴンに向かって投げつける。

「この……止まりなさい!」

 

我が家の庭にはちょっと変わったモノが住んでいる。人は「飼ってるんでしょ」と言うからそういうことになると思う。でもあんまり「飼ってる」とも「住んでる」とも言わないかも知れない。名前は「けう」ちゃん。私、梓琴子が五歳の頃、近所の山の中で見つけて拾ってきた。何でもけうちゃんはとても珍しいらしく、今まで十二年の間、我が家にはこのけうちゃんを見に、実にたくさんの人がやってきた。で、その中でも学識や良識のある人が言うには、こういうこと?みたいな話で。

「こりゃあ、希有希現ってヤツだねぇ」

 

「だからそれは妖怪けうけげんだって言ってるの!」

「失礼ね、けうちゃんはオバケなんかじゃないわよ!」

現在、私はいわゆる女子高生をしている。私立の宗教系の、何故かど田舎にある学校で、自宅から一番近くにある高校でもある。我が家はすごい田舎だ。振り向けば山だし、街燈もあんまり立っていない。春だと言うのに流れ星もがんがん見えるし、空気も水もおいしい。けれどとてつもなく不便で、公共交通機関は整っていないわ、コンビニも全く無いわ、十代の乙女が青春を謳歌できる環境ではない。幼なじみ達は、高校を出たら都心に出てその後の人生はエンジョイしてやる、と事あるごとに言っているけれど、全くその通りな土地柄だ。かく言う私も田舎だから許されるバイク通学なんかをしながら、やっぱりそう思わずにはいられない。物はないし、遊べるところも、働けるところも少ないし、おまけに映像付き会話を楽しむ携帯電話や大容量で楽しむインターネットさえできないって言うんだから、ろくなところではない。もちろん、逆に言えば静かで何もなくていいところ、ではあるし、小さな頃から育ってきた環境なんだから、嫌いということはない。けど、十七歳の女の子が田舎でバイクかっ飛ばして、知り合いに暴走娘呼ばわり、というだけの高校生活も、さみしいことはさみしい。

「だってあんたんちのそのペット、一回見たけど尋常じゃなかったじゃない」

「だから珍しいんでしょ。どうしてあんたにそんなこと言われなきゃいけないの?あ、解った!千破矢、この間うちに来てけうちゃん抱っこしようとしたら、露骨に恐がられたこと、まだ根にもってんのね?」

クラスメイトの松浦千破矢(まつうらちはや)、どうしてか解らないけれどいらだたしげな顔を見て、私はちょっと意地悪くそう言ってやった。千破矢はわざわざ県外からこの私立高校に入学していて、現在三歳年上のお姉さんと学校の母体である宗教団体が管理している寮で暮らしている。何でももう一人上にいるお姉さんやお父さんがその団体で仕事をしているらしい。その辺は私のうちも似通った感じなので、あんまり詮索しないことにしている。あ、うちのお父さんはここの高校の事務長。どういうご縁だか知らないけれど十二年前からここに勤めている。でもうちはフツーのご家庭よ。

「琴子、何度も言うようだけど、あんたちょっとどころかかなりの特異体質なのよ?解ってんの?」

「特異体質って……別に私、体どこも悪くないわよ?」

「だからそういうのじゃなくって!」

千破矢はそう言うとそれまでの勢いを瞬間的になくして、大きく溜め息をついた。私は目を丸くさせて、首を傾げてそんな千破矢を見ていた。

 

うちのけうちゃんは、体長約六十センチ、体重は四、五キロ、小型犬くらいの大きさで、さらさらで滅多にからまない、犬風に言うと「ストレート長毛タイプ」の、けうちゃんだ。まん丸の大きな目をきょろきょろ動かして、短いけれどしっかりした大きな後ろ足二本でちょこちょこ歩く、マンガに出てくるイエティの赤ちゃんみたいな生き物。十二年前に拾ってきた時からその姿は全然変わっていなくて、ある人が言うには「そういうものと関わりのない」生き物で、何だかとても変わっている。主食はペットフード各種、犬でも猫でもウサギのものでも大丈夫。雑食性で、残りご飯だっておいしく食べている。でも時々変なものも好んで食べる。

「あーっ、新しく下ろしたリップがないーっ」

嗜好品として、何故か化粧品を好む、という変な体質。食べさせると(もちろん故意にはあげない)酔っ払い状態になり、顔を真赤にさせて自分の家(豪華な犬小屋を買ってあげた)の屋根に上って歌い出す。質が悪いのは、けうちゃんは高い化粧品ほど好きで、香水なんかにも目が無くて、ちょっと油断するとごっそり食べられてしまう事だ。だからうちのお母さんも妹(十二歳)も、けうちゃんを家に上げることをすごく嫌う。長くてストレートのさらさらヘアは、あんまり抜けないから散らかることはない。全く痛んでいないし、うらやましいくらい。どうしてそんなに綺麗な髪なの?と、けうちゃんに詰め寄りたいくらいだ。残念ながらけうちゃんは人語を解さないから、そんなことを言ったところでムダなだけだが。

「だから、それって絶対普通のケモノじゃないでしょ!」

「だったら何だって言うのよ?それで千破矢に何か迷惑、かけたことある?」

放課後、何となく出たけうちゃんの話題でご機嫌で話していた私に、くどいくらいに千破矢はツッコミを入れていた。一緒にいたもう一人のクラスメイト(つま)(ぐし)依頼(いより)は、私たちのすぐそばで慌てふためきながら、

「二人とも、もうやめようよ、ね?別にいいじゃない、千破矢も。琴子のおうちのペットのことなんて、気にしなくても」

「別に気にしてはないわよ。あたしが言いたいのはそっちじゃなくて、こいつの大ボケと特異体質のことなんだし」

「誰が特異体質で大ボケなのよ?ちょっと」

千破矢は、怒っているような疲れたような口調で言って私を睨み付けている。依頼は、その白い手をぱたぱた忙しそうに動かしながら、心底困ったような顔と声で、

「だから二人とも、喧嘩しないでってば」

何だか泣きそうな声で言うので、私はじろりと千破矢を睨み返し、この心優しいクラスメイトの言葉にちょっと不承不承な気分で従ったのだった。特異体質?ああ、それはね、話せば長くなるけれど、聞けば短いお話、よ。

この私立御幣高校というところは、いわゆる宗教系の学校法人で、普通科クラスの他に神道科というクラスを持っている。神道科は、まあ言ってみれば「ちょっと早めに神職になる勉強をするところ」で、神職の資格は得られないけれど、予備知識なんかを勉強することができる、というクラスだ。千破矢も依頼も、お家が神社だということもあって、それに加えて何だか複雑な事情があるらしくて、わざわざ遠くからこの学校に入学して、神道科に在籍している。複雑な事情、それが簡単に言うと「特異体質」世に言う霊感。で、私はと言うと、別に自分が希望したわけでもないのに一年の時にそのクラスに振り分けられて、持ち上がりで、二年目。

「妖怪けうけげんその他とお話できる体質の、どこが普通だって言うのよ?」

「妖怪?けうちゃんが?その他って?」

回りが言うには「感応能力に優れているために保護が必要」で、私はここにいるみたいなんだけど、実のところ私にはその辺の認識は殆どない。え、何?けうちゃんとコミュニケーション取れるのって、特異なこと?

「依頼、あんたにだって解ってるでしょ?この大ボケが飼ってるのが妖怪けうけげんだってこと!」

人を指さして千破矢が叫んだ。依頼は私を見て、困った顔で声もなく笑っていた。

 

千破矢とひともんちゃく大喧嘩をしてから、自宅に帰る。庭先にはいつものようにけうちゃんがいて、自分の家の屋根の上で私や、家族のみんなが帰ってくるのを待ってくれている。

「けうちゃーん、ただいまー」

「じゃうじゃう♡」

けうちゃんの鳴き方は、何だか変だ。他の獣とは全く違う声で、しかも「じゃうじゃう」と鳴く。わんわん、でも、にゃーにゃー、でもなく、じゃうじゃう。初めて聞いたときはもちろん驚いたけれど、聞き慣れるとこういうのも個性的でかわいいなあ、と思うのは、いわゆる親バカなんだろう。でもお父さんもお母さんも、妹の笙子も同意見らしい。よそのペットはこんなに変な声で鳴かないしもっとまともだと言う人がいるけれど、うちの家族はこれが一番だと信じて疑わない。余所の犬なんかと一緒にしないでほしい。でも飼っているスタイルは犬とほぼ一緒。庭をぐるりとゲージで囲って、普段は長いヒモに繋がれている。でも別に不快でも何でもないらしい。

「今日もいいコにしてた?お散歩いこうか?」

「じゃうじゃうっ」

自宅の屋根から勢い良く飛び降りて、けうちゃんは玄関先の私のところまで駆けてくる。ぴょんぴょん跳ねながらはしゃぐ姿は、ワケの解らない獣ながらなかなかキュートだ。そのうち私の腕の中に飛び込んで、今度は甘えるように「じゃう〜」と鳴く。ちなみに、千破矢がこの間うちに遊びに来て、けうちゃんを抱っこしようとしたときには、何を思ったか、けうちゃんはじゃうとも言わずに家の中に引っ込んで、そのまま出てこなくなってしまった。誰が呼んでも何故か千破矢がいる限りは出てこなくて、結局千破矢はまともにけうちゃんと対面しないままに帰宅を余儀なくされた。逆に、依頼がうちに来たときは、けうちゃんはご機嫌で、一緒に散歩をした挙げ句、その膝の上で眠ってしまうほどくつろいでいた。けうちゃんの好みは極端らしい。本当に、ワケの解らない獣だ。

「琴子のおうちのけうちゃんは、いわゆる動物には入らない生き物だから」

その時、依頼がそう説明してくれた。何でも、この世の中にはとてもたくさんの生き物がいて、私達の常識の範疇にはない存在もたくさんあって、けうちゃんもその常識からかなりはずれている、らしい。からまないストレートヘアとか、人に対する好みとか。

「そのヒトたちと私達の基準って全然違うから上手く言えないけど、琴子はそのヒトたちに好かれやすくて、呼びやすいのよ。だから、けうちゃんにも巡り会えたし、これからもけうちゃんと一緒に暮らせるんだと思うわ。ただ、けうちゃんたちって寿命とか時間とか、そういう観念からも外れているから」

「へーえ、長生きなんだぁ」

「な、長生き、っていうより……生きていない、って言うか……」

依頼は私がけうちゃんたちの長寿について感心していると、困ったように笑って言葉を濁した。ごにょごにょ、と聞こえた言葉の後の方は聞き取れなかったけれど、けうちゃんと長く一緒にいられれば、そんなことはどうでもいいことだ。ついでにこの時、私は依頼にこんなことも訪ねていた。

「好みが極端なのはいいんだけど、どうしてあんなに千破矢のこと嫌うの?けうちゃん」

「けうちゃんだけじゃなくて……けうちゃんの「お友達」も、あんまり千破矢のことは好きじゃない……かしらね」

けうちゃんの「お友達」、時々我が家の庭にはそんなわけで、もっとワケの解らない生き物もやってくる。それは「お友達」なの?と聞きたくなるし、それは生き物なの?とか、思わずにいられないモノたち……けうちゃんもその「お友達」、難しく言うと「眷族」らしいけど、千破矢はというと、とにかくそういうのには好かれないタイプ、なのだそうだ。

「別に仲が悪くても困らないけど、けうちゃんもあんまり千破矢を嫌わないといいのに」

「それは……ちょっと無理っぽいかも……」

「どうして?」

重ねて、私は依頼に問いかけた。依頼は、困った目で笑いながら私にこう言った。

「千破矢は……『剣』だから」

私にはますますワケが解らなかった。四六時中とんがっている、という意味ではなく、どうもそれは体質らしい。依頼いわく、

「千破矢の呪能は『もののふ』で、そういうヒトたちを退治しちゃうタイプなの。だから」

全く意味が解らなかった。きっと私はその時露骨にそういう顔つきをしていたのだろう。依頼は困った顔のままこう言った。

「ヘビとカエルみたいに、仲が悪いのよ」

 

そんなわけで我が家には一風変わったペットがいる。拾ってきてから十二年、全く年を取っていないらしいこの不思議な生き物は、犬猫よりちょっと知能が高く、けれどそんなにお利口でもなく、間抜けでかわいい。けど。

「けうちゃんって、何モノなんだろうねー」

「ねーって琴子ちゃん、自分で拾ってきて、知らないの?」

散歩から戻って庭先でけうちゃんと遊んでいると、そこに中学生になったばかりの妹が帰宅した。妹、笙子は近所でも有名なしっかり者で、学校では入学早々クラス委員なんかに抜擢される、そういうタイプの女の子だ。五つも年上の姉に向かって利く口振りが小生意気だが、もしかしたら私なんかより数倍しっかりしているかも知れず、姉としてはちょっと立場がない。

「うーん『希有希現』なものだって言うのは知ってるんだけど」

あはは、と乾いたわざとらしい笑いを放って言うと、笙子はまじめ腐った顔であっさり言い放つ。

「だから『けうけげん』で「けうちゃん」なんでしょ?」

「うん、珍しいっていうのは解ってるわよ?確かに。けど、妖怪って言われても実感沸かないじゃない?恐くないし」

「琴子ちゃんに懐くくらいだもの、恐さも威厳もあったもんじゃないしね」

返す言葉は見付からない。笙子はけろっとした顔で私にそう言って、そして庭でいつものようにじゃうじゃう言っているけうちゃんに向き直ると、突然甘ったるい声で、

「さーおいで、けうちゃん。抱っこしてあげようねー」

とか言ってけうちゃんを抱き上げた。じゃうじゃう、と甘えた声でけうちゃんは笙子に擦り寄り、犬同様にべろべろと笙子の顔を嘗め始める。そして、

「あ、そう言えばまだパウダー乳液落としてなかった」

「あー、あの、皮脂テカ予防の乳液……え?」

女のコなら解ると思うけど、いわゆる化粧下地に使えるタイプの乳液のことを言われて、私はちょっと首を傾げた。中学生のニキビケアって結構大変なのよね、ってそれはさておき、その乳液がまだ落ちてない顔をべろべろ嘗めていたけうちゃんはと言うと、

「じゃうっ、じゃうじゃうじゃうじゃうっ」

「……酔っ払ってる?」

普段とは違う鳴き声を立て始めたことに気付いて、何気なく誰にでもなく問いかけてみる。笙子は腕の中でリズムをとって踊り始めるけうちゃんを見て、

「これがフツーの犬だったら、ビデオにとってテレビ局に送り付けたりできるのにね」

と、妙に淡々と言った。

そう言えば、けうちゃんはビデオやカメラなどの記録装置に、時々しか映らない。写真は散々撮ろうと試みたけれど上手く取れているものは殆どないし、全然関係ないものを撮るとすみっこに何故かぼんやり写り込んでいることがある。それをいつか千破矢に話したら、千破矢は嫌そうな顔でこう言っていた。

「まさに『心霊写真』よね」

別に私も家族も、いまさらけうちゃんが何物だろうとこだわらないし、関係ないと思っている。でも、この千破矢の言い草はひどい。けうちゃんにだっていいところはたくさんあって、本当にお役立ちなんだから。何しろ、暗い夜道を歩かなきゃいけない時には着いて来てくれるし、変な気配が近付いてきたら追い払ってくれるし、泥棒よけにだってなるし、その綺麗なストレートの毛を常に持ち歩いていれば、どんな災難からだって守られてしまう優れものなのだ。これは余所のペットには真似できないお役立ちさ加減じゃないだろうか。だからオバケとか妖怪と言うより、我が家の守り神って感じ。で、そういう話をすると依頼なんかはこんなことを言ってくれる。

「じゃあ琴子は「巫女」ね」

何だか解らないけれど、そういう体質らしい。うちは普通のおうちで、神社とかそういうのとあんまり関係ないんだけど。

 

宗教法人八百万(やおよろず)神祇会(じんぎかい)、というのが、私達の高校の本部組織に当たる宗教団体になる。何でも神道を基礎とした、ここ五十年くらいにできた新新興宗教団体で、そういうのにありがちなオカルト部門とかもしっかり持っていて、高校の神道科クラスはその辺と密接な関係をしているらしくて、時々制服じゃない生徒や、毎月決まった日に休んだりする生徒や、一カ月くらい平気で休む生徒がいる、変なクラスだ。

「あんたさぁ、二年目でしょ?ここのクラス」

「そうだけど?」

「授業も、ちゃんと受けてるでしょ?週一、宗教学」

「受けてるわよ?あ、そう言えば千破矢も依頼も、時々いないっけ?どうして?」

変なクラス、と何気に口にした時、また千破矢が妙に疲れた顔で溜め息をついて、嫌そうな目を私に向けた。私はわけが解らないまま、首を傾げてそんな千破矢を見ていた。言わせると、私って大ボケでマイペースの度が過ぎるんだそうだ。ついでに、無意識にかたくなで見たもの以外は信じないタイプ、とか言われている。伸ばしかけの邪魔っ気な髪をピンで何とかまとめた、という体裁の頭を掻きむしって、千破矢はうんざりした顔で私に向かって言った。

「私も依頼も、教団本庁でお仕事してるの!」

「へー、宗教団体の本部って、本庁って言うんだ。警察みたい……」

「感心する論点が違うでしょ!」

昼休みの中庭に、千破矢のややヒステリックな声が響く。どうしてこんなやかましいのとつるんだのかな、と最近自分でも思う私は、やっぱりいつも一緒の、となりにいる依頼を見て肩をすくめた。依頼は、腰に届くほどまで長く伸ばした髪の乱れを手で直しながら、やっぱり困ったように笑っていた。そして、

「よそはどうか知らないけど、ここの本部はそう呼ばれているの。ほら、御坐(みくら)山の麓にあるでしょ?結婚式場みたいな、大きな旅館みたいな施設」

「依頼、あんたもそんな説明しないでよ!」

本庁、とやらの事を詳しく教えてくれようとする依頼を、また千破矢が怒鳴りつける。そんな千破矢は無視して、私は依頼に質問を投げかけた。

「じゃあ依頼はそこの巫女さんなんだ、へーえ。赤い袴とかはいてるの?寮ってそこにあるの?」

「寮もその敷地内だけど、私はちょっと住んでるところが違って……ええと……」

「いわゆる、勤労学生?偉いなぁ」

「そ、そうかな……」

えへ、と、照れたように依頼が笑う。千破矢は、相変わらず火も吹く勢いで何やらわめいていたが、しばらくするとわざとらしくて、変に低い声で笑い始めた。わははは、だって。

「……何よ千破矢、その笑いは。あんたキーキー言いすぎておかしくなった?」

仕方ないのでそれに反応すると、千破矢は何だか変に楽しそうな、勝った、とでも言わんばかりの目つきで口元をニヤリと歪めていた。そして、

「のんきに人の事言ってられるのも今のうちよ、琴子。あんただって今は保護されてじっくり調査されてる途上型の霊能力者だけど、そのうち本庁から然るべきお達しがあって、組織に引き入れられちゃうんだから!」

指さし確認して、千破矢は言い放った。指を指されてもいたくもかゆくもない私は、その言葉を頭の中にたたき込んで少しの間意味を考え、そして、

「そうなの?」

「……え?」

依頼に問いかけると、依頼も目を丸くさせ、何だか混乱している様子だった。千破矢は鼻先でわざとらしくフ、と笑うと、

「妖怪とコミュニケーションとるくらいしか能がないあんたが、この先どこでどう食いぶち稼げるのかしらねぇ?下手すりゃどこかのオバケバスターが出てきてあんたもろともけうけげん、退治するかも知れないし」

「へー、そうなんだ。そのオバケやっつけ屋さんって、千破矢より危険なのかなぁ?」

あはは、と、笑い返して私は千破矢に、わざとらしいくらい白々しく言い返す。もちろん仕返しのつもりだ。傍ら、かわいそうに依頼はおろおろしている。千破矢、また切れて、

「って、それどういう意味よ?私が危険とか言いたいわけ?」

「けうちゃんは別に人に害を与えてるわけじゃないもん。退治される前提で話す人って、けうちゃんにとってかなり危険だと思わない?」

べー、と、私は舌を出して言ってやった。気に食わないのは、クラスメイトの中でも結構仲良くしているつもりの千破矢が、いちいちけうちゃんのことでつっかかってくることだった。確かにけうちゃんは普通の生き物じゃない。だけど「だから退治」なんて、それは考え方が乱暴すぎる。

「琴子、私はあんたやけうけげんを心配して言ってやってるのよ!実際っ……」

「それはどうも。でもけうちゃんなら大丈夫よ。あんたみたいなのには負けるかも知れないけど、大抵の危険人物からだったら簡単に逃げられるし、逆にやっつけちゃうわ。それに、けうちゃんが気に入らなくて退治したい人って、千破矢だけなんじゃないの?」

「何ですって!言ったわね!」

千破矢が、本格的にキレてしまった。いつも困った顔で見ているだけの依頼が、それに気がついて私達の間に体をねじ込んでくる。

「ちょっと二人とも、いい加減にして!千破矢も琴子も落ち着いてよ!」

けれど私も千破矢も頭に血が上って、回りのことはもちろん自分が何を言っているのかさえ解らない状態になってしまっていた。顔を真赤にして怒りに震える千破矢を見て、いい気味だ、と思ったのがその証拠だった。もちろん、そんなことに気付いてはいなかったけれど。

「千破矢、言い過ぎよ。そんなに言うべきじゃないわ!琴子には琴子の考えや事情が……」

「解った、もう琴子なんか心配しない!」

依頼がそう言って千破矢を諫めようとしたとき、千破矢はそれをはねつけるように言葉を放って私達のそばから離れていった。ずかずかと歩き去る背中を見送り、私はまたべぇ、と舌を出し、いい気味、と心の中でちょっと笑った。依頼は今にも泣きそうな顔で、立ち去った千破矢の背中を見送って、それから今度はその優しい目を釣り上げて私をきつく睨み付ける。目が合って、怯んだのは私だった。

「……な、何?依頼」

「琴子も悪いのよ、解ってる?」

「あ……私が、悪いって……どこが?」

睨まれて、不本意なことを言われて、私は思わずそう反論した。琴子は泣き出しそうな目でじっと私を睨み付け、そして、いつもは聞かれないようなきつい口調で言葉を綴った。

「今のは千破矢もいけないけど、琴子を本当に心配して言ってるのよ?琴子は普通のおうちの子で、そういう事からけうちゃんや自分を守る術なんて、知らないでしょ?」

「……だって……でも今のは、千破矢が……」

「千破矢は……時々そういうお仕事、するの」

少し言い出しにくそうに依頼が言って、私は驚いた。え、何、と聞き返すより前に、どこか哀しそうな目で、依頼は言った。

「千破矢だって、そんなこと進んでするわけじゃないわ。頼まれて仕方なしにしてるの。だから余計に、千破矢はけうちゃんと琴子のことが心配なんだと思う。千破矢は意地悪だけでそんなこと言ったりしないって、琴子にだって解ってるでしょ?」

そう、千破矢はいいヤツだ。いつもあんな風に怒っているわけじゃないし、確かに最近の若者よろしくキレやすいけど、でも理由もなく暴れるなんて事は絶対にしない。ちょっと正義感が強くて、それで怒りっぽい、根はまじめでいい子なのだ。私は依頼の言葉に黙り込んだ。そして、悪いことしちゃったな、と、ここまで来てようやく気がついた。この辺がボケてるのかしら。とろいって、そういうことなのかしら。黙ったまま、私はしばらく依頼に顔を向けられず、俯いていた。依頼はそんな私の気持ちを察したのか、すぐにいつもの優しい表情を取り戻し、さっきとは違う明るめの声で言葉を紡ぐ。

「解ってるよね?反省、した?」

「うん……謝って、きます」

「はい、行ってらっしゃい」

何だかTVドラマのお母さんみたいな口振りで依頼が言うのを聞いてから、私は千破矢を追いかけて走り始めた。確かに私も言い過ぎた。最近ちょっと千破矢が、けうちゃんのことで神経質になっていたのも事実だけど、私も、一々色々言われて頭に来ていたのも事実だ。今まで大丈夫だったんだから、と変な自信の上にあぐらをかいて座っていたのかも。昔からけうちゃんを見に、我が家にはたくさんの人が訪れていた。中には夜中に内緒でやってきて、けうちゃんを捕まえようとした人たちもいた。最近はそんなこともなくなっていたけど、世の中にはきっとまだけうちゃんを捕まえたい人もいるだろうし、またいつそういう人がやってくるかも解らない。千破矢の言いたいことは、もしかしたらそういうことなのかも知れない。危険を自覚しなさい、って。もしそうでなくても、さっきの私は言い過ぎだった。ちゃんと謝らなくちゃいけないことは、何を差し引いても当然のことだった。そうして、私はしばらく校庭をばたばたと走り続けた。千破矢の姿は簡単には見付からなくて、どこ行ったんだろう、と思ったその時、

「君、ちょっとそこの、君!」

聞き慣れない声に私は振り返った。見たことのないちょっと奇妙な格好の人たちが数人、そこに立っていた。白い、和服。いわゆる単と袴。時々クラスに見かける服装にも似たその格好の一団に、私は目をぱちくりさせた。

「はい、何でしょう?」

 

「……千破矢も琴子も、お弁当全部広げっぱなしで行っちゃうなんて……」

その時妻櫛依頼は、中庭に広げられた三人分の弁当箱を片付けながら困ったような目で見ながら少し笑っていた。友人二人がやや派手に喧嘩をして、ついさっきまでは少しだけ哀しい思いをしてもいたのだが、その一方が、素直と言うか単純と言うか、あっさりと己の非を認めて謝罪に駆け出した、その直後のことである。素直なのはいいけど、そろってあわてんぼさんよね、とくすくす笑ったその時、その一方が再び彼女の前に姿を現す。

「あれ……依頼だけ?」

「千破矢……あら、琴子は?」

先に駆け出していった筈の友人、松浦千破矢がそこにふてくされた顔でたたずんでいた。琴子は目を丸くさせ、千破矢はそれを見て言葉を返す。

「……それはこっちの科白。せっかく謝ろうと思って、戻ってきたって言うのに……」

何ともバツが悪そうな顔で千破矢がつぶやく。あらあら、と依頼は少し笑い、肩を軽くすくめるとそんな千破矢に向かって言った。

「さっき千破矢と同じこと言って、追いかけていったわ。会わなかった?」

「うん……だから探してるんだ、けど……」

ぐるぐると千破矢は辺りを見回す。依頼は何気なく、先程琴子が駆けていった方角を見やり、微かに眉をひそめた。

「……依頼?」

「グランドのほうで……何か騒いでるみたい」

その場所からは、グランドは視認できない。依頼はその時周辺の気配を「読んで」いた。読む、と言うよりは感じ取る、のほうが的確な表現かも知れない。現役女子高生でありながら宗教団体の霊能力者でもある彼女は、()く感応の呪能を顕す。その依頼の言葉に千破矢もその眉を歪めた。そして、

「何、琴子が関わってるの?」

「って言うか……待って、今追いかけるから」

依頼がその目蓋を閉じる。三秒ほどの間の後、依頼は血相変えてその場で叫んだ。

「大変!琴子、車に連れ込まれて……ああっ、走り出したわ!」

千破矢の表情が一変した。依頼は動揺を隠せずに、その場でおろおろと慌てふためく。

「ど、ど……千破矢、どうしよう……け、警察、とか?」

ち、と千破矢はその場で舌打ちした。眉をひどくしかめ、だから言わないことじゃないじゃない、と胸中で毒突く。何が目的なのかの見当はつく。本人は無自覚だが、琴子には常人とは違った能力が備わっている。人外のモノとの意思の疎通、それは神と交信する巫女の持つものとほぼ同質だ。その能力を欲しているか、もしくは……。

「依頼はそのまま琴子を追いかけて」

思い当たる節を幾つも考えながら千破矢は言い放つ。依頼、驚き、

「って、千破矢、何をするの?」

「決まってるでしょ?どこのバカか知らないけど、琴子を助けるのよ。神主の常服着てるって言うんなら同業者か商売敵。で、琴子を狙うって事は……」

「……けうちゃん?」

何も言わずに千破矢は頷いた。言いたいことが解ったらしい依頼はその顔を更に緊張させ、今一度琴子の駆け去った方角、グランドの方に向き直る。

「でも千破矢、助けるって、一体どう……」

「あんたは追いかけることに集中して。いい?絶対に見失うんじゃないわよ」

言って千破矢はその場を駆け出していく。不安を胸に抱えながら、依頼は言われるまま、連れ去られた琴子の気配を追いかけ続けた。

 

「ちょっと、何すんのよ、離しなさいよ!って言うか人違いじゃないの?私なんかさらって一体どうする気よ?うちはお金なんて無いし、他にとれるものなんてっ……」

ちょっと油断した隙に、私、琴子はいわゆる神主さんみたいな格好をした一団に取り囲まれて、捕われの身となってしまっていた。ワケの解らないまま後ろ手に縛られて黄色いナンバープレートのワゴンに乗せられ、そのワゴンは瞬く間に学校のグランド前から発進した。ぶろろろ……、とか、のんきに聞いている場合ではない。誘拐だ、かどわかしだ、人さらいなのだ。これが騒がずに、大人しくしてなんていられようか。

「ちょっと黙ってろ……おい、誰かその小娘を黙らせろ!」

助手席に座った変に偉そうな男が私を捕まえた下っ端の数人に向かってそんな指示を出す。猿ぐつわをかまされそうになった私は、かまされる前に体をひょいとよじってその手にかみついてやった。がぶ、てな感じに。車内は若い男の絶叫で更に騒がしくなる。じたばたと体をよじり、あちこちに肩や頭をぶつけながら、私は必死に抵抗し続けた。乙女の一大事なのだ、騒がずになんていられようか。いくら日頃天然とかトロいとか言われていても、これが危機でないと思うほど私だって天然娘ではない。

「きゃーいやー殺されるーっ、冗談じゃないわよ!ただでなんて死ぬもんですかぁっ」

だったら何と引き換えになら、と自分ツッコミしながら、私はとにかく暴れてやった。暴れて暴れて、ひとしきり暴れていると、それまでも安定した走りをしていたとはいえない軽ワゴンは、突然急カーブを切ってまた更に車内を混乱に陥れる。ごとごと、どかどか、げこげこ、と、変な音や衝撃が走って一端車は停止した。男たちは車内でうめいたりわめいたりしながら、少し混乱していて、一体何が、と思わない人間はそこにはいないらしかった。私は座席からとっくの昔に転げ落ちて、その隙間に変な格好ではまり込んでいた。身動きもとれなければ、回りの状態の確認だって出来やしない。車は、走り出そうとはしなかった。ただ声が飛び交って、やがて、

「おい、その娘を外へ出せ!」

という声の直後後部座席のスライドドアが力任せに開けられ、私はワケの解らないまま、「……え?」

ぽい、と路上に捨てられ、アスファルトの上にしたたか叩き付けられた。体に振動と鈍い痛み。ごん、と頭を打った直後、

「琴子!」

叫ぶ声に私は目を上げた。そこには、何故か私のバイクからノーヘルで下りてくる、千破矢の姿があった。

「千破矢……あんたノーヘルで人の原付に乗ってきたの?」

がく、と、駆けてくる途中の千破矢の足元がぐらつく。その千破矢はアスファルトの上で横になった私のそばに来ると、怒りのこもった声を放った。

「あんた、助けてもらった第一声がそれか!」

 

それから、何がどうなったかと言うと、

「……あんたの原付、いつもカギ付けっぱなしでしょ?だから借りたの!」

「あ、そうなんだ……でもどうやって私の居場所、探したの?」

「だから、それは依頼が……」

学校の校庭から二十キロほどの地点から、私達はノーヘルの上二人乗りで、とりあえず戻ることにしたのだった。お巡りさんにばれたら何か言われるかな、と何気なく言うと、千破矢は大きな溜め息をついて、

「あんたってそういう心配はできるのに、バイクが盗まれるかも、とかは考えないワケ?」

「あ、それは平気。だってキーホルダーにけうちゃんの毛が入れてあるから」

「それで盗まれないって確信してるのね……」

私の答えに、千破矢は納得したようなしていないような様子で一人ごちた。私はと言うと、それにしたって千破矢は無茶をするな、とか、何をどうやって車を止めたのかな、とか、色々考えていたけれど、その辺を訪ねるとまた千破矢に怒られそうなので、とりあえず黙ってその背中に抱きついていた。しかし。

「……そう言えば、千破矢って原付の免許、持ってたっけ?」

問いかけると、千破矢は鼻先で、ちょっとわざとらしく笑い、

「そんなモン、持ってなくたって運転はできるでしょ」

「そういう考えって、危ないんじゃない?」

千破矢はその言葉に黙り込んだ。背中で、私は千破矢の答えをしばし待った。そして、

「千破矢?」

「……あんたって本当に、のんきって言うかマイペースって言うか……ボケて過ぎ」

千破矢は言葉の後、何がおかしいのかくすくすと笑い始めた。私は首を傾げて、でも、笑ってるんならまあいいか、とそれ以上悩むのをやめた。バイクは二人を乗せて、それなりに快調に、車の少ないぐねぐねと曲がった山路の県道を走っていく。

「ねえ千破矢」

「ん、何?あー……戻ったら即効本殿に行かなきゃだわ」

エンジンと、切って走る風の音に負けないように、私は声を大きくしていった。千破矢は何だかぶつぶつ言いながら、快調にバイクを飛ばし続ける。

「さっきはゴメンね、私、言いすぎだった」

「ったく……いちいちなんで禊なんか……え?ゴメン、何?聞こえない!」

「だから、さっきはゴメンね、って!」

「ちょっと、聞こえないからもっと大きく、はっきり言ってよ!」

いらだたしげに千破矢が聞き返す。私は、こんなにそばで言ってるのにどうして聞こえないんだろう、と思いながら、思いきり声を大きくして言った。

「だからさっきは!ねえ、聞こえないの?」

「聞こえてるから、さっさと言いなさいよ!」

 

ノーヘル二人乗り原付バイクが学校の駐輪場へと戻る。その手前には、三人分のお弁当と何か別のものを抱えて、依頼が待っているのが見えた。いつもどこかに果敢なげ見える依頼の顔は、この時はそれに加えてどこか不安げだった。バイクの後ろから手を振って、私は依頼に声をかける。

「依頼!……あれ?もう五限始まってない?」

「……あんたが心配で、依頼だって授業どころじゃないでしょ」

バイクの速度を落としながら千破矢がため息混じりに言った。ぱたぱたと、依頼は何か抱えた格好で駆けてきて、私はまた目を丸くさせる。腕の中にあったのは、くまのぬいぐるみくらいの大きさの毛むくじゃら、うちにいるはずのけうちゃんの姿だった。

「千破矢、琴子!大丈夫?何もなかった?」

「うん、ちょっとアスファルトに頭ぶつけたけど、助かったよ?」

おろおろ、あたふた、の依頼に答えると、千破矢が言った。

「依頼、こいつの心配なんてしたってムダだから、あんたはもっと気楽でいなさい」

その言葉にむっとしながら、私はそれでもそちらにはかまわず、依頼が抱っこしているけうちゃんを見て更なる問いを投げかける。

「ね、どうしてけうちゃんがここにいるの?」

「じゃ?」

依頼の腕の中、けうちゃんが首を傾げる。依頼は抱いているけうちゃんを見ると、

「けうちゃん、琴子を助けに来たのよ、ね?」

「じゃうじゃう!じゃ〜う?」

けうちゃんはそう言って依頼の腕の中から、私の胸に飛び移る。キャッチして、私はそのさらさらヘアに頬擦りすると、

「けうちゃん、お利口だねー、いいこだねー、本当に使えるねー」

「って、そういう問題か?」

傍ら、いつも通りに何が何でも納得できない千破矢が呟く。依頼は困ったように笑いながら、そんな千破矢をなだめて、

「まあまあ、何事もなくすんだんだから、千破矢も……」

「依頼!あんたがそうやって甘やかすからこの大ボケ娘はいつまでも大ボケなのよ!」

キーキー千破矢が今度は金切り声を上げる。最後の科白が聞き捨てならず、けうちゃんを抱っこしたまま私は眉をしかめて言い返した。

「誰が大ボケなのよ?失礼しちゃう!」

 

それから、私達三人は教室に戻った。五限目は何だかんだと言って三人そろっておサボリ状態になってしまい、どうしたものかな、と思っていたら、何故か、

「私と依頼は早退になるから」

と、千破矢が言った。高校生だから出席を取られないとたとえ一時間でも欠課になるわけだから、それはいいとして。

「自動的に?何よそれ?被害者は私でしょ?」

私はと言うと、そのまま帰ってしまっても良かったのだけれど、サボったペナルティーで担任から反省文十枚を課され、ご機嫌斜めになってしまったのだった。千破矢はそんな私を見て不敵に笑うと、

「教団本庁の現役霊能者と単なる保護対象の違いってヤツよ。ほら私達、勤労学生だし?」

「あ、あのね、ああいうことをする前って、本当は前準備が必要なの。だけど急だったから私達何もしてなくて、そうすると後始末が必要なの」

あわてて依頼が説明をしてくれたけれど、私には何のことだかさっぱり解らなかった。千破矢は、何だかすごく上機嫌でとても意地悪に笑うと、見下ろすように私を見て、高笑いして言った。

「あんたは観念して読み応えのある反省文でもじっくり書くことね。ついでに、バイクのカギを抜く習慣くらいつけときなさい」

「……何か引っかかる言い方、するなぁ……」

結局被害者である私は、一体この二人が何をしたのか解らないまま、六限目一杯生徒指導教官の説教を聞かされ、おまけに原稿用紙をしっかり渡され、その日はあんまり気分の晴れないまま、けうちゃんを抱っこして(待っててくれるなんて本当にできたペットよね)帰宅したのだった。

「ねぇ、けうちゃん」

「じゃう?」

「私を助けてくれたのよね?千破矢と。けうちゃんこんなに小さいのに……偉いねぇ」

「じゃ?」

 

誘拐事件を何とか未遂に終わらせた八百万神祇会所属の現役女子高生巫女、松浦千破矢と妻櫛依頼はその事件が丸く納まった直後、教団本部の敷地内にある神殿にて、斎戒と呼ばれる、いわゆる清めの儀式を行ない、直後、本庁巫覡課本殿祭礼係係長、稲生芙須美(35)の説教を食らったのであった。

「全く!シラフで術を使う人がありますか!しかも千破矢は禊もなしで突風を起こすなんて荒術を使って。おかげで一時この辺り一帯の()が混乱していたのよ?」

「ふーちゃん、そんなに怒らないでよ。あ、ちりめんじわ……」

女子高生は加齢と共に肌の衰えを感じている妙齢の女性の怒りの矛先を反らそうとくだらないことを言ってみる。が、

「今はそういうっ……って貴方が怒らせるからしわなんかが増えちゃうのよ!ぴちぴちお肌だからっていい気にならないことね!今はそうでもみんな辿る道は一緒……」

ふーちゃん、と呼ばれた、本殿の巫女を束ねるその人物はやや千破矢のペースに巻き込まれながら、しかし怒りはエスカレートしているらしく、全然矛先はそれないのであった。依頼、すみっこでびくびくしながら、

「ご、ごめんなさい……でも、大事な友達が、連れ去られるところだったから……」

「そーよそーよ!こういうときに役に立たなくて、何が実力派霊能者なのよ、ねぇ?」

その依頼の控え目な言葉に乗じて、千破矢は今一度稲生に挑戦してみる。が、

「だからと言って、軽々しい事をしていいと言うことにはなりません!千破矢、依頼、罰として明日の拝殿の早朝掃除は二人ですること、いいわね!」

係長はそう言い放って、小さくなっている依頼と、不平たらたらの千破矢の前から立ち去ろうとする。もちろん千破矢が黙っているわけもなく、

「えーっ、ふーちゃんひどーい!二人であのだだっ広い板の間のふき掃除なんてできるわけないでしょ!係長横暴!課長にチクってやる!」

「残念だったわね、課長にはもうとっくに報告してあるし了解も得ているの」

オホホ、と現役の神職にしては邪悪に高笑いして、稲生は足取り軽く歩き出す。そして、「それから、一度そのお友達をここにつれて来なさいな」

二、三歩歩んで、彼女は二人にそう声を投げた。依頼と千破矢はそろって目を丸くさせ、

「琴子を、ですか?」

「ふーちゃん、琴子は前に、こういう用途では使えない類だ、って言ってたじゃない?無自覚だし、って」

同じことを考え、口々に全く別の言葉で稲生にそんな風に問いかける。稲生は振り返りもせず、

「化生と共生できて、しかもその化生が、自分の天敵になる千破矢と力を合わせて『巫女』を救ったのでしょう?それがただの化生なのか、気にならないでもありませんからね」

「でもきっとふーちゃん、私より嫌われるよ?怖いから」

あはは、と何気なく千破矢が笑って言う。隣にいた依頼は顔面蒼白で、あわててそれをフォローしようとするが、それより先に稲生が千破矢へと振り返った。千破矢、あはは、の顔つきのまま凍りつく。

「あはは……は、は……」

「千破矢!今日と言う今日は許さないわよ!一体貴方のために誰がどれだけ苦労していると思っているの!それを言うに事欠いて「怖い」ですって?」

そのまま、再び、と言うか、今度はとっても私情に走った説教が始まる。依頼は蒼白になって部屋の隅に避難し、千破矢は、

「きゃーっ、ふーちゃん、係長!ごめんなさいーっ」

その場で身を縮めながら、とりあえず必死の謝罪を試みる。しかしそんなことで逃れられるはずもないまま、本日の一番深刻な被害者、松浦千破矢はその場で日が沈み切るまで、ややヒステリックな妙齢の女性に責められるのであった。

 

Last updated: 2005/05/13