LACETELLE0062
-the CREATURES-
intermission

読書家の休日

 

若い頃は実は教師になりたかったんだ、とその男は言った。それが一体どういう巡り会わせでそうなったのかは、余り話したがらない。ガトル・スライサー。階級は大尉、役職は中隊長、だが、その職務の殆どは兼任の小隊の指揮に宛てられている。そのスライサーがきっかけでマチルダに読書の趣味がある、とマデリンが知ったのは、ある休日の午後のことだった。

 

「マチルダー、ヒマしてるならドライヴでも行こうよー」

宿舎の狭い部屋に乗り込んだマデリンが提案する、が、当の家主はそちらを全く見ず、ベッドに座って何やら読みふけっている様子だった。赤いふちの眼鏡の横顔に、マデリンは目を丸くさせる。

「あ?何だ、いたのか」

感嘆の声にマチルダは顔を上げた。マデリンはそっとベットに歩み寄り、マチルダの隣にためらいなく腰掛けた。スプリングの余り利いていないベッドが、それでもかすかにきしむ。

「マチルダ、眼鏡なんてかけるんだぁ……」

マチルダは、そう言いながら近くにやってきたマデリンを殆ど無視して言った。

「たまにな。そんなに悪くないけど」

「ドゥーローの医療センターで治してもらえば?あそこならタダで手術してくれるし」

「マシンに乗るのには平気だから、そこまでする必要ない」

マチルダは再び本に目を落とす。マデリンはそれを覗き込み、そして、

「古典文学なんて読むんだ……意外……」

それがラステルでは名著で、しかも難解な内容だと知っている大人は沢山いるが、十二歳の子供が雁首そろえて覗き込むような代物ではない。が、マデリンはその年齢でそれ以上の学力と知識を備えている。周りの大人にしてみると、時折扱いづらい部分もあった。とは言え、上司が「豪快、磊落」の代名詞のような男なので、彼女もどこへ言っても結局子供扱いだったが。本人は多少なりとも不服なのだが、どうがんばっても十二歳より大人にはなれないのだ、致し方ないことではある。一方のマチルダはというと、義務教育もろくに受けていないのだが、ミッシュ・マッシュでは「神童」とさえ呼ばれていた。それは彼女のパイロットとしての技量だけではなく、その人間性の総てにおいて言われていることだった。十二歳にしては、余りに大人びすぎている二人は、しばし揃って本に目を落とす。

「……あたしこの文形、苦手だったのよね……言い回しがややこしくて……」

文章をたどってマデリンが言う。マチルダは顔も上げず、

「ゆっくりよく読めば解るだろ。多少はしょってあるけど、まだ簡単な方だし」

そう言ってちらりとマデリンを見る。マデリンは自分を見たマチルダに気付き、

「……なぁに?」

「何って、お前のほうだろ?何か用か?」

本を閉じてマチルダが尋ねる。マデリンは困ったように笑うと、

「ああ、いいの。もしマチルダがヒマしてたら、ドライヴでもしたいなーって思って」

「軍用地だって無免許運転はご法度だぞ」

「えー、って、今更言うこと?あたし達、マシンにだって乗ってるのに、車くらい何よ」

「お前この頃隊長に言うこと似てきたな」

さくっと鋭く一言言ってマチルダは息をつく。マデリンはその一言にショックを受け、

「やーん、うそ!それってどういうこと?」

「そういうこと。用が無いなら帰れよ。これ、休みの間に終らせたいんだ」

膝の上の本を見下ろしてマチルダが言う。ショックから抜けきらぬ表情でマデリンはしおしおとしおれ、

「はぁーい……つまんないの」

「お前も天狗になってないで、学校でやった事とか、ちったぁ復習しろよ。戦争が暇になったら大学に行けるようになるかも知れねぇし」

マチルダの口調はあくまで淡々としていた。マデリンはその言葉に目を丸くさせ、

「え、そうなの?マチルダ、大学に行きたいの?」

「俺は別に。本は借りて読んでもいいけど」

マチルダはそう言うと膝の上の本を再び開く。マデリンはそれを見て、

「ふぅーん……じゃあね」

もはや取り付く島もないと悟ったらしい。そう言うと、その部屋を後にした。

 

宿舎近くの通りをうろつく。マデリンはヒマであった。休みと言ってもお決まりの、週に一度の休日である。しかも殆ど実家から通勤している彼女にしてみれば、片付けなければならない特別な用もない。遊び相手のいない小学生と一緒よね、社会人でお給料も貰ってるのに。そう思いはするが、休みの度に確実に何か予定があるわけでもなく、遊び相手がいなければ家で大人しくしているか、誰かを見つけるかしかない。十二歳の子供にとって一日は長いのだ。寝て過ごす、なんてできるはずもない。頼みの綱のマチルダも今日は一日読書のようだし、日が暮れるまでどうしていようか、と思っていたその時だった。

「お、マデリンか。お前も今日休みなのか?」

太く低い声にマデリンは振り返る。買い物袋を抱えた大きな体躯のやもお、もとい知人を見つけたマデリンはその目を見開いた。

「スライサー大尉……大尉もお休み?何してるの?」

ガトル・スライサーはやもお、もとい独身である。結婚歴はない。機関構成員の中でも巨躯で知られる彼は、その実色々と細やかでもあった。トリオGで唯一神経性胃炎を患う男でもある。本人曰く「まじめでデリケート」なのだが、トリオG最年少の男に言わせて見れば「図体の割に胃が弱っちいだけ」らしい。さておき、スライサーは大きな袋を抱えて歩いていた。買い物の帰りらしい。何してるの、のマデリンの質問に、彼はごく普通に、知り合いの子供に会った時に浮かべる笑顔で答えた。

「今日は有給だ。消化しろって言われてて、ついでだから家事を片付けててな」

「大尉、結婚してないの?」

「残念ながら。最も、ここで既婚者、てのは殆どいないが」

「うちのパパは結婚して子供もいるけど、ミッシュ・マッシュにお勤めしてるわよ?」

「だからさ。宿舎は一人暮らし用だし、世帯を持てば外に家も持てるだろ」

ははは、とスライサーが笑う。ああ、そういうこと、と納得したように小さくマデリンは言った。そんなマデリンに今度はスライサーが質問する。

「そういう少尉は、自宅が基地の外にあるのに、こんなところで何を?」

「うーん……退屈だからマチルダと遊ぼうと思ったんだけど、マチルダ、本読んでて……」

子供らしい言葉でマデリンが答える。スライサーはそれをバカにするわけでもなく目を丸くさせ、

「ああ……ドゥーシェの全集か……あいつ本にかじりつくと余所向かないからなぁ」

そう言うと、どことなくその表情に精彩がなくなる。マデリンはその様子を見逃さず、再びスライサーに尋ねた。

「なぁに、大尉」

「いや……マチルダがろくに学校にも行ってない、って話は、聞いてるだろ?」

話しながら、スライサーは歩き出す。マデリンはそれについて歩きながら、続くスライサーの話に耳を傾けた。と言っても、大して長くはなかったが。

「あいつが一時期ドゥーローの医療センターにいた頃、ヒマだったら、と思って色々読ませてみたんだ。元々素養もあったみたいで、それ以来本の虫でな」

「へー、そうなんだぁ……」

「何つーか、今じゃ玄人はだしだよ、あいつの頭の中は。ここんとこ暇もないが、夜の寝る前の一、二時間で読めるモンもあるし、こつこつ読んでんのかもな」

感心しているマデリンの側ら、スライサーはやや困った顔つきである。マデリンは首をかしげて、

「本を読むのっていいことでしょ?大尉は、マチルダの読書に何か不服?」

「いや、不服じゃないさ。知識を身につけることは確かに悪いことじゃない。だが、出来たら俺はあいつを学校に行かせてやりたいんだ」

苦笑しながらスライサーが答える。マデリンはそれに更に尋ねた。

「でも今「マチルダは今じゃ玄人はだしだ」って言ったじゃない。そんな子が今更普通に学校に行っても、つまんないわよ」

言葉にはやけに実感がこもっている。スライサーはもう一度苦笑して、それから、

「確かに、お前さんにもマチルダにも、今更学校なんてつまらんだろうな。けどな、あそこは基礎学力をつけるためだけじゃなくて、もっと色んなことを勉強する場でもあるんだ」

「でも集団生活だったらもうしてるじゃない。職場の方が学校より社会性だって身につくわよ?」

ごもっともな意見である。が、スライサーはそれには答えず、こう言った。

「俺はあいつ……だけじゃないな。世の中の子供全員に、ごく当たり前の幸せな環境で生きてって欲しいんだよ」

マデリンの目が丸くなる。スライサーは苦笑のまま、言葉を続けた。

「マチルダは……戦災孤児で、乱戦期の真っ只中に無理やりミッシュ・マッシュに入れられちまってる。両親はその戦争でいないし、他に身内もいないんだ」

「でも……マチルダはそんなの、気にしてないわよ。大尉が思ってるみたいに不幸じゃないわ。だって隊長もカリナさんもいるじゃない」

「確かに……家族がいて、家があって、普通に暮らしてても、あいつより不幸な子供は沢山いるな」

マデリンのやや感情的な反論にスライサーは笑うのをやめ、しり込みした。マデリンは憤り、と言っても大して大きくないそれを隠さないまま、

「そりゃ、大尉は普通のおうちに生まれて、大学まで行ってて、マチルダみたいな境遇の子に会ったら、かわいそう、とか思うかもしれないけど、それって失礼よ。そういう態度でマチルダに接してるなら、改めてもらわなきゃ」

「……俺がそう、見えるか?」

この子は、十二歳とはいえ、流石に只者ではない、鋭いと言うか、言うことが子供ではない。思いながら恐る恐る、凡人である男が訪ねる。マデリンは罰が悪そうな顔になると、

「……そんなこと、ないと思うけど。でも、マチルダのことバカにしたり、可哀相って思わないで欲しいの」

「ああ……そういうことか」

どうやら今の科白は自己主張らしい。自分がマチルダに対してとっている態度はそうでないらしいが。思って軽くスライサーは安堵の息をつく。そしてまた、困ったようにかすかに笑った。

「なんつーか、なぁ……散々笑われたが……」

「何?大尉。どうかしたの?」

ごにょごにょと、スライサーが言葉を濁す。それが照れから来ていることに気付かないまま、マデリンは彼の言葉を待った。

「なんでか今はここにいるが……大学に行ってたのは、あれだ。教師になりたくて、な」

スライサーの言葉にマデリンは目を丸くさせる。子供相手にてれたまま、スライサーは更に続けた。

「何だ、まぁ……その夢は叶わなかったが……俺は俺の出来ることを、マチルダにしてやりたいんだ。本が読みたいって言えば貸してやって、何か知りたかったり勉強したいなら、その手助けを、って……ま、いらない世話だろうが」

図体の大きな男は柄にもなく照れている。マデリンはその照れに気付かず、どうしてかそこで嬉しそう、というより幸せそうに微笑んだ。そして、

「マチルダってやっぱり幸せだわ。隊長とカリナさんだけじゃなくって、大尉もいるんだもの。学校なんて行かなくても、最高の先生と一緒にいれば、何の問題もないわ」

「そう言われると、どういっていいのか、解らんが……」

天才少女は、天才でもまだまだ子供だ。思った事を包み隠さず、照れもせずに言ってのける。一本とられたな、とか思いながらスライサーは苦笑し、声もなくただ笑った。マデリンはご機嫌の様子で、

「でもマチルダが読書する、って言うのも意外だったけど、大尉が先生になりたかった、って言うのも驚いちゃった」

「……笑いたかったら笑っていいぞ。あのバカ二人なんか抱腹絶倒しやがったからな」

「やぁねぇ、大尉まであたしの隊長の事、一緒にするの?」

マデリンがスライサーの少し卑屈な物言いに眉をしかめる。勿論眉のしかめどころはそこではないのだが。

「ねぇ、大尉も本、読むんでしょ?」

「ん?まぁそうだな……読むな」(注・インテリなのでかなり読む)

「やっぱり眼鏡、かけたりするの?」

唐突な問いに、スライサーは首をかしげる。が、構わず、

「ああ……マシンに乗るのに困るほどじゃないが、そういう時はかけるな……」

「マチルダって、大尉の事、尊敬してるかも」

くすくすとマデリンが笑う。スライサーは首をかしげて、

「……そうか?そうは思えないが……」

マチルダの笑う理由が解らないまま、そんな風に言った。機嫌よさげに、マデリンはその場でくるくる身を翻す。どうやらご満悦らしい。まぁ、いいか。訳が解らないながらも、スライサーは自身の中でそう結果付け、それからマデリンに教えるように言った。

「少尉、少尉のパートナーは読書に没頭すると飯も睡眠も抜くことがある。時々見に行って生命の危機に瀕してないか、確認してくれよ」

「何それ。マチルダってそんなに本の虫なの?って言うか、先生は何教えてんのよ?ダメじゃない」

マデリンの顔つきが変わる。スライサーは苦笑して、

「悪いな、俺も人のことは言えない性分で」

「大尉、悪いこと言わないから、お嫁さんまで行かなくても、彼女とか作った方がいいわよ?スーパーエリートが宿舎で本と一緒に餓死、なんて、シャレになんないわ」

ジト目でスライサーを見ながらマデリンが言う。睨まれているが意に介していないスライサーは、どこかのんきに、

「そうだなぁ……考えとくかなぁ……」

「そうよ……そうだ、パパとママにお見合いのセッティング、お願いしてあげましょうか?でも大尉って結構女子に人気あるのよねー……余計なお世話よねー……」

「は?何だそりゃ」

自覚していない男というのは、この程度である。マデリンが嘆息する理由も意味も解らないまま、スライサーは首をかしげ、それから、まあいいか、ともう一度頭の中で唱えた。そして、

「掃除もあらかた終ったし……あのお子様に差し入れでも作ってやるか」

「あ、それ、いい考え!大尉、あたしも手伝っていい?」

独り言のような提案にマデリンが飛びつく。わはは、と豪快に笑って、

「どうせだ、晩飯まるっと作ってやるから、二人で食いに来い」

と、言い放つように返した。

 

 

蛇足。

「マデリンてめ、ガティにメシ作らせんなよ!コイツカレーしか作れねーくせに、めちゃめちゃ料理下手なんだぞ!」

「えーっ、だ、だって知らなかったんだもん!」

「おい二人とも……俺のカレーはそんなに不味いか?」

夕刻、大きな鍋に大量の、なかなか食べる事が難しい味わいのカレーを作ったスライサーとマデリンの襲撃に、マチルダが全力で反撃していた。

蛇足・終()

 

 

 

 

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Last updated: 2007/07/15