惟 神

―番外編・折り紙の姫―

 

 

特別来たいとも思わない学校の見学に来たのは、無理矢理連れてこられたから、だった。都心から車で二時間と少しの、かなり辺鄙な場所にあるその学校では、自分一人だけが浮いてしまうことは絶対にないだろうという言葉に、彼はろくに反応さえしていなかった。ストレートの黒髪を伸ばすに任せたように伸ばした、一見可憐にも見える目鼻立ちの少年は、むっつりと唇を結んだまま、傍らの男の言葉を聞くでもなしに聞いている。

「寮はここから徒歩で十四、五分のところにある。自転車を使っても構わないし、好きなように通ったらいい」

「俺は高校に行く気なんかない」

にべもなく、少年は男の言葉をはねつけた。男は、二十代前半だろうか。まだどこか子供染みたものをその面に残していて、苦笑いする口元に感情が見え隠れしている。少年は、十代半ばの、よくよく見て確かめても、少女のような面ざしをしていた。長い髪ばかりが理由ではない。整いすぎた鼻梁と血色の良い唇は、ほんのり薄化粧をした乙女そのものと言っても過言ではなかった。体のラインが平坦でなければ、その性別を目で見抜くことは難しいに違いない。だらだらと丈の長い草臥れたTシャツに色も膝も抜けたジーンズといういでたちの少年は、長く伸びた髪をうっとうしそうにかき上げ、その低い声で更に言った。

「大体、俺は何も承諾してねぇぞ。無理矢理連れて来といて、勝手なこと抜かすなよな」

「何言ってる。うちが引き取らなきゃ、お前はもっと性の悪いところに連れていかれる羽目になってたんだ。感謝こそすれ……」

少年は恩着せがましい男の声にその眉を釣り上げ、きつくその顔を睨めつけた。男はふふん、と軽く鼻先で笑うと、更に言った。

「登校拒否の上家出して、挙げ句恐喝と窃盗未遂。暴行の容疑まで出てたんだろ、お前」

「……だから、何だよ」

少年は男の言葉に、それまで向けていた視線をふいと反らした。男はニヤリと、今度はさも嬉しそうに口元を歪めて笑い、やや得意気な口調で言葉を続けた。

「安心しろ。ここでは誰もお前を見捨てたりしない。もちろん誰も甘やかしてもくれないだろうけどな。けどお前、本当にラッキーだよ。宮司に身元引受人になってもらえて。余所の団体に取っ捕まってたら、どうなってたことか……」

言葉の後半は半ば独言だった。男はやや浸り気味に言って、むっとした顔のまま黙している少年を見やり、先程とは意味のちがう苦い笑みをその場で漏らした。少年はそっぽを向いて、その場で小さく呟く。

「俺の人生だ、どう生きたって勝手だろ」

「馬鹿言え。その人生が危うくひっくり返って、おつりが来るところだったんだぞ。ふざけるのも程々にしろ」

言われて、不機嫌な少年は不機嫌なまま男を見やった。男は、またにやにやと笑うと、

「さて、行こうか。俺も久々でちょっとわくわくしてるんだ。母校だから」

「……あんたの後輩になるのかよ」

少年は心底嫌そうに言った。男は一人笑いながら、

「こっちだ、行くぞ」

言って、少年に先んじて歩き出した。

 

学校法人御幣学苑高校、というのがその山の中にある私立高校の名称である。何の変哲もない、と言うとやや語弊も生じるその私立高校の一番の特徴は、公立高校の退去した後の村落に学校を設立した点であった。一学年四クラスのごく規模の小さなその高校は、そんなわけでそんな特徴がいやがおうにも目立ってしまっていた。周囲は見渡す限り山、通う生徒は殆どが近隣の居住者で、わずかに、遠方からわざわざ入学してくる一握りの寮生もいる。クラスは普通科と神道科に分けられており、遠方からの入学者の殆どがその神道科に属していた。宗教団体を基盤にしていることは、学校法人としてはよくあるケースである。そしてその信者や関連団体の信徒の子息が入学してくることも、もちろんしばしばあることだ。母体組織、八百万神祇会は日本に古来からある自然崇拝から発声した宗教、神道をベースに展開された団体で、しかしよくある他宗教団体とはやや性格を異にしていた。彼らの特徴はいわゆる教義を特別持たない点にあり、更には神道展開の学術研究や、地方の小規模な郷社村社などの運営サポート事業にその活動を割いている部分にもあった。別名「神社の互助会」とも呼ばれる団体だけあって、信徒数も俄然少なく、そして信徒への宗教的拘束も殆どない。元々神道事体、他宗教に比べてそうした拘束力や圧力は少ない。そして彼らの基本理念はまさにその辺りにあった。神々、目に見えぬ超常の存在を否定せず、畏れず、共存すること。それが彼らの掲げる唯一の教義のようなものであった。

 

「どうだ、いい環境だろ?」

「……田舎なだけだろ。何もねぇし」

長い廊下をただ歩きながら、少年と男はいまいち噛み合わない会話を続けていた。ぺったぺったと廊下にスリッパの足音が響いている。時折、窓の外から生徒たちの声が聞こえて、そこはまさに何の変哲もない、放課後の高校だった。男は苦笑を漏らして、己の母校に全く興味を持たない少年の横顔を見た。白く細く尖った顎と、日本人にしてはやや高めの鼻。瞳は、じっくりと見ていると灰青を帯びている事が解る。神和辰耶、十五歳。昨年、彼らの団体の職員に「保護」された、希有な霊能力者。男はその団体の職員だった。宗教団体に霊能者はつきものではあるが、ここまでそれらを肯定している団体で、その神秘性をひた隠しにしたい団体も珍しいのではないだろうか。神社の互助会的存在でありながら、彼らの組織にはそういった能力者が数多いた。それはその郷社、村社の維持にも必要不可欠であり、また、彼らの教義に乗っ取ってのことでもあった。超常の存在を否定しない。そしてそれらと共存するということ。それはまさに「神」と通じることだった。そしてその能力を駆使すること。少年はその能力ゆえに「保護」された。宗教法人というのは元々そうした奉仕精神に基づく活動もするものではあるが、特別な計らいと思惑を持って、更生させるために。

「明日からでも登校できるそうだぞ。制服はまだ待たなきゃならないが……誰かのお古でももらってやろうか?」

「だから俺は、高校なんて行く気はないって……」

「そうとんがるなよ。ここに大人しく通ってる間は最低の衣食住は本庁から支給されるし、したきゃバイトだって出来る。今までよりずいぶん生活も楽だぞ」

「別に、生活苦に喘いで助けてもらったわけじゃねぇ」

「確かに警察に取っ捕まってる間は、飯と寝る場所はキープできてたみたいだがな」

へへん、と、男は笑った。少年は眉音を寄せ、返す言葉もなくむっと唇を尖らせる。

「親御さんも、お前がここにいれば安心する。就職までエスカレーターで世話してもらえるんだ、有り難く思え、な?」

「飼い殺しの間違いだろ、それ。有り難くなんかねぇよ」

忌ま忌ましげに少年は吐き捨てる。男はその様子に、言葉もなく苦い笑みを浮かべただけだった。宗教団体に保護された霊能者がたどる道に、そう多いパターンがあるわけではない。下手な軍事組織に拾われなかっただけよしとするか、等と当人が思ったところで、拾った側には特別言い分もないだろう。うちは余所とは違う、という科白が口元に上りそうになりながらも、彼はあえてそう口にはしなかった。一人一人、受け取り方は違うものだ。もっとも、比較的いい環境に来たのは確かだと、内心思ってはいるのだが。

「大体、義務教育ってのは中卒までだろ?親許離れて自分で食ってくのの、どこが悪いんだよ?」

「ヒト様から金品を巻き上げようとしてたヤツの口が、よくそういう科白を吐けるもんだな。感心するよ、俺は」

男は笑いもせずにそう言ってのけた。少年は言葉が続かないらしい。ぐっと黙ってその視線を校舎の外に投げた。在来りな、田舎の学校の校庭が見える。その向こうには緑の深い山々。けれどそれ以外に、少年には見えているものがあった。見えている、と認識しているのはそうすることで正気を保つためだと彼は自覚していた。それは視覚でも、他の五感でもないものが感知している奇妙な「感覚」だ。胸くそ気分が悪い。自分の意志でなくこんな場所にいる、その為だけではなく。

「……おっさん」

「あのな、ぼーず。俺はまだ二十五だ。おっさん呼ばわりに腹の立たない年じゃ……」

「んじゃどう呼べってんだよ?名乗りもしてねぇのに」

不機嫌丸出しで少年が問いかける。男はその、やや間抜けとも言えそうな顔を更に間の抜けた表情に変えて、破顔すると言った。

誉田(ほんだ)だ。誉田八郎。よろしくな、ぼー……」

「ぼーずって呼ぶな。辰耶(しんや)だ」

冷たく、少年がにこりともしないで答えた。男、誉田はやれやれと肩をすくめ、それから改めて問いかけた。

「じゃあ辰耶。何か気になることでもあるのか?厳めしい面して」

「あんたは、何にも気になってないのか?ここいらが……」

何とも言えない場所だと言うのに、と、言いかけて辰耶はやめた。誉田は瞬間、呆気にとられたような顔になりはしたが、しかしあっさりこう答えた。

「ああ、ここのことか。言い忘れてたな。裏に山があるだろ?ここら一帯、その神域なんだよ」

言葉に、それまでそっぽを向いていた辰耶が振り返る。ぎょっとした顔で、しかし言葉はない。それを見て、変わらぬ顔のまま誉田は言葉を続けた。

「ここの学校にはお前みたいな手合いが一クラスずついるんだ。ま、ここに学校を建てたのはたまたまだったみたいだが、いい具合に線引きが出来てる。山神の狭庭を出ない限りいろんな意味で安全だぞ?」

「い……いろんな意味で、安全って……」

さしもの霊能少年も余りに淡々と綴られる男の言葉に辟易したのか、思わずそんなことを問い返す。誉田は、やはり平然として、

「何しろ百人近い超能力者がいるからなぁ。それもいろんなヤツが。三割は縁故らしいが、うちの団体と殆ど関わりのないのもいるし。神域ってのは便利でな、電磁バリアなんかよりよっぽど役に立つんだ。全く殺傷せずにいろんなものを阻んでくれるし、商売敵の同業者は近付けもしないし」

けろっとして言う誉田から、辰耶は疲れた面持ちで目を逸らした。そんなレベルでいいのか、と、無駄なほど整った横顔が言っている。見て、誉田は微かに楽しげな笑みをこぼした。ここにこうして訪れる子供の大半が、外では『異なった存在』として扱われていることが多い。しかし、ここではそうした差別的なものは殆どない。もちろん、全く無いとは言い切れないが。

「お前が危惧してるような危険は殆どない、安心しろ。言っただろう?ここなら親御さんも安心できる、って」

誉田の言い分に、辰耶は何も返す言葉はなかった。安心だの安全だの危惧だの、そんな問題ではなく、平然とそんなことが言えることに驚くばかりで。奇妙に不安げで意外そうな顔をしている辰耶を見ながら、何を思ったか誉田はにこにこと笑っていた。そして、

「そのうちお前もそういうのに慣れるよ。俺も最初はそーゆーのが平気でまかり通ってるのに驚いたが、それ以外は融通の利く、居心地のいいところだし」

辰耶は何も答えなかった。そんなことがまかり通っていいのか、と、口に出さずともその目が言っていた。何を言っても何をしでかしても、どんな呪能を持っていても、まだまだ子供だよな、と、誉田は笑いながら平和に、胸の中で思った。

 

校舎はごくごく普通の鉄筋二棟、四階建て、グランドは都心の学校には持てないレベルの広さを擁し、どこにでもある何の変哲もない、私立にしては地味目のものだった。学校のない地区にわざわざ建てられたこともあり、地方自治体からの補助もかなりあるらしいが、質実剛健もある意味教団のモットーとかで華美にすることはさけられている様子だった。

「とか言いながら、体育館とは別に二階建ての武道場があってなー……あれ?」

傾きかけていた西日は、すっかり真横から差し込んでいた。校内を巡りながらあちらこちらの説明をしていた誉田は、その説明を受ける相手がいないことに気付いて、辺りを見回した。はぐれた、らしい。あれあれと、自分の失態に胸中で呑気なコメントをして、誉田はぽりぽり頭を掻く。そんなに広くはないが、どこの廊下もまるで変わりのない光景だ。どこかの曲り角ではぐれたか、それとも巻かれたか。

「……逃げられた、かな」

自分で言って、誉田はようやく己の失態の大きさに気付く。まずい。この後まだ寮に連れていかなければならないし、その上ここで自分が彼を逃がしたら、彼を保護して身元引受人にまでなった宮司(会社組織で言えば部長クラス)に何を言われるか解ったものではない。さーっと、血の気が引く。思うなり誉田は踵を返して走り出した。廊下は走ってはいけません、と、彼自身がここでしつこく言われたことなどは、すっかり忘却して。

「おおーい、辰耶!どこだ?」

ぺったぺったと間抜けな足音が鉄筋の校舎内で大きく反響する。こけつまろびつ、滑りやすい廊下を彼は必死で逆走し始めた。

 

校舎の裏には山の裾野が、それもかなり広大な森林が広がっていた。戦後なされた針葉樹の植林を免れたのか、やたらと広葉樹ばかりが生えるその森の、やや小高い位置から、辰耶は校舎を眺めていた。あの男を巻いたのは、実は小一時間ほど前のことだった。前ばかり向いてやけに機嫌よさげに話し続ける背中を見て、これならいつでも逃げられる、と確信したのは比較的早い時間のことで、しかしただ何の芸もなく逃げるだけでは、と思ったのがその頃だった。そういう術に、己が長けていることは先刻承知のことだ。今まで犯罪めいたことを何度かしでかして、けれど未だにこうしていわゆるシャバにいられるのは、その術のおかげでもあった。学校に通うつもりはない、宗教団体の職員になる気もない。ただ自由に、何者にも縛られずに生きていきたいだけだと言うのに、大人と言うのはどうしてそれを許さないのか。もちろん、より豊かに生きていく為に手段を選ぶつもりは更々ないが。そんなことを思いつつ、辰耶はその場で溜め息を吐き、辺りをぐるりと見回した。どこの田舎にもある山である。けれどそれは、どこの山よりも彼の気に、勘に、触った。神域だと先刻誉田の口から聞いたが、ただそれだけの理由とは全く思えない。嫌な感じのするところだ。こんなところに人を三年も、いや、この山と関わりのあるところにこの先一生、縛り付けるつもりなのか。思うと、辰耶は一人、ひどくその眉をしかめた。冗談じゃない。そんなのはまっぴら御免だ。今でさえ己の能力を持て余していると言うのに、そのささくれ立った神経の上にまた負荷をかけるような環境に誰がいたいと思うものか。けっと吐き捨て、辰耶はそこから歩き出した。運が良ければ、あの男は他人から指摘されるまでずっと一人で、誰かを案内している気分でいられるだろう。『紛らわし』と自分で呼んでいる小術は、素人相手には程よく効いた。足が着かなくなる程度まで、かけられた当人は彼がそこにいると思い込み続けるのだ。端から見ていると危ない人間そのもので、逃げおおせる直前、その間抜けぶりにはいつも笑わせてもらっている。保護されたのは、それが効力をなさない人間と対峙したからで、彼に言わせれば運が悪かった、ということになる。彼はそれまで自分以上もしくは自分と同等レベルの能力者、もちろん自分以外の能力者にさえ出会ったことがなかった。故に「運が悪かった」のだと。

「逃げられたはいいけど……この山から、抜けられるかどうか、だな」

枝を広げる大きな楠の根元に腰を下ろし、辰耶は小さく呟く。山は、神域と呼ばれるだけあって様々なものの気配がしていた。彼の霊能は特に感応、気配を読んだり霊視をするなどして、何者かの存在を知ることに長け、またその正体を見抜く事に特によく顕されていた。だからその山に何かがいることも、何がいるかということも、自ずと察知できてしまう。今自分がいる場所には支配者がいて、その力は「嫌な感じ」を催させるほど強い。何とか逃れなければ、おそらくそれは自分を探し出して、何事かやっかいな目に会わせることだろう。特に何も無くとも、この場所はいるだけで疲れる。気分のいい場所ではない。とにかく移動しよう。思い、思いながらも辰耶はその場に座ったままでいた。行く宛がなかったのもそうだが、どうしてか一瞬、そんな気分が削がれた。疲れて体も重いし、もう少しここにいようか、と思ったその時、がさがさと茂みをかきわけるような音がして辰耶は目を上げた。何かが来る。何だ?

「あら、珍しい。ここでちいほ以外のコと逢うなんて。お前、何してるの」

視界に飛び込んだのは、セーラー服姿の少女だった。濃紺の襟に白い線が二本入ったその制服は、ついさっき辰耶が見学していた学校のものと同じだった。腰ほどまで伸ばした黒い髪と、黒目がちで、あまり大きくない瞳。少女は驚きを浮かべたまだ幼い顔で、そう言って辰耶の前へと躍り出た。一瞬辰耶はその身を固くするが、すぐにその緊張を解いた。おびえたりする必要はない。見た感じ、ただの女子高生じゃねぇか。そう思った辰耶は渋々ながらも口を開いた。

「……迷ったんだよ。で、疲れたから座ってんの」

「へえ、そうなの。どこへ行くの?」

くす、と、少女は笑い、まるで警戒もせずに辰耶のとなりに腰掛けた。ちらりと辰耶が目だけ向けると、少女は微かに驚いた顔になり、そして無邪気なほど素直に言った。

「綺麗な顔ね。すごいわ」

かくん、と、辰耶の肩が微かに落ちる。言われ慣れてはいるものの、そこまでまじまじと見られ、改めてそんな科白を吐かれると照れ以前に呆れてしまうのが彼の常だった。

「ねえ、正面からその顔をよく見せてくれない?お前、とても美人よ?」

同じような年頃の少女から顔の作りを手放しで絶賛された少年は、その顔に不機嫌も露にこう言い返す。

「……俺は人形や展示品じゃねぇ。そうやってまじまじ見られるのも誉められるのも大嫌いだ。大体失礼だろ?初見の相手に顔見せろ、なんて」

「そう?誉めているのに?変なの」

小首を傾げ、少女は事も無げにそう答える。がくりと今度は首を落とし、辰耶は呆れながら今一度彼女を見やった。無邪気、というよりどこか動物のような目をした少女は、そのまま不思議そうに辰耶をじっと見つめていた。日本人形を思わせる長い黒髪と、涼やかで小さな瞳。顔は白く、ややもすると血色は良くなさげだ。何だ、この女は。人を見るなり顔を誉めて、良く見せろ、だなんて。やや憤りを感じつつも、辰耶はそれ以上何も言わなかった。放っておいたらきっとそのうちどこかに行くだろう。そんな具合に軽く予想してのことだったが、しかし。

「ねぇ、迷子なのね?山で迷うなんて、お前ここのコじゃないの?」

少女はそんな具合に、新たに疑問を辰耶に投げつけた。問われた辰耶はむっとしながら、しかし一応、それに答えようとする。

「まー、そんなトコ……」

「一体何をしに来たの?山に、何か用なの?ここまでどうやって来たの?どこまで行きたいの?」

しかし、そんな辰耶の答えを聞く前に、少女は矢継ぎ早に言葉を投げ続ける。辰耶は答えようとタイミングを図るが、何も言えず、

「うるせぇ、そんなにポンポンモノ言うな!」

「だって解らないのだもの。聞かなくちゃ」

怒鳴り返すが、それさえ少女には痛くも痒くもなさげだった。目をきょとんとさせて、さも当然だと言わんばかりに、少女は答えを待っている。辰耶は、二秒ほど沈黙した。何と言うマイペースだ。他人の事なんかまるで構っていない。むしろ思い通りにならないことに、出会った事もないみたいだ。二秒でその程度の思考を繰り広げた彼は、その後大きく溜め息をついた。仕方がないから、全部に答えてやるしかない。でないとこの手の女は、きっと黙ったりしないだろう。思い、辰耶は息を吸い込んだ。問いかけに答えるべく。が、しかし。

「一体何をそんなに怒ってるの?どうしてそんなに綺麗な顔なのに、くしゃっとさせてるの?眉根が痛くない?あら、良く見ると目が青いわ。外津国(とつくに)の人?」

「ちょっと黙ってろ!答えられないだろ!」

今一度、耐え兼ねて辰耶が言った。少女は再び目を丸くさせ、そのままの顔で言った。

「もう答えはいいわ。お前のことなんか、本当はどうでも良いもの」

「しつこく人に色々聞いといて、その言い草は何だぁ!」

その言葉に、辰耶の堪忍袋の緒が切れた。絶叫とともに立ち上がり、辰耶はそのまま彼女を見下ろす。気紛れで人の気分をまるで気にしない少女は、未だきょとんと目を丸くさせ、何が起こっているのかさっぱり解らない様子で辰耶を見上げていた。何だ、この女は。どっかおかしかないか?人の顔を見るなり綺麗だとかぬかしやがって(言われ慣れてるけど)ポンポン色々言いやがって。挙げ句どうでもいい、なんて。気紛れの度がすぎやしないか?もしかしてキテる類か?怒りとともにそんな事を思いながら、辰耶は睨むように少女を見下ろしていた。しかし彼女は、やっぱり変わらない顔でそんな辰耶をただ見上げている。そして、

「下品ね。短絡的で。良いのは顔だけみたい」

「なっ……」

怒りの余り、言葉が途切れる。何だと、と怒鳴りつけられず、辰耶はそこで息を詰まらせ、しかしそう言った少女をただ見下ろすことしか出来ないでいた。これがその辺の不良少年の類だったら、罵声とともに顔に蹴りの一発でも食らわせていただろう。人を揶揄うだけ揶揄って、馬鹿にしやがって。怒り心頭、罵声の一つも浴びせなければ気がすまない、思ったその時、少女がふいと辰耶から視線を反らした。そして。

「ちかげ、ここか!」

ザッ土を噛む音がして、そこに人影が躍り出た。思わず辰耶もそちらを見やる。長い髪を振り乱して息を弾ませた、その場に座る少女と同じ服を着たまた別の少女がそこにいた。頬を紅潮させ、やってきた少女は辰耶に気付きもせず、座り込んでそちらを見ている少女のそばへと駆け寄り、しゃがみこむ。

「ちいほ。今日はうまく隠れられた?顔が真赤。駆けてきたの?」

座っていた少女は駆けてきた彼女にそう言って笑いかけ、その両腕を開いて伸ばす。抱きつかれた、駆けてきた彼女は少し怒った目をして、無邪気な仕種の相手にこう言った。

「うまくも何も。ここで隠れんぼはやめようって、昨日言ったばかりなのに。どうして勝手に来たりする!」

「だって、楽しいんだもの。私、このお山大好きだし。ちいほが一生懸命追いかけてくるのかと思うと、嬉しくて」

抱きつかれた少女は、抱きつく側の言葉に呆れたように溜め息をつく。そして、その側で自分達の様子を呆れた顔で見下ろしている第三者にようやく気付いて、その瞳を瞬かせた。抱きつく腕を無理矢理解いて、彼女は一人、立ち上がる。

「君は?こんなところで、何を……」

視線がこちらを捕えて、辰耶はわずかに緊張した。長い、腰ほどまである黒髪は駆けてきたためか乱れて、頬はほんのりと紅潮している。黒い瞳はあまり大きくなく、眼光は鋭くこちらを睨んでいた。良く見ると、雰囲気は違えどもその二人の容姿は酷似していた。加えて同じ制服を来て、同じ色のリボンをしている。双子か、と、辰耶が思った頃、未だ座ったままの不しつけで無邪気な少女はこう言った。

「迷子なのよ。どこへ行くか解らないの」

「迷子?」

自分を睨めつける少女の表情がことさら厳しくなる。辰耶は迷子だと言われた気恥ずかしさと、その鋭い視線に負けまいとする気持ちとで、わざと打切棒に言葉を放った。

「……何だよ。ここじゃ迷って困ってる人間に、そういう態度とるのかよ?」

しかし、迷っているのは事実なので、調子はあまり強くない。くすくすと、座ったままの少女は笑い、傍らの少女に更に言葉を投げた。

「ウサギ程度よ。睨んだら、可哀想」

「誰がウサギだ!」

迷子のウサギ扱いされて、思わず辰耶が激昂する。正面の彼女は、言葉の後ですぐにその険しい表情を解いた。そして、その視線を座り込んだ少女に向け、言葉を紡いだ。

「迷っているなら、案内する。ほら、ちかげも。帰ろう」

手をさしのべられ、座っていた少女が立ち上がる。辰耶は逆に気分を悪くさせ、

「よけいなお世話だ!そいつもあんたも、失礼窮まりないって言葉、知ってんのか?」

「ちかげが何か気に触ることをしたなら、謝る。私のしたことも、気に触ったみたいだし。申し訳なかった」

逆上した辰耶に、事も無げに彼女は言ってぺこりと頭を下げた。横柄ではあるが、それは礼儀に叶った態度と謝罪に思えて、辰耶は怒りも忘れてそこで閉口する。何だ、この女。奇妙に鋭い視線と、年に似合わない落ち着きを備えたその様子に、辰耶は驚いていた。埃まみれのスカートを叩き、二人の少女はそこから歩き出そうとする。

「私は今から学校に戻る……君はどこへ行くんだ?」

「え?あ……いや、俺は……」

その落ち着きが言葉づかいから伺えることに気付いて、辰耶はようやく我に返った。どこへ行くのかと訪ねられて、しかし同じ場所に行きたいと微塵も思っていない彼は、その場で戸惑い、

「学校まで行けば、バス停も近くにある。移動するには好都合だと思う」

「あ……うん、じゃあ、まあ……」

彼女の申し出に曖昧に答えて、二つのセーラー服の背中について、どこかおぼつかない足取りで歩き出したのだった。

 

山裾の森から一歩出ると、そこはすでに学校の敷地内だった。踏み固められたグラウンドの土が足裏に着くと、辰耶はやれやれ、と溜め息を吐いた。セーラー服にローファーではおよそ楽な道程でなさげなやや険し目の、道とも崖とも言えない場所を、二人の良く似た少女達は談笑などしながら事も無げに歩いていた。余程慣れているのだろう。途中、体力がないのね、等と失礼な方、ちかげに言われながら、辰耶は自身そのことを自覚しつつも、黙って二人について歩いた。きりりとしたしっかり者、ちいほは、後からついて下りて来た辰耶がやれやれと息をつくのを見つけると、何気にこう問いかけた。

「転入生か何かか?」

声に、辰耶はそちらを見やる。そして軽く笑うと、

「別に。たまたまここの山に入ってただけだ」

「たまたま?」

言葉に、ちいほがわずかに眉を寄せた。何か変なことでも言ったか、と辰耶は思いはしたが、しかしそれもあまり気に止めず、辺りを見回して彼女に問い返す。

「で?そのバス停って、どこらに……」

「辰耶!」

あるんだ、というより先に、どこからか飛んできた声に辰耶は思わず振り返った。げっ、とでも言いそうな顔つきになり、辰耶は思わず言葉を漏らす。

「やべ、見つかった」

「いなくなったと思ったらこんなところに!どこに行ってたんだ!」

ばたばたと、先程の案内役兼監視役の男がそこに駆けてくる。辰耶は踵を返して逃げようとしたが、はし、とその手を捕まれ、またそれに驚いて振り返った。左手首をしっかり、ちいほが握り締めている。とっさに辰耶は叫んだ。

「何だよ、離せよ!」

「あの人は君を探していたんだろう?どうして逃げるんだ」

「うるせー、あんたには関係ないだろ!」

「関係ないとも思えない。後ろから、生活指導も一緒に来る」

まるでその顔色を変えず、ちいほは少女らしからぬ声音で言ってのける。辰耶はその手を解けず、うう、とその場で小さくうめいた。観念するしかないのか。それとも、まだ逃げ出せるだろうか。思った直後、辰耶はちいほから逃れようと試みる。が、しかし。

「動くな!」

駆けてくる男の叫ぶ声の直後、体が硬直した。びくんと肩が跳ねて、何事かに気がついたらしいちいほが、その手を離す。

「本部の職員が連れてきたのか……道理で」

「……何が、道理、だよ」

何事にも動じない少女は妙に納得した口調で言って、辰耶から視線を反らした。すぐにも、辰耶を逃がした男、誉田がその場へやってくる。

「ったく……人に幻視なんかかけていきやがって。危うくクビが飛ぶところだったぞ」

人のことが言えるか、金縛りなんかかけやがって。身動きの取れない辰耶は胸中でそう毒突いた。がっし、と、その手首が今度はやや無骨な手に捕まれ、辰耶はち、と小さく舌打ちした。誉田を追って駆けてきた、三十代後半と思しき眼鏡とジャージの女性教諭は、追いつくとまずその視線を辰耶に、それから、傍らにいたちいほへと投げ、眼鏡の奥の目をわずかに見開かせた。

「松浦……彼を保護してくれたの?」

「裏山で迷っていたので。転入生ですか?」

「ああ……そうよ。一年に編入するんですって。本庁の伝で」

何気ない会話が二言、三言交わされる。そうですか、じゃ、と言い残し、ちいほはその場をすぐさま後にした。残された辰耶は、誉田に捕まって険悪な顔をしている。

「さー、今から寮に行くぞ!で!今後一切こういうおイタをしないようにだなぁっ」

「だから俺は高校なんか行く気はねぇっつってんだろ!」

金縛りは緩められたらしい。しかし捕えられたままで、辰耶は力一杯叫んだ。

 

在来りなほど在来りな転入生の話題は、しかし余りに在来りすぎて翌日にはほとんど誰の口にも上らなかった。学校は、実は団体の行なっている奉仕的活動、素行不良その他で保護されているごく一般の青少年の更生などにも貢献していて、いわゆる不良少年の扱いにも慣れていたし、それらは余りにもその場ではありふれた出来事であった。授業をさぼる、だの、教室で暴れる、だの、器物破損、だの。転入生がやってくるとたびたび繰り広げられるその事件に、生徒達も教師達も、そして近隣住民達も、何やかやと慣れていたのである。変な話ではあるのだが。故に。

「授業ボイコットなんてのはざらにあるから。その程度で堪える職員室じゃないよ」

と言うのが、毎日最低一時間は教室にいない辰耶がもらった、クラスメイトの言葉だった。やや気落ちする。ここでいわゆる社会不適合者のフリをして騒ぎを起こして追い出されようとしても、どうやら無理らしい。

「じゃあ、強制退学、なんてのは、ありえないのかな」

「ほぼ皆無だよ。神道クラスに本庁の伝で転入したなら、尚更」

自分も似たような具合にここに入学した、と言うクラスメイトは淡々と辰耶に説明し、それから、やや面倒そうにこうも付け加えた。

「別にどうしようが個人の勝手だけど、無駄骨折る羽目になりかねないから、反省文書かされない程度にしてたほうが得策だよ」

何と言うか、宛も外れればやる気も失せる忠告である。俺は来たくてここに来たんじゃねぇ、と辰耶が付け加えても、その回答の内容にさほどの変化はなかった。

そんなこんなで、一カ月が過ぎる。誉田やその他の大人に言われたように、この学校はそれまでの場所とはひどく環境が違っていた。神域の中と言うこともあり奇妙な感覚は拭い去れないものの、それを除けば至ってのどかな農村の高校である。農業高校でないのが不思議なくらいだ。奇妙に綺麗すぎる顔と、他人に対していつも神経を尖らせている態度、加えて近寄りがたい特殊な気配をまき散らしていた辰耶は、その中ではすんなり受け入れられ、あまりの手応えの無さに本人が驚いていた。いや、何しろ回りもそれまで彼とほぼ同じだったのだ。集団の中で孤立し、特別視され、腫物のように扱われ。しかしここでは誰にとっても勝手がずいぶん違っていた。感情を剥き出しにすれば誰かに悟られるし、閉じ込もろうとしても誰かに悟られる。何しろ怒りに任せて行動しても、相手の被るダメージがそれまでと比較的にならないほどに小さい。良くある喧嘩もできなかった子供達は、しないに越したことはないが、そういう意味でも普通の環境をようやく手に入れられたのである。もっとも。

「センセー、今日飯綱さん、寮で管狐ばらまいちゃってー、後始末で休むってー」

「またか。あいつも懲りないと言うか、良くやるなぁ。飯綱、欠席、と」

とかいう会話には、ちょっぴり着いていけない辰耶ではあったのだが。

 

そんな具合に、当初毎日最低一時間欠課、の辰耶の素行が、毎日最低二時間授業中に昼寝、に変わりつつあったある日の放課後のことだった。

「なー、神和、お前部活とかしねーの?」

「んー、キョーミねーもん。寮戻ってすることもあるだろ?掃除当番とか」

「まーなー。でも栖軽(すがる)とかは毎日、ここの道場で『鍛練かねて』やってるぞ

気心の多少知れつつあるクラスメイト達と、その日も辰耶はだらだらと、学校から寮への帰途を歩いていた。何しろ他に寄り道をする場所もない田舎である。些細なことでも教師達には筒抜けで、真実下手なこともしようのない環境であるので、放課後に特に予定のない彼らは直帰するのが当たり前となっていた。もちろん他に予定の組み様もあるのだが、部活動をするのもその他サークル活動をするのも、ボランティアのようなものに参加するのも辰耶の性格ではなかった。『鍛練を兼ねて』何がしかするなど思案の外である。毎日のように暇だ暇だ、けれどすることもないとぼやきつつ、寮で眠くなるまでの時間を過ごすのが、彼らの習慣となっていた。物好きにも、この辺りを散歩しようと言う人間もいないでもなかったが、それは辰耶にしてみれば捨て身の行為に近しく、絶対に実行などしたくないことの一つでもあった。

「鍛練……保護されてんのに、良くやるよ」

「ほら、栖軽は将来属望されてんじゃん。あいつ多分本庁行きだろうし」

数人の、ほぼ自分と同じ境遇の少年達と歩きながら、特に興味があるわけでもない世間話を、辰耶は聞き流していた。正門から寮まで、徒歩で約二十分。ここに連れてきた世話役、誉田の言い分では「きりきり歩けば十五分ですむ」らしかったが、その辺りは歩く本人の決めることであって、辰耶の与り知ったことではなかった。そんな具合にぶらぶらといつもの道を歩き、何気に目を上げたその時、偶然その視線の先にいつかの黒髪を見つけて、辰耶は足を止めた。話をしながらのクラスメイト達は辰耶を四、五歩分置き去りにし、気付いてその辺りで同じく足を止めた。

「神和、どうかしたか?」

「何かいたのか?変なの」

「や……そーゆーんじゃなくて」

変なのに出くわすのが日常らしく、そんな問いかけが投げられる。殆ど無視して、辰耶はその黒髪を視線で追いかけていた。学年が違うらしく、あれ以来まったく遭遇してはいなかったが、その後ろ姿はまごう事なくあの時の少女のものだった。ちいほ、だか、ちかげ、だか。いなくなった片割れを探しているのか、頭は左右に幾度も振れて、その様子から慌てていることが見て取れる。辰耶はそちらに向けて何故か歩き出していた。その慌てぶりが尋常に見えなくて、変に気にかかったのだ。

「あ、おい神和!どこ行くんだよ!」

「飯までに帰るから。寮のババアにそー言っとけ」

一人、辰耶は列を離れる。背後から、見ろよあれ、三年の女子じゃねえの、とようやく高校生らしい声が聞こえる。それも無視して、辰耶は黒髪の少女に駆け寄り、慌てていてこちらにまるで気付かない彼女に声を投げた。

「おい、あんた」

びくりと、セーラーの肩が一瞬跳ねる。長い黒髪を振り乱して、少女は驚いた面持ちでそちらに振り返った。

「……君は、いつかの……」

「また相方、どっかに隠れてんのか?」

近付くと、汗に塗れた顔が紅潮している様子が見て取れた。スカートも多少埃っぽくなっている様子で、足下も、わずかにふらついている。

「あ……うん。君は……」

「ったく、しょーがねーヤツだな、あの女は。しょっちゅうこんなんなのかよ?」

呆れ口調でいまいましげに言って、辰耶は大げさなほど大きく溜め息を吐く。突然現れた彼の態度と物言いに何事かと少女は目を見開き、そしておずおずと、改めて口を開いた。

「あの……君は、何を……」

「俺、こーゆーの得意だから。一緒に探してやる……つーか、見付けてやるよ。こないだの礼もかねて」

少女は唖然として、ふてくされたような彼の横顔を見つめていた。辰耶はふてた顔のまま、そんな彼女に問いかける。

「あんた……ちいほ、だっけ。俺は神和辰耶」

「松浦……千五(ちい)()だ。神和くん、君は……」

どこか呆然とした顔で、松浦千五穂と名乗った少女が問いかける。辰耶はにこりともせず、目の前に広がる山裾の森を眺めてこう言った。

「一学年に一クラスあるだろ?そーゆー人種だよ。ま、ここじゃテキトーに探すのは、無理っぽそうだけどな」

言って、今度はくるりと踵を返す。千五穂は何が何やらと言いたげな顔のまま、何も言えずに辰耶をただ見ていた。

「どっかに水盤……バケツでいいや。あと清水の湧いてるとことか……」

「水鏡?術者なのか……」

一人ごちるような辰耶の言葉に、思わず千五穂がそう反応する。物分かりがいいな、と今一度辰耶がそちらを見やると、彼女は困ったようにそこで笑っていた。

「残念ながら、あれはそういうものでは探せない。誰がやってみても、気配と勘で森の中を巡るのでしか見付け出せた試しはない」

どうやら、同じ人種の生徒らしい。言葉で何気に感じ取って、しかしそんなことよりも、と辰耶は胸中で思った。困った顔は奇妙な自信を浮かべていて、辰耶にはそれが気に入らなかった。微かに眉を寄せ、辰耶が反論する。

「水鏡で追いかけられないって……やってみなきゃ解んねぇだろうが。あんただったら逃げられるとか、言うんじゃねえだろうな?」

「それで追えるなら、毎日追いかけ回したりなんかしていない」

「ま……毎日?あの女、毎日隠れんぼかよ?授業出てんのか?」

思わず辰耶は叫ぶ。千五穂は困ったように笑って、その顔を山裾の森へと今一度向けた。

「これは私とちかげのことだから。君は帰る途中だったんだろう?構わず、寮に戻れ」

言って、千五穂はその視線の先の茂みに向かい、歩き出す。目でわずかに追って、辰耶はその背中に向かって声を投げつけた。

「帰れって言われて、はいそーですかで帰れるか!この俺を誰だと思ってやがる!本庁の宮司も舌を巻く巫覡(かんなぎ)、神和辰耶サマだぞ!」

言葉に、千五穂はわずかに振り返り、

「過剰な自信は身を滅ぼす。そういう口は利かない方が身のためだ」

「なっ……何ぃ!」

感嘆の声一つ漏らさないあまりの冷静さに、辰耶は逆に激昂して思わずそう叫んでいた。自信過剰な彼を置き去りに、千五穂はわずかに疲れた足取りで、木々の中へと足を踏み入れる。チキショー、馬鹿にしやがって。胸中、汚い言葉で罵って、辰耶はその後に続くように、森の中へと足を踏み入れた。

 

神域の森と呼ばれるその森の規模は、実はかなり大きい。森を通って山を越えれば、高校の所在がある村を出て、となりの町村にまで渡っており、一口に気配と勘を頼りに足で探すと言っても、容易なことではない。

「いつかは探している間に夜になってしまって、気付いたら私が探されていた」

「って……そんなメーワクな隠れんぼならやめさせろよ」

いつのまにやら、二人は並んでその森の中を歩いていた。神域の森は、人の手が殆どと言っていいほど入っておらず、道もろくに付いていなければ下草も生え放題で、学校の制服ではとうてい歩きにくい場所であった。辰耶はともかく、千五穂はプリーツのスカートである。時折茨の刺にそのスカートを引っかけて、けれどあまり気にしていないのか、しっかりとした足取りで山深くへと入っていく。

「なあ……あんた」

「何だ」

高校生にしても、年上にしても何だかしっかりしすぎているその態度、口調を観察しながら、辰耶はいろいろを詮索しないではいられなかった。今までにも変わった人物にあった事がないわけではない。自分の性分上、真面とは言え無さげな人種とも、おそらく一般の多くの人達よりも接触していることだろう。けれど何だか、こんなのは初めてだった。彼の主立った呪能は感応である。人よりも敏感に様々を感知し、それを良く識る事ができる。だから彼女の態度にも、何やら決意や、立場や、そんなものさえ感じ取ることができるのだが、何やらそれ以上に、彼には変なものが感じられていた。全てが解る訳ではないし、何か術をとらなければ読心など出来もしない。だからそれは全くの憶測なのだが、

「いつも一人で、あいつ探してるのか?」

「そうだ。それが?」

「あんたも俺と御同類なんだろ?あんたのクラスメイトも。だったら誰かに手伝ってもらえば……」

「他人に迷惑はかけられない。これは私の責任だから」

「……じゃあ、本庁のヤツらに……」

組織本部の通称が出て、千五穂は何気に辰耶を見やった。じろりとにらみつけられて、辰耶は思わずたじろぐ。

「な……何だよ。だってそうだろ?そーゆーために俺達、ここにいるんだろ?」

「君も帰りなさい。遅くなると寮母にしかられる」

にべもなく、千五穂は言った。辰耶はその眉根を寄せて、その唇をむっと突き出す。そして、

「……もしかして、そんなだから誰も手伝ってくれないとか、そーゆーヤツかよ?」

「何が?」

「あんたの態度だよ!」

辰耶が感情も露に叫ぶ。千五穂はその言葉に目を瞬かせ、それからわずかに首を傾げた。何を言い出すんだ、と言わんばかりの表情に、ますます辰耶は感情的になる。

「そうやって他人を遠ざけるとか、今までしてきたのかって聞いてるんだよ!」

「……言っていることは良く解らないが」

今度は千五穂が眉根を寄せ、そんな風に言葉を紡ぎ出す。

「これは私の問題で、君とは関わりのないことだ。本庁も、大体のところは知っているはずだし。それで特別監視もしていないと言うことは、そういうことなんだろう」

「それって……解ってて無視してるって言うのか?なんで?」

「話したところで埒も明かない。遅くなる前に帰りなさい。着いてくると言うなら、少し黙ってほしい。やかましいと気配を探れない」

静かで落ち着いた口調で、それでも力強く言われて、辰耶はぐっと声を詰まらせた。一体全体どういうことなのか解らない。毎日神域の山の中で隠れて遊んでいるような人間がいて、それを毎日探す者がいて、それが夜遅くに及んで山狩りまでされると言うのに、根本的な解決をしようとしない、なんて。驚きと、失望と、憤りとが辰耶の中に沸き上がる。ここの奴らも、何だかんだといい条件や環境を提示して、していることが結局これか。これじゃ余所で人外扱いされているのと、変わりなんてないじゃないか。思い、辰耶はそう口にしようとして、それを途中で思い止まった。千五穂は突然立ち止まり、その場で目を閉じて、瞑想するようにわずかに俯く。意識だけで何かを追いかけていることは、同種である辰耶にも見て取れた。同調すれば、何を見ているのかも解るだろう。できないことはない、してみようか、と思ったその時、千五穂は眠りから覚めるようにその目を開き、顔を上げて言った。

「この奥にいる。見付かった」

「……へ?」

間の抜けた声で辰耶が問い返すように言う。千五穂は振り返りもせず、今顔を向けているその方向に、駆け足で向かっていった。一人、僅かの間取り残され、慌てて辰耶はその後を追おうとする。が、しかし。

「あら、千五穂はあっちへ行っちゃったわね」

その声は、背後から聞こえた。高く、鈴を転がすような、少女の声音。反射的に振り返り、辰耶はその場で叫ぶように言った。

「ち……ちかげ?」

黒髪と紺襟のセーラー服の、目許涼しい少女がそこにいた。血色の良くない顔で、少女は無邪気に言葉を紡ぐ。

「あら、ウサギと同じだと思っていたのに、物覚えは良いのね、お前」

ざくざくと、千五穂の足音がその場から遠ざかる。辰耶はそれに気付いて、とっさに走り出そうとする。が、

「どこへ行くの?向こうには何もいないわよ」

「って……あんたな!」

「あら、恐い顔。お前、千五穂と一緒に、私を捜しに来たのでしょ。どうしてそんなに怒るの?」

にこにこと、ちかげは笑っていた。殆ど千五穂と同じ造形の顔は、まるで悪魔のように無邪気で罪のない笑顔で、己のしでかすことにまるで頓着しない様子で更に言葉を綴った。

「ちかげが千五穂をむこうに行かせたの。だから全然、怒らなくても平気よ」

「あいつはあんたを捜し回ってたんだぞ!怒るとか怒らないとか、そういうっ……」

「千五穂だって怒ったりしないわ。だって千五穂は、ちかげだもの」

くすくすと、無邪気で、けれどどこか無気味な気配をまとった少女は笑った。辰耶は一瞬息を詰めて、そんな彼女を凝視する。が。

「お前と話してみたかったの。少しここで、ちかげの相手をしなさい」

事も無げにちかげは言って、手近な木の根元に腰掛けた。何だろう、これは。奇妙な違和感を感じながら、辰耶は何も言わずにそれを目で追った。

 

山陰の某地方に、その家は連綿と続いていた。口伝では南北朝の頃からだと言うから、ずいぶんと古い一族だと言うことになる。しかし本家筋は昭和初期に絶えてしまい、その何代か前に遡った分家の、更に分家の末裔がわずかに古いものを残しているに過ぎなかった。太古神法松浦流。伊勢神道の流れを汲むその流派は代々女子が継承し、伝わる術はかつての斎宮の行なった術だと言い伝えられている。中でも折符を使った呪術をよくし、中にはたった一枚の折符に命を込める、そんな術さえ存在するという。

「折り紙に命を吹き込む?式神みたいにか?」

「式神?余所ではそうなの?ちかげは『織神(オリガミ)』と思っていたのだけれど」

他愛のない様子で、そう言ってちかげは笑っていた。辰耶はいぶかしげな顔で、くすくすと笑っているちかげを、注意深く見つめていた。この女は、何かがおかしい。話す様子も態度もだけれど、何かが、何だか変だ。それはここで再会して、彼がすぐに感じたことだった。最初に会ったその時には解らなかったものが、僅かながら今の彼女からは感じられていた。それは、非常識窮まりないだとか、そういう意味ではない。体の奥から何者かが、彼の意識に警告しているのだ。彼の呪能は感応に長ける。長けると言うことは、何かがおかしいと察知するのみならず、それをある程度識別できると言うことだ。なのに。

「……へぇ、そうなんだ。それで」

言いながら、辰耶は笑うちかげを観察していた。どうして解らないんだ、これが。胸の中で、そんな風に呟きながら。ちかげは笑いながら、得意気に、更に言葉を紡ぐ。

「千五穂は、そこの子なの。偉いのよ?ちっちゃな頃からずっとがんばって、ちっちゃな時からそれができたの。みんなびっくりしたわ。父親なんか手放しで大喜び。ちいほ、お前は偉いな、すごいな、って。それはもう、家中が大騒ぎよ」

「へぇ……それで」

無邪気に、ちかげは笑っている。辰耶は聞くでもなく聞かされる松浦千五穂の経歴に、多少の関心もしつつ、意識はちかげに極力集中させていた。解らない何かがあって、体の奥から自分自身が何かを警告している。危険だ、とも、尋常でない、とも。しかしそれが何ゆえであるのかが、まるでその部分に霧がかかったように、ぼんやりとしてはっきり感じられない。この感じは一体なんだろう。こいつは一体、何者だろう。

「でもね、千五穂は悪くはないのに、困ったことが起きたの。余所の紙切れ一枚の式神と違って、千五穂の作った子は、とても複雑なものだったの。返したり、消したりしたら、それはもうそこにいなくなるでしょう?でもその子は消えなかった。帰らなかったし……帰るところなんて、ないのだもの。当然よね」

ちかげは、笑うのをやめていた。不思議に悲しげに瞳を閃かせ、自分を警戒しながら見つめている辰耶を見やると、ぽつりと、小さく呟いた。

「お前……その体を、おくれ」

「え?」

ゆらりと、腰掛けていた気の根元から、ゆっくりちかげは立ち上がった。言葉にぎょっとして、辰耶は思わず問い返す。

「もうこの体はもたないの……でも、千五穂から離れることは、できないから」

わずかに辰耶は後ずさった。それは確実に、自分が感じている恐怖であり、そして確信だった。そこにいるのは人間ではない。それは、生身ではない。いやしかし、確かにそこには少女の姿が見える。長く伸ばした黒髪と、紺の襟と白い袖のセーラー服の、彼女とまるで同じ顔つきの。辰耶の背中に冷たいものが走った。そして同時に確信する。違和感は、これだったのか。ごくりと、辰耶は息を呑んだ。そうして気付いたその事実を、その口の端に乗せる。

「お前……折り符の……」

「そうよ、良く解ったわね。私は、千五穂の折った折り紙なの。最初は小さなお人形だったわ。歩いてみせたら、千五穂は喜んでくれて。名前をくれたの。『千景』って」

辰耶は驚きのあまり言葉を失った。じりじりと後退り、自分が感じ取っていたものの曖昧さに、今更ながら心中で舌打ちする。ここは神域の森だ。支配者の気配でいらいらするほどの場所だ。感覚が狂ってもおかしくはない。けれどそれでも、ここまで鈍くなっていようとは。思いながら辰耶は今一度息を飲み込んだ。そして、再び口を開き、言葉を紡ごうとする。

「折り符の式神が……なんでそんな外見なんだ?折り紙の人形じゃなくて……」

「この姿?良くできているかしら?一生懸命、千五穂をまねたの。ちいほ、驚いていたわ。でも大丈夫だと言ってあるわ。この姿で私を見られるのは、千五穂と、よほど目がいい子だけだもの。でも千五穂は心配して、私を隠すために必死になってくれた。だって私も、千五穂のところにいたいもの。お前達ごとき人間風情に……消されてたまるものですか」

すっと、ちかげの右腕が上がった。それは辰耶に向かってまっすぐ伸ばされ、宙でその手先だけが、閃くように返される。びしっ、という音が聞こえたかと思うと、辰耶の体はそこに硬直した。驚く間もなく、ちかげは言葉を紡ぎ続ける。

「千五穂とずっといるために、私は人の息を食べて、別なものに変化したの。ずっと千五穂といるために、千五穂のそばにいるために、私は変化になったの。ここに来ても、ずっと千五穂といられるように、お前みたいな器を、ずっと探していたわ。でもお前みたいに、綺麗で、頭の良くて、目のいい、鼻も利く、感じやすい良い器はなかったわ。千五穂と並べても、見劣りもしないのだもの。お前の体は、変化でなくても、たくさんの良いモノも悪いモノも欲しがるでしょうね。でも駄目よ、他のモノには渡さない。私はお前の体をもらって、変化でなくなって、神に近しくなって、永遠に千五穂を守ってゆくのだもの。千五穂とその子供達と、千五穂に連なる全てを、私が守るの。千五穂が私を作ってくれたのだから、私は千五穂をずっと守るの」

表情が、どこかうっとりとしたものへと変わっていく。息も吐けず、辰耶は硬直したまま喘いでいた。変化。神でも人でもない意志体の一種を呼ぶ呼称である。多くは人の手で使われた道具などから発生し、人の息、特に溜め息の中に籠もった残留思念を食べて成長する。それは人の心から生まれたものであり、また、人の心を食らうものでもある。

「お前は、あいつのこと、そんなに大事、なのにっ……」

喘ぎ喘ぎ、辰耶は言葉を紡ごうとする。ちかげはその目をしばたたかせ、艶然とした笑みを浮かべ、先んじて彼の言葉を奪った。

「どうして困らせていたのか?お前は愚かね、ウサギ並みだわ。ここにいないと、千五穂は困るのよ。あそこには、千五穂よりも目のいいものもたくさんいるわ。だから山に隠れて、神の気配に紛れていないと。誰に見付けられるか、解らないじゃない。そしてもし、千五穂より強いものに消されてしまったら、千五穂がどうなってしまうか解らないでしょ。私は千五穂の「景」なのだもの。私に力が及んだら、千五穂にだって及ばないことはない」

だから、と、その唇は言った。徐々に、辰耶の感覚は麻痺していく。それは目の前の折り符から転じた変化の術に違いなかった。聴覚と、それに酷似した感覚が薄れていく。視覚と、それに似たものもまた、ゆっくりと奪われていく。

「だから別の新しい体が要るのよ。綺麗で便利で、誰にも消されない、何モノにも嫌われない、お前の体が」

頭の奥がしびれていく。全身の、皮膚の感覚までもが麻痺していく。このまま自分はこの変化に、その意識を全てとられてしまうのか。食われるのか、追い出されるのかは解らないが、肉の体を奪われてしまうのだろうか。昏くなっていく意識の中で辰耶はそんなことを思った。同時に、千五穂が水鏡を使っても探せないと言っていたことや、やけに焦っていたことを思い出す。他の誰かにもし見付かったなら、その変化がどういう目にあうのか、想像には難くない。飼い慣らしている類の式神や管狐ならしつけのし直し程度で何とか事無きを得られるかも知れない。けれどそれは、そんなものではないのだ。己の影。自分が生み出した、自身の半身なのだから。

「さあ、瞑ってしまいなさい。もう目を覚まさなくても良いわ。私がお前になるから。そうして未来永劫、千五穂の側にいる」

立ち尽くしたまま硬直した体から、平衡感覚が薄れていく。ぎりぎりのところで何とか意識を保って、辰耶は小さく息を吐き出した。そしてぐっと息を飲み込むと、その口を無理矢理動かして言葉を何とか吐き出そうとする。

「お前……こんなことして……ばれたら、どうするんだ……」

「あら、しぶといわね。見た目はたおやかなのに、性根はしっかりしているのね」

不思議な顔で微笑んで、ちかげが揶揄うように言う。歯を食いしばり、くっと息を吐き出して、辰耶は笑う彼女の術をふりほどこうと試みる。が、しかし。

「くっ……そ……たかが、折り紙の変化の、くせに……っうおおっ」

それだけその変化は力を得ていて、それだけその基盤となった折り符の織神は強靱だということだ。妙な事に納得して、辰耶は改めて目の前のちかげを見やった。ちかげは笑顔を崩さないまま、そんな辰耶に言った。

「その体が私のものになったら、何も案ずることなんて無いわ。私は千五穂とそれに連なる全てを、絶対に守り抜けるもの。何があっても、絶対に守るもの。私は千五穂の『(かげ)』だから、千五穂とは離れない。千五穂が一人で寂しくないように、私はずっと傍にいる」

「その割に……困らせて、寂しそうな顔させてんのは、どこのどいつだ!」

増長し切った変化の科白に、思わず辰耶は叫び返した。驚いたのか、ちかげはわずかにその笑みを曇らせ、その身を微かにびくつかせる。

「俺は、お前とあいつがどういう関係でとか……そんなの、どーだっていいんだ。でも、ここに来て……他のヤツと変に区別されないとこに来て……あいつだけ変に区分けされてんの見るのは、やなんだよ!」

まだ会って二度目だと言うのに、彼女の奇妙な目つきに辰耶は気付いてしまっていた。それが彼の呪能なのか感受性なのかは定かではない。ここへ来てやっと、そんなものから解き放たれた気がしていた。なのに目の前にまだ、ぽつんと一人立っている誰かを見るなんて。気分が悪い。腹が立つ。訳もなく悲しくなる。

「お前がいる限り、あいつはどこに行ってもずっと一人なんだ。お前は平気かも知れないけど……あいつは平気じゃない。平気にできるヤツだったら……あんなに四六時中、ピリピリなんてしてない……」

小さく途切れがちに呟いて、辰耶は顔を上げた。わずかにたじろいだちかげの、己を縛する力は緩んでいた。笑みは消えて、当惑の表情がそこに浮かんでいる。おびえる人間の少女よろしく、それは微かにわななき、小さく震えていた。

「で……でも、でも私は……千五穂が作ってくれたものよ。千五穂の傍にずっといて、千五穂を守ってゆくんだもの。ずっと傍にいるんだもの。傷つけるものや裏切るものから、私が千五穂を守るんだもの。千五穂には私が要るのよ。私には千五穂が……千五穂!」

パンッ耳に、そんな音が響く。同時に辰耶の体を戒めていたものがそこから消え去る。不意に自由になった体はその場でよろめき、慌てて辰耶はバランスを取り直した。ちかげは頭を抱えて、その場にぺたりと座り込む。

「ちいほ……ちいほ……ちいほ……ちいほ……ちいほ……」

繰り返しその名を呼びながら、ちかげはその場に泣き崩れる。辰耶はそれを見下ろして、溜め息交じりに言葉を紡いだ。

「あいつを守ったり、ずっと傍にいるのはお前の役目じゃない。解ってるんだろう?お前が変化になった時から……もうそれは、叶わないことなんだって」

それらは相容れぬ性のもの。人の目に変化は映らず、変化の声は人には届かない。ごくまれに間を繋ぐものがいても、その意識は神と人ほどに違うのだ。人はうつろいやすく、命短い。けれどそれらは、無邪気で無垢で、時に気紛れで、時に一途すぎる。一瞬その心が通じ合ったとしても、次の瞬きで心の離れることもある。そして時としてそれらは、永劫の命さえも得る。そこにいるものは、最初使役するべきものとして生み出された。心も持たず、ただ主に忠実に、消滅するまで使われるモノとして。けれどそのものは余りに強く、生み出した者が余りに情愛にあふれていたが為に、心を得て、叶わぬ願いを抱いて、別なものへと転じてしまったに違いない。辰耶は眉をしかめた。そして何も言えず、泣き濡れる姿を、ただ見つめていた。

「……ちか……ちかげ、ちかげ!ここに……」

見付けたと言わんばかりの顔で、ようやく千五穂がその場に駆け込んでくる。ちかげは顔を上げて、その姿を見るなり立ち上がり、駆けてきた千五穂に抱きついた。

「……ちかげ?」

わあわあと、声をあげてちかげは泣き始める。訳が解らず、千五穂はその視線を泳がせ、傍らの辰耶に問いかけるような表情を向けた。

「そいつは……俺を食おうとしたんだ」

「……ちかげが?まさか……」

「まさかじゃねえよ。本当だ。あんただって解ってるんだろ?そいつが……ただのシキガミじゃないことくらい」

言葉に、千五穂の顔に驚愕が浮かぶ。言葉はない。辰耶は息を吐いて、乱れた髪を荒くかきむしった。千五穂には、もう全てが解っているに違いない。そう感じて、彼にも何も言葉は浮かんでこなかった。わあわあと、ちかげは小さな子供のように泣きじゃくり、その嘆く声だけが、音のない森の中に響き渡る。

「ちかげは……私の影なんだ。私が望んだから、あの時私の前に現れた。私はそれを望んで、ずっと一緒にいたいと、ずっと思ってきて、だから……」

呟きながら、千五穂はちかげを抱く腕に力を込める。眉をしかめて、辰耶はその姿を見ていた。そこにいる変化と、それを生み出した者の、剥き出しの感情が肌に突き刺さる。人の心に触れることさえできてしまう呪能は、それが天から授かったものだと言われても、持つ側にしてみれば苦痛以外の何でもない。喜びも、悲しみも、怒りも、憎しみも、慈しみも、当人の気付かないその深さまで、体の奥に染み入ってくる。けれど同調はできない。それはあくまで他人のものであって、己の心ではないから。だから尚更、胸に痛い。

「ちかげを……許してほしい。もう二度と、こんなことはさせない。させないから……」

「でもそいつは、俺じゃない別のヤツにも、きっと同じことをする。この森の中は学校より主の気配がきついから、簡単に見付けられないかも知れないけど、いつかあんただってここから出ていかなきゃならなくなるし、そいつだって人の息だけ食ってずっとそのままでなんていられない。本当の化物になるか……消えてなくなるしかないんだ」

あんたはそれでいいのか。言いかけて、辰耶は言葉を飲み込んだ。千五穂は、俯いて何も言わなかった。ただその腕にちかげを抱いて、身じろぎ一つしない。

「……千五穂」

泣きじゃくっていたその声が止んで、森の中に静けさが戻る。細い声に呼ばれて、千五穂が微かにその顔を上げた。腕の中で、まるで凍える小猫のように、ちかげは小さくなっていた。額を千五穂に擦り寄せて、ちかげは涙の流れ続ける瞳を、そっと伏せる。

「ちかげ?」

「……ごめんね。ごめんなさい。私、千五穂のために生まれてきたのに……千五穂の側に、ずっといるって……約束したのに……」

ぐいと、その腕が千五穂の体を押しやった。何事かと顔を上げた千五穂の前に、ちかげは笑いながら立ち、その手を千五穂に向かってさしのべた。

「……ちかげ?」

「千五穂は、私が変化になって、もっと別なものになっても、私を好きでいてくれる?」

無言で手を取って、無言で千五穂は頷く。その顔は驚きとおびえと、何かを確信したような表情とが綯い交ぜになって、わずかに震えていた。指を絡ませ合って、それを握り合う。ちかげは涙に濡れたまま微笑み、それを、泣き出しそうな目の千五穂が見ている。

「……私も。千五穂がもっと別なものになっても、ずっと千五穂を好きでいる。だって千五穂は私を作ってくれて、好きでいてくれたもの。こんな風になってしまっても……守ってくれていたのだもの」

式神とは、中空を漂う行き場ない霊魂、もしくは自然霊を召還し、依坐となる呪物に寄りつかせ、契約を交わし、または屈伏させ、術者の意のままに使役させるべく作り出されるものである。時にそれは精霊と呼ばれるものであり、神道においてはその全てを「カミ」と呼ぶ。だからそれらはその約束を果たした時、自由になる時、カミとして中空へと還っていく。

「ちかげ!」

ふわりと、風が揺れた。千五穂の叫びが森の中に響く。そこにあった、人とほぼ同じものに変わろうとしていた変化の姿は、ぼんやりとその姿を崩して、まるで霧がその場から退くように、音もなく消えていく。

「ちか……ちかげ、ちかげ!いやだ、消えないで!私がちかげを守る……守るから、だから!」

「……そいつはもうもたなかったんだ。引き留めようとしても……もう無理だ」

辰耶の低い声に、千五穂が反射的に振り返る。くしゃくしゃに崩れたその表情と、振り乱された長い黒髪。こいつ、こんな顔をするんだったのか。胸の中でそう思いながら、辰耶は言葉を続けた。

「あんたが作ったんだろう、それ。だったら、最初と同じで、最後もちゃんとしてやれよ。でないと迷って、本当の化物になっちまう」

呆然と、僅かの間千五穂は辰耶を見詰めた。魂の抜けたその顔に、辰耶はほんの少し笑いかける。心配しなくても、そんな顔しなくても、いなくなっても。もうあんたは一人じゃない。泣くことなんてないし、寂しくもない。そう言いたくて、けれどその言葉は、うまく口には上ってこない。だから辰耶は笑いかけた。不安げで力ない、その少女に向けて。

「ちかげ……ありがとう、ありがとう……ありがとう」

目を伏せて、千五穂はその両手で拳を作った。握り締めても、力無さのためか、腕が震える。大粒の涙はこぼれ続けて、その足下に小さな水溜りを作った。そう、ありがとう、ずっと一緒にいてくれて。私の傍にいてくれて。初めて私が作った織神、初めての半身、最初で最後の、私の影。

「……大好き」

小さな呟きの後、千五穂を中心に風の渦が巻き上がる。それは彼女から発せられて、そのまま高く天に向けて、ゆっくりと上っていく。何も言わずに、辰耶はそれを目で追った。遠ざかる気配が、自分に何かを伝えている。その伝わる何かに、それまでよりもずっと心地よいものを感じながら。確かに伝わる、暖かい優しいものを感じながら。

 

元は縁日の金魚だったんだ、と、山を下りる道すがら、涙目のままの千五穂はそんな話を辰耶にし始めた。

「縁日の……金魚?」

「死んでしまって、庭に埋めた。私の家では五歳で最初の術を覚える。その時に調度重なっていた。元々は折り符の呪術らしい。その一つに、折り紙を使って人形を作って、そこに呼び出したものを拠り憑かせる術がある。織神とも、オリガミとも呼ぶ」

表情のあまり現れない声音で、ぽつりぽつりと、しかし確実に、彼女は言葉を紡ぎ続ける。日は暮れかけて、すでに周辺は薄闇に包まれていた。寮母にしかられるな、と、いつか千五穂が呟いたが、辰耶にしてみればそんなことはどうでもいいことだった。

「父と祖母が、初めて作ったオリガミを見て、手放しで喜んでくれた。私はただ、死んだ金魚を哀れんで……生きていてくれたらと願った。それだけだったのに」

言葉の後、微かに千五穂が笑う。辰耶は何も言えずに、そんな彼女の横顔を見ていた。

千五穂は、そのまま聞かれるでもなしに、彼に滔々とちかげの話を視続けた。ふとした拍子に消されないために、ちかげ自らが人の息を食べるようになったこと。ここへ来て、ちかげの気配に感づくものがたくさんいることに気付いて、千五穂がとった策が「神域の山に隠す」だったこと。山の神の影響で日毎にちかげの存在が強くなっていったこと。やがて自分と同じ姿を、自分にだけ見せるようになったこと。数多くの能力者の息を食べるようになって、更にちかげが強く大きくなっていったこと。そして、自分が迷っていたこと。

「いつか……ちかげが肉の体を欲しがることは、薄々解っていた。元はただの動物霊で、織神にさせられても、適当なところで開放されるはずのものだったのに。ちかげが淘汰されないために、確かな体を欲しがることなんて……誰にでも解ることだ」

そうなった時必ず周囲に犠牲者が出ることも、迷惑をかけずにいられないことも、考えなくても解ることだった。だから、

「……それで一人で、何とかしようとしてたのか?」

辰耶が、こらえられなくなったように口を開いた。千五穂は笑いもせず、

「君には迷惑をかけた。すまなかった。危うく殺すところだった」

「いや……そーじゃなくて……」

「ここに来る時、本庁側には私とちかげのことは知られていた。だから何かされるかと思っていたのに、何もなされなかった。それは、とるに足らないものだったからなのかも知れないし、私自身にどうにかさせようと言うことだったのかも知れないし……解らないけど」

どこがとるに足らないものだ、と、何気に辰耶は心の中で言ってみる。ふふ、と、そこで初めて千五穂が笑みをこぼす。気付いて、ちらりと辰耶はそちらを見た。

「……何だよ」

「君には、感謝してもし足りない」

「……へ?」

千五穂の足が止まる。つられて、辰耶も立ち止まった。まっすぐ、千五穂が辰耶の顔を見据える。何事だ、と辰耶が思うのと同時に、千五穂は言った。

「ありがとう。君があの時ああ言ってくれなかったら、私はきっと、ちかげをもっとおぞましいものに変えてでも、ここに足止めしていたと思う。そうなったら、ちかげはもっと浮かばれない。そうなる前に、ちかげを還してやれた。良かった」

「あ……いや、別に、俺は……」

正面からまっすぐに言われて、辰耶は言葉を失う。千五穂はまた微かに笑って、それから、天を仰ぐように空を見上げた。

「ちかげは、空になった。風になって……もうここには、いないけど」

思うと、涙はまた込み上げる。きっとしばらくこんな風に、何度も泣いてしまうだろう。幾度も繰り返し、あの子のことを思うに違いない。空を見上げて千五穂は思った。でも。

「これで良かったんだと思う。ちかげも、きっと苦しんでいたから。君が救ってくれたんだと思う。ちかげと私を」

黙って、辰耶はそんな彼女を見つめていた。横顔は憂いを含んでいて、まだ何一つ拭い去ってはいない。けれど、それはどこかすがすがしい顔だった。生きた少女の、生きた顔をしていた。夕暮れの風に揺られて、千五穂の髪がさらさらとなびく。息を詰めて、吐き出して、辰耶は何か言おうとして、何を言うべきかとためらった。千五穂は空を見上げて微笑み、それから、そんな辰耶を振り返って見る。

「急ごう。今ならまだ夕食に間に合うかも知れない。この辺りにはコンビニもないから、食いはぐれるとつらい」

「……あんた、良く見ると、美人だな」

ぽつりと、気がつくと辰耶はそんなことを口走っていた。一瞬、沈黙がその場を支配する。直後、

「あっ……い、いや、えっと……ほ、ほら、い、今まであいつのほうに気が向いてたってゆーか!気ィとられててあんたの顔とか良く見てなくて……じゃない!」

何を思ったか唐突に辰耶はパニックに陥り、真赤な顔になって一人騒ぎ始める。千五穂は少しあきれて、いつもの冷たい口調になるとそんな彼にこう言い返した。

「自分の顔を鏡で良く見てみたらどうだ?他人をそう評価できるかどうか、解るだろう?」

「って……何だよ、それ」

「一年にすさまじい美人の転入生が入ってきた、って、君のことだろう?みんなが噂している。ここの山の神も、君みたいな手合いが大好きらしいから、せいぜい気をつけて」

「……は?あ、いや、俺は別にそんな……だからそーじゃなくて!」

「何がだ?そうしているのが楽しいわけじゃないなら、早く戻ろう。今日は何だか疲れた」

やや肩を落として千五穂は先に歩き出す。辰耶は真赤な顔で、しばしその背を見送り、見送りながら自分の反応が、ある種の自覚症状であることに、気付く。

「あっ……ちょっ、ちょっと待てよ!いや、そりゃこんなとこで急に言われたらあんたでなくたって変な気がするかもしんねーけど!」

辰耶が山の中で叫ぶ。相変わらずその格好で良くさくさく歩けるな、という山路を、千五穂はセーラー服にローファーの出で立ちで、それよりずいぶん歩きやすいはずの辰耶をおいて下っていく。こけつまろびつ、わあわあ喚きながら、辰耶はほうほうの体で後に続く。

「ちょ、ちょ、ちょっと、マジで待てって!俺別にあんたのこと揶揄ってたり、ふざけてなんかしてねーって!」

「言いたいことは良く解らないが、誉められたことには礼を言っておく。しかし世間一般の女性は君のような男から誉められても皮肉にしか聞こえないと思う。その辺りで痛い目に合わないように、せいぜい気を付けなさい」

ぴしゃりと、女子高生にしてはきつすぎる口調で言い放ち、千五穂は微かに辰耶を振り返る。言われた辰耶は一瞬呆気にとられ、次の瞬間何故か、ニヤリと笑っていた。

「……何だ、変な顔をして」

「俺、あんたみたいなかっこいいヤツ、かなり好きだ。ってゆーか、そーゆーところにホレた感じ。このまま俺と付き合わない?」

「……ばかばかしい」

一言残し、千五穂はそれ以上何も言わなかった。へへ、と鼻先で笑い、辰耶もそれ以上は言わず、その後に続く。

今日のことは、きっと一生忘れない。この山を、誰かを探して歩き回ったことも、探されることが大好きだった、誰かのことも。歩く速度をわずかに緩めて、千五穂は何気にそんなことを思った。背中では辰耶が、くたびれたとか待ってくれとか言いながら、時折変な声で笑っている。彼に言われたことも、きっと忘れない。感謝こそすれ、無理矢理に引き離そうとしたことを、恨んだりはしない。

それでも時には、寂しくもなるだろうけれど。

森が、途切れる。青黒い夕闇のむこうに、わずかに街灯の白い光が見えた。振り返って、森を顧みる。少し遅れて、辰耶が駆けてくる。

「あんたなぁ、人のことちったぁ考えて歩けよ!あーもー……靴も泥だらけで……」

千五穂の眉が、微かにゆがんだ。気付いて、辰耶は口ごもる。

「……さよなら、ちかげ」

小さく、千五穂の唇が言葉を紡いだ。それを見て、苦い笑みを口元に、辰耶が浮かべる。

「寂しくなったら、俺が遊んでやるよ。山歩き以外のデートだったら、毎日でも」

「その心遣いだけもらっておく。女顔の年下なんて、趣味じゃないし」

あっひでぇ、そういう言い草するのかよ、と、また辰耶が喚き始める。完全に森に背中を向け、千五穂はそれまで以上に軽い足取りで歩き出す。

「ちょっと待てよ千五穂!なあそう言えば、千五穂って今いくつ?俺より年上なワケ?でも別に年の差なんて……」

「やかましい。少しは黙っているということを知らないのか、君は」

言葉はきついが、やや柔らかめな口調で千五穂が言う。辰耶は何故かにやにや笑って、

「そんなに連れなくすんなよ。まあそーゆーとこもきっと、千五穂のイイトコなんだろうけど」

千五穂、今度は完全に無視して先へ先へと歩いていく。にやにや笑って見送って、辰耶は彼女から離れてから、一人森を仰ぎ見た。

「……心配すんなよ。あいつは一人じゃないから。誰が見捨てても裏切っても、俺が傍にいる……一人になんかさせない」

ざわりと風が流れて、森の木々をゆらした。笑いながら、くるりと辰耶は踵を返した。再び、千五穂を追い始める。

「そう言えば、今まで気がつかなかったけど」

まだ藍色にしか染まらない空を見上げて、辰耶は何気に呟く。

「ここって……星が良く見えそうだな」

「明かりが殆どないから……暇なら、見てみたらいい」

「あ、じゃあそーゆーデートってのは……」

「寮監がうるさいから、夜間は寮の庭にしか出られないけど」

千五穂の言葉に、辰耶はその眉をしかめる。ちらりとそれを見て、千五穂は微かに息を漏らす。

「……何だよ?」

「別に。そんな顔をしていても、やっぱり男なんだな、と思って」

「……何それ」

辰耶は眉をしかめる。千五穂はやはり、笑いもしない。しばらく一方的に、何やら機嫌のよさげでない辰耶の乱暴な言葉が続く。背中で受け流して、千五穂は先へ先へと進む。

「なあ、千五穂」

背中を追って、辰耶が呼びかける。ちらりと振り返ると、いたずら小僧の顔が、にやりと笑っていた。

「俺がずっと傍にいてやる。寂しかったらいくらでも呼べよ」

ぱた、と、千五穂の足が止まる。辰耶は笑ったまま、唖然とした千五穂の顔を見ていた。千五穂は振り返らず、そのまま空を仰ぐ。そして、

「……寂しくなんかない。ちかげは……私の中にいるから」

小さく呟いて、再び千五穂は歩き出す。夕闇の青い空に金粉の星が煌めく。黙ったままで苦笑して、辰耶もその後を、戯言めいた言葉を紡ぎながら、再び追い始めた。

「強がり言うなって。俺に甘えてもいいんだから」

「結構だ。その辺りは間に合っている」

「……冷たいなあ。もっとフレンドリーにいけないもんかねー。って……おいてくなって、千五穂、千五穂!」

 

 

 

戻ル

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Last updated: 2005/05/13