その朝フェーン・ダグラムは隊のオフィスで普段通りに上司の指示を受けつつ、上司に上申していた。彼が副長を勤める新型部隊の小隊長は特務機関内でも屈指のパイロットであり、同時に、いくつになっても大人になりきれない、いたずら坊主のような男だった。手がかかる、しかもいい大人ゆえにそのかかり方も大掛かりで、彼はその直属の部下、しかも副長の内示の下ったその時、間髪いれず「任官拒否します」と、出来もしないことを口走ったほどだった。その男が特別嫌いというわけではない。付き合いは、彼の機関構成員歴とほぼ同じだから短くもないし、その男を信頼していないわけでもない。が、その補佐という大役、要するに責任ある雑用係なのだが、そんな大任がこなせるなどとは思っていなかったからだ。ちなみに雑用における責任、というのは様々あるが、最も重要なのは「隊長会議に代理出席」とか言うものである。それは原則として、隊長自身が必ず出席しなければならない大切なミーティングであるのだが、当の本人は「原則としてであって義務付けられてないし、風邪でもひいて寝込んでたりしたら、代理でも構わねぇんだ、そういうことだろ」と言って、出ようとしない。はっきり言って困った男である。とは言え、使えない男ではないと、フェーンは見ているのだが。
「まず営倉の二人を外へ出してやって、そうだな……シミュレーターにでも乗せとけ」
上司の話し方はいつもこんなカンジである。フェーンもあまり気にしていない。そして彼も特別臆することもなく、そんな上司に言葉を返す。
「隊長は、今日は?」
「あー、そうだなー……昨夜の半徹でデータの処理も八割がた片付いたし、そいつも大体読み込めたし、ヒマだから帰って寝る……」
「職務怠慢で風紀委員会に通告しますよ」
昨夜の半徹、にしっかり付き合わされたフェーンは不機嫌そうにしている。ガベルはその一言に苦笑すると、
「いいじゃねぇか、どーせヒマなんだ」
「僕は帰宅して眠れませんしヒマでもありません」
寝不足で機嫌が悪いらしい。普段なら爽やか青年のはずのフェーンの目つきがどこかよどんでいる。いや、睨まれているのか。やれやれ、なんでこいつはこんなに堅物なんだか。思いながらガベルは嘆息し、それから、
「解ったよ、基地にいるよ」
「事務処理の方も溜まっていますから、そちらの処理をお願いします。それから、ミネアから、納品は十五日後だとメールが来ていました」
副長の主な役割は隊長の補佐である。が、その辺の叱咤はその範疇ではない。隊は隊長ペースで運営されるため、その役割についた人間の人間性がつぶさに現れる。ちなみにガベルの人間性は一言で言えば「豪快」なので、こまかい事務処理などは煩雑になりがちであった。ガベルはフェーンの言葉にややうんざりしたように、
「デスクワークかよ……寝ちまうなぁ」
「寝ないで片付けてください。ザカー総務伍長にいやみを言われるのは僕なんです」
「何だ、ザカーのヤツ、そういうのは直接俺に言えばいいのによ?」
「ムダに凄みがあるから恐いんじゃないですか?」
目を丸くさせるガベルにフェーンは返す。途端にガベルは眉をしかめるが、フェーンはどこ吹く風、である。話の腰を折られるのも困るので、フェーンは言葉を続けた。
「今日はここで一日事務処理をお願いします。隊の編成時からろくに片付けていないでしょう?色々とたまっていますよ」
「あー……そうか……そうだなぁ……」
何やらガベルは殊勝な様子である。どうしてだ?フェーンはいぶかった。がしかし、円滑な小隊の運営のためにはそういうことも必要である。その違和感は無視し、次の話題に移った。
「それから、新型機の納品の件ですが」
「ん、メールに目、通しとくわ」
ひらひらと手を振ってガベルは答える。フェーンはその様子には特別何も感じなかったらしい。が、次のガベルの一言でその目を見開いた。
「一人乗りのサンプルも、作っといたほうがいいよなぁ……」
「は?一人乗り?」
「ほれ、新型の稼動データさ。どのくらい動けるのか……」
何を域内言い出すのか。思っているとガベルは何やら考え込み、それから言った。
「フェーン、今日の予定は?」
「え?いや、僕は……」
基礎体力トレーニングと新型のシミュレーション、そのくらいしか予定のないフェーンは言葉を濁す。ガベルは質問しておきながら彼の答えを聞かず、
「どこかで顔を見たらでいいんだが、レオンとカイルを俺のところへ寄越してくれ」
「ニーソン少尉とオブライエン少尉、ですか」
同僚で、一応部下になるらしい二人の名前にフェーンは首をかしげる。ガベルはまた考え込み、何やらぶつぶつ言い始める。
「そうだな……お前はジェイクとトレーニングでもしてろ」
「ジェイクと、ですか?」
同い年の、やはり同僚というか部下の名前が出て、フェーンは眉を寄せた。ガベルは顔色一つ変えず、
「あいつは戦闘センスはまあまああるが、基本的な武器の使い方が解ってねぇからな。その辺みっちりしごいてやれ」
フェーンはその指示に眉を寄せて何も言わない。無言のフェーンを見、ガベルは瞬きして尋ねた。
「どうしたフェーン、何か不服か?」
「いえ、不服、というほどじゃありませんが……彼があの人以外の言うことを素直に聞いてくれるかと思って……」
ごにょごにょとフェーンが言葉を濁す。ジェイク・ライト少尉の評判は機関内でもどっちつかずだ。義務教育終了後すぐに特務機関への入隊を希望し、訓練校を出るまでに四年もかかった、ある意味「逸材」だ。しかし入隊して実戦に投入されると訓練校での成績を覆す戦績を収め、その入隊からわずか二年で新型機のパイロット候補になった。入隊の同期は「従姉が入ったから追いかけて」だとまことしやかに噂され、陰ではシスコンとか何とか言われまくっている。従姉のコニー・ライト少尉にくっついて、離れようとしないのだ。
ガベルはフェーンの言葉の歯切れの悪さに声を立てて笑った。そして、
「ま、お前の心配も解るがな。コニーも四六時中、あのガキのお守りもしてられんだろう。年も近いし、お前が構ってやれ」
「構うって……隊長が言うほど、彼も子供でもありませんよ」
フェーンの言葉はやはり歯切れが悪い。ひどく言いにくそうにしている事には何か理由がありそうだ。ガベルは思って、質問を変えた。
「何だフェーン、ジェイクとなんかあったか?」
「訓練校で、同期でしたから。と言っても僕は半年でクリアしてしまったし、面識があるかないかという程度ですが」
フェーンは苦笑しながらガベルに返す。ガベルは目を丸くさせると、
「そうか……言われてみりゃ、そうだよな。同い年で同じ年に義務教育が終わってて、それでもお前は四年も先輩で、しかもあの頃鳴り物入りの新人だったしな」
かつてのフェーンを思い出し、ガベルは感嘆の声を上げる。フェーンは苦笑いして、それから、
「僕も彼も確かに若輩ですが、ジェイクは隊長やニーソン少尉が思っているほど子供じゃありませんよ」
「解ってるさ、一端の軍人サマだもんな」
揶揄う様にガベルは答える。その言葉にフェーンは何も返さなかった。
それから約一時間後、フェーン・ダグラムは基地内で人を捜していた。行き先はおおよそ見当がつく。管理棟にまで足を延ばしていなければ、広いとは言え一つの建物である部隊の本部棟、若しくは隣接したマシンのハンガーしかない。もし出くわしたらで構わないが、と言ったのは彼の上司だったが、その相手を見つけないと彼自身、時間をもてあますばかりだった。新型が到着するまでの、数日間ではあるが、彼らの任務は基本的には待機、その待機中に比較的自由に出来る事は各種訓練だけだ。ここではいわゆる軍隊組織の戦闘訓練がない分、そのやり方も構成員個人に任されている部分がある。
「そりゃ、スーパーエリート、ってな立派な名前で呼ばれてるんだ。自己管理の一つもできないでどうするよ?」
誰かがいつかそんなことを言っていたが、果たして言った当人にそれは出来ているのだろうか。軍事組織に与しているとは思えない放埓というか磊落な性分で、周囲を困らせて歩くのが趣味のような男だったが。何と無くフェーンはそれを思い出し、一人で渋面を作った。
今彼がいるのは本部棟でも南ブロックと呼ばれる区画で、他の区画と同じく模擬戦闘用の施設や電算室、会議室などの他に、棟内で最も充実した、基礎体力作りのためのトレーニングルームが置かれている。
「おう、若造。こんなところで何やってんだ?」
声にフェーンは顔を上げる。そしてそこにあったその顔に向かって疲れたように言った。
「誰が若造だよ。人のことが言えるのか?」
「だってトリオGの面々にはそう呼ばれてるじゃん、お前」
ニヤニヤと笑う人懐っこい、というより子供っぽい顔が見える。赤茶色の髪の、恐らくフェーンと同世代と思しき彼はそう言って彼に歩み寄ると、頼りなげなその肩に絡みついた。フェーンはそれを睨みつけ、軽く手で払いのける。のけられた方は驚いた顔になり、
「何だよ、感じ悪いな。お前ちょっと出世頭だからって、最近調子に乗ってないか?」
「君に言われたくないね。入隊二年で新型のフォワード候補だろう?立派に出世頭だよ。ジェイク・ライト少尉」
名を呼ばれて、赤毛の青年はその丸い目を瞬かせる。フェーンはその幼い様子に苦笑しながら、
「君に会ったら、と言われてたけど、隊長から指示だ。今、時間は?」
「あ?俺?ヒマだからどっかのブースでテキトーにシミュレーションでも……」
「ちょうど良かった、僕も今日は手が空いてるんだ。良かったらジムにでも……」
フェーンの言葉が終らないうちにジェイクの顔が渋くなる。そして、
「なんでわざわざお前なんかとジムでトレーニングしなきゃなんねーんだよ、面倒くせぇ」
「それもそうだけど、隊長が、出来たら僕に君を見ていて欲しいって言ってね。コニーさんが一緒なら構わないそうだけど、君、彼女と一緒だと、甘えて訓練らしい訓練しないみたいだから」
にこにことフェーンが笑う。十面のままジェイクはフェーンに噛み付いた。
「誰が誰に甘えてるって?つーかなんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ?」
「事実じゃないのかい?従姉弟同士で仲がいいのは解るけど、いつでもどこでも姉さんに甘えてるって言うのはどうなのかな?二十二にもなる男が」
フェーンの顔つきは変わらない。むくれるジェイクはそんなフェーンを睨んだまま、
「言っとくけどな、コニーは俺の保護者じゃないぞ。どっちかって言ったら俺が保護者……」
「そういうことは二人のプライヴェートだから口出しはしないよ。そう言えばもう一つ、これは隊長のぼやきだから関係ないと思うけど「このまま甘ったれが甘ったれのままだと余所の隊のやつとトレードかもな」」
にこにことフェーンは笑っている。ジェイクはその一言に渋面のまま固まる。ジェイク・ライト、コニー・ライト両少尉が親類関係にあることは、隊では全員が知っていることだった。機関内に流れる憶測ではコニーが入隊したのを追ってジェイクも機関構成員になったのでは、とも言われており、単なる親類縁者では片付けられない関係ではないかとのもっぱらの噂だった。当人達は大して気に留めていないのだが、ジェイクの従姉への執着はややもすると度を越したものがある。
「折角同じ隊に配属になったんだ。同じ機体に乗れないのはまだしも、彼女がミネア詰めのその時に後方で待機、なんて、そんな間の抜けたことは……」
ちっ、と大きくジェイクは舌打ちする。そして、
「解ったよ、お前と大人しくトレーニングしてりゃいいんだろ?あーもー、やらしいやつだよお前は!どういう環境で育ったらそんなにひねた性格になるってんだ、ああ?」
忌々しげにフェーンに返す。ジェイクの言葉と態度に苦笑を漏らし、フェーンは、
「さあ。これでもあの三人にはまだ甘いって言われるよ。所詮は二十代の若造、ってさ」
そう言って肩を軽くすくめた。
終
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