LACETELLE0062
-the CREATURES-

Act 8

「やれやれ……引取りまであと五日か……あっという間だな」

「正確に言えばドゥーローからの戻りは十日後ですが」

時計は定刻をすぎている。隊のオフィスにいたのはガベルと副官、フェーンだ。詰襟の襟元を開いた格好のガベルが疲れた顔で溜め息をつく。フェーンは普段と変わらず落ち着き払った様子で、そんな上官を見ずに言った。

「グリュー少尉ですが」

「あ?ああ……釘、刺しといてくれたか?」

「一応は……と言っても、僕では大したブレーキにはなれないと思いますが」

淡々としたフェーンの声にガベルはにやりと口許を歪めた。そして、やけに楽しそうに口を開く。

「ま、あいつにもオイタは控えてもらわないと困るからな。俺の首が飛びかねない」

「隊長の首は飛ばないと思いますよ。他に適任もいないでしょうし」

「さて、どうだか」

「一応の編成は『小隊』ですが、中尉の扱いは中隊長レベルでしょう?大隊長の直下の部隊なんですから」

フェーンはガベルを見ようとしない。笑うのをやめ、ガベルは言った。

「何だ……誰に聞いた?」

「ニュースソースをばらすほど、僕もヤボじゃありません」

「何だ、独自のネットワークでも作ったのか?」

驚いたようにガベルがフェーンを見る。振り返って、フェーンは苦笑した。

「冗談ですよ。でも、色々と小耳には挟んでいます。どこの組織にも情報通や、それをただ黙っていられない人間はいますよ」

「……ほーお」

フェーンの言葉にガベルは不審の目を向ける。フェーンは肩をすくめて、

「それに、機体のスペックを見れば何となく解りますよ。『タイプb』は今までの重量級マシン・メイスとも違う。重い、と一口に言うだけではない機体でしょう?」

「まぁ……そうだな」

若干二十二歳の副官は、その年齢で副官に抜擢されるだけのことはあった。十六歳で機関に入隊し、直後『花形』、当時の新型機のパイロットに任命された。とは言え彼の初戦闘はあまり立派なものではなかった。マシンは大破し彼自身も負傷し、数ヶ月間治療機関に入院している。とは言え、マシンのデータからその特性を読む事くらい、訳もないのだろう。ガベルは今一度軽く息をつき、不意に、

「ドゥーローか……久し振りだな……」

「そう言えば隊長は、あちらの治療機関に入ったことはないんでしたよね?」

「ああ……まあな。マシン工廠には時々……」

言いかけて、ガベルはフェーンへと振り返る。フェーンは自分に向いたガベルの顔を見返し、

「……何です?」

「いや……メイネアは元気かと思って……」

「……フォールト中尉、ですか」

その名前に、フェーンの反応が僅かに遅れた。ガベルはそんな副官の様子にかすかに笑い、更に尋ねる。

「どうなんだ?最近は」

「どうって……何がです?」

「何って、お前……」

「中尉にはあちらにいた頃大変お世話になりました。以降特に連絡も取っていませんが」

ニヤニヤとガベルは笑い始める。フェーンはそれを見ないように露骨に彼に背を向けた。ガベルは笑ったまま、

「へーえ、そうかい。特に、ねぇ……」

「それに、フォールト中尉は忙しい方ですから、僕みたいなヒラと違ってそんな余裕は……」

「暇がありゃ取れる、って意味か?そりゃ」

ガベルの声に楽しげな何かが混じる。フェーンはぐっと息を詰まらせ、それから言った。

「ですから、僕も中尉も、あれ以来特別何もないと……」

「まさかお前がああいうのが好みだとは思ってなかったが、つーか、メイネアもメイネアで……」

「あの人を中傷するのはやめてください、いい加減、僕も怒りますよ!」

からかい口調のガベルの言葉が終る前に、フェーンの強い声が室内に響く。怒鳴るようにさえ聞こえたその言葉にガベルも流石に驚く、が、すぐにもまた人の悪い笑みを浮かべると、

「何だフェーン、やっぱりまだあいつに気があるのか?」

「〜〜〜〜っ、どういう性悪ですか、貴方はっ」

悔しげに目元をゆがませ、フェーンが叫ぶように言う。ガベルはニヤニヤ笑いのまま、

「何だよ、いいじゃねぇか?お前もまだまだ青二才なんだし、色恋の一つや二つあったってよ?とは言え相手があの「フォルテシモ」じゃあ……色々と難しいだろうがな」

フェーンはガベルの弁に答えない。が、不貞腐れて、ぼやく。

「大体あの人は……僕なんか相手にしてくれてませんよ。様子が知りたいなら、グランド中尉辺りに聞いたらどうです?」

「あ?あの馬鹿にか?」

ぼやいたフェーンの言葉にガベルが聞き返す。フェーンは笑いもせず、苦虫を噛み潰したような顔のまま、

「もっとも、グランド中尉があの人とまめに連絡を取っている、という保障は全くありませんけどね」

そんな風に返す。ガベルは無言で肩をすくめ、息をつくと唐突に言った。

「フェーン……エドのヤツは自力で管制システムに入れる、みたいなことを言ってたんだったな?」

「そう取れるような発言だったと、僕は認識していますが」

話題の変化に、フェーンはしかめていた眉を解く。ガベルは僅かの間思案するように黙ると、フェーンを見ずに言った。

「だったら……一応やらせて見るか。オイタがどうこう言うより、その方が得策かな」

「何を、です?」

フェーンが尋ねる。ガベルは、ああ、と生返事して、それから言った。

「ナナニエルが手に入れた「事故」の情報源(ニュースソース)さ。ついでに、他のヤツがかぎつける前に何とか処理できりゃ、一石二鳥なんだが」

 

マチルダとナナニエルの私闘まがいの、一応の「戦闘訓練」から二日。当人には特別な懲罰もなく、騒ぎを大きくした他の機関構成員も多少の「注意喚起」で事を収めたその後、機関に特に変化もなかったのだが、

「マチルダのランクが上がった?」

「ランクというか、ランク内順位の方がな」

「一桁か……もうすぐ昇格だね」

「って、二年でCってだけでも冗談じゃねーのに、もうC一桁かよ……」

というような会話が、本人に聞こえるような聞こえないようなところで、なされていたりいなかったりする。

「マチルダって、戦績ランクとか、どうなってるの?」

C

Cって、真ん中くらい?」

「多分」

マシンメイスハンガーの一角、『タイプb』専用シミュレーターのすぐ傍で、マチルダはその時何かの書類と睨めっこしていた。傍にはいつもの様にマデリンがいる。周りで話しているのは一応の同僚達だ。各々驚いたり感心したり、といったところか。

「マチルダ、今ヒマか?」

その中から一人が彼女の元に駆けてくる。心中穏やかではなさげな様子の男の顔も見ず、マチルダは言った。

「見てわかんねぇか?これからもっぺん基礎データの書き換えすんだよ。マデリン、こいつに目、通しとけ」

書面からマチルダは顔を上げ、そのままそれをマデリンに寄越す。無言でマデリンはそれを受け取り、かけてくるなりマチルダに食いついた彼、ジェイクの様子をただ見ていた。

「基礎データ?駆動用のか?何回目だよ?」

「三回……四回目か?」

「ちょ、ちょっと待て!俺等だってまだ二回しか……」

「ちんたら訓練してるからだろ?スーパーヘボ」

慌てふためく男、ジェイクを無視し、マチルダは歩き出す。とっさにマデリンはマチルダに声を投げた。

「マチルダ、どこ行くの?」

「のどが渇いた。なんか飲むモンとって来る。お前は?」

歩きながら、ちらりとマチルダが振り返る。マデリンは慌てて、

「あたし?え、えっーと……」

「アイスティーでいいな?」

「あっ……うん、ありがと……」

返答すると言うほどのことも言えないマデリンをおいてマチルダはそのまま歩き去る。ジェイクはそんなマチルダに食いついて離れないつもりらしい。喚きながら、

「言いやがってな!てかお前、今から俺と勝負しろ!」

「やだね、面倒くせぇ。てかお前、俺に勝つ気でいるのかよ?大体、戦績、今どの辺なんだ?」

「……Dで、最低レベル、だよ……」

話しながら二人の背中は遠のいていく。見送って、マデリンは目を丸くさせている。

「マデリーンちゃん、どうした?マチルダについていかないのか?」

その様子を見ていた同僚の一人、レオンがマデリンに歩み寄って問いかける。マデリンはマチルダを見送りながら、

「うん……ていうか、データの書き換えの準備、しなきゃいけないし……」

言って、先ほど手渡された書面に目を落とす。活字がびっしり並ぶ数枚の紙の上には、それ以外にも赤のマーカーで手書きの文字が躍っていた。お世辞にも読みやすい、とは言えないが、

「書き換え、ねぇ……まめだなぁ、マデリーンちゃん達は」

ひょい、と、レオンがその紙面を覗く。そして、

「おーおー……チェック項目、細かー……何だこれ、全部マチルダか?」

「うん……ドゥーローに行く前に、できるだけ済ませておきたい、って……」

感嘆の声を上げたレオンに、問われるままにマデリンが返す。あの私闘から、何かが特に変わった、ということはない。マチルダは相変わらず偉そうで威張っていてあまり優しくもなく、かと言って変にきつく当たってくるわけでもない。ケンカもちょくちょくしているし、それで怒鳴り合うこともしばしばだ。ただ、その頻度は低くなって、些細な事ではマチルダが怒らなくなったのは確かだった。が、

「……何だ、またケンカしてるのか?マチルダと」

マデリンは無言でため息をつく。困ったような顔でレオンが尋ねると、マデリンは首を横に振った。

「そうじゃないけど……マチルダ、怒ってるのかな……」

「怒ってるって、何を?」

「解んない。でも、あたしの顔とか、全然見ようとしないの」

ぎゅう、と手にしていた書類を抱きしめて、マデリンは眉をしかめる。レオンはその様子に困ったように肩を軽くすくめ、

「顔を見ない、ねぇ……」

そんな風に呟いた。

 

「ランクCで八位か……あと一息でBに昇格だな」

「てかオヤジ、本気であの時のデータ、公式で残したのかよ?」

「そう言わなかったか?」

「……言ってたけど……」

マチルダがその日ガベルを捕まえたのは、データの書き換えが終わってからかなり後のことだった。ここ数日、ガベルは隊にまともに顔を出していない。最初の一日はあの騒ぎの後始末その他で上官に呼び出されていたようなのだが、それ以降の彼の動きはややもすると不自然だった。二日後には機体の引取りと最終調整をかねて小隊の全員で開発機関のある南方基地、ドゥーローに向かうことになっていると言うのに、だ。

「あんたの方はいいのか?稼動データとか、そういうの」

「は?俺か?俺はお前、ミッシュ・マッシュ最強のスーパーエース様だぜ?マシンの調整なんざ、シートの高さ合わせりゃ、それで……」

「それであのヒスババァに毎回ぎゃーぎゃー言われんだろ?つまんねぇジョークこいてんじゃねぇよ」

ふふん、と鼻で笑ってふんぞり返ったガベルをマチルダが一刀両断する。大袈裟ではあるが自信満々だったガベルはその言葉に眉をしかめ、舌打ちすると言った。

「管理職ってのは忙しくてな。そこまで手が回らんのさ」

「現場でマシン動かすのがおっさんの役目だろ?管理なんてろくすっぽしてねぇじゃねぇか」

「黙れクソガキ。俺の仕事にゃお前らのオイタの後始末、てのも入ってんだよ。誰だ?ついこないだ営倉にぶち込まれたくせに、またすぐ私闘まがいの訓練したヤツは。そいつの後始末も全部俺の職務なんだ。そこんとこ解って言ってんのか?」

「って、こないだのは俺のせいじゃ……」

言い返され、マチルダが憤る。が、ガベルは無視して、

「お前が挑発したんだろうが。お前にも責任はある」

言い返すと、マチルダは今度こそ押し黙った。不服そうに睨まれるが、ガベルはそれに意地の悪い笑みで返す。

「まあ、お前やあいつの気持ちも、解らんでもないからな。代わりに嫌味ったらしいお小言もたっぷり聞いてきてやったぜ?感謝しろよ?お子様」

マチルダは黙り込んで何も言わない。その表情も僅かに曇る。その様子に、ガベルはいぶかしんで、

「何だ……どうした?マチルダ」

「……ナナニエルは、どうなってんだ?」

俯いて、小さくマチルダが言った。ガベルは聞こえたその名前に目をしばたたかせ、それから苦笑し、言った。

「どうって程の事もなさそうだぞ。お咎めって程の事も特にないし……気になるのか?」

マチルダは黙ったまま俯いている。僅かの間、二人に沈黙が降りる。ガベルはマチルダの言葉を待ち、しかし待ちきれず、先んじて口を開いた。

「マチルダ?」

「イオニアの仇だ、って言ってたから……殺されても良かった」

「……何を言い出すかと思えば……」

小さく洩れたマチルダの言葉にガベルは驚き、しかしすぐに呆れの声を漏らす。そしてうんざりしたような顔になると、言葉を紡いだ。

「お前、ありゃ「事故」だぞ。しかも、現場が現場だ。なんでお前がそこまで……」

「イオは俺を助けるために戻ったんだ。でも、俺は……」

マチルダが目を伏せる。その肩が小さく震えているのを見つけて、ガベルは何度目かの溜め息をついた。

「お前……この頃変わったな……」

子供を目の前にしているとは思えない、どことなく重い口振りでガベルは言った。

マチルダ・アレンの名を機関内で知らない者はいない。弱冠十二歳のマシンパイロットで、たった二年のキャリアだと言うのにその戦績は常軌を逸するレベルだ。その戦闘センスもさることながら、言動も十二歳の子供のものとは思えない。戦闘に際して躊躇いもしなければ極端な積極性も持たないが、ごく普通の環境に暮らす人間では耐え切れないであろう過酷な状況さえ、マチルダはごく当然に受け入れていた。つい先ほどまで隣で語らっていた人間が目の前で殺されても、取り乱す事もなければ嘆くことも滅多にない。それがここでの常識だ、と言わんばかりに。勿論それが彼女の全てではないだろう。誰が何と言おうとも、どんな扱いをしようとも、マチルダもまだ子供だ。それに衝撃を、全く受けていないわけがない。単に強情なだけなんだよな、こいつは。ガベルは心の中で呟き、それから口を開いた。

「カリナがドゥーロー詰めになるって聞いて、あいつの前でキレたんだって?」

「……何だよ、急に」

「ちょっと前のお前だったら考えられないと思ってな」

マチルダガ僅かに目を上げる。その様子に、ガベルは口許をゆがめた。

「なんでそんなにナナニエルを気にする?お前はあいつに勝ったんだ。この先何も干渉されないし……」

「だけどイオは死んだんだぞ。イオが死んで、それで……」

「すんだ事をぐだぐだぬかしても仕方ないだろ?忘れろ、とまでは言わないが……」

「……何だよ、なんであんたにそんなこと……」

「お前はまだ子供だ。哀しかったり辛かったりしたら、誰かの前で泣いても喚いても、何にも言われないし思われないんだ。なのに、なんでしないんだ?」

唐突なガベルの言葉にマチルダは驚いたのか、勢い良く顔を上げた。呆れた顔でガベルはマチルダを見、それから困ったように肩をすくめた。

「なんで解んねぇかね、稀代の天才様が」

「っ……何だよ、それっ……」

咽喉の奥から搾り出すような声で、マチルダがガベルに聞き返す。ガベルは笑いもせず、言葉を続けた。

「イオニアを殺したのはお前じゃない。イオニア自身だ。お前が乗ってた機体にも全部記録が残ってる。お前はイオニアに小隊と戻れって言ってるし、引き返してきたイオニアを制止もしてる。お前じゃない」

「けど、俺が残らなかったら……」

「それに、その覚悟がなくてマシンに乗ってるヤツなんて、ここにはいない。もししてないってんなら、そりゃそいつが悪い」

「……でも、イオが死ななかったら、ナナニエルだって、あんなっ……」

「ま、それはあるけどな」

がくがくと、マチルダが震え始める。ガベルはその傍に歩み寄ると、間近からマチルダを見下ろし、その肩に手を置いた。

「ナナニエルも……そうだな、覚悟が甘いって言えば、そうなんだろうな。あいつがあんな風になったのは、友達が死んじまって、哀しくて辛すぎて、やりきれなかったからさ。お前のことを憎んでた訳じゃない。大目に見てやれって言われりゃ、しにくいが……お前だってイオが死んで、何にも思ってなかったわけじゃないんだろ?」

ガベルの手がマチルダの肩を掴む。そのまま引き寄せられて、マチルダはその胸に倒れこむ。

「……何しやがる」

「泣きたいんだったら、胸くらい貸してやる。だから気にしないで泣け」

「誰が、そんな……」

ガベルの手が、マチルダの頭を捕まえる。そのまま軽く叩かれるが、マチルダは無抵抗だった。ガベルに寄りかかるようにしてそのまま目を閉じ、ぼろぼろと涙を流し始める。やれやれ、やっと泣いたか。思いながらガベルは苦笑し、マチルダの頭を撫でた。

「お前にはまだまだこういうのが必要なんだよ。哀しかったら泣いて、腹が立ったら喚け。イオニアが死んで、哀しかっただろ?もうマシンになんか乗るもんか、って、思ったんだろ?」

「……うん」

マチルダはいつの間にかガベルに抱きついていた。その胸に顔を押し付けて、時折悲鳴のような声を漏らして泣いている。その様子にガベルは苦笑し、しながら、言葉を続けた。

「それでいいんだよ。お前は我慢しすぎてるんだ。もっと泣いて喚いて、周りに子供だって思わせろ。で……楽になれ。な?」

ごしごしとこするように、荒々しくガベルがマチルダの頭を撫でる。マチルダはしばらく細い声で泣き続け、それから不意に言った。

「何かこの頃……色んなヤツに泣かされてる気がする……」

「泣かされてる、ねぇ……」

顔を上げると、マチルダは不貞腐れていた。照れているのか、ガベルを見ようとはしない。ガベルはほくそ笑み、今一度荒々しくマチルダの頭をかいた。

本当なら、こんなところに置いておきたくはない。子供は子供らしく、家族と一緒に、死ぬだの殺すだのと言う剣呑な事柄とかかわりのない、退屈にも似た平穏の中で生き生きと育つべきだ。例えその子供がどんな才能を秘めた天才であっても。思ってガベルは苦笑する。

この子供はあまりにも苛酷な環境で育ってきた。両親は戦争で死に、運悪くパイロットの適正試験を受けさせられ、それを通過して、開かなくても良かった才能を開花させてしまった。どんな才能があってどんな環境で育っても、子供は子供だ。日々死に瀕するようなところでどれだけ優秀な働きをしても、それを認められても、幸せであるはずがない。現にマチルダは自分を押し殺して、周りとの関わりも極端に避けている。

初めてマチルダに会った時の事を思い出すと、いつでも背筋が凍る思いがする。この世に神はないものか、その時ガベルはそんなことさえ思った。

その頃、ガベルは東国境方面の基地にいた。戦況は芳しくなく、毎日のようにマシンを駆り、戦闘を繰り返していた。まともにベッドに戻って眠れないような日々の中、偶然出くわした半壊のマシンに乗っていたのが、十歳の女の子供だった。それがマチルダだ。

マチルダの初めての出撃はあまりにも過酷だった。補給部隊のサポート程度にその護衛につき、敵潜伏隊の襲撃を受け、あろうことか補給部隊自体は壊滅した。運ばれていた物資も灰と化したと言うのに、マチルダはたった一人生き残った。初回の戦闘でのマシン迎撃数は三機。特別抜きん出た数値ではないが、十歳の子供ということを考えれば、常識では考えられないことだ。

運が良かった、いや、悪かったのかもしれない。たった一人取り残される格好になったマチルダは何とかその場から逃げ延びはしたが、戦闘の影響で乗っていた機体の制御コンピューターが狂い、数日の間、前線近くの荒野を彷徨う羽目になった。マシンは自分の位置を割り出せないまま、単機で敵部隊と遭遇し、襲われているところでガベルのいた小隊と遭遇した。敵の部隊をガベル達が排除した時、マチルダのマシンは倒され、コンピューターは外側からのアクセスにも応じず、中にいるパイロットの生死を確認することさえ出来ない状況だった。壊れたマシンのコクピットを無理やりこじ開けて引きずり出された時、マチルダは自失状態で、その上、戦闘や転倒などの衝撃でぐしゃぐしゃに壊れたコントローラーに体の一部を巻き込まれ、傷だらけだった。中でも酷かったのは左腕だ。複雑骨折の上、その手首から先は切断されていた。そのままマチルダは東国境基地へと運ばれ、応急処置を施されると、まともに意識が回復しないまま、医療機関のあるドゥーローへ移送された。

マシンのパイロットは原則として、死なない限り「修復」され続ける。そのパイロットの年齢や性別は愚か、十歳の子供が殺し合いに巻き込まれる、その精神的負荷はどれほどのものなのか、考慮する事も全くない。マチルダの場合はその中でも特異だった。訓練校で主席の成績を修めた「逸材」として、機関は彼女の才能を惜しんだ。その為に他のパイロットよりも「優遇」され、異例の速さで失った腕を与えられた。とは言えスーパーエリートと呼ばれる全ての人間には変わらずその権利がある。腕を失えば腕を、足を失えば足を、機関は「支給」する。高度に発達したクローン技術によって作り出された「義手」は拒否反応を起こすことなく、生来のものと同じ様に「稼動」し、あまつさえ「成長」する。

それでも、マチルダが失ったものは大きすぎた。その手は時折、全くの無反応になるのだ。戦闘による精神的外傷が原因だと見られる症状は、何の前触れもなく突然彼女を襲う。それでも機関はマチルダをマシンから降ろそうとはしない。例え敵マシンと戦闘中にその「発作」が起ころうとも。それがミッシュ・マッシュのやり方だった。戦争代行人(スーパーエリート)は人間ではない。あくまで「兵器」だからだ。

だからガベルは、その子供に、せめて「帰る家」を作ってやりたかった。同情や哀れみではなく、少しでもその「救い」になれたらと願ったのだ。志望してここに入隊したその時、この大地で健やかに生きていけたらと願った、その時と同じ様に。

「なんでお前みたいな子供に、こんなことさせるんだろうな」

すぐ目の前にいるマチルダを見下ろして、ガベルは呟いた。言ってみても詮無い事だ。国は独立を願って、敵国はそれを阻んで圧力をかけ続ける。戦争は終らない。誰が望んでいる訳でもないと言うのに。だからこそ、か。

「マチルダ、やっぱりお前、俺の娘になれ」

思ったままをガベルは口にする。その手で自分の顔をごしごしこすりながら、マチルダは忌々しげに言った。

「何でだよ?」

「何でって……」

「戦災孤児で、無理やりマシンに乗せられて、俺が可哀相だからか?」

言ったマチルダはガベルを睨むように見上げた。ガベルは困惑し、そっぽを向くと、

「いや、そういう訳じゃねぇが……」

そんなことは思ったことがない。ただ、一人でいるよりいいだろうとは思う。帰る家と、理由もなく側にいる家族、それを与えてやりたい。もしかしたらそれが「可哀相」と思っていることなのかも知れないが。マチルダは恐らく、その扱いを嫌がるだろう。そんな風に見下されては、なくてもいいほどに立派なプライドが許さないに違いない。しかしそれでも、一人で立ち続けるより、その方がいい気がする。可哀相でも同情でも、その心が少しでも休まるなら、癒せるなら、それでいいではないか、とも。

「あんたがオヤジでカリナがかーちゃんか?」

「……まあ、俺の希望はな」

一年ほど前、そういう理由で結婚を打診した女の名前が出て、ガベルは鼻の頭を掻く。彼女は「そんな理由で結婚するって言うの?アルったら最低!」とか何とか叫んで、しばらく口も利いてくれなかった。とは言え、完全にそれを拒否している様子もない。何も言わなくても彼女はマチルダを構った。それが当然であるかのように。しかしその度に毎回二人して派手なケンカもしているが。

「一緒に住んだり……呼び方が変わるのが、そんなに嬉しいのか?」

問いかけが、マチルダから投げられる。ガベルはその言葉に目を丸くさせた。マチルダはそっぽを向いて、そのまま言葉を紡ぐ。

「父親とか母親とか、子供とか……呼び方なんて、どーでもいいだろ?あんたはあんたで、カリナはカリナで、俺は俺だ」

「……まあ、そうだが……」

こちらを見ず、不貞腐れたマチルダの顔が赤くなっている。ガベルはそのことに驚き、そして小さく笑った。照れているようだ。どうやら彼の提案が、全く気に入らないわけではないらしい。相思相愛とまでは行かないが、苦しい片想いでもなさそうだ。思ってガベルはその手を再びマチルダの頭の上に置いた。重くはないが軽くもない衝撃にマチルダは驚き、喚くように声を上げる。

「何すんだよ、ぼかぼか叩くな!」

「お前、可愛いとこあるな」

「……何だよ、それ」

言われている言葉の意味が解らず、マチルダは更に眉をしかめた。ふくふく笑いながらガベルはぽんぽんマチルダの頭をたたき、

「まあ、今日はこのくらいにしといてやるよ。お前もさんざん泣かされて、気が気じゃねぇだろうからな」

「なっ……べ、別に俺は、そんなの痛くもかゆくもっ……」

からかい口調のガベルの言葉にマチルダの顔が一瞬で真っ赤に染まる。図星らしい。その様子を見てガベルはニヤニヤ笑うと、

「ほら、お子様はさっさと帰って早く寝ろ。明日もいつも通りに任務が待ってるぞ」

「って、おっさん、人の話を……」

「言っただろう?管理職は暇じゃねぇんだ。ほら、帰った帰った」

そのままマチルダはオフィスを追い出される。残ったガベルは一人、デスクでにやついた笑みを浮かべていた。

マデリンが来てから、マチルダは随分変わった。その直前の状況が最悪だった事もあるが、変化は顕著だ。悪い事ではない。が、その変化を一口に「良い」とも言えない。一人になったオフィスでガベルは思いを巡らせる。

出逢った頃に比べても、マチルダの口数は多くなった。勿論憎まれ口もかなり増えたが、それ以上に、周囲の人間を気にしている発言が増えた。本人の前ではどうか知らないが、隊の誰それが、と時折愚痴めいた事も言う。多くはマデリンについての文句のようだが、それでいて評価は偏っていない。自分やマデリンの側で、そして少々変わり者の多い新設の部隊で、マチルダは変わりつつある。人の情に触れることは悪い事ではない。人間は、子供ならなおさら一人では生きていけないものだ。その思いに触れて、時にはそれを顕にして、そうしていなければ心が死んでしまう。けれどその思いも、ここでは時に重荷となる。先のナナニエルのこともそうだ。誰かを大切だと認識して、その瞬間、あまりの命の危うさに、虚を突かれる。誰かを大切だと思うその側で、自分がどう言う立場で何をしているのか、その誰かが何者なのか、それに気付いた瞬間、どうしようもない絶望に取り憑かれる事もある。その心の奥底の、優しくて暖かなものが時として仇になる、ここはそういう場所だ。ガベルは一人、その眉をしかめた。そして何気にぼやく。

「できることなら、こんなとこに置いときたくないんだがな……」

思い描くのはマチルダと、もう一人の女だった。とは言えこの場所とこの仕事がなければ、自分はどちらとも出会っていなかった。が、それを幸運だとは、到底思えない。

「なんつーか……矛盾してるよな、俺も」

一人、ガベルは苦笑する。生涯を共に、と願った女を遺して死ぬ事を恐れて、結婚をためらったと言うのに、過酷な運命に翻弄された子供を養女にして、その子供のために家庭を作ってやりたいと思う。できることなら二人とも、幸せにしてやりたい。一緒にいればケンカも絶えないだろうが、それでも、一人でいるよりはずっとましだ。けれどここでは自分の幸いのために、誰かの救いのために、生きていくことは叶わない。何しろ自分達は「兵器」だ。「軍人」ですらない。選ばれて拠り抜かれて磨かれて、死ぬまで戦う事を義務付けられている。

ガベルがそこで何度目かの溜め息を吐いた時、オフィスのドアが外から開けられた。目を上げると同時に、外からそのドアを開けた本人ともう一人が、室内に足を踏み入れる。

「副長……何だかさっきから顔色が良くないよ。大丈夫かい?

「ええ、特には……」

入ってきた二人は言葉を交わし合い、直後そこにいたガベルに気付いて顔を上げた。ガベルは二、三度瞬きして、それからその二人に声を投げる。

「フェーン、それにエド……何だ、まだいたのか」

「ええ、さっきやっと終りまして」

普段通りの笑顔で答えたのはエドだった。フェーンは少々不機嫌そうな顔で、それでも愛想程度に苦笑いを浮かべている。

「で、どうだった?そっちは」

「意外に簡単に済みましたよ」

ガベルの口許がにやりと歪む。スガスガしさえ感じられる表情でエドはそれに返すが、フェーンは無言だった。何やら機嫌が良くないようだ。構わず、ガベルはエドに尋ねた。

「そんなにあっさり破れたのか?情報管制システムの防御壁(ファイアウォール)が」

「ああ……あれはそうじゃありませんでした。別のデータベースにつながっていましたから」

にこやかにエドが答えるとガベルの表情が微かに気色ばむ。そのまま、エドが続けた。

「ナナが探り当てた情報があったのは別のポケットでした。上手くカムフラージュ、というか……偽のルートが仕立て上げられていたようです」

「偽のルート?何だそりゃ……」

「何者かが意図的に、「事故」の情報を広めようとしていたようです。管制システムの防護壁に辿り着く前に、横道がつけてありました。クーパー少尉はそちらのルートを辿ったようですよ」

言葉とともに多大な溜め息をフェーンが漏らす。ガベルは目をぱちくりさせ、

「それで、なんでお前がそんなに疲れてるんだ?フェーン」

「疲れていると言うより……呆れているんです」

言葉の意味は更に難解になる。ガベルが首をかしげていると、困ったようにエドが言った。

「ヌゥイ系のテロリストか、反ラステル派の政府高官が絡んでいるみたいですよ?」

言葉にガベルの表情が変わる。納得したような驚いたような、そんな顔になると、ガベルは苦笑して言った。

「そいつは……確かに呆れると言うか、気も滅入るな?フェーン」

「しかし隊長……彼は何故ここまでそのことを気にしているんです?」

改めてエドがその疑問を口にした。疲れた目でフェーンはエドとガベルを見る。ガベルは苦笑のまま、

「フェーンはヌゥイの出身でな……ダルトゥーイ、って地名は知ってるか?」

「ええ、聞いたことはありますよ。何でも反ラステル政府派の本拠地、とか……」

「僕の祖父はその「旧ダルトゥーイ領」の出身なんです」

言いながらうんざりした様子でフェーンが顔を上げる。その言葉にエドも驚きの表情を浮かべ、

「それは、まあ……大変だね」

コメントのしようがないのか、普段以上に曖昧な言葉を述べる。フェーンはそれに無言の笑みを返し、それからうんざりした声で言った。

「ダルトゥーイがらみとなると僕のマークもきつくなります。副長も外されかねない」

「その辺は心配いらんだろう。人事はスティラのヤツラの仕事だし、その辺も承知でお前を副長にしてるんだ。それに、何かあったら大隊長殿やキャバリエールが動くだろ」

何処か暢気にガベルが言う。スティラ軍から出向している司令部の人間の名にフェーンは苦笑し、

「キャバリエール少佐、ですか……あまりあの人に借りは作りたくないですね」

「そう嫌ってやるなよ、あいつらだって好き好んでソレアくんだりまで飛ばされてんじゃねぇんだ。それに、あいつはまだ使える方だぞ?」

「それは、そうですが」

何やら少々不穏な会話がなされている。しかしあまり気にしていない様子で、エドが口を開いた。

「それにしても、ヌゥイ系の反政府派がどうしてこんな手の込んだ真似を?彼らにだってヌゥイ軍の目が向いているでしょう?」

「表向きにはな。だが「お目こぼし」ってのは充分に考えられるし、在り得る話だ。何しろどこの軍隊も「ミッシュ・マッシュ」が嫌いだからな」

誰にするでもないようなエドの問いに、ガベルが簡単に答える。

「大体、今回の新型開発だってそうだ。ソレアはマシンの予算をかなり負担してるが、所有権があるから大して文句もたれない。スティラはそいつを管理、というか監視して、実際のところ使ってるからやっぱり大して文句もたれない。が、リウヌもヌゥイも機関の維持自体、嫌がってるからな。金食い虫の上に元属国に楯突いてるんだ。当たり前っちゃ当たり前だな。しかもヌゥイの場合はドゥーローの維持管理までやらされてる。南国境地帯の主要基地、ってだけじゃなく、マシンの開発から死に損ないパイロットの面倒まで押し付けられちゃ、腹も立とうってもんさ」

淡々としたガベルの言葉に流石のエドも神妙な面持ちになる。そして、

「しかしドゥーローがなければ、ヌゥイ自体が……」

「ヌゥイ自体は支配体系なんかどっちでもいいのさ。自分の国が平和だったらな。けどその中がややこしいんだ。反ラステルだの何だの、ってな」

重ねられた疑問にも、ガベルはさらりと答えた。フェーンは傍らでそれを聞きながら、困ったように笑い、

「あの国は昔からそういう土地柄なんですよ。元々小さな国で、周囲の国から随分痛い目に合わされていて。しかもその小さな中でもいくつかに分割されている。旧ダルトゥーイもそうです。元は隣国クラカラインの外国領ですから」

言葉の後、フェーンの口から溜め息が洩れる。エドは驚いているらしい。言葉もない。その様子にガベルは僅かに笑い、それを収めてから言った。

「ヌウイ軍が独自で人型兵器を開発しようとしてるって噂もある、ま、ガセだろうがな。あの馬鹿でかい木偶の坊に乗れるのはラステル国内じゃ俺達だけだし、第一素人が簡単に扱えるような代物じゃない。が……連合の協定をヌゥイが破ろう、ってなら、話は別だ」

「でも今のところ、ヌゥイが国を挙げてラステルに反抗する、ということはありえないと思いますよ」

ガベルの言葉をさえぎるようにフェーンが言う。ガベルはちらりとフェーンを見、

「どうしてだ?」

「さっきも言ったでしょう?元々ヌゥイは小さな国です。それでいて内側も細かく分かれている。反ラステル派も勿論いますが、実際、反クラカライン派がいないわけじゃない。政府はそれをまとめるだけでも四苦八苦しています。そんな時にラステルを抜けたとしても、何の得もない。ヌゥイ国内はもっと混乱して、あっさりクラカラインに占領されるのがオチです。もっとも、クラカラインとつながりたい連中もいますから、それが失策になる、とも言えない訳ですが」

言い終えてフェーンは苦笑する。そして肩を軽くすくめると、

「自分の故郷を悪く言うのも難ですが、あの国は余りにもまとまりがない。ラステルに「割譲」された後、多少は「国」らしくなったものの、未だに烏合の衆である感が拭えない。願わくば「ミッシュ・マッシュ」に楯突くような真似だけは、して欲しくないですが」

「また……なかなか厳しい意見だね、それは」

思わずエドが所感を述べる。フェーンは軽く笑うと、

「一応故郷ですからね。「トリオG」に殲滅されるのを軟禁状態で見せられる、というのは辛いですよ」

「おいフェーン、人聞きの悪いこと言うなよ。てか、なんでそこで俺達(トリオG)が出て来るんだ?」

冗談の様なそうでもない様なフェーンの言葉にガベルは眉をしかめた。エドはその様子に、何やら閃いたらしい。ああ、と声を漏らすと、

「それはそうでしょう。トリオGが本気になったらミッシュ・マッシュも潰せるそうですから……あれ、違ったかな、ラステル自体が壊滅するんだったっけ……」

そう言ってとぼけたような顔で思案を巡らせ始める。ガベルはがくりと肩を落とし、

「お前らな……」

「とは言え、反ラステル派のヌゥイ政府高官、となると、これ以上僕らでは手は出せません。まさかマシンで乗り込むわけにも行きませんし……」

落胆するガベルを置き去りにするようにフェーンが話題を変える。肩を落としていたガベルは顔を上げて、

「その辺は……一応司令部に「報告」だけしとくか。メインデータに辿り着く前の予備スペースとは言え、よその人間が入り込んで付属品つけてった、なんて、管理が甘いもいいとこだからな」

「よその人間がしていたことなら、それも意味があるかもしれませんが」

「……フェーン、何を怒ってるんだ」

どうにも口調の厳しい副官に、ガベルは眉を寄せた。エドはその様子に苦笑して、

「さっきから、いつもと様子が違うんですよ、彼。まあ、自分の故郷に絡んでいる話なら、仕方ない事かもしれませんが……」

フェーンが疲れた顔で嘆息する。ガベルは首をかしげ、

「何だフェーン、どうかしたか?今更だろ、この手のネタは」

「ヌゥイの、反ラステルの政府高官、若しくはテロリストがらみ、ですから。頭も痛くなりますよ」

「ああ……テロリストがらみ、だからか」

そこでガベルも漸く納得がいったらしい。なるほどね、と小さく言った彼にエドが尋ねる。

「テロリスト……何か副長と、関わりが?」

「ラステル指定のテロリストの中に、兄と同姓同名の人間がいるみたいで」

笑いもせずにフェーンが答える。エドは絶句し、ガベルは目の前の光景に苦笑を漏らす。

「まぁそういう訳でな。あんまり苛めないでやってくれ。ところでエド、ナナニエルの方はどうだ?」

唐突にガベルが話題を切り替える。僅かに遅れてエドは、ああ、と声を漏らすと、

「すっかり落ち着きましたよ。「事故」の情報のことも、すんなり教えてくれましたし。ただ……しばらくマシンに乗せたくは、ないんですが」

かすかに眉根をよせ、エドがどこか淀んだ口振りで言う。いぶかしげに、ガベル、

「乗せたくない?」

「ええ……これは僕の、個人的な要望ですが」

「却下だな」

即座にガベルが返答する。エドは苦笑すると、

「あんなことがあった後です。あれから訓練もしていませんし」

「機体の納品まで後五日だ。今頃あいつを降ろすとか、そんなわけにはいかんぞ」

「解っています」

「なら、お前が何とかしろ。お前はナナニエルのサポートだ」

ガベルは睨むようにエドを見つめる。エドは笑いもせず、更に返した。

「せめて彼女に「事故」の真相を教えてあげたいんですが、その許可はもらえないでしょうか」

エドの言葉にガベルとフェーンが気色ばむ。足りの表情の変化を見て、エドは口許を緩めるように笑った。

「彼女が手に入れた情報は、僕達も今日覗いてみましたが、ある意味ゴシップだ。ミッシュマッシュの醜聞がより広まりやすいようにと、情報を操作してある。全くのデマとは言えませんが、本当の事でもない」

「……何が書いてあったんだ?そう言えば」

言いながらガベルがフェーンに顔を向ける。フェーンは振り返らず、ガベルに答えもせずに、

「僕は反対です。「事故」自体、本来なら機関内では発生してはならない事です。とは言え、今回のことは僕達パイロットにも隠し切れないから「事故」として処理されているんです。わざわざそれを広めるような真似は……」

「ナナにはよく言って聞かせるよ。それに、彼女はこれ以上何もしないはずだ」

「しかし、グリュー少尉!」

「当事者でない僕や君や隊長が本当の事を知っているのに、彼女に知らせなくていい道理なんてないだろう?ナナニエルは死んだパイロットの友人だ。その権利は……」

「僕達にそんな個人的な権利はありません。あれは「事故」で、さもなければ……」

「新人に一人、敵側の人間が巧妙に紛れ込んでて、マシンに乗って外に出たその時にそいつが本当の見方を引き込むように仕組まれてた、なんて、確かに聞いてて気分のいい話じゃねぇな」

溜め息とともにガベルは言葉を放った。言い争っていたエドとフェーンが振り返る。疲れた目でガベルは二人を見、そして言った。

「その「事故」の件がパイロット連中に洩れれば、ここはパニックだ。誰が敵で味方か、区別がつけられなくなるからな。そういうパニックに乗じてここを引っ掻き回したい連中も山といるだろう。そうでなくても、同行のパイロットが「戦闘」で死んだって聞いただけで、マチルダを変な目つきで見るやつだって出かねん。あいつの戦績は異常だ、やっかんでるのもゴマンといる。その上で新型に抜擢だ。ナナ以上のことをするヤツが出てこないとも限らない」

ガベルの言葉の後、室内が静まり返る。エドは挑むようにガベルを見詰め、フェーンはどこか怯えるように、ガベルとエドの対峙を見ている。

「……良く言って聞かせろよ?これ以上のオイタは、俺じゃどうにもできん」

「っ……隊長!」

溜め息混じりのガベルの言葉に思わずフェーンが声を上げた。エドの、挑むようだった目つきが安堵の表情を見せる。

「隊長……有難うございます。ナナも……ショックは受けると思いますが、きっと……」

「そうだな、納得した上でする反省と、そうじゃないのはまるで違うからな」

どこか投げやりにガベルが返す。エドは苦笑して、それ以上何も言わない。フェーンはその様子にあっけに取られ、それから、どこか不服な様子で何も言わずに眉をしかめたが、言葉はない。無言の副官を見やってガベルは軽く肩をすくめ、それからわざとらしく言った。

「これでナナニエルの件は片が付く、か……ご苦労だったな、二人とも」

フェーンに言葉はない。エドは少しだけ困った様子で苦笑いして、

「いいえ、そうでもありませんよ。収獲もありましたから」

そんな風に返した。

 

ミッシュマッシュ南国境地帯総合基地は、その土地にある湖の名をとり、通常ドゥーローと呼ばれている。ラステルの四国連合の中でも最後に連合の領土となった小国、ヌゥイ国内に展開される基地は、特務機関において、特に「治癒」関連の施設を多く擁している。時に「ミッシュマッシュ総合病院」とまて呼ばれる基地には、その呼び名の通りパイロットを含む特務機関構成員の外傷、疾病の治療機関と共に、マシン開発の中枢が置かれている。

「シル・ソレアから車で六時間?!う、嘘ぉー……」

「マシンのホバーで飛ばしても三時間くらいはかかるぞ」

「そんなにかかるなら飛行機とか使ったらいいじゃない。ここ、軍隊でしょ?」

「そんな真似したら敵に撃ち落とされるだろ」

ラステルの国土は敵国よりはるかに狭い。そして当然、敵国側はこちらの動きに敏感である。軍備も、実際のところラステルとは比べ物にならないくらい強大なのだが、現在地上戦においてはラステルが技術面で先んじている為、敗戦という憂き目には会っていない。ラステルの国土は複雑な勢力地図の中にあり、それも、この小さな国家が僅かな軍備で戦い抜ける条件の一つとなっている。メリノ、パナケアという名の大河川の中州を中心に国土を擁するラステルは、元々中継貿易の拠点であった。同時に河川が運ぶ豊かな土壌に恵まれ、国土の北東部は、現在では見る影もないが、かつては広大な穀倉地帯でもあった。とは言え度重なる侵略と抗戦のため、その地表の殆どが岩砂漠と化し、ラステルの国民の殆どは地下に都市を建造して暮らしている。

敵国は東に帝政の大国、ラビスデン、南西には共和連邦カシウール、南には連合王国クラカライン・ナルシア、いずれもかつてラステルを部分的に支配し、その土地を奪い合い続けてきた国々だ。各国は未だラステルを独立国とは認めず、その為に延々と攻防が繰り返されている。

「六時間もの間、一体何してろって言うのよ」

「寝てろ」

「えーっ、そんなのつまんなーい」

移動のためのバスに乗り込む直前、マデリンが喚く。マチルダは殆どそちらを見ることなく、そんなマデリンをいなしている。

「行きたくなきゃここに残れよ。で、隊から外れろ」

「何よ、マチルダの意地悪!マチルダだって六時間も……」

「俺は慣れてるし、お前みたいなガキじゃねぇ。駄々こねてないでさっさと……」

基地間の移動の為、数日に一度の割合で乗り合いの便が発着している。とは言えパイロットが車両で地上を移動することは滅多にない。その移動方法の多くが自身のマシンを利用して行なわれる。

「うっわー、バス移動かよ……久々だな……」

その朝、基地内のターミナルでは他にもそんな声が聞かれた。集まっているのは「タイプb」小隊の人間の他にも数名いるようだが、マチルダやマデリンのような子供の姿は他にない。そのためもあってか一団は奇妙に目立っている。

「そう言えばジェイクは小さいころ、乗り物がダメだったのよね」

「へぇ……バスに酔うのか?ジェイク」

「って、そんなのすんげぇチビのころの話だよ。マシンに乗るような人間がバスで酔ったりするかよ」

傍ら、いつも通りの隊員達の談笑が聞こえる。マチルダは不貞腐れたマデリンを他所に辺りを見回していた。移動用の車両は通常、数台で隊列を組み、その護衛に基地の警備を行なうマシンが同行する。国内とは言えラステルの地表は戦闘区域と重なる部分が大きい。その為の一応の防御策ではあった。護衛が軽量マシンと呼ばれる機体なのは意味があるのだろうか。もしもの時にそれで対応しきれなければ、車両も人も、運んでいる物資類も全てダメになるのに。自分が乗り込む車両の向こうに見える数機のマシンを見、マチルダは胸の内で呟いた。

「コニーさぁん、本当に六時間もかかっちゃうのぉ?」

「マデリン、これも任務よ」

「でもぉ……」

「何、マデリーンちゃん、帰りは新型マシンでスイスイー、てなもんさ。我慢するのは今日だけだ」

マデリンは変わらずふてているらしい。確かに六時間もの移動の間、時間を持て余すには違いないが、これも危険を回避する一つの方法だ。それに、

「外の景色も、そんなに悪かねーよな……」

一人、何気にマチルダは呟く。乾いた大地と、くっきりと青い空。気候の変化に乏しいために滅多には見られないが、時として激変する天候も嫌いではない。とは言え、その只中に身を置いている時、自分は大抵マシンの中にいるのだが。思ってマチルダは眉をしかめた。目の前に広がる荒野の全ては、マシンが戦うその場所だ。その為に人々は地上から地下に移住し、それをいいことに、敵国のマシンまでもが国土を踏みにじる。

国など、どうでもいい。自分に戦争を強要する特務機関も、わずらわしいとは思っても、それ以上の感慨などない。だから、どこでマシンに乗ろうが戦闘しようが、関係ない。マシンに乗る理由は、させられているからで、そうしなければ生きられないどころか、それを拒んで死ぬ事さえ許されていないからだ。戦争を望んでいるわけではない。できることなら、関わりなど持ちたくはない。けれど知ってしまった以上、引き返すことも投げ出すことも叶わない。それは機関や国家の意思だけではない。自分の中の何かも、この場所から逃げることを拒むからだ。そこから逃げることを拒んでいる自分がいる。理由は、知らない。思い、マチルダは何気に振り返る。直後、その目を見開き、思わずマチルダは目に入った人物の名を呼んだ。

「……クーパー少尉」

ナナニエルが、どことなく困ったような表情で、マチルダを見ていた。以前のようなとげとげしさは微塵も感じられない。同じく、強い勢いも。驚くマチルダに、ナナニエルは言葉を続けた。

「ドゥーローへ……行ったことは?」

「何回か……入院とか、してるし……」

特別どうという事はない問いかけに、マチルダも自然に答えていた。ナナニエルは力ない表情で、しかし意識的に作っているわけではない、そんな微笑を浮かべる。

「クーパー、少尉……?」

「グリュー少尉に……「事故」の事を聞いたわ」

問う様にマチルダガ呼びかけると、それとは関わりのない様な口振りでナナニエルは話し始めた。言葉にマチルダは息を飲むが、構わず、ナナニエルは続ける。

「あの後……寝込むくらい泣いたわ。このまま泣き続けて、死んでしまえたらって思うくらい。自分の馬鹿さ加減が解って、余計にね」

「……何だよ、それ」

言葉の後、ナナニエルが苦い笑みを漏らす。自分自身を笑っているその笑みにマチルダは眉をしかめる。苦く笑って、その笑みが融けるように消えた顔で、ナナニエルは言った。

「本当に馬鹿だったわ……貴方の言った通りよ。今更私が騒いでも喚いても、死んだ人間が返ってくるわけじゃない。イオが、生き返るわけじゃないし……貴方も、大変だったのに……」

「けど……あんたが、あんなんだったのは……」

思わず、マチルダは言葉を紡ぐ。ナナニエルは無言で首を横に振り、

「それでも、許されることじゃないわ。哀しいからって誰かに当り散らしても……その哀しみが消えるわけじゃないもの」

声に力はないが、言葉はどこか清々しい。マチルダは息を飲み、無言でナナニエルの、どこか寂しげで、それでいて何かを吹っ切った様な顔を見ていた。自分を見詰めるマチルダに、ナナニエルはまた笑いかける。

「約束通り、今後一切貴方に干渉はしない。でも、謝罪だけはしておきたかったの。いいかしら」

「謝罪……」

「許してもらえるとは思っていない。でも……ひどい事をしたわ。ごめんなさい」

言ってナナニエルは頭を下げる。それに驚き、思わずマチルダは声を上げる。

「悪いって……あんたの、何が悪いんだよ。だってあんたはイオが死んで、それで……それにイオは……俺のせいで……」

「違うわ、貴方のせいじゃない……イオは、貴方を助けたかったのよ」

ナナニエルが顔を上げる。まっすぐに、射貫かれるような目を向けられて、マチルダは再び息を飲んだ。

「イオは、貴方を助けたかった。貴方に生きて欲しかったのよ」

驚いて息を詰め、マチルダは何も言わない。ナナニエルはかすかに笑うと、そのまま言葉を続けた。

「イオニアは……貴方に生きて帰って欲しかったのよ。イオって、そういう人だった。ここへ入ったのも、ラステルの平和のために、誰かの幸せのために、って……そういう人だったから……」

ナナニエルの表情が、ゆがむ。笑みと、そして涙の表情が入り混じった顔に、マチルダは眉をしかめた。

「だから……貴方を否定する事は、イオを否定する事よ。イオが守った貴方を私が傷付けるなんて……矛盾する事だわ」

泣き出しそうな目で、それでもナナニエルは笑っていた。哀し気で痛々しいその表情は、だと言うのにどこか清々しい。マチルダは視線をナナニエルからそらした。地面の上に目を走らせて、けれど、見えているものは何もなかった。

「そんで……だから、何だよ」

混乱しながら、マチルダは吐き出すように言った。ナナニエルの表情が強張る。裁きを待つように、ナナニエルはマチルダの言葉を待った。地面を見詰めたまま、マチルダは奇妙な声で笑みを漏らす。

「マチルダ?」

「あんたも、イオニアも……どっかおかしいぞ?てか……ラステルのためにここに入って、なのに俺のせいで死んで、そんで、そいつをあんたは……それでいいとか……言うなんて……」

あは、あはは、と、途切れがちにマチルダの笑う声が漏れる。がくがくと体が震えているのを感じて、マチルダはそれを押さえつけるように自分の両肩を両手で掴んだ。体が勝手に屈む。倒れていきそうだ。

「マチルダ!」

「……だったら俺は……同じような事があった時、あんたを見捨てる」

倒れ掛かるマチルダにナナニエルが駆け寄る。支えられて、マチルダは言った。言葉にナナニエルは気色ばむ。が、すぐにマチルダに返した。

「構わないわ。それは……貴方の自由だもの」

「あんたが俺を助けようとしても……それでも、見捨てる……」

「ええ……それでいいわ。イオニアが生かした貴方を、殺すよりはましよ」

「……馬鹿なこと、言うなよ……」

絞り出すような声で言って、マチルダは顔を上げる。すぐ傍にいるナナニエルに、その顔はにやりと笑いかけた。

「マチルダ?」

ぎこちない笑みは、強がっているとも、本心のものともつかなかった。戸惑うナナニエルに寄りかかって、マチルダは言った。

「イオに助けてもらったのに……イオの友達、見殺しになんか、できるわけ、ないだろ……」

マチルダはナナニエルの体を押しやる。言葉とその動作に驚いて、ナナニエルは眼を見開いた。震えていたはずのマチルダは、自分の足でそこに立っていた。よろめく様子は見えない。

「マチルダ……」

「けど、あんたが俺を助ける、なんて言えるのか?この間のシミュレーションで、順位下がってんだろ?」

不敵な笑みがこちらを見ている。唐突なマチルダの変化に戸惑いながら、ナナニエルもその口許を緩めた。

「あら、そんなのすぐに巻き返すわ。うかうかしている隙なんてないわよ」

「しねーよ、うかうかなんて」

言葉の後、二人はそろってにやりと笑う。手を差し出したのはナナニエルだった。マチルダは一瞬怯む。が、大した間をおかず、その手を勢い良く叩いた。マチルダの目つきがどことなく訝しげになる。ナナニエルは満足そうな笑みのまま、

「今後とも宜しく、スーパーエース、アレン少尉」

「……あんたに言われると、ちょっと恐いな」

「そう?……心配しなくても、約束は守るわ」

「そうじゃなくて……あっさり順位とか、追い抜かれそうで」

いいながらもマチルダの表情に曇りはない。生意気で人を小馬鹿にした、不敵な笑みには違いないが、以前見た同じ表情の中に潜んでいた暗く冷たい気配はない。思ってナナニエルは無言で笑う。

「まあでも、俺って天才様だし?順位がどーのこーのじゃなくてさくさくランクアップするかもしんねぇけどな」

笑うナナニエルにマチルダはそう言ってきびすを返す。あまりの態度に一瞬ナナニエルも憤るが、立ち去り際のマチルダの笑みに、すぐにまた微笑む。

「ナナ」

マチルダの背中を見送っていたナナニエルに声が投げられる。ナナはそちらに視線を向け、

「グリュー少尉」

「何を話してたんだい?彼女と」

普段どおりの、人当たりのよさげな笑みでエドが尋ねる。ナナニエルは笑いながら、

「この間の事を謝っていたんです」

「マチルダは、何て?」

問いが重ねられる。ナナニエルはマチルダを今一度見やって、

「何かあっても助けてくれない、そうです」

「それはそれは……何だか恐いね」

ナナニエルの言葉にエドは肩をすくめ、笑うのをやめる。ナナニエルはマチルダを見たまま、

「そうでしょうか……ここでは、至極当然の判断だと思いますが」

言って、ふふ、と僅かな笑みを漏らす。横目で見ながら、エドは少しだけ苦いものが混じった笑みを漏らした。自分の質問に返された答えに反して、二人のやり取りは円滑で、どちらかと言えば和やかだった様だ。彼女達が素直でないのか、それとも、女の子同士の秘密というやつか。疎外感はあるものの、気分は悪くない。

「少尉」

「何だい?ナナ」

呼ばれて、エドは目を丸くさせる。ナナニエルは変わらずエドのほうを見ようとしない。しかし真剣な顔で言った。

「色々と、有難うございました」

「色々と?……何のことかな……」

「その点はご自身が一番良くお解りかと思います……有難うございました」

真直ぐ前を向いたまま、重ねてナナニエルが言う。エドは一瞬黙ると、大袈裟に肩をすくめて、言った。

「どういたしまして……でも僕達は二人一組なんだから、そんなの当たり前だと思うけどね」

 

 

 

 

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Last updated: 2007/12/06