LACETELLE0062
-the CREATURES-

Act 7

「アシュムが武器を取ったぞ!」

シミュレーターブースでそんな声が上がる。それぞれの場所にセッティングされたモニタ上の二機のマシンはその時同じ形状の武器を手に、激しい打ち合いを始めていた。周囲の人間がそれぞれに声を上げ、波のようなざわめきは収まりを見せない。それを傍目に、マデリンはわあわあと大声を上げて泣いていた。

「マチルダのばか、ばかばかばかばか、ばかぁっ」

側らのレオンとカイルはそれを見て閉口している。ガベルはと言うと制御モニタに食いついたまま、無言で二機のマシンを見ていた。

「アシュムの動きが一気に変わったな」

「でも今までずっと逃げてた分、移動力はかなり消耗しているはずだ。なのになんでザラと同じ速さで動けるんだ?」

「恐らく攻撃用の出力を足に回してるんだろう。マチルダならやりかねない」

「あー……そうだな、あいつらの仕込だからな」

ざわめきの中、外野では好き勝手な言葉が飛び交っている。マシンメイスの出力は移動系と攻撃系とで分けられているが、非常事態に備えて攻撃用のエネルギーを移動用に回す事ができるようになっている。主に退却の為に使われるシステムだが、その際には戦闘時の機体維持のための電力までもがそちらに使われてしまう為、電算機系に回る電力も低下し、場合によっては機体の維持にも支障が出かねない。電算機に回される電力が落ちればマシンの演算機能も低下し、ナビゲーションコンピューターの反応速度も落ちる。機体そのもののスピードは上がるものの、リスクは高い。

「でもこのままいくとどっちつかずで共倒れじゃないのか?」

「いや、エンジンのサイズはアシュムの方がでかい。ザラはどう頑張ってもザラだ。逃げる気がないなら……」

外野の声にガベルが反応した。側にいたレオンとカイルの顔が上がる。モニタ上の二機のマシンは激突し、噛み合った刃がその力で鬩ぎ合う。マデリンが真っ赤になったその目をモニタに向けた時、ザラがアシュムを押している、その光景が見えた。

「マチルダ!」

「とは言えアシュムの残りエネルギーも……一分もねぇんじゃ、補いきれない、かな……」

少しだけ困った様子のガベルの呟きが聞こえた。フム、と息をついたガベルに、カイルが問いを投げる。

「アシュムの電力回復を待っていたら、決着はいつまでたってもつきません。仕切り直した方が……」

「実戦に仕切り直しなんてあるか?オブライエン少尉」

「しかしこれでは、きりが……」

「ケリは着くさ。その目で良く見てろ。十二歳で「超スーパーエース」って呼ばれてるあのお子様のやり方を」

振り返らずにガベルは答え、ニヤリと口許をゆがめて笑った。瞬間、再び大きく周囲はどよめく。

「ザラがバランスをくずしたぞ!」

打たれたようにカイルは再びモニタに目を向ける。マシンの動きは、鮮やかとしか言いようがなかった。アシュムがかすかに刀身を自機へと傾けるとザラは僅かに前傾になった。しかしすぐに機体のバランスを立て直しにかかる。かすかにその上体が浮いた瞬間、アシュムがザラの胸の中に飛び込むように突進した。そのままザラは突き飛ばされ、画面上の岩砂漠に仰向けになって倒れる。アシュムは倒れたザラの胸部に向けてその小刀を振り上げた。

「おいやめろ、そこまでやるな!マチルダ!」

胸部の破壊マシンのコクピットを破壊することだった。マシンの持つ武器がそれを貫いたなら、中にいる人間はひとたまりもないどころか即死だろう。制御モニタ上には「ザラ破損率75%、戦闘不能」と文字が流れている。実戦と同じレベルを要求しはしたが、これはあくまで模擬戦だ。勝負はついたのだ。それ以上攻撃する必要はない。

「マチルダ!」

強くガベルが叫んだ。アシュムの刃は振り下ろされる。が、それはマシンを貫く寸前で止められ、同時に甲高い電子音のブザーが辺りに響いた。

『ザラ、戦闘続行不可。戦闘終了』

制御モニタの音声による終了の合図とともにモニタ上にザラ、アシュム両機の機体のデータが文字で流れる。ほぼ同時に、コクピットを模して作られた白い箱の一方の蓋がせり上がる。

「マチルダ!!

その中にその姿を見つけるなり、マデリンは叫んで飛び出していた。マチルダはシートについたまま大きく息をつき、しながらヘッドギアを外しにかかる。

「マチルダ、マチルダ!」

「っるせぇな……側で怒鳴るな、ばか」

ぐしゃぐしゃのオレンジの髪を整えもせず、マチルダは駆け寄ったマデリンを睨みつける。大きな瞳に涙を浮かべてマデリンはシートに座ったままのマチルダを見上げた。

「マチルダ……」

「それと、インカム着けてる時も怒鳴るなよな。コイツにスピーカーついてんだぞ?うるさくてしょうがねぇ……」

ぶつぶつ言いながらマチルダがシートをおり、シミュレーターの外へと出る。マデリンは言葉もなくそんなマチルダをただ見ていた。が、

「っ……ばかばかばかばかばか、マチルダのばかぁっ」

そう喚くなりそのマチルダに抱きつき、わあわあと声を上げて泣き始める。抱き付かれたマチルダは驚き、

「お、おい!なんで泣くんだよ?お前の言うとおり、ちゃんと勝ってやっただろ?それに、ちゃんと生きてるし……」

「バカ言え、ありゃ自殺行為ってんだ」

言葉とともにマチルダの頭の上に硬い何かが落ちてくる。誰かの手だと思った直後、その頭は左右に激しく揺さぶられた。

「うわっ……何すんだよおっさん!今の見てただろ?戦闘終ったばっかで……」

「うるせぇ。ランダム選出だってのに相手より強い機体が出てきてんだぞ?何やってんだ、だらだら時間ばっかかけやがって」

がしがしとガベルがマチルダの頭をかきむしる。それに揺さぶられながらマチルダは不貞腐れた顔で答えた。

「うるせぇ。すんだこと後からぐだぐだ言うな。それにあいつの攻撃、ザラのくせにやたらと重かったんだぞ。避けるのだって……」

「新型のパイロットだぞ、そんななぁ当たり前だ」

マチルダの言葉を一蹴し、ガベルがその頭を解放する。投げ捨てられるように開放されはしたものの、勢いでマチルダの体がぐらつく。よたよたしているそれを見ながら、ガベルはにやりと笑うと、

「ま、今回は勝ったからこれ以上は言わないが、実戦でこんな真似すんなよ?格下相手でも遊んでる余裕はねぇんだ。解ってるな?」

マチルダは膨れて何も言い返さない。ガベルは軽く笑うともう一台のシミュレーターに向き直った。白い箱は微動だにせず、その天蓋も閉じられたままである。

「さっきの転倒の衝撃で、脳震盪でも起こしてなきゃいいんだが……」

「外から開けましょうか?」

背後からカイルの声がする。ガベルは僅かに間をおいてから、

「ああ、開けてやれ」

ガベルの言葉に無言でカイルがシミュレーターの制御パネルを叩く。数秒後、エアーの抜ける音とともに白い箱の上部が跳ね上がった。シートの上、ナナニエルは膝を抱えて座っている。

「クーパー少尉……生きてるな?」

言葉を探し、選ぶようにしてガベルが言った。膝を抱えたまま、肩を震わせ、ナナニエルは僅かに首を縦に振る。ざわざわと、シミュレーターの間際にまでざわめきが迫っていた。余り大きな騒ぎにはしたくないが、思いながら、ガベルは言った。

「決着は付いたんだ。解ってるな?今後マチルダに手出しはするな」

ナナニエルの反応はない。泣いているのか、時折その肩が大きく揺れる。これをこの騒ぎから連れ出して、何とか落ち着かせられないものか。思いながらガベルは辺りを見回した。傍らでは迫る人ごみと、それを押し留めようとしている若者二人、そして、そんなものに全く構わない子供が二人、何やら喚いている。

「オラオラ、模擬戦は終わったんだ、散れ散れー!!

「何だレオン、どうしてお前が仕切ってるんだ?」

「そうだよ。それよりクーパー少尉は?」

「ガベル中尉、一体何があったんです?」

聞こえてくる野次とも付かない声にガベルは息をつく。どうやらかなり面倒なことになってしまったらしい。思っているとその野次の中から自分を呼ぶ声がして、ガベルは顔を上げた。

「ガベル隊長」

ざわめく人ごみを掻き分けて、その後ろにいたと思しきフェーンとコニー、そしてジェイクとエドがやってくる。

「やぁ、終りましたね」

「……一応な」

辿り着くなり発せられたエドの言葉にガベルは苦笑を漏らす。そして、

「グリュー少尉、そいつを宿舎に送っていけ。その後で色々と話したいことがある」

「色々と、ですか」

エドはガベルの言葉に目を丸くさせただけだった。そしてそのまま、ナナニエルの座っているシートに向かう。使えるのか食えないのか解らない男の反応は捨て置き、続いてガベルはマチルダとマデリンを見、言った。

「マチルダはそいつを何とかしろ」

「そいつって……コイツかよ?」

未だに自分に抱きついて泣き喚くマデリンを見、マチルダは露骨に眉をしかめた。ガベルは意地悪く笑うと、

「お前が泣かせたんだ、その位しても罰は当たらんぞ。カイルとレオンはその辺を片付けとけ」

「隊長……ここは、どうします?」

各自に指示を出すガベルに対し、声を投げたのはフェーンだった。今にも胃痛を訴えそうな深刻な表情に軽くガベルは笑い、

「さて……どうするかな」

「笑っている場合ですか。事によっては……」

「騒ぎを起こした、って訓告か?そのくらいなら食らってやるさ」

周囲のざわめきは刻一刻と大きくなっていく。その中で泣きじゃくるマデリンをマチルダが一喝する。

「だーもー!いい加減にしろ、お前は!」

「だって、だって、だって……うぇぇぇ……」

「埒が開きませんね」

淡々と言ったのはカイルだった。ガベルは何度目かの嘆息を漏らし、何事かを思案し始める。

「あー……どーすっかなー……」

「ガタガタ騒ぐな!暇人ども!」

そんな中、いきなり叫んだのはジェイクだった。大声を出して注目を浴びて、場を少しでも静めよう、という考えらしい。が、

「何だ、あいつ」

「何だジェイクか。誰かと思った」

「ジェイクってランクEで新型に抜擢された、とか言う、あいつか?」

「でかい声出してんじゃねーぞ、ヘボパイロット」

どうやら逆効果らしい。別の野次が飛び始めて、周囲の騒がしさは増すばかりだ。ガベルはそれにも嘆息を禁じえない。疲れた顔でそちらを見もせず、

「コニー、その馬鹿を連れて出ろ」

「了解しました」

「って隊長、そりゃないっすよ!!俺だって隊に貢献……」

「隊長命令よ、ジェイク。さ、行きましょう」

ジェイクはそのままコニーに連れられて、騒ぐ人ごみの中に消えていった。

苦笑で見送り、再びガベルは泣き喚くお子様とそれに怒鳴り散らすお子様、そしてその他大勢を見遣った。

「こりゃ上の方に何とかしてもらうしかねーかなー……」

「上、ですか……」

何気なく漏らしたガベルの小さな声に側らでフェーンは溜め息をつく。どうやら彼の方がその上司より参っているようだ。ガベルはそれを見遣り、

「何だフェーン、どうした?そんなに疲れて」

「いえ……隊長の判断には逆らいませんが」

彼は彼でこの先のことを考えているらしい。訓告だろうが謹慎だろうが、どうせ懲戒免職にはならないのだ、そう気にすることか。ガベルは心で思いはしたが、目の前の青年の顔つきにそれを口にはしなかった。

「けどこの包囲網ですよ?どうやって抜けるんです?」

コンピューターの後処理を終えたらしいレオンの声が耳に届く。わんわん泣いているマデリンを宥めながら、マチルダも口を開く。

「強行突破でもすんのか?オヤジ」

「あー……それしかねぇかなー……」

気が付けばそこにエドとナナニエルの姿はなかった。上手く脱出したようだ。頭をばりばりとかきむしって、ガベルは彼方を見るように顔を上げた。

「蹴倒してきゃ道も開けるか?」

「剣呑なことをさらっと言わないで下さい。ここは前線じゃないんです、基地内での暴力行為はご法度ですよ」

「フェーン、そりゃ大袈裟だぞ」

男達四人はそこで四の五のやり始める。マデリンが我に返って顔を上げたのはその時だった。どうやら泣き喚いて落ち着いたらしい。顔を上げて、鼻をすすりながら、

「マチルダ……何?どうかしたの?」

「って……お前なぁ……」

全く何も解っていないマデリンの様子にマチルダは呆れの吐息を漏らす。それからあごで騒ぐ人だかりを示し、

「あれだよ」

「……なぁに?この間、マチルダとシミュレーションした時みたい……」

「ああ、そうだな……」

首をかしげるマデリンを見ず、マチルダは投げやりに言った。マデリンは辺りをもう一度見回し、その場で少し考え込み、それから、マチルダから離れた。

「……マデリン?」

「ちょっとみんな静かにしなさいよ!でないとパパに言いつけるわよ!」

甲高く大きく、マデリンの声が辺りに響いた。突然の声に傍にいた約五名と、人だかりが驚き、その視線がマデリンに集中する。同時に、ざわめきが止んだ。

「ま……マデリン?」

「……こいつはいいや」

驚いている大人数の中、ほくそ笑んだのはガベルだった。静まったままのブースに、続いてガベルの声が響く。

「ここにいる奴なら全員、マデリンの事は知ってるよな?大隊長殿のお嬢さんが言ってるんだ、パパに言いつけられちまうぜ?ほら、とっと散れ!」

ざわざわと、再び人だかりはざわめき始めた。が、それは先程とは別の反応のようだった。散り散りと、少しずつ、その場に固まっていた人間が動き始める。数分と待たない間に、人の垣根は取り払われ、ブースは普段の余裕を取り戻した。

「本当にもう、ここの大人の人ってどうしてこんなに子供っぽいのかしら」

泣いた跡の残る顔でマデリンは頬を膨らませる。わはは、と声を上げて笑い出したのはガベルだった。

「じょうちゃんに言われちゃ世話ねぇな、全くだ」

「しかし……今のは見事だった、レイシャ少尉」

その言葉と笑う声に続いて、カイルの感嘆の声が漏れる。マデリンはカイルへと振り返り、

「そう?こんなの、ちょっと頭使ったら出来る事よ?」

振り返ったマデリンは少々引っかかるものを含んだ複雑な顔で笑っている。見て、眉をしかめたのはマチルダだった。

「ちょっと頭使ったら、出来る?」

「マデリーンちゃん、何だい、それ」

言い回しの妙にレオンが尋ねる。マデリンはぺろりと舌を出して、

「だって、ああ言ったらみんな、本当に言いつけられるかも、って思うでしょ?そしたら大人しく帰ってくれるじゃない」

ガベルは変わらず声を立てて、カイルは無言かつ複雑な表情で、一応笑っていた。フェーンはマデリンの言葉に息を飲み、マチルダは凄まじく嫌そうな顔をしている。

「うっわー……マデリーンちゃんって、可愛い顔して……やるなあ……」

レオンは、何か思うところがあったらしい。が、それを口にしないように言葉を選び、そんな風に言う。マデリンはその言葉に、一つ可愛らしくウィンクして見せた。

 

「それにしてもみんな子供よねぇ、人の模擬戦にあんなに食いついたりして。あれって全棟で見られる様になってるんでしょ?」

十二歳のお子様パイロットはその時、先ほど泣いていた事もすっかり忘れて、ともするとご機嫌だった。定刻はとうに過ぎ、普段であればそろそろ就寝準備もし始める、そんな時刻である。マチルダとマデリンはその時、構成員宿舎内の階段を登っていた。鉄筋コンクリートのその建物は期間構成員の住居として準備されているものだ。配給される衣食住のうちの住にあたるその場所には、一応、基地外から通勤する人間のための部屋も用意されている。尤も、使わなければただの空室でしかないのだが。

「お前、帰んなくていいのかよ?」

マデリンの家は基地の外である。妻帯者の場合、機関構成員は基地外の住居での生活を許される。マシン・メイス大隊の大隊長の娘であるところの彼女の場合は、家族が機関構成員であり尚且つ自宅が基地外であるのでその辺りは容認されていた。当直夜勤もあるので毎日ではないが、基地の外から通勤して、基地を出て帰宅する。

「うん、平気。今日はこっちに泊まる、ってママにさっき連絡したから」

「ふーん……」

「でもあたしの部屋、どこか解んないの」

「……え?」

てへ、とでも付け加えそうな顔でマデリンが言う。マチルダの顔が固まった。そして、

「今晩、泊めて♡」

その言葉の直後、マチルダはマデリンの隣を突っ切って、それまでより格段に速いペースで歩き出した。ものの数秒で置いてけぼりを食らったマデリンは勿論慌ててそれを追いかける。

「ああん、待ってよ、マチルダ!」

「部屋なんか管理棟に行きゃ解るだろ。さっさと自分の部屋に行って寝ろ」

「マチルダの意地悪!いいじゃない、一晩くらい泊めてくれても!」

「馬鹿言え!ここの部屋なんか犬小屋レベルだぞ。ベッドだって営倉よりましなくらいで、二人でなんか……」

「だったら管理人さんのところまで連れてってよ!どこにあるか解んないもん!」

「うるせぇ!そんなの自分で探せ!」

 

数分後。

「わー……本当にせまーい……でも一応ベッドは大人の男の人用になってるんだー……」

マデリンとマチルダは、マチルダの部屋にいた。因みに宿舎はワンルームだが、子供が住むには充分な広さがある。フローリングの室内にはキッチンと作り付けの家具、最低限の電化製品、エアコン、ベッドなどが設置されており、その他の調度に関しては個人の自由に任せている。

「何でついて来るんだよ、お前は……部屋、となりって聞いただろ?」

がっくりとマチルダが肩を落としている。マデリンはそちらを見もせず、

「その辺は気がきいてるわよね。でもどうせだったらマチルダと一緒の方がいいな」

「狭いんじゃないのかよ?」

「そりゃ狭いけど……あたしの部屋より広いもん」

けろっとした顔でマデリンが言う。マチルダは顔を上げるとよろよろと歩き出し、歩きながら詰襟の上着を脱ぎ捨てた。

「マチルダ?」

「もう寝る」

「えーっ、ご飯とか、お風呂は?」

「腹減ってんなら一階の購買で何か買って食え。俺はいい」

「……マチルダ、疲れてるの?」

よくよく見ればぐったりしているマチルダに、やっと気付いたようにマデリンが行った。マチルダは振り返りもせず、

「ったりめーだろ……あんなことして、疲れねぇ訳がねー……」

言いながらベッドに倒れこむ。マデリンは慌ててそれに駆け寄り、

「マチルダ、大丈夫?ねえ、何も食べないの?何か買ってくる?」

質問を投げるが、答えはない。そのままマチルダはくうくうと寝息を立て始めた。相当疲れていたらしい。マデリンはそれを見て息をつくと、

「でも……今日は大変だったもんね……早く寝た方がいいか」

そう言ってから、ベッドにつっ込んだ格好になったマチルダを何とか動かし、その体を何とかその中に収めた。そして、

「お休み、マチルダ。また明日ね」

眠るマチルダの顔は、無防備の度も過ぎるが、年相応に無邪気で、しかも綺麗に整っている。マデリンは少しの間そんなマチルダを見ていたが、不意にその頬に軽く口付けた。何だか、ママにでもなったみたい。でもマチルダ、可愛いんだもの。思いながらマデリンはふふ、小さくと笑った。

 

一方、同じ構成員宿舎の別棟の一角。

「しかし年下の女性と組むと言うのもなかなか大変ですねぇ。下手を打つと倫理委員会に言いがかりでもつけられそうだ」

「お前に関してはそう言う恐れはないだろう。それに、イチャモンつけられたところで、痛くもかゆくもなさそうだが?」

「そうでもないですよ、僕もそれほどの論客でもないですし」

「じゃあ聞くが、一体どうやってナナニエルをたきつけたんだ?グリュー少尉」

そこは室内ではなかったが、完全な屋外でもなかった。鉄筋作りの建物の階段の踊り場で、ガベルはその部下と対峙していた。眉間には浅くない皺が刻まれ、目つきはいささか鋭い。対峙する部下、エドガー・グリューはその言葉に目を丸くさせ、

「は……炊き付けた、ですか?」

「若しくは、それに近しい事をしただろう。身に覚えは?」

強く低く、ガベルが質問する。エドは少し考えるようにして、それから口を開いた。

「隊長、自分が言ったのは「このレベルならアレン少尉と対等に渡り合えるかもしれない」というようなことで……」

「全く身に覚えがない、とは言わないのか」

「……流石に、そこまでは」

言葉の後、エドは苦笑を漏らす。その表情にガベルは深く息をついた。そして苛立たしげに髪をかきむしる。

「先に言っておいたはずだ、あの二人のことは。ナナニエルが何をしでかすか解らんから、注意していろ、と」

「それは聞きました。しかし隊長、僕も彼女のサポートとして……」

「同じランクで年下のマチルダに負け越しじゃ困る、そう思ったのか?」

「同じ隊にいて、彼女の自尊心にも傷がつきます。あまりいいことじゃありませんよ。だから褒めただけです」

「お前のその褒め方も、褒められた事じゃないと思うが」

疲れたように放たれた言葉は、露骨にエドを責めていた。エドは苦笑しながら、

「そのようですね。クーパー少尉のいいところは、あの負けん気だと思ったのですが……」

「それが最大の欠点でもある。以後注意……下手すりゃ後はないぞ、解ってるのか?」

「気をつけます。しかし……一つ、いいですか?」

軽く肩をすくめ、エドが言葉を返した。ガベルはそちらを見もせず、

「何だ?」

「あの事件に関しては……彼女は真相を知らないようです。僕に知らされていて、本人が全く蚊帳の外というのは……」

「あいつは「事故」とは無関係だ。下手に関わらせるわけにはいかん」

「事故」と、ガベルは言い換えた。エドはそれに僅かに気色ばむ。ちらりとそれを見て、今度はガベルが苦笑を漏らす。

「不服か?グリュー少尉」

「……そうですね。彼女が可哀相です」

「『可哀相』か……お前の口からそんな単語が出てくるとはな……」

「意外ですか?」

間を置かず、エドが問い返す。ガベルは肩を軽くすくめて、

「ああ、いい意味で意外だった。そういう風に優しくしてやりゃ、ナナニエルももっと心を許すだろうよ」

そう言って軽く笑う。エドは無言で苦笑して、改めて口を開いた。

「彼女のことは今後も気をつけておきます。僕らは一応パートナーですし、正直僕もあまりヒステリックに当たられたくありませんから」

「おいおい、あんまり正直すぎると別の意味で倫理委員会に引っ張られるぞ?」

「彼女は素晴らしい才能を持ったパイロットです。新型部隊に抜擢されただけのことはある。僕に出来るのはその才能を最大限にまで伸ばすことです。でもその前に、もう少し彼女を楽にさせてやりたい」

そういうエドの顔は笑っていた。穏やかなその表情にガベルは目をしばたたかせ、その後にやりと笑う。

「何だエド、そういうクチか」

「そういう、というのは何……」

「何もくそもあるか。まあ別に色恋沙汰はご法度じゃねぇから俺はそこまで口は出さんが……」

ニヤニヤ笑ってガベルが言葉を続ける。エドは直後その顔に、いつものわざとらしい笑顔を作ると、

「いやぁ、色恋だなんてとんでもない。それに、そういうことは僕の方こそ口も手も出ませんよ。隊長の御高名の足元にも及びません」

「俺の高名?何だそりゃ……」

あはははは、とエドが笑う。ガベルが笑うのをやめ、いぶかしげな顔をしたそのタイミングだった。

「あら、アルったら、こんなところにいたのね?」

あまり高くない、しかし何かを含んだ女性の声が聞こえた。エドは笑うのをやめてそちらに振り返る。ガベルはその声に、何故かぎょっとした顔になった。カツカツと甲高く靴音が響く。階段の踊り場にやってきたのは、長い髪の女性だった。詰襟と膝丈のタイトスカート姿から、機関構成員であることは解る。襟章の形は逆三角、整備関係者のものだ。赤茶の豊かなカーリーヘアと、何も塗られていないにも拘らず、どこか艶やかな唇。大きな瞳はサファイアの青。相対的に見て、強面だが、美人である。

「あれ?主任、どうしてこちらに?というより、いつドゥーローから……」

先に口を開いたのはエドだった。主任、と呼ばれた彼女は口許をゆるく結んで楽しげに微笑む。が、エドの方は全く見ていなかった。

「ついさっき、夜行のポーターに乗せてもらったの。明日から五日間、休暇を取ったから」

「五日間もですか……現場は?」

「一応のキリはついたから大丈夫」

会話の最中、ガベルはと言うと、じりじりとその場から後退しようとしていた。カーリーヘアの美女はそれを見ながらも艶然と微笑み、

「お話は終わったかしら?グリュー少尉。まだかかりそう?」

因みに、機関構成員でもパイロットの階級は少尉以上とされている。整備担当者は最高でも曹長止まりである。上官の指示は絶対であり、許可がなければ発言も控えなければならないのが、軍事組織というものだ。なのでエドの言葉遣いは、少々妙ではあった。が、

「いえ……整備主任が隊長に御用でしたら、僕はこれで……」

「あら少尉、私は伍長だもの、そんなに遠慮しなくても……」

「何を仰ってるんですか、エプスタイン整備主任。主任は僕よりこちらも長いし、随分お世話にもなっていますし、隊長にも色々と……」

その隊長、階級が一番上である中尉たる男はというと、こそこそと逃げようとしていた。一喝したのは女の声だった。

「アル、どこに行くつもり?」

しかも、呼び捨てである。びくりと中尉の肩が跳ねる。ガベルは嫌そうに振り返り、彼女を睨むようにして言った。

「どこって……自分の部屋だ。もう遅いしな」

「そうねぇ、もう夜中だものねぇ……でもだからって、どうしてそんなにこそこそ、逃げるみたいにしてるわけ?」

カツカツと靴音高く、彼女はガベルに詰め寄った。その様子にエドはにこやかな表情で、

「それじゃ、僕はこれで失礼します」

「お休みなさい、お疲れ様、少尉」

立ち去るエドに彼女が優雅に手を振る。ガベルは彼女の肩越しにそれを見て、

「おい待てエド!まだ話は……」

「いやぁ、僕も人様の色恋沙汰に首をつっ込むほど、無粋じゃありませんから」

「やーねぇ、少尉ったら。からかわないでよ」

立ち去るエドにどうしてかご機嫌な様子で彼女が答える。ガベルはそのままエドを見送る事を余儀なくされ、見送ったその後、立ちはだかる彼女を睨み、言った。

「……なんで帰って来てんだよ」

「なんでって……だってここ、私の家よ?」

家、というより構成員宿舎である。しかも、

「女性宿舎っつーかお前んちは向こうの棟だろうが!こんなところで女がふらふら歩いてたら危ない……」

「だって一刻も早くアルに会いたかったんですもの。だから夜の便に無理やり乗せてもらって帰って来たのよ?どう?けなげでしょ?」

「……はた迷惑の間違いだろ」

立ちはだかる彼女を、ガベルはいとも容易くその場から除けた。その腕で押しのけられ、彼女はよろめく、が、

「やん!何するのよ!人が必死になって帰って来て、夜遅くに危険を冒してまで会いに来たって言うのに、取る態度がそれ?」

「そんなこと誰が頼んだ?」

「頼まれなくたってするわよ!本当、アルって鈍感なんだから」

「遊んでるほど暇じゃねぇんだ。お前だってさっさと寝ないと、お肌に響くんだろ?カリナ」

名を呼ばれて、彼女はその目を丸くさせた。そしてにっこり笑うと足早にガベルに駆け寄り、

「優しいのね、そんな心配してくれるの?アル」

「行き遅れの年増だからな」

言いながら抱きついた彼女をガベルは振りほどかなかった。うふふ、と心底嬉しそうに笑い、彼女はその耳元で言った。

「アルが貰ってくれたら、何の問題もないわよ?行き送れでも年増でも」

言葉の後、頬に軽く口付が下りる。やれやれ、とんだ厄日だ。ガベルはキスを受けながら溜め息をつき、しながら無意識にその頬を緩ませた。

 

ごとごと、がたがたともあまり大きくない物音が聞こえる。マチルダはいつの間にか眠っていたことにさえ気が付かないような状況で、ぼんやりと目を開けた。ベッドの中でブランケットに包まっている。背中がやけに温かい。誰かの背中があるのか。僅かに体を動かすと、ほどほどに柔らかく重い感触があった。うにゃうにゃと声が聞こえる。マデリンか。思ってマチルダはもう一度目を閉じた。昨日は疲れた。丸一日マデリンの訓練に付き合った挙句に、ナナニエルと対戦までしたのだ。そう言えばまともに食事も取っていなかった。腹減ったな、起きるか。思い、もう一度マチルダは目を開ける。ごとごとという物音は、あまり大きくはなかったが続いていた。一体何の音だろう、泥棒なんて物騒なものはここにはいないはずだし、マデリンはいつかみたいに自分にくっついて眠っている。じゃあ何だ、夢でも見てるのか。思っていると物音は一旦止み、今度は軽い足音が聞こえてきた。目を上げる。降りてきた影は大人のものだった。

「お早う、マチルダ。起きた?」

「……何だ、ババァか」

その顔をちらりと見るとマチルダ気は目を閉じた。が、直後、その目蓋をこれでもかと開かざるを得ない状況が発生した。ぎゅう、と力いっぱいつかまれたのは、彼女の形のいい耳たぶだった。マチルダが飛び起きてブランケットがはだける。

「いってー!!何すんだこのヒスババァ!!

「誰がババァよ!朝っぱらから本当になってない子ね!」

朝の光の加減でその髪が真っ赤に燃えるように見える。怒り心頭の彼女に相応しい色だ。が、それに怯むこことも遠慮する事もなくマチルダは叫んだ。

「って、ババァをババァ呼ばわりしてどこが悪いんだ、ヒスカリナ!!

「カリナさん、若しくはお姉様、でしょ!何度も同じことを言わせない!」

ぎゃーぎゃーとその場で二人は喚き始める。いつかの営倉と同じく、マチルダにくっついて眠っていたマデリンはようやくの事で目を覚まし、眠そうな目をこすりながら体を起こした。

「なぁに、マチルダ……もう朝?」

 

カリナ・エプスタイン整備主任伍長と言えば、機関内でも屈指の整備士であり、強面の美人としても有名なのだが、ここ数年はマシンの開発補佐としてもその有能振りを発揮している。泣く子も黙る整備主任伍長、などと呼ばれる事もあり、機関構成員の一部からは何故か「畏怖」される存在でもある。

「へぇ、エプスタイン主任が、ですか」

「ああ、昨夜宿舎で偶然会ってね」

「こちらに戻った、ということは……新型は?」

「ソフトの調整に入ったんじゃないかな。あの人があれを放置して戻ってくるってことはないだろうし」

「そうですね」

「タイプb」小隊のオフィスに、まだ人の姿は少なかった。副長であるフェーンがその室内に足を踏み入れた時、先んじていたのはエドだ。自身のデスクについて端末を操作していた。お早うございます、早いですね、と、ごく普通にフェーンが声をかけると、エドもごくごく自然にそれに答えた。

「副長は、主任と面識は?」

「一応、というか……入隊後すぐに随分お世話になりました」

「ああ、そう言えば副長はメルドラの最初のパイロットだったそうだね」

「ええ、まぁ……」

かつて搭乗させられた機体の名に、フェーンは苦笑を漏らす。入隊直後の初出撃の事は、正直あまり思い出したくない。エドはその辺りを知っているのか否か、普段と変わらない穏やかな笑みで彼を見ている。

「最初の上司もガベル隊長だったんだろう?君が「英才教育」されてるって言うのも、頷けるなぁ」

「それは……単なる偶然ですよ」

「そうかなぁ……入隊から四年でランクBだろう?君と同期のジェイク・ライト少尉なんて……」

「ところで少尉、少尉は何をしていたんです?」

その男が「食えない」のは薄々解っている。とは言っても、同じ小隊の人間だ。あまり揉め事の類は起こしたくない。思ってフェーンは話題を変えた。エドは目をしばたたかせ、それから、少し困った表情になる。

「ああ……大したことじゃないよ。ちょっとね」

「全て話して聞かせろ、という権限は僕にはないですから、話したくなければ黙っていていただいても構いませんが、一パイロット以上の過分な行動には出ないようにお願いします。ただでさえ僕らの小隊は「異端」です。目立つ事は避けた方がいい」

言われて、エドの顔つきが僅かに強ばる。フェーンはそれにほんの僅かだが、口許を緩ませる。揉め事は避けたいが、下手な行動に出ないように釘はさしておいた方がいい。何しろ隊長がああいう男だ。問題児は少ない方が隊のためでもある。エドはそのまま困った顔になり、やれやれと言った吐息を漏らすと、言葉を紡いだ。

「いや……本当に大したことじゃないんだよ。少し調べたかっただけで」

「何をです?」

「イオニア・レーンってパイロットの「事故」の件だよ。全くの「事故」だと知らされている割に……彼女の反応は過剰だと思って」

渋々ながらのエドの言葉に、フェーンは緩めた口許を引き締めた。

「もしナナニエルが管制コンピューターに不正アクセスでもしてそのことを掴んだんなら……色々と困ることも起こって来るだろう?」

「まさかそれで少尉は……」

不正アクセスでも試みたというのか、隊の端末から。フェーンの顔色が変わる。エドは困った顔つきで、

「いや、辿り着く前に君が来たから、そこまでは……」

「何を考えているんですか、少尉。そんなことをすればただではすまないと、解って……」

言いかけて、フェーンはそれ以上を言うのをやめた。エドは困った顔で笑って、

「だから……素人ができることじゃない、って言うのは、解ったんだけど……」

そう言いながら自身の端末コンピューターを見遣った。

「僕も一応は彼女のパートナーだからね、色々と気になるし、出来ることなら彼女に健やかでいて欲しいんだよ。昨日あんなことがあったばかりだしね」

「健やか、ですか……」

言葉が出ない。フェーンは思いながら、やや慄いて目の前の男を見ていた。特務機関の管制コンピューターは、言うまでもなく機関全ての情報中枢である。機関の情報管理の為にその情報は一部開放されているが、軍事機関であるために、一部には強力な防御壁が展開されている。勿論それを素人が破れる訳ではないが、それをこの男はやろうとしたと言うのだ。呆れる、と言うより、驚く。無謀な手段に出ようとした事ではなく、彼が抱いている、それができるという自負に。

「何だい?副長」

「いえ……少尉がどうしてパイロットなのかと、思って……」

つい先日まで新型機のソフト開発に借り出されていた男を見ながら、フェーンは言葉を漏らす。エドはその顔にいつもの笑みを浮かべると、

「僕もその辺は、不服って程じゃないけど不思議に思ってるよ。どうしてだろうねぇ」

そんな風に答えた。

 

「本当に、どういう子よ。人が折角朝からご飯作りに来てあげてるって言うのに、顔を見るなり「ババァ」なんて。やっぱり私が見てないとダメね。口の聞き方も、また汚くなってるし」

「人んちに勝手に入って朝飯作る奴が言うな」

「あら、そういう風に言うわけ?あんたの好きな桃のタルトまで支度してあげたって言うのに」

「べっ……別に頼んでねーだろ、そんなの」

「あらそう。じゃ、あんたの分はなしね」

マチルダの部屋の、あまり大きくないテーブルには、ぎっしりと朝食が並べられていた。トーストが数枚、そのトースト用のバターとハチミツ、メインディッシュのベーコンエッグが三人から四人前、ミルクがグラスに三人分、グリーンサラダがやや大きめのサラダボウルに盛り付けられ、桃のタルトはカリナの膝の上で、まだ箱に入ったままだ。二人の大騒ぎで目を覚ましたマデリンは、見知らぬ女性にろくな挨拶もしないまま、マチルダとともに宿舎棟内の共同シャワーへ行くように促され、シャワー後、その食卓についていた。何か食べられないものってあるかしら、と尋ねられたが、そのテーブルの上に特に目立ったものもなく、そんなことよりも、そう尋ねてきた彼女のことが気になって仕方がなかった。

「マチルダ、この……おねーさん、誰?」

言葉を選ぶように言いながら、マデリンは不貞腐れたマチルダに尋ねる。隣にいたマチルダはそれを一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。「おねーさん」と呼ばれた彼女はにこやかに笑って、

「そう言えば自己紹介がまだだったわね。私はカリナ・エプスタイン。ここの整備士をしているの」

「カリナ……エプスタイン、さん?」

どこかで聞いたことがあるようなその名にマデリンは僅かに首をかしげる。マチルダはそっぽを向いたまま、

「ねーちゃんじゃなくてババァだろ」

「マチルダ!あんたはどうしてそうなの!」

ぐにー、とカリナがマチルダの頬をつねり上げる。途端にマチルダが絶叫して、食卓は再び喚き声に包まれた。マデリンはその間になにやら頭の中で思いをめぐらせ、そして何かに行き着いたのか、その顔色を一変させた。

「エプスタインさんって、整備主任さんの?」

「あら、少尉は私のことを知ってるの?」

「ちょっと聞いただけだけど……私達のマシンを見てくれる……すごい……美人、って」

いつか聞いた誰かの言葉の一部を引用するようにマデリンは言った。カリナの表情は明るくなる。

「あらやだ、すごい美人、なんて。そんな風に言われてるの?」

「すごい性格のオバハン、の間違いだろ」

マチルダが忌々しげに呟くも、カリナの耳にそれは入らなかったらしい。うふふ、と笑いながら、

「そうよ、貴方達の乗る新型の開発で、今までドゥーローに行ってたの。もうすぐ完成するから、そうしたらしばらくの間は私が見る事になると思うわ。よろしくね」

「しばらくの間?」

カリナの手が伸びる。握手するためにマデリンも手を伸ばす。カリナはそのまま、

「そうよ、新型がこなれるまで、ってところかしら」

「何だよ……隊長の機もか?」

言ったのはマチルダだった。握手を終えたカリナは特に顔色も変えず、

「そうよ。当たり前でしょ?」

「当たり前、じゃねーだろ?そしたらおっさんの面倒、誰が見るんだよ?」

何故かマチルダが不機嫌になっている。何これ、そう思いながらマデリンはそれを見ていた。カリナは少し困った顔になって、

「今までがちょっと異例だっただけよ。と言うより……このままドゥーロー詰めになるかもしれないもの、私」

「何だよそれ、聞いてねえぞ!」

「今言ったわ。それに、まだ本決まりじゃないし、第一、あんたにそんなこと報告する必要……」

突然マチルダは立ち上がった。そしてカリナを睨みつけ、

「そんなこと言いにくんな、ババァ!」

言うなりものすごい勢いで部屋を飛び出していく。カリナは驚き、慌てて、

「ちょっ……ちょっとマチルダ、待ちなさい、マチルダ!」

腰を浮かせはするが、それを追おうとはしなかった。あまりの展開にマデリンは付いていけず、ただその様子を見ている。

「伍長、さん……?」

カリナは困った様子で溜め息をつき、それからマデリンに向き直った。そして困ったように笑うと、

「本当、マチルダって困った子よね。少尉も大変だと思うけど、あの子をよろしくね」

そう言って軽く肩をすくめる。マデリンは出て行ったマチルダを気にするように首をめぐらせ、改めて口を開く。

「マチルダ……どうしよう、っていうか……どうしたの?」

「ああ……どうしたものかしら」

カリナは困った様子でただ笑っている。マデリンが向き直ると、カリナはマチルダが出て行ったドアを眺めて、

「時々ああなのよ、あの子。解りにくい上に、短気なの」

カリナの表情は複雑だった。何か変だけど、何がおかしいのか、違和感があるのか解らない。思いながらマデリンはそんなカリナをただ見ていた。

「貴方も、色々と困ってない?マチルダのことで」

「……そうかも、知れない、けど……」

何だかそれは、言葉が違う。思ってマデリンは眉をしかめる。カリナは吐息して、どこか悲しそうにその目をひらめかせる。

「なんて言ったらいいのかしらね……嫌われてるのかな、やっぱり」

「……追いかけないの?っていうか、せっかくご飯も作ったのに……怒らないの?」

「あー……そうねぇ、でも、これは私が勝手にしたことだし。食べなくても、それはあの子の自由でしょ?」

「……そうだけど」

何だかそれも、違う気がする。思ってマデリンはカリナを睨む。カリナは睨まれて、何かしら、と目をしばたたかせた。

「何?少尉」

「伍長さんの言うことって、もっともに聞こえるけど、何か違うと思うの」

「違うって、何が?」

「解んないけど……マチルダのこと大事にしてるみたいで、そうじゃない感じ……」

言われて、カリナはその目を丸くさせた。そして突然笑い出す。笑われたマデリンは激昂して、

「なっ……何よ、どうして笑うの?あたしは……」

「御免なさい、少尉……貴方の言うとおりだと思って。でも一つ言わせて貰うと、マチルダもそういうの、嫌みたいなのよね」

笑いながらのカリナの言葉にマデリンは目を丸くさせる。カリナは軽く息を吐くと、

「どうしたらいいのか良く解らないのよ、私も、アルも。本当に困っちゃうわ」

溜め息混じりにそんな風に言った。

 

勢いでマチルダが駆け込んだのは宿舎の屋上だった。早朝というほど早くもないが、昼にはまだ時間のあるその頃合、人気は他に見当たらない。ぐるりと金網で囲まれたその空間で、マチルダは一人、眉をひどく歪めていた。ともすると、泣き出しそうな顔さえしている。が、本人にもどうしてそんな顔つきになるのか、ましてやそんな気分になるのかは、良く解っていないらしい。ただ苛立たしく、歩み寄ったフェンスを掴み、強く揺さぶる。子供の力でどうなるものでもないが、がしゃがしゃとそれを揺さぶって、マチルダはそのフェンスに真正面からもたれかかった。フェンスはたわんで、頼りなくマチルダを支える。何だよこれ、全然役に立たねぇ。小さくぼやくと、何故か目頭が熱くなった。そのまま、マチルダは吐息する。目を閉じて、あふれる涙で頬をぬらして、しばらく彼女はそうしていた。

「ま……マチルダ?」

恐る恐るの、そんな声が聞こえる。マチルダは振り返らなかった。細く高い声はマデリンのものだ。どうやら追いかけてきたらしい。背中を向けたまま、マチルダは口を開く。

「何だよ……何しに来た?」

「な……何って……だってマチルダが出てっちゃったから……」

背中に、マデリンが歩み寄る。足音で感じながらマチルダは軽く笑った。不安げに、マデリンはその背中を見ている。そして、

「ど……どうしたの?マチルダ」

「どうって、何が?」

「何って……ええと……」

背中が目の前に来る。マデリンは足を止めて、戸惑いながら言葉を探した。

「ご飯、食べてないのに、急にあんな……」

「うるせぇ、俺の勝手だろ」

「でもあの人……カリナさん、マチルダのために、って……」

「隊長に頼まれたんだろ?」

「っ……そ、そうなの、かな……」

「でなきゃなんで、俺なんか……」

言葉とともに涙があふれる。何だこれは、どうして自分は泣いてるんだ。思いながらも涙は止まらない。マチルダは混乱して、その場に突然座り込む。驚いてマデリンもその場に膝を折った。

「まっ、マチルダ?どうしたの?どこか痛い?ねぇ、マチ……」

「……なんでお前も、俺なんか……」

涙を拭いながらマチルダが言った。マデリンはおろおろしながら、

「なんでって、なんでって、そんな……だってマチルダ、泣いてるじゃない。泣かないでよ……やだ、マチルダ、泣か……泣かないでよ……」

座り込んだマチルダを、マデリンが背中から抱きしめる。マチルダは自分の肩越しにマデリンを見、今にも泣き出しそうなその顔にかすかに笑った。

「……マチルダ?」

「だからなんで……お前がそんな顔……」

笑みはすぐに消える。声もないままぼろぼろと、マチルダの涙だけが零れていく。見ていられず、マデリンは強く目を閉じた。そして、

「だって、そんなこと言ったって……あたし、マチルダにそんな顔、して欲しくないもん……怒っててもいいけど、泣いて欲しくないもん……」

言いながら、抱きしめる腕に力をこめる。マデリンの言葉の意味が良く解らない。人が泣いていようが怒っていようが、そんなのは勝手ではないか。それに、怒られるより一人で泣かれる方が、よっぽどましな気もする。こいつは何を言っているんだろう。涙だけ流して,抱きつかれたまま、マチルダはぼんやりそう思った。目の前で泣かれるのは、確かに始末に悪い。でも隠れていれば、知らなければ、そんなことはどうだっていいではないか。

「だったら……俺のことなんか、ほっとけよ……」

涙の理由は解らない。それでも流れは止まらなかった。マチルダを抱きしめて、マデリンは強く首を横に振った。

「そんなのダメよ!だって、一人で泣いてたらどうするのよ?一緒にいてあげられないのに、一人で苦しかったら、どうするのよ?そんなのダメよ、絶対ダメ!」

「……なんで?」

「なんでって……なんでって……何よ、マチルダ……どうしてそんなこと言うの……」

詰るようなマデリンの声に涙が滲む。何だか訳の解らない事を言って、勝手に人を詰って、オチがそれか。マチルダは呆れながら、けれど不思議な気持ちだった。泣かれるのは厄介だ。面倒くさいから、放置して帰りたい。マデリンを振り切ることなどわけもないし、したところで痛くも痒くもないだろう。後日また色々と煩いかも知れないが、それは今逃げずにいる理由にはならない。でも。

「なんでお前が、そこで泣くんだよ……」

「……マチルダのばか」

「お前のほうがばかじゃねーか……てか……」

「マチルダのばかぁっ」

マデリンの腕を解く。マチルダが離れると思ったマデリンは、驚きと恐怖に似たものをその顔に浮かべて身構える。けれどマチルダはその場を離れなかった。マデリンに対峙して、泣いている彼女の頬に、その手を伸ばす。

「……マチルダ?」

「だからなんで……お前が泣くんだよ……」

どうしていいのか解らない、思いながらマチルダはマデリンの涙を拭った。子供にしては大きく、やや硬い手がマデリンの頬を撫でる。くしゃりとマデリンの顔はゆがんだ。そしてそのまま、マチルダに倒れこむ。

「マチルダ……うええぇぇ……」

「……泣くなよ、ばかマデリン」

罵りながらも、マチルダの声は穏やかだった。再び抱き付かれる格好になっても、マチルダはそれを振りほどかない。わあわあとマデリンは声を上げて泣き、マチルダはそれを抱きとめていた。もう涙は浮かんで来ない。変わりに、体のどこかから暖かいものが溢れるような、そんな感覚があった。

「泣くなよ……泣くなって……マデリン……」

もし彼女がどこかで一人で泣いていたら、それを知らなかったら、どんな感じなんだろう。ぼんやりマチルダはそんなことを考えた。誰がどこで嘆いていても、関係ないと言えばそうだ。大体、他人の事に構ってなどいられる立場ではない。人死になど、出て当然の境遇にいるのだし、それでいちいち狼狽している余裕もない。負傷者もそうだ。何も感じないとまでは言わない、でも、衝撃を食らっている余裕はない。戦闘要員が減れば自分にかかる負担は大きくなるばかりだし、その分効率よく戦わなければならない。だから、考えたり感じないに越したことはない、そう思っていた。

「あら、派手に泣かせたわね。まるで昔の誰かさんみたい」

声がして、マチルダは顔を上げる。困り顔のカリナが、いつの間にかそこにいた。

「カリナ……」

「相変わらずのワンパターンよね……まあそれでこっちは大助かり、ではあるけど」

言いながらカリナはそこにしゃがみこむ。目の高さが同じになって、もう一度マチルダはその名を呼ぼうとした。

「か……」

「ご飯が不味かった?それとも、タルトのお預け食らって、怒ったの?」

何やら見当違いも甚だしい質問が投げられる。マチルダは眉をしかめた。結局、カリナもそうやって、自分と深く関わるのを拒んでいるのか。そんなことでどうしてここまで自分が怒ったり、泣いたりするものか。思って、マチルダは返した。

「俺を……シロか何かと一緒にすんな」

「じゃあ何に怒ってるの?私が……ドゥーロー行きの話をしなかったから?」

マチルダは答えない。カリナは溜め息をついて、それから困ったように笑った。

「話す予定はあったのよ。いきなりあんな風に、じゃなくて、ちゃんと」

「……オヤジには、話したのか?」

「一応ね。けどアルったら「へー」なんて、あっさり言ってくれちゃったわ」

困ったような、そして少し怒っているような顔でカリナが言う。マチルダはぼんやりカリナを見上げていた。カリナはもう一度笑って、

「あんたも、同じ様なことを言ってくれるだろうと思ってたけど……違うの?」

「……あんたがいなかったら、俺とおっさんの機体、誰が見るんだよ」

マチルダが少し遅れて言葉を返す。カリナは笑ったまま、

「整備士なんて他にも沢山いるでしょ?誰かが見るわよ、仕事だもの」

マチルダの眉がしかめられる。カリナは軽く肩をすくめて、

「何?不服?」

「……なんで俺に、カリナがわざわざ断るんだよ……上からの指示だったら、絶対なんだから、俺になんか……」

「許可が欲しいんじゃないわ。そうね……何て言うのかしら……離れてるけどいつも一緒よ、って、そういうことよ」

カリナの手がマチルダの頭に伸びる。くしゃくしゃとその髪をその手が掻く。頭を揺さぶられながら、マチルダはそんなカリナを見ていた。

「カリナ……」

「あんたのお母さんにはなれなかったし、なるつもりなんてこれっぽっちもないわ。私が一番愛してるのはアルだし、それは絶対変わらない。けど、マチルダのことだってちゃんと愛してるわよ?アルが養女に、って言っても言わなくてもね」

「まだそれ、根に持ってんのかよ……」

カリナがウインクしてみせる。マチルダは呆れたように言って、それから少し笑った。

「……マチルダ?」

その胸に抱きついていたマデリンが顔を上げる。マチルダはそれを見、笑いながら言った。

「お前、いい加減離れろよ」

「何?……もう、泣いてないの?」

「泣いてたのはお前の方だろ?」

言われて、マデリンは目を丸くさせる。立ち上がって、カリナは二人の様子を見ながらくすくすと笑った。

「さ、二人とも、部屋に戻りましょ。折角の朝ご飯が冷めちゃうわ」

何だか事は収束に向かっているらしい。一人で勝手に泣いていたマデリンには状況が見えない。首をかしげて、

「マチルダ、もう平気?いいの?」

「いいって、何が?」

「何って……だってマチルダ、泣いて……」

「だから泣いてたのはお前の方だろ?いきなり来て抱きついてくるし……飯もろくに食ってねぇってのに、朝っぱらから元気だな」

言いながらマチルダは立ち上がる。マデリンは一人残されて、

「なっ……何よ、マチルダだって泣いてたじゃない!一人でいきなり出てっちゃうし、朝ごはんだってマチルダのせいで……」

「だから戻って食うんだろ?お前に付き合ってたらこっちも腹が減っちまった」

「付き合ってた?付き合わされたのはこっちでしょ!ちょっとマチルダ、マチルダってば!」

先程まで泣いていたマデリンは、あっという間に激昂してまたもや大騒ぎである。あらあら大変、などと心の中でカリナは漏らし、楽しげに微笑みながらそれを眺めている。

「カリナ」

マデリンに先んじて歩き出したマチルダが、不意にその名を呼んだ。カリナが目をしばたたかせると、マチルダは少しふてた顔で言った。

「何つーか……悔しいけど……」

「……何?」

「そんでも、カリナが「かーちゃん」ってのは、なしだ」

意味不明の言葉を残してマチルダは足早に屋上を後にする。ばたばたと駆けて行くのはマデリンだ。最後に残ったカリナは僅かの間呆けていたが、ややもすると、

「こっちこそ……あんたみたいな生意気な子、娘だなんて思やしないわよ」

一人でそう言ってくすくすと笑った。

 

 

 

 

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Last updated: 2007/10/21