惟 神

-番外編・be Ambitious!!-

 

ざわざわと周囲は喧噪に満ちていた。日曜の繁華街は、どこから湧き出したのかとさえ思えるほどの人でごった返している。灰色のコンクリートで敷きつめられたデパートの立ち並ぶその通りに、数え切れないほどの雑踏がさざめき、見ながら彼は小さく舌打ちした。これでは、依頼人がどこからやってくるのか見当もつけられない。それどころか、今日この場所で上手く落ち合えるのかさえ。顔も、名前さえよく知らないその相手と待ち合わせるのは初めてのことで、実際彼はその場所を待ち合わせに選んだことにややもすると後悔していた。住処から二時間以上かけてやってくるその繁華街に彼は詳しくなかったし、何より交通費だけでもバカにならない。もっとも、その辺りのことは向こうが負担してくれるわけだから、気にしても始まらないこと、ではあった。この後、きちんと会えさえできれば、だが。

十数階建てのビルの壁にもたれて、彼は流れる人混みを眺める。人間観察はどちらかというとキライではないし、彼にとってそれは趣味半分、仕事半分のところがあった。仕事、と言っても、実際のところ彼のその行為がその生活全般を占めているわけではなく、けれど生涯かけて関わっていく事には変わりはない、それは半ば業のようなものだった。今現在の彼は高校生で、本人は別に通わなくてもいいとは思っているのだが、両親に強制される格好で就学しているし、実際それだけで生活していく事は昨今では困難らしい。片手間で出来ることだとは思えないけど、と反論したところ、片手間以下の収入でどうする気だ、と彼を諭したのはその父親だった。しかし彼の父親は、彼の『業』に従事していなかった。できない、という方が的確かも知れない。

「まぁ……今んトコ全部コヅカイになってくれるから、いいんだけどさー」

ビルの間に見えるせまい空を見上げて、彼は一人ごちる。約束は二時、そろそろ、三十分が過ぎようとしている。ネット上で知り合ったその人物は女名前で、年は十六歳。自分と大差ない境遇、女子高生だと言う。別に女子高生目当てでしているわけではないのだが、最近のニーズはまずその辺りが多い。何しろ自分がその年齢で、他の年代には信用がない。致し方ないことと言えばそうだった。しかし子供相手では収入も少ない。その辺りは慈善行為になるのかな、ふと彼はそんなことを思った。必要経費プラスアルファ。それが現金でない場合あり。交通費以外が出ない場合もあり。一方的に損をするだけ、というのもまた、大有り。なんで俺こんなことしてんだろ、と、思わないでもないのだが、それでもやめられない。厄介といえば厄介な事だった。

「あれ、葛城(かつらぎ)。何してんの?こんなトコで」

唐突に声は投げられた。反射的に顔を上げるとそこに見知った顔が二つばかりあって、彼はニヤリと口元を歪めて笑った。

「バイト。おまえらこそこんなトコで何してんだよ?」

「バイト?そんな趣味の悪いパンク服着て?」

「一言余計だ、ほっといてくれ」

見慣れた顔の一人、ボブショートの少女が怪訝そうな顔で問いかける。露骨に眉をしかめて彼が反論すると、もう一方の長い黒髪の少女は不思議そうな顔で彼の目をのぞき込み、どこかおずおずとした口調で言った。

「そのこと……先生達は、知ってるの?」

「さぁて。どうだかな」

問いにへへんと鼻先で笑いながら曖昧に答え、彼は軽く肩をすくめる。ボブの少女は眉をしかめて、ずいと彼に詰め寄ると、きつい口調で言った。

「どうでもいいけど、自分で始末できる程度のバイトにしなさいよ?後でこっちまでとばっちり食うなんて御免だからね」

「心配すんな、俺はそういうポカはしねー」

「どうだか」

フン、と鼻を鳴らし、ボブショートの少女は顔をそらす。にやにやと笑ったまま、彼はその手をひらひらと振って、二人を追い返すようにする。

「ほら、行けよ。ここで待ち合わせしてるんだ。おまえらがいたら近寄れないかも」

「言われなくても。せいぜい稼いできなさいよ?寮監にはだまっとくから」

行こ、と言ってボブの少女は長い黒髪の少女とともにその場を去ろうとする。長い黒髪の少女は少しおろおろした様子で彼と彼女を交互に見、それから、あまり大きくない声で彼に一言、こう残す。

「気をつけてね」

「サンキュ、(つま)(ぐし)

ひらひらとまた手を、今度は横に振りながら、少年は二人を見送る。人混みにその陰が消えると、彼はその笑顔をくずす。約束の時間から、三十分。待つにしてもそろそろ退屈し始めた彼は、辺りをぐるりと見回し、また空を見上げる。

「てか、気をつける以前の問題だよな……」

生家は近畿地方、父親の職業は地方公務員。葛城(かつらぎ)(みやび)、十六歳。修験呪禁道葛城流を名乗る術式を操る彼は、その場で疲れの入り混じった溜め息をついた。

 

私立御幣学苑高校、その所在の村近辺ではやたらと有名な、どのつく田舎にあるその学校は神道を基盤とする宗教法人、八百万(やおよろず)神祇会(じんぎかい)が地元公立高校が廃校になった後に設置した学校法人である。生徒数は四百人弱の、大きすぎも小さすぎもしない規模の高校には地元出身の生徒の他に、スポーツや芸術方面の特待生や母体法人のつてで遠方からの就学者が多い。一学年四クラスのうち一般的な普通科が一クラス、芸術強化クラスが一クラス、スポーツ推薦クラスが一クラス、加えて神道科と呼ばれる特殊クラスが一クラス置かれていた。もっとも、神道科以外は全て普通科とされ、ごく一般の高校教育とカリキュラムに差異はない。母体の宗教法人は神道を基本理念にする新新興宗教団体であり、神道科クラスはその神道について多少の勉強もできる、という表向きの顔と同時に、業界内に強力なコネクションを広げる法人の、ある方策の元に設置されていた。宗教的オカルティズム体現者の健全な育成と保護、というのがそれで、要するに、

「月並みの祭りごとにどうして学校休まなきゃいけないわけ?っていうか学校行けって言っといてサボれっていう親はどうなのよ?」

つまりそういう学校であった。家庭、主に宗教関連の行事その他で公休日以外にも休業を余儀なくされる、若しくは就学が困難となる青少年のために組織が設置した、やや特殊な学校法人である。で、

「ところで葛城のバイトって、何なのよ?」

「そういうのは秘守義務ってのがあるから話せないの」

「どーせこっくりさんかなんかの後始末失敗した、とかいう程度のアレでしょ?隠すほどのこと?」

実家の稼業が神道に限らず宗教関連、特に呪術関連であるところの子息が、真っ当な、というのも奇妙だが比較的平均的一般的な高校生活を送れるように、送るために、または単に高卒資格を得るが為に、その高校に在籍しているのであった。雅もその一人で、もちろん、クラスメイトも似たような境遇の生徒でごった返していたりする。繁華街の待ちぼうけから二日後、教室で出くわしたクラスメイトでボブの女子、松浦(まつうら)千破矢(ちはや)に先日の事を問われた雅は苦笑いで、ややいきどおり気味の彼女に何も言い返せないでいた。朝のホームルーム直前の教室内はざわめいて、雑多な会話があちらこちらから聞こえてくる。神道科クラスには遠方からの入学者が多い。その九分九厘が寮生で、言ってみればクラスの面子とは寝食さえ供にしている仲だ。もっとも男女で寮は分けられているため、女子と顔を会わせるのは学校とその敷地付近のみ、ではあるのだが。一年から三年までクラス替えのほとんどないこの学校では、生徒同士の親密度も高い。誰もが兄弟か従兄弟同士のような感覚で、ややもするとプライベートも何もない、と言った感覚である。

「こっくりさん……松浦、やったことあんのか?」

「ないわよ、っていうか……そんな恐いこと、誰がしたいもんですか」

真顔で答える松浦の言葉に雅は苦笑しながら辺りを見回し、

「だよなぁ……何が出てくるかわかったもんじゃないし。けどあれって一体何モノ?」

「さぁ……飯綱ちゃん辺りに聞いてみれば?あのコ狐にくわしいし」

神妙な真顔をすぐさまほどき、松浦も同じく辺りを見回す。ふうん、と小さく言ってあてもなく雅は室内を見回しながら、けど狐って仮定してるんじゃん、と胸中だけでつぶやく。術者、拝み屋、と言えども、そこにごった返しているのはどこにでもいる高校生と殆んど違いがない。本職の術者が同じカテゴリーに分類される術式を使う人間以外と表立っては同居しないのと違い、まだ本職でないつもりの彼らの交流は比較的自由だった。もちろん、口外できない事象も多分にあるわけなのだが、そこはそれ、子供のすることである。ついでに言えば母体組織のコネという関係上、何事にしてもまったくの秘密裏に処理できる、というわけでもなく。

「けどこっくりさんってアレって、飯綱んちの関係じゃないだろ?全国レベルだし?」

「そんなこと聞かれてもあたしにはわかんないわよ?うちだって関係ないもん」

「同じことじゃん」

いい加減な彼女の言葉に雅は呆れの吐息をつく。まあそんなわけで、そういった情報は一部、だだもれだったりするのだが、本人達はあまり気にもしていない様子ではあった。もちろん中には潔癖の度が過ぎるほどの生徒も、いないわけでもないのだが。

「とにかく、俺は仕事のことをべらべらよそで話したりしねーの!この話はもう終わり、な?」

自分の前に立ちはだかるような千破矢にそう言い放って、あっちへ行け、とでも言うようにひらひらと雅が手を振る。千破矢は眉をしかめてややふくれっつらになると、無言で雅のそばから離れていった。教室内に予鈴が響く。その場所はどこにでもある私立高校の一教室の様相通り、朝の平凡なHRを迎えた。

 

修験呪禁道、山岳宗教を基盤にする修験道といわゆる民間呪術が混ざり合って発生した、と言われるその術式は、世間においてよく知られた呪法を用いて様々の術を顕す。一般的に見られる仏教的呪法の様式の目立つその術式は、使う本人に言わせてみれば「いいとこどり」。様々の術式の呪法が交ぜ合わされ、その中でも最も行使しやすい形のものが淘汰されて残ったもの、と言えた。経文を唱えて安全を祈る、邪を払う、病を平癒させる、もしくは真言、呪言を唱えて以下同文。中には仏典の範疇から外れた呪言も存在したが、術者自身は功能がよりよく現れればいいのであって、その様式にはこだわらない、らしい。それが葛城流を名乗る彼の言い分であり、彼の家のモットーでもあった。ありがたければ何でもいい、日本人の宗教観にもそんなところがある。そして彼は日本人、蛇足を加えれば近畿でも、大和地方の出身であった。

「日本人のオカルト観もそういう感覚だしな。ここでは見ないけど、都心の『占いの館』なんかに行くと変なヤツが山ほどいるし。名前も、どこの人かわからなかったり」

「でもアレって一種のエンターティメントじゃないの。派手なカッコして嬌声発してみたり……あ、そうか」

昼休み、校庭の片隅に植えられた大きな樟の根元で、雅はクラスメイト数人と食事兼食後の休憩、という風情だった。寮生の殆どの昼食は学食での定食メニューか、付属の売店で販売されるサンドイッチなどの軽食が主である。「弁当くらい寮費に入れて、寮が出してくれてもいいのによ」というのが一部男子の意見ではあったが、学校側も寮側もその申し入れを度々断っているのが現状である。学食や売店があるのだからそちらで購え、というのが学校側の言い分で、男子生徒の側からするなら「面倒くさい」「金額に見合った量の食事が採れない」というのが主な意見らしい。雅の昼食は、と言うと、売店の弁当若しくはサンドイッチと言うのが常で、本日は売店で買ったおにぎり数個らしい。包装紙をもてあそびながら、雅はクラスメイトの声に目を上げた。

「何?派手ななりがどうかしたのかよ?」

「ちょっと思ったんだけど、言われて見ればそういうのも解るな、って。うちも派手じゃないけど、特別な服着たりするし」

「ってかさー、それこないだ神学でやったじゃん?なんだっけ……「コスプレ理論」?」

「「特種異装の理由」だろ」

樟の根元、渋茶のブレザーと深緑のタータンチェックのスラックス、という基本形を元にした格好と思しき少年達が、それぞれに着崩し、或いは着こなししてそれぞれの格好でくつろいでいる。指定のネクタイを緩め、シャツのすそを引き出し、上着を着ない状態の雅は、一人かっちりとその一式を身にまとったクラスメイトの方へと目をやった。かっちり制服を着込んだ清潔感漂う風情の少年は、笑いもせずにこう付け加えた。

「ほら、祭りの日は特別な日だから、それを誇張する為に派手な衣装着たりするんだ」

「うちは地味だぞ?そーゆーの、黒のずるずるに変なポンポンぶら下げてよー」

「葛城んちは葛城んちだよ。余所は余所。こけおどしの占い師にも、そういう理由があるんじゃないの?」

何処から見てもごく普通の、やややんちゃな高校生。しかし、話している内容は何やら、ごく普通ではなさげだった。かっちり制服の少年の足元、ブレザーの上着を脱いだ上に指定ではないブルーのストライプのシャツを着、尚且つ両腕とも袖まくりした少年が、口に飴の棒をくわえた体裁で声を立てて笑う。

「うわ、だっせー!何お前。私服のセンスもアレなら、自分ちの祭りの(なり)もそーゆーのかよ?」

「んだと?てめーなんか実家帰って踊らされる度に女装じゃねーか!!このカマ野郎!」

友人の言葉に思わず雅がそう言って返す。言われた側もその顔に怒りを顕にし、

「しょーがねーだろ!オレはな、大体不本意なんだよ!!こんなガッコに通ってるのも、実家の家業も!!お前にこのオレの気持ちがわかってたまるか!」

「ああ、わかんねーよ!この実家オカマ」

べろべろと舌まで出して雅は級友を煽る。傍ら、困った様子で崩さない程度の制服姿の少年が中に割って入ろうとする。

「二人とも、やめなよ。そーゆー……馬鹿丸出しなこと」

「全くだ。馬鹿丸出しだな」

かっちり制服の少年がその言葉に納得したかのように深く頷いている。外野の声に二人は振り返り、

「誰が馬鹿だ、誰が!」

「お前ら、人をおちょくってんのか?」

怒りをそれまでとは違う相手に向けるようにしてわめき散らす。仲裁に入ったのかどうかわからない少年と、最初からそうする気がなさげな少年はそれぞれに目を丸くさせ、

「だって、馬鹿みたいだよ?本当に」

「みたいじゃなくて馬鹿だ、お前ら確実に」

「何だとゴルァ!!チョーシこきやがって!御室(みむろ)千間(せんげん)!」

まるで子リスのように「何を言われているのか解らない」とでも言いたげな顔で首をかしげる少年、御室(たくみ)と、当然のことを言っているのにどうして怒鳴られるのか得心が行かない、と言いたげな顔をしているもう一人、千間(よし)(とも)は、今にも噛み付きそうな勢いの雅と、もう一人、

「葛城はともかく、オレまで一緒にすんな!こう見えても俺は古法舞踏沙流(さる)()流の後継者、猿和(さるわ)()正己(まさみ)だぞ!!

「家業が不本意なやつの自己紹介には聞こえないな、いつもながら」

「猿和香はそーゆーところが猿並みなんだけどね」

「御室、それは今更言っても遅い」

ぼけているのか本気なのかわからない御室の発言に、千間が諭すように言う。からかわれているらしい事はわかっていても止まらない猿和香少年は更に激昂し、

「おい千間!お前オレとやる気か?解った。今日こそその減らず口、引き裂いてやるっ」

「猿和香、オレはウミウシじゃないから口を裂かれても特別どうという事は……」

「ちがーう!口を裂かれたのはあわびだッ」

「あれ?ハマグリじゃなかったっけ?」

叫ぶ猿和香を見ながらのんきにボケた発言をして御室は笑う。側ら、少々辟易しながら、雅は締め上げる猿和香と締め上げられても身長差のため一向に効果を感じていない、至って冷静な千間とを黙って見ていた。

「本当に仲がいいよね、千間と猿和香って」

御室がにこやかに言う。それでも雅は何も答えなかった。仲が悪けりゃつるんでないだろうけどな、とでも、言いたげな顔をして。

 

「でも何かどう転がって、あの時猿和香がミル貝の口切ってどうとかって話になったんだっけ?」

「御室、話がとことん違ってきてるぞ」

昼休みの揉め事は、ひとまず昼休みで中断される事となった。続きはまた後で、と言ったのは猿和香だったが、千間はと言うと、そんな暇があったら図書館にでも行く、と言ってそれを完全に無視していた。喧嘩するほど仲がいいって言うけど、実はホモとかじゃないよねぇ、とボケた様なそうでない様な発言をした御室は、直後流石に猿和香の鉄拳制裁を受け、どうして僕が殴られるのさ、と不平たらたらで言ってのけたのだが、自分がどういう問題発言をしたのかは解っていない様子だった。常日頃つるんではいるものの、流石の雅もそれは黙って見送るしか出来なかった。口出しすればまた猿和香がやかましいし、御室の口から何が飛び出すかも解らない。千間は比較的まとも、のようだが、一番賢くて口が立つ。論議しても勝てる見込みはない。そんなわけで。

「やだなぁ、ジョークだよジョーク。千間がナマコのところをわざとウミウシって言ったから、猿和香がいつもみたいに怒ったんじゃない。僕だってわかってるよ、そのくらい」

放課後、帰途である。件の千間は昼休みの捨て台詞、もとい発言の通りに図書館へ行ってしまい、猿和香も何か私用とかで、一緒にではない。御室は、神道科の生徒にしては珍しく寮生ではなくて自宅通学者なのだが、途中までは一緒だから、ということで、その時雅の隣を歩いていたのであった。この御室も、とぼけているようで一応、彼らと同じカテゴリーに入れられる体質の持ち主である。しかも、時と場合によっては千間などより数段怖いと雅は思っている。にこにこ、ほやほやの外見で人を食っているクラスメイトから視線をそらし、ため息混じりに雅は言葉を紡いだ。

「お前だろ?俺んちのやり方がどーとか、聞いてきたの」

「あ、そうそう。そうだった。そんな話、してたっけ。猿和香の家は踊り系で、千間のところは仏教系で……でもどうして千間、仏教高校じゃなくてうちの学校なのかな?」

話題のそもそもの根源は、この御室だった。高校入学からそろそろ二ヶ月。僕たちこうやって一緒にご飯食べてるんだから、もうちょっと打ち解けようよ、とか、この少年が言い出したために、そんな話になったのだ。

「って、そんなこと言ったらお前んちだって寺じゃねーか。なんでここの学校に……」

「あ、僕んちは僕どうこうより、通うのに楽だから、ってのがまずあるんだ。だってここ以外の最寄りの高校、バスで一時間半だよ?背に腹ってカンジ?」

あはははは、と御室が笑い飛ばす。そんな問題かよ、と心の中でツッコミを入れて、雅は大きく溜め息を吐いた。付き合いは浅くも深くもないが、何となく雅は御室に対して感じている事があった。底が知れない。それは人間性だけでなく、自分と同じクラスに在籍する、その辺りの点からも、だ。修験(しゅげん)呪禁(じゅごん)(どう)の家に生まれ、その(わざ)を受け継ぐ、いわゆる霊能力者であるところの彼等には、常人では感じられない何かを察知する能力がある。勘、と呼ばれる事もあるが、それが何気に、こいつは一筋縄では行かない、と告げるのが、この御室だ。もちろん、他のどのクラスメイトにも似たような気配があって、同じ様な感覚もするので特別気にしないようにもしていられるが、その背景を背負ってその性質の悪さかよ、と、雅でなくとも思わずにはいられない。大体、背に腹で入れるクラスか、俺なんか面接三回と秘密裏に審査と、ついでに宗教団体様からヒトガタまで飛ばされて、思わず撃退しちゃったぜ、と、やはり心の中だけで雅が言う。気がついているのかいないのか、ぽやぽやとでも形容できそうな笑顔で御室は笑って、怪訝そうな顔をした雅に尋ねる様に言った。

「葛城んちは、それで、奈良の山奥で修験道系、だっけ?いいとこどりの」

「……覚えてんじゃん」

「うん。でさ、僕ちょっと思ったんだけど、呪禁師って、要するに民間陰陽師の……」

「陰陽師ってのは宮中の陰陽寮ってとこにいた役人、つーか官僚の呼び名だろ?てか、お前授業中ボーっとしてる割にちゃんと聞いてんのな?」

ははは、と、軽く笑って雅が言う。御室はちょっと眉を顰めて、

「そりゃ、僕だってちゃんと聞いてるよ。いつもぼーっとしてるわけじゃない……」

「うちは昔から「修験呪禁道」だから呪禁師でいいんだと。土御門とかそういうとこと術式もかなり違うし、何しろ「いいとこどり」だし」

珍しく憤慨の様子を見せた御室を軽くいなすように雅が言うと、御室はすぐにもその憤慨を解く。そして、普段どおりの無害な顔になると、首を僅かにかしげて、

「へぇ、そうなんだ」

「それにオレ、陰陽師ってナンカチガウと思うんだよなぁ。格好つけすぎってゆーかさー。大体、本家本元宗家って何だよ?明治維新後に大打撃食らって、直系も何もあったもんじゃないだろ?確か」

「……流石にその辺詳しいね、葛城って」

少々やけくそ気味の雅の発言に、御室が何かを思ったような声音でいう。唐突に不機嫌になった様に、ふてくされた顔で雅は言った。

「正統、とか、そんなのただの名前だろ?要は実力なんだから。賀茂の何とかって大昔の陰陽師は偉いよな。新参だった安倍晴明に、ちゃんと役目を分けてやってんだから」

「いやあれは……向き不向きだったんじゃなかったっけ?仕事の分担って言うか」

笑って言った雅の言葉に、普段通り御室は突っ込みを入れる。が、雅はまるで気にせず、

「まー、細かい事はいいや。とにかくウチはそーゆー、いいとこどりな拝み屋なワケ。宗教カンケイっつーより、職業だな、完璧に」

「へーえ……そう言えば、朝方松浦さんと何か話してたね……バイトがどーのこーの、って……飯縄(いづな)飯砂(いいずな)?がどうとか……」

不意に、話題がすりかえられる。あ?と、ともすると間の抜けた声で問い返し、それから雅は我に返ったように、もう一度、ああ、と声を立てた。

「あれか……ちょっとな」

「バイトって、何してんの?」

「決まってんじゃん。職能を生かしてんだよ」

「ってことは……拝み屋のバイト?」

首をかしげるようにして御室が雅に問いかける。その問いに答える、という風でもなく、雅は愚痴でも言うかのように言葉を紡いだ。

「ったくよー、人がせっかく身銭切って足代出して、待ち合わせ場所まで出向いたってのに、相手がすっぽかしやがったんだぜ?信じられるか?」

「あ、そうなの?って言うか、それってイタズラで呼び出されてたとか、そういうのじゃないの?危ないんじゃない?」

「コーコーセーの小遣いを何だと思ってんだよ、なぁ?しかも余所より格安のサービス料金で依頼受けてんだぜ?本当によー……」

ぶつぶつと、そのまま雅の愚痴が続く。御室の忠告めいた言葉など、聞く耳もなさげである。

「ざけんじゃねーぞー!人がせっかく稼ぐ気になってるってーのに!」

故に、一人で盛り上がってしまった雅の耳には、それは届いていないらしい。これ以上何か言っても無駄らしい。思った御室は苦笑し、しながら思った事をそのまま、口にした。

「守銭奴だね、葛城って」

「何言ってやがる!実家出てこんな辺境でしかもお前寮でメシだぞ!今日びコンビニの握り飯だって滅多に百円切らねーんだ、食費まかなうのだってなぁ……」

「……何それ、食費?」

握りこぶしで力いっぱい主張する雅を見、御室は、ははは、と乾いた声で笑いながら、そんな風に言った。

 

雅たち寮生の生活の場である付属寮は高校から徒歩で約二十分ほどの距離にある。木造の上、築三十年近い代物で、雅曰く「こんなとこ誰が好き好んで入るか」という環境でもある。部屋は各部屋二人部屋の上、バストイレ共同、食事は基本的に食堂で定食をとることになっているが、付設のキッチンがあり、そこで自炊することも出来るようになっている。テレビなどの家電の持ち込みは自由となっており、それらにかかる光熱費は月極で一律、寮費に含む、となってはいるが、明らかにその一律料金以上の電気代を使う生徒もいれば、全く利用しない生徒もいる、といった体裁である。そして、

「あ、これ、三月に出たばっかの新しい機種でしょ」

「まーな。これも自腹っつーか、自分で稼いだんだぜ」

寮への、入寮者以外の出入りは、男子寮であるなら女性でない限り比較的自由である。とは言え全くの部外者の出入りは原則として禁止されており、寮生の関係者であっても一応の身分証明を求められる。御室が雅の部屋に入るのには制服と、一応生徒手帳の提示をすればすむ事なので、彼はその日そうやって、初めて級友の部屋を訪れていた。八畳ほどの部屋に二段ベッドと、一応学習机の体裁のものが二台。それに作り付けのクロゼット、という、室内はいたってシンプルなつくりだった。お連れさんは?と御室が尋ねると、部活か何かやってて帰りが遅いんだ、というのが雅の答えだった。その部屋の、一応雅が陣取っているスペースに置かれたノートパソコンを覗きながら、へぇぇ、と、御室は何事に答えるのか解らないような声で言った。制服を脱ぎ、くつろぐためのジャージ姿になると、雅は御室が覗いているパソコンの前に座り、その電源を入れる。

「ネット環境とかあるんだ?ここ」

「一応な。って言っても、集会室だけだったから、無線LAN対応にしてもらった」

今時の高校の付帯施設である寮にインターネットの一つもないのは何事だ、という生徒達の意見のお蔭で、寮にはその設備が整えられていた。と言っても、言い出しっぺは神道科の生徒ではなかったのだが、別の寮にはあってこちらにないでは道理が通らない、という理事会その他の見解によって、その設備は一応、寮内に一箇所を原則に設置されていた、のだが、

「なんで無線にしてもらったの?」

「集会室の機械じゃとろいんだよ。それに、見られたくないモン見てる場合もあるし」

「……葛城、そーゆー趣味なんだ。僕も覗いて、いい?」

微妙に頬を紅潮させて御室が言う。そのまま身を乗り出しかけた背後の友人を振り返りもせず、雅は渋面を作って言った。

「ばかかお前。そんなの元の機械のセキュリティーであっさりはじかれるっつーの!それに、そーゆーのが見たいんだったらよそで見てくれ」

「っえ?え?何、違うの?アダルトサイトとか……」

ぼけぼけ、ぽやぽや、でも多感な十代の少年である。期待を裏切られた御室は、ぼけぼけもぽやぽやも忘れて、ややもすると残念そうな口調で何かを言い募ろうとする。が、雅が呆れとはっきりわかる溜め息を吐くと、それ以上何かを言うのをやめてしまった。そして、今度は少し恥ずかしそうに、ぼそぼそと尋ねる。

「……見られたくないモンって、何?」

「受注用のサイト」

さらりと、雅が言った。御室は今度は目を丸くさせ、

「受注用?」

「昨今ネットでの依頼受付なんて珍しくも何ともないだろ?けどこれやって寮監に見付かるとうるさいんだよ。一応バイト禁止ってことになってるし、うちの学校」

あーあ、と、疲れた様に雅は言う。そう言いながらパソコンを操作する雅に、恐る恐る、御室は問いかけた。

「呪術の依頼、ネットで受けてるの?」

「まーな。結構そーゆーサイトってあるぜ?サーチエンジンで「呪術依頼」って叩けばざらざら出てくるし。もっともオレのはどこの検索にもひっかかんねーんだけどな」

ふふん、と、どこか自慢げに鼻で雅が笑う。素直に驚いた様子で、御室はその画面と雅を交互に見、思わず言葉を漏らした。

「すごいことしてるんだ、葛城って。知らなかったよ……」

「そーか?こんくらい、結構簡単に……」

「パソコンオタクだったんだ……へぇ……」

最後の一言に、気分を良くしていたはずの雅の眉が顰められる。そんな会話をしているうち、目の前の液晶が面はその表示を変えて、件の呪術受注サイトが表示される。マウスを数度クリックし、しながら、雅は独り言のように言った。

「さあーってと、今日は書き込みの一つも、あってくれよ」

画面上のボタンを雅がクリックすると、その表示が再び切り替わる。いわゆる掲示板を利用して、各種依頼を受け付ける、というのがどうやらそのサイトの役割らしい。背後から覗きながら、無言で御室はそう納得していた。白い頁の上に枠線と、小さな文字列がいくつか見える。書き込みは、いたずらのようなものもあり、忠告や警告のようなものもあり、また真剣な依頼のような文面もあり、様々だ。

「葛城、聞いてもいい?」

「何だ?くそ……今日は何も無しかよ……」

画面をスクロールさせながら、雅が一人ごちる。そんな彼を見ながら、御室は当然の問いを彼に投げた。

「この中の書き込みで、冗談じゃなくて本当に依頼とか、受けてるの?」

「ああ。つっても月イチだぜ?本物にヒットする確立も」

「本物に、って……」

「大半がガセかいたずらだからな。中にはここの回線通じて、俺をつぶす気だったのもいた。撃退したけど」

さらりと、雅は返す。御室はその言葉に思わず黙した。頭の中に、自分の属しているクラスの連中の、大半がそうであるという認識はある。しかし、普段はいたって変哲のない、ごく普通の悪ガキの体裁の彼が、あっさりと、しかも自信ありげにそのことを口にするのを目の当たりにすると、それでも驚かずにはいられない。これって僕の認識不足かな。御室は心の中で呟く。そんな御室の胸の内などお構いなしに、雅は疲れた、怠惰な口ぶりで言葉を続けた。

「ここの書き込みとフォームのメールから術式送ろうって器用なのがいてよー、まぁ住所は掴んでなかったらしくて、それで軽微に事が済んだけど、危うくこの部屋焼け落ちるところで、同居人が怒る怒る。で、あいつが帰ってくる前に片付けなきゃなんなくて、毎日毎日、面倒っつーか、メシとか風呂の都合もあるしよー」

「へ、部屋が、焼け落ちそうって……」

「あ、オレが火、焚いたんじゃねーぞ。ここ、火気と鳴り物厳禁だからな。小火(ボヤ)なんか出したら寮からたたき出されちまう」

余りにも簡単に出てきた雅の言葉に御室は思わず言って、驚きにまた口ごもる。

「……無茶しすぎなんじゃないの?それ」

「だってしょーがねーじゃん。オレがしたくてしてんじゃねーもん。まぁ術はそのまま返しといたからな、向こうも一部屋レベルで焼け落ちてんじゃねー?うちん中なら」

わははは、と豪快に雅が笑う。笑い事かな、思いながら御室はやはり絶句している。笑いながら雅は続けてマウスとキーボードを操作し、目の前の液晶画面に一通り目を通す、と、

「……こないだのすっぽかしの相手からも、何の連絡もなし、かぁ。くっそ、足代無駄になっちまった」

言葉の後、ちっ、と小さく舌打ちする。それを見て、御室は当然のように雅にまた問いかけた。

「こないだの相手、って?」

「決まってんだろ、依頼の相手。十六歳の女、とかいうのが書き込んで来てよ。ケータイのメールアドレスも着いてたから、そっちにも連絡して、会う約束取り付けたんだよ」

雅はやはり、こともなげにさらりと答える。御室、一瞬押し黙り、それから、

「それって、かなり危ないんじゃないの?」

「多分な。けどここじゃ他にろくなバイトもないだろ?」

「いや、そうじゃなくてさ……」

昨今、ネット上ではその匿名性を隠れ蓑に、様々な事件が多発している。その辺りの指摘をしようとした御室だったが、雅はそれを特別何とも思っていないらしい。アルバイトの口が消えて残念だ、と言いたげな顔のまま、座っていた椅子の硬い背もたれにもたれかかるように、大きく伸びをする。

「心配すんなよ。セキュリティーはちゃんとしてるし、やばそうだと思ったらケツまくって逃げる準備もしてある。学校側にばれたときが厄介って言ったら厄介かな……」

「ふーん……そうなんだ」

恐らく、これ以上の忠告は無駄だろう。御室はさっさとその辺りに見切りをつけることにした。と言っても、引っかかるものがないわけでもなさそうで、複雑な表情で、いたってのんきそうな雅の横顔を斜め後ろから眺めていた。首の後ろで手を組み、雅は困った様子で暫く画面を眺めていたが、ややもすると小さく息をつき、再びマウスを操作し始める。

「当たりだと思ったんだけどなー、外れたな、こりゃ」

「それにしたって……ちょっと不用心過ぎるんじゃないの?」

引っかかるものを抱えたままの御室が、とりあえず最後に一言のつもりで忠告してみせる。雅はやはり振り返らず、

「いや、はっきりガセだったら最初(はな)っから相手にしてねーし。なんつーかさ、来たなーっつー感じがしたから」

「……来たなー、って?」

「オレだってそんなに馬鹿じゃねーもん。こんなとこにイタズラ書きするヤツなんて、五万どころか五億ぐらいいるだろうし。何つったらいいのか……そういう感じがするんだよ、本物は」

言葉を選びながら、雅が言う。御室はその目をぱちぱちとしばたたかせると、

「へえ、そうなんだ。そういう感じ、かぁ」

「勘が外れることも、ないわけじゃねーってことだよ、だから。さて、と」

そんな御室に軽く返しながら、雅はパソコンのプログラムを終了させるべく、手元のマウスを動かし始める。ポインターが泳ぐように目の前をよぎったその時、液晶に一瞬、ノイズが走った。後ろからそれを見ていた御室が、気付いて思わず言葉を放つ。

「あれ?今なんか、変なノイズが……」

「あ?え、ウソ、マジ?」

壊したか、と言わんばかりの驚愕の表情で雅は画面に迫るように顔を寄せる。次の瞬間、液晶は一瞬にして赤一色に染まった。

「わ、壊れた!」

「違う!くっそ……またかよ!」

背後で叫んだ御室の言葉を否定するなり、椅子を蹴倒す勢いで雅はそこに立ち上がった。そしてそのまま、

「御室、お前部屋の外に出てろ!」

「……え?」

「いいから!でなきゃ護身結界の一つも張れ!」

立ち上がった雅の勢いに、真後ろにいた御室は更に後ろに倒れて尻餅をつく。突然豹変したクラスメイトの様子に目をしばたたかせながらも、御室は思わずこう返していた。

「えーと……護身輪で、いいのかな……」

自分の知る限りの類似するものの名称を口にして、御室はとりあえずそこに正座し、手を合わせた。雅は振り返りもせず、

「出来るだけ大人しくしてろ。向こうの目標はオレだけだ。来るぞ!」

叫ぶように言った直後、パソコンが火を噴いた。ボン、という破裂音の後、室内は炎に埋め尽くされる。

「うわ!葛城!」

「だから大人しくしてろ!こんななぁまやかしだ!」

部屋中を真っ赤に染めたその炎に、御室が驚いて声を上げる。憤怒の形相、とでも言い表せそうな顔つきで、雅は右の手を、人差し指と中指とを延ばし、他の指を全て握る形、剣の印に結ぶと、一息にこう言い放った。

「ノウマクサンマンダバザラダンカン!」

白い、空気の塊のようなものが雅の剣の印から吹き出し、一瞬そこに巻きつく。確かめるか否かの刹那、雅はそれをパソコン目掛けて投げつけた。液晶のど真ん中に投げつけられたそれは、ぶつかった瞬間、その中に吸い込まれるように消える。何が起きているのかと、御室に見ている余裕は殆どなかった。白い塊が画面に吸い込まれると、室内を占拠していた炎の幻影は、一瞬にして消え去った。ばちばちっ、とパソコンのモニターが、まるで漏電している時と同じ様な音を立てる。うわ、壊れた、と御室は内心叫ぶが、持ち主はそれを気にも掛けない様子で、剣の印を自分の鼻筋の前に示し、それを横なぎに払う。

「オンバザラダンカン!」

その切っ先が生み出したかのように、そこにかまいたち状の風の渦が生まれた、ように御室には見えた。実際は風ではないだろう。エネルギー体、とでも言おうか。それは再びパソコンの液晶画面目掛け、その画面を切り裂く勢いで投げつけられる。ばん、と、破裂音のような衝撃音のようなものが耳を叩く。御室は思わず身をすくめ、本能的に体を守ろうとする。この後の衝撃に備えて。しかし。

「ばーか、このオレ様をネット越しにつぶそうなんて、考えが甘ぇんだよ。ったく……術の送信元、追尾しちゃる!!

怒りのこもった雅の声に、あれ、と思って御室は顔を上げた。つい先程その場で、半ば独り相撲の体で暴れていた雅は、倒した椅子をすぐにも起こすと、どっかとそれに腰掛け、再びパソコンを操作し始める。今のは何だろう、彼は一体何をしているんだろう。様々な疑問が御室の頭に湧いてくる。しばしの間、何事が起こったのかを把握できずに呆然としながら、その疑問さえ頭の中でスルー、しようとしていた所をとどめて、御室はその場にはねるように立ち上がった。

「って葛城?!今っ……今のっ」

「ん?ああ……御室、どっかけがとかしてねーか?」

「え?あ、ぼ、僕は平気……じゃなくて!今の何?」

そのまま、体当たりでもしそうな勢いで御室は雅の腰掛けた椅子の後ろから、パソコンの画面が見える位置に飛び込む。勢いあまった御室の衝撃を背中に受けながら、しかし雅は振り返らず、変わらない口調で言った。

「今のがさっき言った、術を回線通して、ってヤツだよ。よくわかんねーけどここの学校、あんまりにもそーゆー手合いが多いのと、ホンモノの神様山に飼ってる、とか言う噂で、そこいらの呪術道場ばりの結界が自然にできてるらしいけど、ネットとか電話の回線だと、そいつくぐって中まで術が届いちまうらしいんだ。俺もこれでやられたの、四回目だ」

「よ、四回……」

「術はウィルスじゃねーからセキュリティーじゃはねらんねーんだよ。だからこーやって、自分ではじき返すしかない……っと……おっ、見付かった」

話している間にも、パソコンの表示は変わっていたらしい。雅の言葉に驚いていた御室は我に返り、更に雅に質問を投げつけた。

「葛城……何して……」

「添付メールのアドレスだよ。こいつ阿呆もいいとこだな。オレのサイトのフォームから送ってやがる」

へへん。雅はそう言ってどこか得意げに笑って振り返る。御室は恐る恐る、画面の表示を覗き込む。驚いているらしく、言葉はない。

「さーて……お返事させてもらおうか。おんなじ術式、そっくりそのまま返して……」

「葛城……これって個人のアドレスじゃ、ないんじゃない?」

御室の言葉に、雅はその目を丸くさせた。画面を指し示す御室の指先には、アルファベットと数字の文字列で、こう示されていた。

****-h-2-c-13@hosinagakuen.co.jp

「……ホシナガ……クエン?」

眉を酷くしかめ、首をひねり、ひっくり返りそうな声で雅が言う。御室は落ち着きを取り戻したらしい。何かに気付いたようにその目をまたぱちくりさせると、

「ああ……近く、でもないところにある私立高校だよ。きっとこれ、そこのパソコンからの送信だね。そう言えばネット犯罪ってこういう私立の学校の施設から、っての、よくあるって言うよねぇ」

と、何やら論点の違う事に感心しているように言う。雅はと言うと、

「チキショー!誰だ、こんなふざけた真似するヤツぁっ。危うくオレのパソコンが壊れるとこだったじゃねーかぁっ。あーもー腹立った。ここのガッコごと呪ってやるっ」

「葛城、それはやめたほうがいいと思うよ?ってゆーか……そんな事できるの?」

何やら怒っているらしい。キーッ、とでも叫びそうな勢いで絶叫し、どたどたとだその場で地団太を踏む。背後でそれを見ていた御室は額に汗を浮かべて、あはは、あはは、と小さく乾いた笑いを漏らし、そんな雅をなだめるようにとりあえずそんなことを言ったのだった。

 

そして、翌日。

「へーえ、ネット回線通して、術の転送。器用な人もいるもんね」

普段通りに高校生の朝は始まり、朝も早よから、雅はクラスメイトの女子、松浦千破矢に捕まっていたのだった。突然の「あんた昨夜寮で何かしたでしょ」である。別に何も、とごまかしても良かったが、そのごまかしが効く相手は、このクラスには滅多といないだろう。というより、気付いたとしてもこうもずけずけ聞いて来る方も、珍しいというかおかしいのだが。まぁいいや、どうせ松浦だし、と、何となく腹で彼女を小ばかにして、ああ、と雅は比較的素直に答えたのだった。そこへ、「実は昨日葛城が、自分の部屋で」と御室が首を突っ込んできたため、話は自然の成り行きで展開されたのだった。が、

「葛城の同居人って、確か佐竹だったでしょ。怒ったんじゃないの?」

こそこそと、今はそこにないクラスメイトの名を口にして、松浦が雅に尋ねる。雅は、何に対しても答えるのが面倒らしい。朝っぱらから渋面で、

「まぁな。けどしょーがねーじゃん。俺だけじゃなくて御室も巻き添え食うとこだったんだし」

「あんたそーゆーの、やめといたほうがいいんじゃない?ネットでバイト、とか」

「あれ?松浦さん、なんでそのこと知ってるの?」

ひそひそといった松浦の言葉に、目を丸くさせたのは御室だった。雅はさもいやそうな顔で何も言わずにそっぽを向いている。松浦は御室に向き直ると、

「この前の日曜、依頼(いより)と買い物に言ったら出くわしたのよ。パンク服で徘徊してるとこ。それで、あの格好で拝み屋のバイト、なんて今日び漫画のネタにもなりゃしない、って、みんなで話してたの。昨日の昼休みに」

「……何?」

最後の一言が引っかかったらしい雅は、渋い顔を更に渋く、そして怪訝そうにさせて、きょとんとしたままの松浦と、それから何気に周囲を眺めた。尋ねたのは御室だった。

「松浦さん、みんな、って?昼休み……」

「うん、そーよ、ここで」

けろっとした顔で松浦が言う。雅は黙って、と言うより何か言える訳もなく、ややもすると青い顔で辺りを見回し、やたらな人数のクラスメイトと目をあわせ、その後その場に固まる。

「……ばればれだね、葛城の事」

「っていうか、あんたやり方が派手なのよ。普通アルバイトで、しかも寮の部屋でそういうことする?ネットで仕事の依頼受けたり、とか。本当、最近のオカルト漫画じゃあるまいし」

ばかじゃないの、と、松浦は淡々と付け加えた。御室は困ったように笑って何も言わない。そこへ、おずおずとやってきたのは長い黒髪の少女、(つま)(ぐし)依頼(いより)だった。先日市街地でたまたま出くわしたもう一人だ。心配そうに雅の顔を覗き込み、

「な、何だかよく、解らないけど……葛城くん、気をつけてね」

「そーよ、気をつけなさいよ?本部がらみのこのコにも、知られちゃったんだから」

「あ、そうだっけ。妻櫛さんて確か、学校の本部の団体の神社で巫女さんやってたっけ」

「うん……あ、でもね、葛城くんのことは、内緒にしておくから、その……」

「依頼、こんなヤツ甘やかさなくてもいいのよ?放っといたらまた何しでかすか解んないから。佐竹も怒ってたわよ?いつだったか、部屋で火事が出そうだった、とか言って」

周りの会話についていけない。というか凍りついたような状況で、雅はそのまま黙っていた。どうやら自分の所業はクラス内にだだ漏れ、もとい、周知の事実となっている様子である。確かに、派手に術を展開すれば、近くにいる同じ様な体質の人間に感知されないはずも、ないといえばないのだが。

「……せっかく結構な結界、部屋に張ったのに……」

硬直を解いた雅の最初の動きは、その場に崩れる、それであった。がくりと首をうなだれ、自信でも喪失したかのような体で、どこか哀しげに雅が呟く。そこへすかさず、

「だからばればれだってゆーのよ。ねぇ?」

「うーん……どう答えていいのか、僕にはちょっと……」

「何よ、御室。この期に及んでそういう発言する気なの?」

「いやぁ、そりゃ、松浦さんは何でも言えるかも知れないけど……」

「あたし?別に、特別な事なんて何も言ってないわよ?ただ……」

周りで自分勝手な高校生の会話が続く。顔面を手で覆って、そのまま雅はしばしうなだれていた。妻櫛はおろおろしながら、何とも言いがたい会話を続ける松浦と御室、それにショックで立ち直れなさ気な雅とを、交互に見ているばかりだ。

「おぅ、朝っぱらから何ショック受けてんだ?葛城」

「ああ、どうせ昨日の騒ぎの事だろう?寮監が騒がなかったから、特に大きなことにもなってないんだろうけど」

「は、何?昨日?何かしたのか?あいつ」

「気が付かなかったなら、猿和香には関係ないことだから、気にするな」

うなだれる雅に、そこへやってきた猿和香と千間の二人が追い討ちをかけるように言う。雅はうなだれたまま、それでも言葉もない。

「あの……葛城、くん?」

「何こいつ。何こんなにヘコんでんの?」

「寮の部屋でした大立ち回りが筒抜けなのが哀しいみたいよ」

「それは仕方ないだろ。あれだけの大きな結界があったら誰だってわからない訳がないし。大体ここの敷地内で派手に動けば、神社の御神体が出てきて邪魔するに決まってる」

「あ、それはあるかも。ねぇ?依頼」

「え?えっと……そんなこと、ないと思う、……けど……」

「ここの御神体が出てくるって?」

「猿和香って本当に鈍いわよね。なんでうちのクラスなのかしら」

周りは、雅を置いてけぼりで普通なのかそうでないのかわからない会話を展開していく。その話し声さえ聞こえていない雅に、怒声が叩きつけられたのは直後だった。

「葛城!ここにいたか!」

ずかずかと、声の主は小さな人だかりの出来たそのそばへと歩いてくる。呼ばれたことに、力なく顔を上げた雅は、そこで、げっ、と小さく声を漏らす。背の高い、がっしりした体躯の、彼らと同じ制服を着た少年のお出ましに、その場にいた全員も顔をそちらに向ける。

「あ、佐竹」

「おはよう、佐竹くん」

「朝から機嫌悪いな、佐竹。何かあったのか?」

顔を嫌悪と驚きの表情で彩った雅は、しかし直後その表情を引き締めた。来るなら来い、とでも言いたげな、しかしそれでもしり込みしていると丸解りの顔つきで、雅はその少年に言葉を返す。

「なっ、何だよ、佐竹。何か用か?」

「同じ部屋で同じクラスのヤツの科白じゃないな、今の」

「って言うか佐竹もおかしくない?寝起き一緒なんだし、なんでわざわざ探してたの?」

千間と御室がそんな風に言う。怒り心頭、の体裁でやってきた大柄の少年はそこにたどり着くと、

「こいつ!!人が寝てる間に金縛りなんかかけていきやがったんだ!」

言うなり、彼、佐竹(さたけ)(ゆき)(なり)は雅の襟首を掴んで引き上げる。つられて、雅はぐえ、と小さくうめいた。

「ああー、それは怒るよね、佐竹も」

「しかもこいつが張った結界のおかげで反作用が起きて、解くに解けなかったんだ!遅刻寸前だぞ!!

「何言ってんだよ、ちゃんと解いてここに来てんじゃねぇか。それに、HRだってまだ始まってねぇし、全然遅刻じゃ……」

「朝の修練に顔も出せなかったんだ!!充分遅刻だ!!

ぎりぎりと佐竹は雅の襟を締め上げる。ぐぇぇ、とまた雅は苦しそうに、締め上げられてうめき声を立てる。

「自業自得よね」

「そうだね。人が寝てる間に金縛りはないよね」

「でもっ、佐竹くん、止めなきゃ!」

「ほっとけよ。葛城だってそのくらいのこと覚悟してるだろうし」

周囲は、その二人のやり取りをごく普通に見ているばかりだった。が、やがて、

「でもどうして葛城、朝になってから佐竹に金縛りなんかかけたのさ?どうせ夜のうちにけんかの一つもしたんでしょ?」

御室が首を傾げて言う。答えるように千間、

「ああ、してた、結構派手に」

「だけど途中で佐竹に電話が入って、呼び出されたから中止になったんだ。こいつそのスキに俺達の部屋に来て」

付け足すように猿和香が口を開く。が、その最後まで言い切らないうちに、

「自分に目眩ましかけて、人の寝込みを襲ったんだよ!この邪法師が!!

言いながら、佐竹は雅をつり上げていたその襟元を投げ捨てた。勢い、雅は床に投げ出され、尻餅をつく。げほげほと、雅は座り込んで咳き込み、妻櫛があわててそれをフォローに行く。

「自分に目眩まし?何、それ」

誰に問うでもなく御室が首を傾げて言う。それに答えたのは松浦だった。

「印象迷彩、っていうヤツでしょ。自分の気配を消す術よ。敵から身を隠すのに使うらしいわよ」

「へぇ、そんなことも出来るんだ、器用なんだねぇ、葛城って」

どこかのんきな二人に構わず、佐竹は未だ怒り収まらず、といった顔のまま、

「いいか、二度と部屋で騒ぎを起こすな。巻き添えを食う俺の身にもなってみろ!」

「大変よね、佐竹も。あんなのと同じ部屋で寝起きって」

「うーん……でも、そこまで神経質にならなくても、いい気もするけどな」

「佐竹だって自分の身くらい守れるだろう?猿和香みたいな無能と違うんだし」

「そういう問題じゃない。それにオレは、お前らみたいに器用じゃない」

直後の松浦、御室、千間の言葉に、佐竹は振り返らず、床に座ったままの雅を見下ろし、答える。その言葉に首をかしげたのは御室と松浦だった。二人は顔を見合わせ、

「え?何?どういうこと?」

「だって佐竹、あたしたちと同じクラスじゃない。そうじゃないの?」

「『そう』って何だよ?」

むっとしたまま、佐竹はそんなことを言い合う二人へと振り返る。側ら、もっと訳がわからなさげな顔をしているのは猿和香で、その脇、千間が言う。

「佐竹の家は確か『太刀振るう武士(もののふ)』の系統だろ?」

「何よ、やっぱりそうなんじゃない」

唇を尖らせ、松浦が抗議する口調で言う。短く溜め息をつくと、

「オレは葛城や松浦みたいなことはできないんだよ、だから」

「だから?」

「太刀持ちで、勘を頼りに動くだけだ。小道具も呪文も何も使わない。まして、自分から何かできるわけじゃない」

どこかうんざりした口調で佐竹は言った。そしてもう一度、雅を一瞥し、

「いいか、もう二度とあんな真似するな。自分が悪いと思ったら頭下げて来い、あんな風に逃げるな」

「ばかやろー、謝ったって殴られんだろ?お前短気だから……」

げほげほ、をまだ続けて、雅が小さく負け惜しみじみた事を言う。佐竹はその言葉に、

「お前に言えたことか、それが!」

激昂して再び雅に掴みかかろうとする。また殴られんのかよ、と雅が思ったその時、

「あーもー、やめなさいよみっともない!」

目の前に松浦が一瞬で飛び込んだ。言いながら、松浦が佐竹の鼻をつかむ。一瞬で周囲は静まり返り、その松浦に視線が集中した。鼻をつかまれた佐竹はその動きに圧倒されたかのようにそこに凍りつき、間抜けな格好をしながらも、怒った様な顔つきで自分を睨む松浦をただ見ている。周囲も、それと同じだった。座り込んだ雅も、その傍についている妻櫛も、つい今しがたそこで話していた御室も千間も猿和香も、同様である。

「朝っぱらから、小学生の喧嘩じゃあるまいし。部屋で無茶した葛城も悪いけど、佐竹も佐竹よ。暴力に訴えたらいいってもんじゃないでしょ?」

「う……けど、それは……」

「黙って聞く!それとも、今ここであたしが暴力に訴えてもいいの?」

鼻をつかまれたままの佐竹の反論を、聞く耳持たない態度で跳ね除け、松浦が言う。そこに質問したのは御室だった。

「って、暴力に訴えるって、どうやって?」

「この場でこの鼻、へし折るの。すぐにも折れるわよ?こんなの」

けろっとした顔で松浦が言った。質問した御室も、その隣の千間も猿和香も、座り込んだままの雅も、同様に鼻をつかまれたままの佐竹も、言葉も無くその場で青ざめる。あわてて立ち上がったのは妻櫛で、必死の形相でその松浦の腕に飛びつき、

「だめよ千破矢!そんな事しちゃ」

「やーねぇ、依頼。言ってみただけよ。本気にとらないでよ」

その妻櫛の行動に、からからと笑って松浦が言葉を返す。が、佐竹の鼻はつかまれたままだった。妻櫛は泣き出しそうな顔でそんな彼女を見、

「え?ほ、本当?」

「あたしが今ここで嘘ついてどーすんのよ。できなくもないけど、そんなおイタするほどばかじゃないわ。まぁ、こいつに反省の色がなくて、また暴れたりしたら、するかもしれないけどね」

ふふん、と、松浦はそう言って佐竹に笑いかけてみる。手はするりと離れるが、佐竹も、座り込んだままの雅も、あとの三人も、やはり気圧された様に動かない。

「さ、席にもどろ、依頼。すぐにHR始まるわよ?」

「う、うん……」

その様子を気に掛けながら、妻櫛は松浦に促されてその場を離れる。残された男子五人は呆然の体で、歩き去る女子二人を見送りながら、

「ま、松浦、怖ぇ……」

「鼻が折れるって、あいつ何やってんだ?」

「佐竹なら知ってるでしょ?本部の植芝さんのところで、一緒になるだろうから……」

「さあ……俺は部活の方が忙しいから、植芝先生の所は、たまにしか行かないし……」

「つーか、女子が鼻へし折る、なんてフツー、言うかよ……」

それぞれの体でそんな風に呟いたのだった。

 

その日の業後、である。

「葛城、一体何する気なのさ?」

「うるせー。御室、そういうお前はなんでついて来たんだよ?」

「いや僕は……ちょっと興味があって……」

いや、正確には業後以前に、二人は学校にはいなかった。昼食後、教室に戻ろうとしなかった雅にくっついて、御室はそのまま校門を後にした。現在は別の高校の門の前に立っている。

「ちょっとの興味で授業サボんなよ?」

「そういう葛城こそ、私怨で授業サボってるじゃないか」

「は?……何だそれ。私怨?」

「だってここ……昨日の変なメールが来た学校じゃない」

ちょっとふて腐れて御室が言う。ちらりと雅が一瞥した方向、レトロなデザインのレンガ造りの門があった。学校法人保科学園高等部、と、青銅風のプレートの付けられたその門を眺めて、ああ、と雅は言う。

「そーじゃねーよ。そう言えば、って思っただけだ」

「そう言えば、って?」

ついさっきまで怒っているようだった雅の態度が柔らかくなると、御室もふてた顔を緩めて、いつものように首をかしげて見せた。雅はその校門を眺めながら、

「この前の、すっぽかし食らった依頼主の事だよ。イタズラじゃない証拠に、つって学校名と現住所、メールで書いてきた。それも信用出来ねーけどよー」

ばりばりと、硬いくせっ毛の髪を書く。そして、しながら、

「ま、お前一人なら別にいいんだけど……」

そう言って雅は振り返り、大きな溜め息をつく。御室も、同様に後方へと振り返った。

「なんでお前らまでついてくるんだよ?」

「だって……放っとけないでしょ?」

答えたのは、そこにいた松浦だった。ふて腐れて、少々罰の悪そうな顔をしている。そしてその陰に隠れるように、妻櫛、

「ご、ごめんなさい、でも……」

「御室はともかく、お前は放っとくと何をしでかすかわからないし」

そう言ったのは松浦の隣にいた千間だった。こちらは、悪びれた様子もない。その隣では猿和香が、

「そーだぞ。お前ら二人だけ授業サボってこんなとこ来るなんて、ずりィじゃんか」

何だか的の外れた抗議を始める。雅は大きく溜め息をつき、その顔を改めて上げ、声を更に投げた。

「で、お前はなんでここにいるんだ?佐竹」

集団の一番後ろ、そこに彼のルームメイト、佐竹がいた。ふて腐れて、佐竹は睨むように雅を見返し、

「そ、それは、だな……その……」

「オレに騒ぎを起こして欲しくねぇヤツが、何でここに来てんだよ、なあ?」

雅の言葉に、そこにいた全員がその佐竹を見遣る。佐竹は、うう、と小さく唸り、唸っただけで何も言おうとしなかった。かなり、ばつが悪いらしい。はん、とわざとらしく鼻で笑い、雅は大袈裟な手振りをつけて言った。

「お前みたいなヤツでも、こーゆーことに興味があるのかよ?ミーハーも程々にして欲しいよなぁ」

「なっ……オレは、別にそんな……」

あからさまに小ばかにされて、佐竹は反射的に反論を試みる。が、言葉はやはり続かない。なおも雅はその態度を改めず、手振りまで添えて何か言おうとしたその時、

「何言ってんの、心配してんのよ、佐竹は」

さらりと松浦が言った。視線は一斉にそちらに向き、両の手を広げて肩ほどの高さにまで上げた格好で、雅も思わずそちらを向く。

「は?……心配?何が?」

「松浦、オレは別に、葛城の事なんか……」

「だってそうじゃない。心配じゃなかったら放っとくわよ。授業サボってこんなとこ来て、下手すりゃ全員停学よ?ま、うちの学校、というよりうちのクラスは色々特別扱いだから、大目に見てくれる可能性もなくもないけど。それでもフツーこんなことしないわよ、ただ迷惑がってるだけじゃ、ね」

佐竹は先程よりもばつが悪いのか、地面を向いて渋い顔をしていた。雅は手を上げたままで目をぱちくりさせる。そして、

「ふーん、そうなんだ」

「……え?」

全く気のないその言葉に、その場の全員の目がまた雅に向けられる。手を下ろし、雅はけろっとした顔でこう言った。

「別にお前らがどう思っててもかまやしねーけどよ、このオレがやばくなったりしくじったりするわけねーじゃん。ま、その辺で見てろよ」

くるりと雅はきびすを返し、すたすたとそのまま歩き出す。全員、思わずそれを見送り、

「な、何よ、今の……」

「すごい自信だね、葛城」

「つーかアレ、天狗になってんじゃねーのか?」

「確かに、多少痛い目にあわせる必要があるかもしれないな」

無言なのは妻櫛と佐竹だった。と言っても、妻櫛は不安そうに佐竹をうかがい、佐竹はその場で立ち尽くし、わなわなと震えている、そういう状況だった。

「さ、佐竹……くん?」

おずおずと、そんな佐竹に妻櫛が問いかける。佐竹は、どうにも出来ない感情を必死で押さえ込むようにこぶしを握り、突っ張るように足を踏ん張ってそこに立っていた。その目だけをしっかりと、雅の背中に向けて。

「ほら、ついて来い、愚民ども。オレ様の華麗な活躍をじっくり見せてやらぁ」

からからと雅は笑う。その背中を見て、千間が言った。

「一回コテンパンにしてやった方がいいかもな、あいつ」

「松浦さんに鼻でも折ってもらう、とか?」

側らで、御室が冷や汗しながら言った。

 

二年F組の緒方由美子、という生徒を呼び出して欲しい、と雅が頼んだのは、松浦千破矢に、だった。時計は三時を回り、授業時間も終ったらしく、あちらこちらに生徒達の姿が見え始める。校門の前、雅はそう言ったきり、周りをほぼ無視して携帯電話を操作し始めた。

「なんであたしがそんなことしなきゃなんないのよ?」

「だって相手女子だぞ。だったらオレよりおまえらの方がいいじゃん」

松浦は、言われて仕方無しに、妻櫛と御室と連れ立って校内に向かい、残った男子はその門の前で特別何をするでもなく、ただたむろしている体裁である。当然、見慣れない制服の一団は、その場で半ばさらし者だった。通り過ぎる生徒達の注目を、一身に、でもないが受けている。ほぼ無視しているのは千間、あちらこちらを伺いながらも落ち着いているのは佐竹、そして猿和香は、

「やっぱ余所のでかい学校はいいよなー。見慣れない可愛い子もいっぱいいてさー。俺ここで彼女でも作ってこっかなー」

「猿和香、やめとけ。どうせお前は女受けしない」

「へ、なんで?」

「女って言うのは、自分より造形の整った男には腹が立つらしいから」

「……何だよ、それ」

クラスメイトのついでにルームメイトの千間に言われ、猿和香は露骨に眉をしかめる。千間は変わらない顔のまま、

「言葉の通りだ。男の制服着てなかったら、お前は絶対ナンパされる」

自分の容姿の事を全くわかっていない、かつ、何やら頭のねじがゆるみ気味の「取り柄と言えば舞踊だけ」とそこだけ自覚のある猿和香はその言葉に眉を顰め、首をひねる。普段と全く変わらない様子の二人の事はさておき、佐竹は雅を何気に見遣った。相変わらず、雅は携帯電話の画面を見ながら何やら操作している様子だった。横顔は真剣そのもので、声を掛けるのもはばかられる。同室になって二ヶ月ほどだが、実のところ佐竹はこの同居人の事をよく知らない。朝夕にその能力を維持、制御するための鍛錬をやっていることも関係して、寮には殆ど眠りに戻るようなものだし、何しろ接点らしいものもない。同じクラスにいても、恐らく寮で同室でなければ顔と名前程度しか知らずにすんでいたことだろう。どちらかというと佐竹は、周りの人間と広く浅く付き合うタイプではなかった。クラスに友人がいないわけではないが、雅のようなタイプとつるむ性分でもない。自分の能力を生かしてアルバイト、とは、高校生にでもなれば誰でも考えることだろう。だが、その高校生の分際で、その高校生を相手に呪術を行使して金銭を取る、と言うのは世間一般的に見て、どうなのか。一度佐竹は雅に尋ねてみた。が、返ってきた答えは簡潔だった。

「別にオレ、詐欺してるわけじゃねーもん」

人をだまして金銭を奪っているわけではない、まして犯罪をしているわけではない。校則や寮則には引っかかっているが、特別悪いことをしているわけではないから構わないと、彼はそう言ってのけたのだ。確かに呪術は法では裁かれない。けれどそれでも、と重ねて佐竹が言うと、雅はこれまた簡単に言った。

「だから、そーゆーことはしてねーって。オレがしてるのは便利屋なの!」

聞く耳持たない、そう言われたようで、以来佐竹はそれに関わらないようにしている。もっとも、部屋で大事をかましたなら、話は別なのだが。

「……何だよ、佐竹」

不意に、雅が顔を上げた。自分をじっと見ていたような佐竹に、眉を寄せて雅が問うように言う。佐竹は表情一つ変えず、

「別に、何も」

「あ、そ。顔に何か付いてんのかと思った」

その答えに、少々腹立たしげに雅は言葉を返す。そして、

「そう言えばお前、ここの学校の中、入ったことあんだろ?」

「……何だよ、急に」

「いいから答えろ。部活の練習試合、とか、言ってなかったか?」

ぶっきらぼうというか乱暴に、雅は言ってその視線を門扉に向けなおす。ああ、と、気付いたように佐竹は呟き、瞬きの後その問いに答えた。

「一度だけ。でも武道場だけだぞ?」

「ふーん……じゃあ、わかんねぇか」

素っ気無く雅は言って、癖のようにその髪をばりばりと掻く。何だ、と思う佐竹に、問われもしないのに雅は答えるように言った。

「昨日の術、ここから送られて来てんだよ」

「昨日の……術が?」

佐竹は思わずその言葉を繰り返すように口にする。雅はそのまま校舎を眺め、難しそうな顔をして黙っている。

「それじゃ、それを追ってきたのか……」

「いや、そうじゃねーけど」

佐竹の、うめくような呟きにも、軽く雅は返す。自分の判断に納得しかけていた佐竹は、え、と声を上げて、

「じゃ、どうして……」

「あ、戻ってきた」

校舎を向いていた雅の視線が動く。その先、校内に入っていた松浦、妻櫛、御室の三人の姿があった。何やら揉め事になりそうだった千間と猿和香も、その声に反応してそちらを見遣る。が、

「おい松浦、緒方由美子は?」

「今日はお休み、だって。何だかこの頃あんまり体調が良くないみたいなんだって」

「何ぃ、休みだぁ?」

ストレートな松浦の答えに、雅がすっとんきょうな声を上げる。そこに歩み寄るようにして、千間、

「外れたな、葛城」

「え、何?無駄足なのかよ?じゃーさ、どっかで何か食って帰ろーぜ」

直後、はしゃぐ子犬にも似た体で言ったのは猿和香だった。それに笑って御室が返す。

「猿和香らしい意見だね、それ」

「何だか小腹が減っちまってよー……近くにコンビニでもありゃ、それでも……」

雅は不機嫌も顕にそこでふて腐れる。と同時に、松浦が言った。

「その子最近何か悩んでたみたいで、ちょこちょこ学校休んでるんだって。家、近いらしいわよ?そっち当たる?」

「当たる、って言ったって……何処にあるのか、わかるのか?」

松浦の言葉に千間が何気に問う。松浦は目をしばたたかせると、

「ってゆーか、この人が連れてってくれるって」

そう言って背後へと振り返る。同時に、視線は全てそちらに向けられた。さらさらとした髪を短く切った、その一団と同じ年頃の眼鏡の少年の姿が目に入って、雅は作っていた渋面を解く。一見、爽やかな眼鏡の少年は、御室もかくや、のにっこり笑顔を作ると、その表情に相応しい、これまた爽やかな口調で言った。

「うちの隣なんだ。よかったら案内するよ」

「例の彼女の幼馴染の、加藤くん」

雅以下の、校門前にいた四名が、松浦の言葉にその目を丸くさせる。加藤と紹介された少年は軽く会釈をすると、

「とりあえず、裏門に回ろうか。そっちの方が近いから」

言って、出たはずの校舎に向かって再び歩き出す。真っ先にそれに続いたのは猿和香で、後に千間、松浦、妻櫛、御室、そして佐竹が続く。雅は最後尾、不意にその眉を顰め、僅かの距離を置いてから歩き出す。何か、何か引っかかる、って言うか、都合がいい気がするな、と思いつつ。先頭では猿和香が、間の抜けたほど無防備に、加藤少年に絡んでいる様子が見える。やれ、街の学校はいいだの、可愛い女の子がいるだの、のんきというより不躾なほどの言葉に、話しかけられている方も少々辟易気味のようだ。やめなさいよ、と止めているのが松浦で、妻櫛がそのそばでいつものようにおろおろしている。ごく普通の高校生の一団が、ごく普通に話しながら移動している。何処でもよく見る光景だが、何だか妙な感じだ。歩きながら、雅は幾度と無く立ち止まり、そんなことを思った。その雅に気付いて、先を歩いていた佐竹も、立ち止まって振り返る。

「……葛城?」

何事かと、問うように佐竹が呼びかける。雅は益々眉をしかめて、ただそこで首をひねるばかりだ。

「何だ……どうかしたのか?」

「……つーか、妙な感じがしねぇか?」

「……いや、特には」

問い返されて、佐竹は辺りをぐるりと見回す。そして、

「余所の学校でうろうろしてるから、とか、そういうのは、あるけど……」

「……何か、妙だ」

僅かに、先に行く友人達を見送って、雅が呟く。相変わらず、猿和香と松浦が何やら大きな声で話していた。その先頭集団から、時折妻櫛が、どこか不安そうに雅に視線を向ける。はぐれる事を思案しているようにも見えるが、それにしては回数が多い。その様子に、佐竹も僅かな違和感を覚えた。何かあるのか、それとも、考えすぎか。

「葛城……」

「いざとなったらオレが何とかするけど……お前らも術者の端くれなら、自分の身くらい自分で守ってくれよ」

言って、雅は小走りにそこから駆け出す。僅かに見送って、佐竹もその後に続いた。

 

正門から入り、校舎を右手に回りこむ。グラウンドの喧騒やブラスバンドのパート練習の音、それとは別の生徒達のざわめきが辺りを取り巻いて、それを通り過ぎると、一行は奇妙な静けさの、余り広くない場所へと出た。物置とも倉庫ともつかない、古びた小屋がその先に見える。

「あれ?行き止まり?」

まずそう言ったのは猿和香だった。裏門らしきものはそこには見えない。小屋の周囲にもがらくたと思しき物の山が見える。破れた体操用マットや、タイヤのひしゃげた自転車、空き缶が詰められたビニル袋など。恐らく回収を待つ間、一時的に保管されているのだろう。それらが雨の当たらない屋根の下に固められていた。

「加藤ー、自分の学校なのに迷子かよ?しっかりしなきゃ……」

なれなれしい口調で猿和香が言う。加藤少年はそちらを見てにこりと笑い、

「いや、迷ってはいないよ。僕はここに来るつもりだったから」

「って、だって裏門から出るって、さっき言ってたじゃない?」

そう言ったのは御室だった。その顔には、いつものニコニコ、がない。他の誰もが、その時神妙な顔で黙り込んでいた。松浦と千間は睨みつけるようにして、妻櫛は不安げに、にこやかな加藤をただ見ている。

「裏門はないんだ、実は。だからここは、校内の一番奥、ってことになるかな」

「って何よあんた!こんなとこにあたしたち連れて来て、何するつもりなのよ!」

言いながら、松浦は妻櫛を庇うように立ち位置を変える。加藤はそちらを見て、

「君たちには何も。まさか全員、のこのこ着いて来るとは思わなかったけど」

そう言ってから改めるように、一番後ろに立つ雅へと視線を向けた。穏やかだった笑みが、どこか冷たいものへと豹変したのはその時だった。無言のまま雅はそこに立ち、彼を睨み返すようにして動かない。

「彼女が、君に世話になったみたいだね」

「俺は何もしてねーぞ。約束すっぽかされただけだ」

雅は舌打ちする。そして、いらつきを丸出しの声音で加藤に問いかけた。

「お前か?オレのパソコンにネット通して術送って来たのは」

その場の視線が一斉に、雅と加藤に向けられる。加藤はクス、と笑みを漏らすと、中指でずり落ちた眼鏡の鼻当てを押し上げた。

「まさかここに来るとは思ってなかったよ。葛城、雅くん、だっけ。彼女に何を聞いたのか、教えてくれないかな?」

答えず、加藤は逆に雅に問い返す。雅の側ら、佐竹は思わず口を開いていた。

「葛城……一体、何が……」

「まだ何も聞いてねーよ。話だけでも聞いて欲しい、つって書き込みとメールがあって、出向いたら待ちぼーけ食らった。何か、聞かれてまずい話だったのか?」

「さぁ。僕もその辺りのことを知りたいんだけど……肝心のことを教えてくれないんだ。君みたいなヤツに連絡したってわかって、僕としても心配してるんだよ。ネットで、何か変なことにかかわってやしないか」

「それより、添付ファイルで調伏呪術送りつけるヤツと知り合いってだけで、充分変な事に関わってると思うけど」

雅が言葉を返す。くすくすと笑っていた口が、滑らかに真言を()したのは直後だった。

「オンダキニバザラダドバンアビシャロキャウンハッタ」

わん、と耳の奥が歪むような音が聞こえる。空気の流れが変わった。そんな感覚が走り、

「うわっ、な、なんだぁ?今の」

「ちょっと葛城、何よこれ!耳が……」

猿和香が真っ先に声を上げ、異変に反応するように松浦が振り返る。その背中にしがみ付くようにしていた妻櫛も同じく不安げに雅へと振り返り、しかし何も言わない。

「ダキニか……ベタだな」

「千間はこういうの……平気なの?」

「平気じゃない。けど専門家がいるんだ、任せたらいい」

咄嗟に手を合わせた御室の問いに、千間はさらりと返す。雅は微塵もその場から動かず、傍ら、息を飲んで佐竹がそれを見守っている。

「なんでこんな所でこんな風に襲われるのか、見当がつかないんだけどな」

「のこのこ着いて来る方が悪いんだよ。どうして緒方の家にまで行こうと思ったんだ?」

「困ってるから助けてくれっつっといて、トンズラされたら気になるだろ。一応これで飯食ってるしな」

「女子高生から呪術まがいの事で金を巻き上げて?そういうのは詐欺と変わらない……」

「ぐだぐだ言ってねーでこのもやもやしてる鬱陶しいモン、どけろ!」

言い放ち、雅はその腕をその場でなぎ払う。ばっ、という音の後、周囲の空気は風のようにその流れを変えた。つむじ風が発生し、よどんでいた気配と、耳の奥を揺るがす振動を押し流していく。その風の勢いに、その場にいたそれぞれがそれぞれに体をかばうように体をかがめる。

「ちょっと葛城、何してんのよ!」

「うわっ、いてーっ。何だ何だっ」

「葛城、一体どうなって……」

松浦、猿和香、佐竹がそんな声を上げる。雅は無視して剣の印を結び、その場でまた横なぎにする。

「オンアビラウンケン!」

直後、荒れ狂う風のようにそこにあったものが、消えた。驚愕の顔で、松浦、妻櫛、御室、そして佐竹が、落ち着き払った、どこか冷たい笑みのままで加藤が、腕を払ったままの雅を見ている。やれやれ、と言いたげな口調で呟いたのは千間だった。

「着いて来るんじゃなかったな、こりゃ」

「ここまで来て言う科白かよ。今更だろ」

はん、と鼻先で雅が笑う。千間は変わらない表情でそのまま、驚いている佐竹を見遣った。佐竹は息を飲み、平然とした千間を、ただ見返す。

「だそうだ。心配して損したな、佐竹」

「誰もしてくれって頼んでねーよ。ついでに、大人しく見てるって約束すりゃ、無傷で帰れるぜ?」

どこか疲れたような目で、雅は佐竹へと向き直る。それから、やれやれと言いたげに息を吐く。何事か見当がつかず、佐竹は問うように、その名を呼んだ。

「葛城……?」

「君たち、そんなところで勝手に話してないで、僕の質問に答えてくれないかな?」

ほぼ無視された体裁だった加藤がわざとらしいほどの声音で、その場の三人に問いを投げる。その三人が自分に気付くと、彼は、ともすれば人当たりさえ良さげな笑顔で、

「彼女は君に一体何を依頼したんだ?ここの所ずっとふさぎがちで、僕も心配してるんだけど、訳を教えてくれないんだ」

「だからオレは知らねーっつってるだろ?」

「そうかな……ちょうど符合するんだけどな、彼女が君のサイトに書き込みを始めた時期と、様子がおかしくなった時期」

言いながら加藤がその手をひらめかせる。

「オントウドウシンシンソワカアビシャロキャウンハッタ」

バリバリッ、そんな音を立てて、閃かせた手の周りに光が走る。チ、と雅は舌打ちし、両の手を組んで剣形と呼ばれる印を結ぶ。

「我頼む人に災難在らば北野の神と名を呼ばれん」

「伏せろ!

光のまとわりつくその手を、加藤がなぎ払う。雅を中心としたその場所に落雷に似た現象が起こったのはその時だった。雅の叫ぶような声に、その場の全員が各々に体を地に伏せる。幾筋もの雷が地面を切り裂くように暴れ、衝撃で数人が声を上げる。

「きゃあっ」

「うわっ、何だ、何だ何だ、何だ?」

「葛城!一体何がどーなってんのよ!」

「いいから大人しくしてろ!シロートが、舐めた真似すんじゃねーぞ!」

がぁっ、と吼えるように言い放ち、それから雅はその場で大きく叫ぶ。

「南無不動尊、七難即滅!」

ゴッ 地面から、降り注ぐ雷を押し返すように力が巻き起こる。バリバリと音を立てていたものはそれにそのまま押し返され、中空で瞬時に消え去った。雅は加藤を睨みつけ、そのまま怒りに任せるように怒鳴り返す。

「てめこの……俺のダチに何しやがる!」

「それは僕の科白だよ。彼女に……由美子に何をした?変な呪符や人形を送り付けたり、挙句に付きまとって」

「は?……付きまとう……?」

言葉と共に加藤の表情が暗くなる。つい一瞬前まで怒りに我を忘れていた雅は、思いもよらないその言葉に、思わず目を丸くさせた。

「彼女は僕が守る……僕が守るんだ!」

叫びの直後、加藤は自分の前にひらめかせたその手を突き出し、先程よりもひときわ大きな声で、真言を放った。

「オンダキニバザラダドバンアビシャロキャウンハッタ!」

「……何言ってんのか、さっぱりわかんねぇぞ、オイ」

「葛城、のんきに考え事してないでよ!」

地に伏せていた松浦が真言に無反応の雅に怒鳴りつけるように言う。雅の代わりでもするように、そこで声を上げたのは御室だった。

「オンバシロチシタウン!」

「あ、びっくり真言だ。でも何で御室が知ってんだ?」

「それを言うなら驚覚(キョウガク)真言だろ。それに、字が違う」

ズボンのポケットに両手を突っ込んで、ため息をつきながら千間が言う。雅はその目をぱちくりさせ、呆れているような疲れたような千間を見ると、改めて、

「あいつんち寺だし、常識か……けどなかなかやるじゃん。今のであいつのダキニ真言、完璧にシャットアウトしてる」

目に見えない壁が、雅とその友人たちを取り巻いている。その外では、うねる何かの束が力任せに暴れていた。どんどんと、衝撃だけが僅かに中に伝わる。首を二、三度回し、雅は千間を見ると何気に問いかけた。

「で、お前は?こーゆーの、ないわけ?」

「オレの呪能は主に感応能力だ。残念ながらお前らみたいに器用じゃない。ここじゃ全然使えないよ」

「佐竹は?何がやれんの?」

苦笑交じりの千間の答えの後、雅はその佐竹へと振り返る。辛うじてそこに立っていた佐竹は、驚いて放心していた。が、雅の声に我に返り、

「あ、いや、オレは……」

「下手したら葛城以上だろ?何のごまかしも無しで、叩き斬るんだから」

「ふーん……でもここはオレの見せ場だ。邪魔すんなよ」

へへん、と、千間の説明の後、雅は佐竹に笑いかけた。佐竹は、驚きと緊張で干上がった喉でかすかに喘ぐが、声はおろか言葉も出ない。

「ちょっとそこ!余裕かましてないで何とかしなさいよ!」

わめいたのは松浦だった。何だかんだと彼女も元気らしい。何つーか、怖い学校だよな。雅は胸の内で呟き、しながら僅かにほくそ笑む。そして改めて、御室の張った結界の外に唯一いる少年、加藤を見遣る。

「オレらがごくフツーのコーコーセーだった日にゃ、あいつのアレも効いてるんだろうな。シロートにしちゃよくやるよ。執念か?」

独り言のように言って、雅は一つ呼吸した。そして、その場で再び叫ぶように声を放つ。

「御室、この壁、ほどけ!」

「えっ、で、でも、そんなことしたら……」

手を合わせて座り込んだ格好のまま、振り返って御室が言う。構わず、雅は御室に叫び返した。

「じゃ、ちょっと荒っぽいから腹に力入れて構えてろ!」

言い放ち、雅は右手を剣に結び、横縦にその剣で空を切る。

「臨兵闘者皆陣列在前」

空で斬った剣の軌跡を投げつけるように、雅は腕をなぎ払った。指先、いや、その全身から、熱波のようなものが一瞬にして沸き起こり、そのまま真正面に向かって突進する。

「南無不動尊、七難即滅!」

叫ぶようなその真言の後、雅を中心に爆発でも起こったように衝撃が走った。力は大きなうねりとなり、その場ではじけ飛ぶ。耳を劈く爆音、そして辺りが白い閃光で埋め尽くされる。

「何だこの力……うわぁぁぁっ」

真正面からその爆発を食らって、加藤は思わず顔を覆う。視界が白く染め上げられ、意識までもがそのまま吹き飛ばされそうになる。そして……。

 

「葛城、あんたやりすぎよ!御室の結界、中から吹き飛ばすなんて!」

キンキンとわめき声が聞こえる。目の奥、いや、頭の中がしびれて、体が重く感じる。一体何がどうなったんだっけ。彼はぼんやりとした意識の中、そんなことを考えていた。ゆっくりと、意識が明確になる。につれて、体の重みも、そして鈍い痛みまでもが感じられて、彼は小さくうめいた。近くでも遠くでもないところで、誰かの話し声がする。

「しょーがねーだろ。アレが一番手っ取り早かったんだし」

「あのー、結界張った僕の立場は?」

「んなモン考えてる余裕なんてなかっただろ?」

「あの時お前がちゃんと反応してれば、御室が驚覚真言使う必要はなかったけどな」

「あー……何が起こったのかわかんねーけど、かなり腹へらねぇ?」

「猿和香くん、おなかすいてるの?あの、金平糖だったら少しあるけど、食べる?」

「妻櫛、俺にもちょっと分けてくんない?一仕事すると血糖値下がっちゃってさー」

「って葛城!話そらすんじゃないわよ!」

まぶたも、重くて痛い。目は、見えるのだろうか。彼は思って恐る恐る、そのまぶたを開く。ぼんやりと明るくなった視界にまず飛び込んだのは、自分を覗き込む影だった。何度か瞬きをして、焦点が合うのを待つ。

「よかった……洸ちゃん、気がついたのね」

加藤は、その目をしばたたかせた。あれ、何だ、と思った直後、彼はその状況を把握する。目の前にあったのは幼馴染の顔だった。どうやら、自分は彼女の膝を枕に、横になっている、らしい。

「……由美子?」

でもどうしてこんなことになっているのか。彼は自分に問う様に思いをめぐらす。そして、

「由美子!そうだあいつら……」

全てを思い出して、加藤はその場に跳ね起きた。彼の膝枕をしていた少女、緒方由美子は驚いて、小さな悲鳴を上げて思わず後ろに飛びのく。

「洸ちゃん?だめよ、急に動いたりしちゃ」

「由美子、あいつ……葛城雅は……」

「よぉ、お目覚めかぁ?眠り王子」

跳ね起きて、あわてた様子で辺りを見回す加藤に、どこか下卑たような声が投げられる。加藤はそちらに反射的に振り返り、

「お前っ……」

「あー、皆まで言うな、シロート。さっきの事、覚えてるか?」

えらそうな、とつけても余りあるほどの態度で、雅は地面に座り込んだ格好の加藤の顔を覗き込む。加藤は一瞬言葉につまり、しかし直後、

「覚えてるさ。そっちこそ、まだこんな所でうろうろと……」

「洸ちゃんやめて。葛城くんたちは、洸ちゃんが思ってるような人たちじゃないわ」

立ち上がろうとした加藤のシャツの袖を掴み、由美子がそれを制止する。え、とそちらに振り返った加藤に、言葉を投げたのは妻櫛だった。

「加藤さん、全部、誤解なんです」

「誤解?何が……」

「緒方さんが葛城くんに連絡をしたのは、貴方のことが心配だったからなんです」

妻櫛へと振り返ろうとした加藤は、その言葉に、由美子に視線を戻した。由美子は、少し困ったように、そこで笑っている。

「……由美子が?」

「彼女、変なストーカーに絡まれてたんだろ?大方、モグリの術者だな。で、あんたはそれを何とかしようとして、そいつに対抗するためにダキニの真言を覚えた。違うか?」

千間が、言いながら加藤のそばに座り込む。その説明の後、まるで他人事のように雅がぼやくように言った。

「普通、何の修練も積んでない人間に、使えるはずがないんだけどな、アレ」

「それで、緒方さんはあんたの様子がおかしくなった事に気がついて、ストーカーもオカルトがらみだったし、って事で、葛城に依頼したのよ。様子がおかしいから、調べて欲しい、って」

「それにしても加藤、お前ひどい事するヤツだな?自分の彼女だろ?倉庫に押し込めたりするか?フツー」

そして松浦の説明の後、さもひどいヤツだと言わんばかりの罵り口調で猿和香が追い討ちをかける。加藤はしばし呆然として、それから、困った顔の由美子の顔を改めて見ると、ばつが悪そうにそっぽを向いた。

「別に、緒方は、彼女じゃ……」

「今更何言ってんのよ?あんたがぶっ倒れて、倉庫から出てきた時の緒方さんの顔ったらなかったわよ。まるで自分が死んじゃいそうなくらいだったんだから。ストーカー対策にダキニの真言使おうなんて思いつくくせに、そういうことには頭回らないわけ?」

先ほどの猿和香よりも更にののしるような態度で、松浦が言葉を投げつける。無言で加藤が目を上げると、代わらず、彼女は困ったようにそこで笑っていた。

「由美子……」

「洸ちゃんて、昔から学校の成績だけはいいのに……早とちりで、考え無しなんだから」

「……ごめん」

加藤は再びそっぽを向き、小さな子供が謝罪する時のように呟いた。彼女はくすくすと小さく笑い、そんな彼の顔を優しい表情で見詰めていた。

「一件落着、だね」

ほほえましいその光景に、ほほえましい表情で御室が言う。松浦、妻櫛の女子二人も同じ様に、それを見て嬉しげに笑い合う。やっぱ彼女がいるっていいよな、とぼやいたのは猿和香で、千間は少し呆れた様子で、しかし無言で笑っていた。佐竹は、一部始終をその側らで、まるで見守るように眺めていた。雅が術を行っている時も、余裕綽々でくだらない事を言っている時も、何だかこんな感じだったな、と思って彼は何気に苦い笑みを漏らす。驚いていた事も確かだ。が、とっさの事に自分は上手く反応も出来なかった。だと言うのに、他の面子はどうだろう。事の最中にも、終った後にも、普段教室で見るのとさほど変わらない表情をしている。何と言おうか。すさまじい事、この上ない。

「あ、その落着、ちょっと待った」

周囲に穏やかな解決ムードが流れるのを無視して、唐突に言ったのは雅だった。全員の視線が一気にそちらを向く。雅は構わず上着の内ポケットから何やら取り出し、

「葛城……何、それ」

「電卓だよ。えーと……この前すっぽかされた時の足代と今回の足代と、それから……」

御室の問いにさらりと雅が答える。その様子に、呆れ口調で言ったのは松浦だった。

「あんた、事が丸く納まろうって時に、なんて意地汚いの!」

「うるせー。元々オレは有償で依頼を請けてんだ。仕事が一つ済んだんだ、呪術料請求して何が悪い!」

しかし雅は悪びれず、というより居直った様子で、実際彼にしてみれば正論なのだが、ややもすると業突張りもいいところの言葉を吐き出す。

「だからその根性が汚いって言ってるの!

「やかましい!お前らはただくっついてきただけだろ?黙ってろ!」

「何ですって!あんたね、御室に手伝ってもらったくせに、その言い草は何よ!」

その言い草に松浦が過剰反応する。妻櫛はすぐそばで一人おろおろし始め、なだめようと口を開いたのは御室だった。

「まあまあ、松浦も葛城も。ひとまず片付いたんだから、そんなにカリカリしないで」

「やかましい!おめーは黙ってろ!」

「葛城!その態度は何よ!御室はあんたのことかばおうって言ってんでしょ!えっらそーに」

「誰も頼んでねーよ。ほら、請求書」

噛み付くような松浦を殆ど無視して、手元でさらさらと雅はその請求書を書き上げ、ややもすると呆然としている加藤と緒方にそれを手渡す。そして、

「今すぐだったら現金払いでもいいけど、振込みだったら一ヶ月以内で頼むぜ。でないとオレの式神が直接請求に行くから、そのつもりで。分割は応相談、どーだ?」

「ちょっと葛城!人の話聞きなさいよ!」

「まあまあ松浦、落ち着いて」

「と言うより、葛城に人の話を聞けというのが無理な話のような気がするが」

そろそろその笑顔が困り始めた御室の努力を無にするような発言は、千間である。全くの人事の様に笑って見ているのが猿和香で、佐竹は相変わらず、色々のすさまじさに驚いて言葉もないらしい。請求書を押し付けられた二人はただただ、周囲の様子に驚いたような顔をしているばかりだった。にやりと笑って、雅が言う。

「ご利用、有り難うございました。またのご用命、お待ちしております!!

 

「ところで、ちょっと疑問なんだけど」

その小さな路線バスには、その時七人の高校生が乗っていた。一時間から二時間に一本の、しかも最終のバスである。これで彼らが全員楽に帰宅できるか、と言ったらそうでもなく、バス停から寮まで、更に徒歩で三十分ほどの距離がある。彼らの高校も、その付属寮も、そして母体組織の法人の本部も神社も、それほどの辺鄙な土地にあるのだった。

問いを発したのは松浦だった。貸しきり状態のバスの好き勝手な席に座って、それぞれが言葉を発した松浦へと振り向く。

「さっきの加藤の使ったダキニの攻撃真言って、誰でも簡単に使えるもんなの?」

「あ、それ、僕も聞きたい」

松浦のその疑問に同調して、御室が言う。バスの最後部座席のど真ん中にどかりと腰を下ろしていた雅は、今度は一斉に自分に向けられた視線に目をしばたたかせ、ちょっとだけ困った顔になる。と、こりこりとその頭を指で掻いて言った。

「んー、あー……どうだろうな……」

「何よそれ。答えになってないわよ?」

曖昧な言葉に、質問者の松浦が眉を寄せる。雅はそっぽを向くと、

「オレあんな事になるとか全然予測してなかったし。その辺わかんねーんだよ、実は」

「わかんないって……またいい加減な……」

呆れ口調で言ったのは御室だった。雅を見ているほぼ全員の目が、同じく呆れの色を浮かべる。そんな中一人千間だけが、普段と変わらない口調で言った。

「往々にして、そういうことは起こりえる。今回の場合はそれだ」

「え、何?千間、どういうこと?」

当事者よりも確かな口ぶりの千間に、問いを投げたのは御室だった。そっぽを向いた雅以外の視線が、今度はその千間に向けられる。特別な事でもない、と言いたげに、千間はさらりと言った。

「条件が揃えば、今回みたいな事もあり得る。真言や呪文にはそれなりに力もあるし、修練を積んだからって出来るわけでもないけど、全く何もないからって、念じた事が全く利かないこともない。そういうののいい例だよ、あれは。佐竹なんかはよく知ってるだろ?人でさえ鬼になるとか、そういうネタ」

話題を振られた佐竹は、しかし何も返そうとはしなかった。僅かにその目をしばたたかせ、納得した様子を見せただけだ。へーえ、などと感心したように声を漏らしたのは御室と松浦で、妻櫛はその顔だけでその意思表示をしている。訳がわかっていないのは猿和香で、話題自体についていけないらしい。首をひねるばかりである。

「最近流行りだから……と言っても、今回のはまた稀なケースなんだろうけど。葛城も、その辺り気をつけた方がいいぞ」

冷淡とも取れそうなほど感情の起伏の少ない声音で千間が言う。雅はその言葉に目をぱちぱちとしばたたかせ、にやりと笑うと、

「任せとけって!これでもオレ様は修験呪禁道葛城流の立派な呪禁師サマだからよ!」

えへん、とわざとらしく胸を張り、その場でふんぞり返った。ちょうどそのタイミングに、路線バスの運転手が緊急に急ブレーキをかける。バスは大きく揺れて、乗っていた七人もそれぞれにその衝撃に揺られる。ふんぞり返った最後部座席の雅も、同じく。

「うわっ」

勢い、つんのめって雅は座席から前のめりに転がり落ちる。どべ、という擬音語も似つかわしく、顔からバスの板張りの床に突っ込んだ雅を見て、あははは、と無邪気に笑って言ったのは、御室だった。

「わー、さかなぎだ。さかなぎだねぇ」

「そうね、いい気味だわね。えらそうに」

「さかなぎと言うより、調子に乗ったしっぺ返しだろ」

「ばーかばーか、まぬけー」

続けて松浦、千間、猿和香の声が続く。いってぇ、とうめきながらパスの床の上に座り込んだ雅は、直後、

「うるせぇ!誰がばかだ誰が!」

そう言って怒りに任せたように立ち上がろうとする。またタイミング悪く、バスは同時に発車し、加速を始めた。当然、勢いよく立ち上がった雅はその重心移動についていけず、再びそこでバランスを崩し、転ぶ。ずるん。

「うぉあっ」

「馬鹿と言うより、阿呆だな」

呆れ口調で言ったのは佐竹だった。雅以外の視線がすべてそちらに向けられ、車内にどっと笑いが起こる。

「そーね、佐竹の言う通りね」

「でも佐竹くん、それじゃ葛城くんが、ちょっとかわいそう」

「妻櫛、あんなやつかばうなよ。どうせ手の付けようのない阿呆なんだから」

「っていうか、妻櫛さんでもかわいそうなのは『ちょっと』なんだね」

「ばーかばーか、おおまぬけー」

げらげらと猿和香の笑い声が車内に響く。雅は、打ち付けた体のあちこちをさすりながらその場に体を起こし、あからさまに自分をばかにする猿和香を睨みつけ、怒鳴るように言った。

「猿和香ーっ、てめこの、笑ってんじゃねーッッ」

 

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Last updated: 2005/10/11