LACETELLE0062
-the CREATURES-

Act 6

こつこつと硬い足音が一つ、辺りに響く。どうやらもう誰も着いてこないみたいだ。マチルダはそれを確かめるようにすると足を止め、周囲を見回した。人影は、ない。それまでどこか強ばっていたその表情が解け、マチルダの顔つきが穏やかなものに変わる。安堵、そしてそれ以上にもっと複雑なものが入り混じった、わずかに疲れた顔でマチルダはその場で振り返った。マデリンは追いかけてこない。今どこで何をしているのか。ふとそんなことが頭を過ぎるが、マチルダはすぐにそれを打ち消した。追いかけられるのが嫌で突き放したのだ、そんなことを考えても仕方がない。それに、ついて歩き回られない方がいいに決まっている、これで良かったのだ。そんな思いをめぐらせ、マチルダは再び歩き出す。ああでも言わなかったら、マデリンはいつまでも自分に付きまとうし、マシンに乗ることを諦めようとしないだろう。けれどあれは、扱えるからと言って乗りこなせるものではない。仮に動かせたとしても、それで何をするのかを理解していなければ、乗り続けることは叶わない。確かにマデリンの、パイロットとしての能力は高い。マシンを乗りこなす事に関しては、文句はない。今はまだ訓練機にしか乗っていないが、あれだけの事が出来るのだ、本物に乗ったところで何の支障もないだろう。戦争に行くのでなければ。

特務機関は戦争のために作られた軍事組織だ。言葉にしてそれを現すことは簡単だが、実際その現場に赴けば、何を言っても真実が伝えられないような、凄惨で過酷な現実が待っている。マシンに乗って敵マシンを倒すと言うことは、その敵マシンのパイロットを殺す事と同意であるし、自分もまた、死の危険にさらされることになる。例え基地の奥にいたとしても、一旦命令が下れば、自分達はそれに従って激戦地に赴く事になる。大の大人でもその過酷さに耐え切れなくなるような状況に、たかが十二の子供が赴いて何かが出来るわけがない。手出しも出来ずに殺されるのがオチだ。そんなところに、どうして誰かを連れて行けるだろう。

立ち止まってマチルダはその眉をしかめた。そうだ、あんな子供を連れてなんか行けない。今までに何度も味わったあの嫌な感覚に、あいつが堪えられるわけがない。殺される恐怖にさらされ続けながら、それから逃れるために相手を倒すなんて、できっこない。マシンには、今まで通り一人で乗る。その方が効率もいいし、

「子供なんか……連れてける場所じゃねーだろ、大体」

呟いて、マチルダは歩き出す。廊下の向こうからかすかに人影が見えて、それが進むにつれ大きくなる。人影も、マチルダに気付いたらしい。顔が見えるかどうかという距離でその人影は足を止め、違和感に、マチルダも歩みを止めた。

「……ナナニエル?

思わず呟いて、マチルダは小さく息をついた。一人で考え事をしたい時に限って、ろくでもない邪魔が入る。マデリンもそうだが、こちらはもっと性質が悪い。そういう相手とは出来るだけ関わらないに限る。尤も、関わらない出などいられないのだが。思いながらマチルダは再び歩き出す。声の届く距離に近付いても、ナナニエルの方は動こうとはしなかった。すれ違う直前、ナナニエルは口を開いた。

「二人乗りの訓練はどんな具合?アレン少尉」

「悪い、絡むならまた今度にしてくれ」

その声に、振り返りもせずにマチルダは言った。歩き去ろうとするマチルダに向かってナナニエルは言葉を重ねる。

「絡む?あら、スーパーエースの貴方が、私なんかの相手をしてくれるって言うのかしら?」

マチルダはナナニエルから少し離れた場所で足を止め、振り返った。腕組みして、ナナニエルは笑いながらマチルダを眺めるようにしている。口許は緩く歪んでいて、あからさまに軽蔑されているような顔つきだった。が、マチルダはそれを一瞥しただけだった。再びきびすを返し、歩き出す。

「貴方のサポートの姿が見えないようだけど、今日は一緒じゃないの?」

問いかけに、マチルダは答えない。ナナニエルは笑うのをやめ、息を継ぐほどの間をおいて、言った。

「待ちなさい、アレン少尉。私とは口も利けないって言うの?」

「今はそう言う気分じゃねぇんだ……後でいいだけ当たられてやるから……」

「……『当たられてやる』ですって?」

その言葉に、ナナニエルの声が震えた。異変を感じてマチルダは再び足を止める。ナナニエルの表情は一変していた。顔も、一気にその感情が変わったことを表すように、赤く変色している。

「あんた、一体何様のつもりなの?どうしてそんな口が利けるの?自分のしたことが解ってるの?」

マチルダは何も言わず、表情さえ変えずにナナニエルを見ていた。そして、ああ、と小さく声をもらすと、疲れたような目で言った。

「イオニア・レーンの事か……まぁ、俺のせいかもな」

「かも?かもですって!」

言葉の直後、ナナニエルは早足でマチルダに歩み寄った。何事かとマチルダが身構えるより早く、ナナニエルはその詰襟の襟元を掴みあげ、強かにマチルダの頬を打っていた。乾いた音が廊下に響き渡る。打たれたマチルダは勢いで床に尻餅をつき、自分の真上から投げつけられる罵声に眉をしかめた。

「あんたのせいでイオは死んだのよ!あんたがあの時一人で残ろうなんて言わなかったら、イオは戻らなかったわ!イオはあんたを助けようとして、それでっ……」

「イオニアは勝手に戻ってきたんだ。俺が戻れって言ったわけじゃねぇ……」

立ち上がり、マチルダは口許をぬぐう。叩かれた衝撃で切れたらしい。生臭い匂いが口の中に広がる。

「あんたはそれで……俺にそーゆー風なのか……」

「何ですって?」

立ち上がったマチルダの言葉と目つきに、ナナニエルが慄く。マチルダはその様子を見て軽く笑い、言葉を続けた。

「イオニアが死んで、それでそういう風に俺に当たるのか、って、そう言ったんだよ。お気楽だな」

言葉の直後、再びナナニエルの腕が振り上げられた。先程と同じ頬を再び殴られて、マチルダはまた床に倒れこむ。ナナニエルは激昂して、叫ぶように声を放った。

「あんたに何が言えるの!何も言う権利なんてないわ!イオはあんたをかばって死んだのよ!戻ったイオが勝手ですって?だったらあんたは何?あんたが勝手に囮になったからあんなことになったのよ!この人殺し!敵だけじゃなくて味方まで殺して、何が稀代のスーパーエースよ!あんたの手柄なんて、結局味方の犠牲の上に成り立ってんじゃない!」

床に座り込んだまま、マチルダはナナニエルを見上げる。無言のままのマチルダにナナニエルは三度掴みかかった。顔が近付く。マチルダは引き上げられながら、口許をわずかに歪め、笑った。

「何よ……何がおかしいのよ?」

「おかしいだろ……これがおかしくなくて、何だってんだよ?」

かすかな笑い声を立ててマチルダが笑う。ナナニエルはその表情に、思わず息をつめる。その時だ。

「マチルダのヤツ、どこ行っちまったんだ?」

「君には直接関係ないことだろう。どうして捜しに行くんだ?」

「だったらお前まで来なくてもいいだろ?カイル」

廊下に新しい足音と人声が響く。気付いて、ほぼ無意識にナナニエルはそちらを見遣った。人影は二つ。レオンとカイルだ。確認すると同時に向こうも彼女達に気付いたらしい。レオンは目をしばたたかせ、歩きながらナナニエルに声を投げた。

「よぉ、ナナニエル。この辺でマチルダ、見なかった……」

歩み寄るレオンの表情が変わる。その隣にいたカイルはそれより早く反応していた。すぐにも二人の下に駆け寄り、尋常ではないその様子を厳しく問い質す。

「クーパー少尉、何をしている?マチルダ、君も……」

「……別に、何でもねぇよ」

言いながらマチルダはナナニエルの手を払った。むっとした顔つきで露骨にそっぽを向くその様子に、カイルは更に問い詰める。

「殴られたのか?一体何を……」

「なっ……殴ったって?ナナニエル、一体何が……」

カイルの後ろからレオンが駆けつける。マチルダは二人の様子に舌打ちして、それからナナニエルを見遣り、再び口許に奇妙な笑みを浮かべた。

「俺の事が気に入らないんだってよ、クーパー少尉は」

「気に入らない?どういう意味だ?」

笑いながら発せられたマチルダの声は、何もかもを馬鹿にしているようだった。ナナニエルは何も言わず、黙ったまま、そんなマチルダを睨んでいる。

「クーパー少尉、マチルダと何が……」

「そうだぞ、ナナニエル。こんなガキ殴って、何が楽しいんだ?」

カイルとレオンとが口々にナナニエルに尋ねる。あはは、と声を立ててマチルダが笑った。そして、

「楽しかねぇよな、殴ったってよ?だってそいつ、本当は俺のこと、殺したいと思ってんだからよ」

マチルダの言葉に、大きく目を剥いてレオンとカイルが振り返る。笑いながら、マチルダは更に続けた。

「だってそうだろ?俺がイオニア殺したんだって、そう思ってんだろ?そうかもしれねぇけど、だったらてめぇは何だっつーんだよ?イオニアもだ。殺されたくなきゃ、なんでこんなとこ入ったんだよ?死なれたくなきゃ、あんただってなんであいつを止めなかったんだよ?それが出来なかったヤツに人殺し呼ばわりされる覚えなんてねぇよ。違うか?」

「な……何ですって!」

それまで黙っていたナナニエルが唐突に叫ぶ。激高したその様子にマチルダは更に笑う。ナナニエルの体が怒りで震え出す。マチルダは笑いながら言葉を続けた。

「そいつは俺を殺したいんだ、イオニアの敵討ちがしたいんだよ。だってそうだろ?そいつは俺がイオニアを殺したって思ってんだ。けどこれだけは言っとくぜ。俺が死んだってイオニアが生き返るわけじゃねぇ。何やったって死んだヤツが帰ってくるわけねぇんだ!」

「あっ……あんた、何てこと言うのよ!」

「おいナナニエル、やめろ、やめろって!」

怒りに震える声でナナニエルが叫んだ。そのままマチルダに掴みかかろうとするのを、レオンが止めに入る。レオンに羽交い絞めされたナナニエルがその拘束から逃れようと暴れるのを見ながら、マチルダはまた笑った。それを見下ろすようにして、カイルが冷ややかに言う。

「マチルダ、君も言葉を慎め」

「なんで?俺は本当の事を言ってるだけだ。もう一つ言えば、イオニアが戻ってこなきゃ死んでたのは俺だったんだ。あそこで殺されるのは俺のはずだったんだ。だから本当は、俺が死んでりゃ良かったんだ。お笑いだろ?なぁ」

言葉の後にマチルダの笑い声が続く。カイルは言葉もなく眉をしかめ、痛々しいとでも言いたげにマチルダを見下ろしている。

「そうだよ……俺が死んでりゃ良かったんだ……そしたらそこのヒス女、もっとマトモなパイロットになってたぜ?シミュレートにしたってそうだ。コイツ、俺をなぶり殺しにしたいからって、まともに仕掛けてきたことないんだぜ?そんで俺に勝ったこともねぇしよ?そうだろ?格下」

「なっ……何ですって、このクソガキ!」

マチルダの言葉にナナニエルが声を荒げ、掴みかかろうと腕を伸ばす。暴れるナナニエルを羽交い絞めにしたまま、レオンはその場で叫んだ。

「二人とも、いい加減にしろ、やめろって!カイル、お前も突っ立ってないで何とかしろ!」

 

マデリンは、エドに連れられてハンガーに戻っていた。エドにしてみれば会うなり唐突に泣き出したマデリンを放置できない、といったところだったが、特別子供の扱いに慣れている、と言うわけでもなく、

「すみません、隊長。わざわざご足労戴いて」

「隊員の管理も隊長の仕事だ、気にするな……とは言え……」

その場にはガベルが呼び出され、その二人の前でマデリンはぐずぐずと泣き続けていた。相当衝撃的なことでもあったようで、泣き始めたその時にはまともに会話もままならなかったのだが、今は幾分落ち着いて、大人二人の言うことも理解しているらしかった。どこからか適当に運ばれた椅子に腰掛け、誰のものか解らないタオルで口許を押さえ、しかし、自分から物を言い出すような気配はなかった。

「マチルダとケンカ……なんて毎日してるしなぁ……そういう簡単な問題じゃあ、なさそうだな」

駆けつけたその時よりも随分と落ち着いた様子のマデリンを見ながら、ガベルは嘆息する。とは言えマデリンは、目を真っ赤に腫らして、なおも涙を流し続けるような状況だ。まともとは言い難い。そんなマデリンを見、エドも困った様子で苦い笑みをこぼす。

「僕はまだここに来て日も浅いですが……アレン少尉というのは、随分な性格のようですね」

「随分な性格?」

苦笑交じりのエドの言葉にガベルがわずかに反応する。エドはそのまま、

「なんと言うか……随分捻くれている。素直なところは全くないし、反抗的で自分勝手だ。幾ら天才的なパイロットとは言え、あれでは……」

「おいエド、今のはちょっと……」

「グリュー少尉、ま、マチルダはそんな子じゃないわ!知らないくせに、勝手なこと言わないで!」

ガベルの言葉も聞き終えず、マデリンは唐突に叫んだ。そして、

「マチルダは、あんな風だけど……確かにわがままだし、意地悪だし、自分勝手だし、すぐ怒るけど……本当は優しい、いい子よ。あたっ……あたしのことだって、はっ、初めてここに来た日から、ちゃんと色々教えてくれるしっ……忘れたりするとすぐにバカにするけど、怒るけど、でも何度も教えてくれるしっ……ご、ご飯だって、あたしが持って来た朝ごはんだって、ぶつぶつ言うけど、残さないで全部食べてくれるし、それにっ……」

言いながら、マデリンはまた泣き始める。エドは困ったようにまた笑うとその肩をすくめ、

「ごめん、マデリン。確かに今のは言いすぎた。でもこれで、君が彼女のことを嫌ったりしていないことは良く解ったよ」

「え?」

即刻のその謝罪の言葉にマデリンがきょとんとする。エドはにこやかに笑うと、今度は唖然としているガベルに振り返り、

「隊長の評価はどうです?アレン少尉は、どういう人間なんですか?」

こいつ、見た目と違って相当な性格してやがる。ガベルは思わず心の中で呟き、それから口元をにやりと歪め、

「そうだな……マデリンの言い方だと褒めすぎだが……信頼に欠ける人間じゃない。あの年でスーパーエース様だ。多少性格が歪んでるのは仕方ないだろうさ」

「レイシャ少尉を理由もなく泣かせたりはしない、と?」

「物事には何でも理由があるからな……ただ単に気晴らしで、って事は、ないと思うぞ」

大人達はその顔に微妙な笑みを浮かべて、少々複雑なやり取りをしているようだ。何か、変なの。思ってマデリンは眉をしかめる。エドは軽く息をつくと肩をすくめ、それからマデリンに向き直った。

「隊長が言うには、そういうことみたいだけど、君と彼女の間では、どうだい?マチルダがそんな理由で君を泣かせたり、すると思うかい?」

「そんな理由?」

「『いらいらするから八つ当たり』って、そういう理由だよ」

エドの重ねた質問にマデリンは目を丸くさせる。が、直後、その表情は再び曇った。そして、

「マチルダが怒ったんなら……あたしがいけないの」

マデリンは俯き、そう言うと強くまぶたを閉じた。あふれる涙をこらえるようにするその姿に、ガベルとエドが顔を見合わせる。そして、

「お前が悪いって……そりゃ、どういうことだ?」

問い掛けたのはガベルだった。が、マデリンは答えず、俯いたまま首を横に振る。その様子に困ったようにガベルは嘆息し、エドはそんなガベルを見、言った。

「一体何があったんでしょうね」

「さぁな……見当も着かんが……」

言いながらガベルはその視線を新型の訓練機に向ける。そしてまた嘆息交じりに、

「これの納期も迫ってるってのに……このまんまって訳にはいかねぇなぁ……」

「そうですよねぇ……」

「いっその事上申して、あいつをうちから外すか……」

困ったようにガベルがぼやく。マデリンは顔を上げ、そんなガベルに向かって言った。

「マチルダを、外すの?」

「今回の理由如何によっては、な……簡単に出来る事じゃねぇが……元々あいつも嫌がってたからな「二人乗り」になるのを」

「どうして?どうしてマチルダ、「二人乗り」が嫌なの?」

確かに、出会ったその最初からマチルダは二人乗りの機体への搭乗を強く拒否していた。理由は、聞いてない。というより、教えてもらっていない。どうしてマチルダ、二人乗りが嫌なのかしら。一人が攻撃に専念して、もう一人が機体のフォローに回って、そうしたら機体のバランスが上手く取れてエネルギー効率も上がって、今まで装備できなかった大型の銃火器や光学武器も使えるようになって、戦闘の効率も上がるのに。マチルダだってパイロットなんだから、しかもスーパーエース、なんて言われてるんだから、最新の技術が集められたマシンに乗れるなんて、名誉だって思わないのかしら。思って、マデリンは首をかしげる。そして、

「マチルダって……マシンが嫌いなの?」

誰にともなくマデリンが問いを投げる。ガベルはそれに苦笑を漏らし、まだあどけない表情の彼女にこう返した。

「そうだな。好きそうじゃない」

「だったらどうしてこんなところに……」

「そいつは本人に聞いただろう?マデリン。あいつは孤児で、ここには無理やり入れられた」

「だけど……だったら、嫌だ、って……」

「マデリン、ここでそれは通用しないんだよ」

エドの声にマデリンは振り返った。どこか哀しげにエドは微笑んで、驚きの中に怯えを見せるマデリンに、こう続けた。

「特務機関構成員は任官したら最後、死ぬまでやめられない。それがどんなに強制的でもね」

「なっ……何よそれ!それじゃあマチルダ、無理やりここに入れられて、無理やり任官させられて、それで何があっても嫌だって言えないって言うの?」

「これでも前よりはずっとマシになったんだぜ?マチルダの場合は、タイミングが悪かったとしか言いようがない」

ガベルの弁解めいた言葉にマデリンが向き直る。そして、

「何よそれ!タイミング?それだけでそんな……目茶苦茶じゃない!」

「戦争って言うのは、そういうもんさ。目茶苦茶で理不尽で、誰も幸せにしない」

興奮するマデリンに淡々とガベルが返す。マデリンは言葉を失い、呼吸さえ止めて、笑っても怒ってもいない顔つきのガベルを見詰めた。

「俺達は軍人じゃない。効率よく戦争をするためにより分けられた『兵器』だ。兵器には人権も人格も存在しない。そいつを装備してるやつらに使われるだけだ。人間じゃないから、ここをやめることも出来ないし、命令を拒否する事も出来ない。戦って来いと言われれば出て行かなきゃならないし、死んでも守れと言われたら……死ぬまでは、守らなきゃならない。自分の命は二の次だ。で、壊したり殺したりさせられる」

「そっ……そんな……」

「任務についている時は私情は捨てろ、俺達は「兵器」だ、「軍人」ですらない。とは言え……人間はやめられないからな……今じゃ希望者以外適正試験は受けなくていいことになってる。で、有り難い事に、あの木偶の坊に乗れるような体質の人間はそんなにいない」

ガベルの顔つきはさほど変わらない。見ていたマデリンの体が震え始める。気付いて、ガベルは肩をすくめた。

「そういうことさ、マデリン。誰もがお前みたいにマシンに興味があったり、地上に残りたいって思ってる訳じゃない。もうどうしようもないからここにいる、そういうヤツの方が、実際ここじゃ多い」

「じゃあ……マチルダも?」

「あいつは、帰るところも家族もない。そういう逃げ場のあるのもいるが、それすらない。そんなヤツが、いくらマシンの操縦が上手いからって、好き好んで戦争してると思うか?」

問われる。が、マデリンは何も言わない。ガベルは息をつき、無言でエドを見遣る。エドは苦笑を漏らし、そして言った。

「マチルダを隊から外す、というのは早計ですよ。申請しても、却下されるのがオチです」

「そうだな。それに、事が片付くわけでもない……が、今のままじゃ、現場に出るに出られんな」

エドの意見にガベルは嘆息する。その通信機がけたたましくなりだしたのはその時だった。ピーという電子音が聞こえてガベルはその目をしばたたかせる。そして、

「何だ、また呼び出しか……今度はどこからだ?」

言いながら、上着の内ポケットからカード型のそれを取り出す。そして、

「こちらガベル……ああ、レオンか?」

スピーカーからの音声はあまり大きくなく、側にいる二人には良く聞き取れない。どうやら同じ隊の人間からの緊急の呼び出しのようだ。ガベルは自分の耳にだけ届くその音声を聞くと、途端にその眉間に深い皺を刻んだ。そして、

「ナナニエルとマチルダが?……ああ、解った、すぐ行く!……ったくあいつら……何してやがる」

言葉の後、強く舌打ちし、忌々しげにガベルは顔を上げた。目が合って、エドが何気なく尋ねる。

「何です?何かあったんですか?」

「ああ、大有りだよ!あのバカ共……シミュレーターブースで『決闘』だとよ!」

吐き捨てるようにガベルが言う。途端に、エドとマデリンの表情が変わった。

 

ハンガーから最も近いシミュレーターブースはその時もまた、人でごった返しになっていた。どこから聞きつけてきたのか、機関中の暇をもてあましている人間が集まっているようだ。入り口に辿り着くとガベルは強く舌打ちし、ざわめくその中から聞こえてくる声に眉をしかめる。

「今度は一体何だ?」

「マチルダと誰がやるって?」

その情報を一体どこから聞きつけたのか、集まっている人間の目的は同一のようだった。訓練機を使った模擬戦闘自体は珍しいことでも何でもない。その情報は基地内のどこからでも得られるし、それを元に訓練用のプログラムも作られる。パイロット達は模擬戦のみの戦績を順位化され、その順位に応じてランク分けもされている。勿論それが実戦においても相応であるとは言いがたいのだが、彼らの能力を示す一つの目安にされている。パイロットたちがシミュレーションの成績を気に掛けるのは自身の配属や待遇に関わるのと同時に、その命にも関わるためだ。その他にも勿論、パイロット自身の自尊心にも関わってくるのだろう。ランクが上がればその任務もタイトになるが、リスクが高くなればなるだけ責任もサラリーも重くなる。ここで地位を築いたところで何になる訳でもないが、それを望んでいる期間構成員も少なくはない。そうなれば当然、マチルダのような存在は、邪魔とまでは行かなくとも、余り好ましくはない。そして同時に、その動きに敏感にならざるを得ない。

「たかがシミュレーションに、何でこんなに野次馬が集ってんだよ」

「仕方ないですよ、ことの中心にアレン少尉がいれば、おのずとこうなります」

人ごみを前にぼやくガベルの隣でエドが苦笑する。その半歩ほど後ろでマデリンは混乱気味に様子を伺っていた。この奥でマチルダとクーパー少尉が決闘する、らしい。ガベルの吐き捨てるような言葉でそう聞いただけで、詳しいことは解らない。が、何やら不穏というか、剣呑な気配はあった。わけもわからず恐くなって、思わずマデリンがエドの詰襟の袖を掴む。余り強くない力で引っ張られて、エドはそちらに振り返った。

「マデリン?どうしたんだい?……震えているのかい?」

怯えを隠そうともしないその様子に、確かめる様にエドが尋ねる。答えず、その顔も見ず、マデリンは震える声で言った。

「何で……クーパー少尉は、何でマチルダと決闘なんて……」

「さあ……その辺は、僕にも……」

誰にともなく投げられた問いかけに、エドは言葉を濁す。蕎麦にいたガベルはそのやり取りを感知していないらしい。忌々しげな顔になると突然、声を張り上げた。

 

「おい、道開けろ!そこどけ!カイル、レオン!どこにいる!」

どよどよと、人垣がどよめく。怒鳴るように言ったガベルの目の前からそれは開け、彼の前に見事に一本の道を作り出した。ずかずかとガベルはその道を進み、その果てに見えた青年二人に向かって更に言った。

「おいお前ら、何やってんだ!」

道の果てに見えた二つの肩の、一方が声に跳ねる。二つはすぐに振り返り、それぞれに驚いた、というより失態に怯えた顔になった。

「隊長……」

「い、言っときますけど、俺は止めたんですよ!ナナニエルがマチルダにつかみかかった時にも、ここに来る前にも!」

「バカヤロー、止まってなきゃ意味ねーだろーが!で、あいつらは?」

付随反射で言い訳を始めたレオンに強く返し、ガベルは続けて尋ねる。申し訳なさそうな顔で、その側のカイルが言った。

「今セッティング中です。止めても、聞きませんでした」

「だったら今すぐ中から引きずり出せ!マチルダ、ナナニエル、お前ら何してやがる!」

「しかし隊長、止めたところで状況は変わらないと思われます」

シミュレーターに向かって怒鳴り始めたガベルに、カイルは毅然とした声で言い返す。ガベルは眉をしかめ、

「……何?」

「このままではクーパー少尉の気が済まないでしょう。だったら気の済む様にさせるべきです。これ以上二人の間に固執があれば、隊の運営にも関わります」

「それで私闘を許可しろってか?ここはガキの遊び場じゃねぇんだ。拳で話がついたら、四六時中殴りあいになっちまうぞ」

「これは私闘ではなく、訓練の一環です。自主的な訓練であれば、何ら支障は……」

「俺も、殴られて怒鳴られて、それで懲罰、なんて嫌だからな」

声とほぼ同時にエア仕掛けの訓練機の蓋がせり上がる。姿を見せたマチルダは既にそのセッティングを済ませたらしい。シートに腰を下ろして不遜な顔のマチルダを見、ガベルが思わず声を荒げた。

「マチルダ、お前、騒ぎを起こすなって、何度言ったら解るんだ!」

「しらねーよ、そんなの。てか、騒いでんのは俺じゃなくてそこの連中だろ?なんで集まってんのか解んねーけど……」

鼻先で笑いながらマチルダが辺りを見回す。自分がどれだけ目立っているのか、周りの注目を集めているのか。マチルダには自覚がないらしい。ガベルは顔を押さえて大きく息をついた。

「マチルダ、お前な……」

「扱うのが面倒だとか厄介だとか思ってんなら、今ここでクビしろよ。俺もその方が気が楽だし、あのヒス女も落ち着くぜ」

「……ナナニエルと何があった?」

「捕まれて殴られた、二発も。いつかやられると思ってたけど……」

「ナナニエル、出てこい!今すぐ営倉だ!処分はその後で……」

マチルダの言葉も終らないうちにガベルが怒鳴る。ハハン、と、その目の前でマチルダは軽く笑った。そして、

「やめとけよ、おっさん。そんな事しても、堂々巡りだ。あいつは俺を恨んでて、もう行くとこまでイっちまってる。下手に処分しても復職したら、今度はもっと面倒な事やらかすぜ?」

「マチルダ、お前何を……」

「例えば……ミネア辺りで殺されるかも」

言葉の後、マチルダはガベルを睨むように見た。ガベルは言葉を失い、チ、と低く舌打ちする。

「ったく……このクソガキ。年寄りに変なプレッシャーかけやがって」

「訳わかんねーこと言ってねーで、訓練の許可くれよ、隊長。ここで派手にやらかしても、死にゃしねーからよ、向こうも」

言葉とともにマチルダが疲れたように嘆息する。ガベルはその物言いに忌々しげな顔になり、

「解ったよ、許可する」

言いながら、側らの二人に今一度振り返った。緊張していたレオンとカイルの表情がわずかに緩む。が、続くガベルの言葉に二人はまた絶句した。

「ただし条件がある。シミュレーション結果は公式データで残す。どっちが勝っても負けても、だ。対戦時間は無制限、一方が稼動不可になるまでだ。機体はランダム設定、出てきた機体で真っ向勝負しろ」

「って……隊長、訓練ですよ?これじゃ実戦と変わらんじゃないですか……」

ガベルの言葉の後、周囲がどよめき、レオンが思わず言葉を漏らす。シミュレーターでの訓練の場合、搭乗する機体はパイロット自身が選ぶか、コンピューターのランダム選出に任せるかのどちらかになる。前者の場合はその装備も全て選ぶ事が出来るが、後者の場合は全くの出たとこ勝負だ。下手をすれば丸腰同然の機体が選出されることもある。ガベルはレオンの言葉ににやりと笑い、

「ああ、実戦そのまんまだ。やられたら死ぬ、その覚悟で臨め。で、負けたヤツは勝ったヤツに二度と干渉するな。それでいいな?マチルダ、ナナニエル」

返答は何もない。シミュレーターの中のナナニエルにも異存はないようだ。人の悪い笑みを浮かべたガベルを見、マチルダがこぼす。

「やなオヤジだな、あんた」

「お前に言われたかねぇよ、クソガキ」

マチルダの乗った訓練機の蓋が下りていく。見ながら、ガベルは言った。

「カイル、全棟に映像データ、流してやれ」

「全棟に?隊長、そんな事したら……」

声を上げたのはレオンだった。カイルは驚いてはいるものの、言葉はない。ガベルは笑うのをやめ、忌々しげな顔になると、

「この俺に面倒かけさせようって言うんだ、仕掛けたヤツも乗ったヤツも、大恥の一つくらいかいてもらう。これだけの衆人監視の中でどんだけ無様に負けられるか、見せてもらおうじゃねぇか、なぁ?」

そう言って辺りを見回す。不機嫌そのもののガベルに、レオンもカイルも言葉はなかった。

 

コックピットの中、ナナニエルはただ真正面だけを見詰めていた。訓練用のシミュレーターとは言え、その中は本物の機体とほぼ同じ作りになっている。機体や搭乗者によりけりで多少のレイアウトは変わるが、大きな差異はない。そして、いつどの機体に配属されても支障がないように、乗る側も訓練されている。訓練機での訓練はパイロットの学習のためでもあったが、他にも幾つかの目的があった。戦闘データの収集もその一つに含まれるが、最大の理由は実機体の疲弊、磨耗を極力抑える為だ。マシンは巨大で、同時に重量も大きい。下手をすれば転倒しただけで大破、という事態も起こり得る。ミッシュ・マッシュを支えるラステルは小国だ。如何にマシンでの戦闘を重視しているとは言え、その財源にも限りがある。それでも機関は莫大な予算で運営されていた。それはこの国に、それ以外に頼る力がないから、でもある。しかしラステルは四国連合体と言いつつ、各国が密に連携をとり、円滑な情報交換をしている、とは言いがたかった。ミッシュ・マッシュのマシン開発にはソレアが、機関運営にはスティラが、その財源はリウヌが多くを占めるが、遅れて連合に加入したヌゥイに至ってはほぼ発言権はない。四国の連合議会直轄の軍事特務機関と言いつつも、そこは各国の拮抗の場でもあった。勿論、機関構成員自身にその感覚は殆どなかったが、各国からの無理難題とも取れる要請から、誰もがそれは感じていた。今回の新型の開発は、どこが言い出して、誰がゴーサインを出したのか。ナナニエルはコクピットの中でふとそんなことを思っていた。噂によれば新型は、あるパイロットのために作られているのも同然で、機関上層部はそのパイロットを搭乗させるために、様々の調整を行なっていたらしい。一つには小隊の編成と人選もあるが、何やら愚にもつかない情報操作までしていると言う。そこまでしてそのパイロットを新型に載せたい理由は何なのか。そして、どうしてそんな部隊に自分が配属されたのか。閑暇期の軍事組織の新型マシンの投入を、一般市民はどう思うのか。そしてそれを許可した議会は一体何を考えているのか。もし仮に、新型がある一人のために開発されたものだとして、そのパイロットが、たった十二歳の子供だとするなら、一般市民だけでなく、機関構成員の多くはどう思うのか。仲間を見殺しにして手柄を得た、あの子供だとするのなら。

「私は認めない……絶対に、許さない」

呟きながらナナニエルは手にしていたコントローラーを強く握った。そう、あの子供のために親友は死んだ。あの子供が無謀な行動に出たために、それを助けようとして。だと言うのにその事実は伏され、ここにいる殆どの人間がそれを知らない。あいつが一人で残らなければ、イオニアは死なずに済んだ。いや、あの子がここにいなければ、あんなことは起こり得なかったのだ。

『プログラムロード、オールクリア。パイロットは各ギアを装着後、準備完了のコールを願います』

コクピット内に対戦準備完了のアナウンスが響く。ナナニエルは一つ深呼吸すると、シート側のパネルを叩いた。ピッ、と言う電子音の後、周囲のモニタパネルの色が変化していく。戦闘用、そして分析用のいくつものパネルとモニタ。戦場にいる時と変わらないその光景に、ナナニエルは苦笑を漏らす。マシンの動かし方は解っている。どんな機体であっても、基本動作は同じだ。戦闘の方法は、その機体の特性によって異なる。が、カウンターさえ決まれば相手がどんなマシンであろうとも勝ち目はある。勿論、先制攻撃に出るにはそれなりの技術が必要だ。機体の性能は関係ない。出来たら少し重めの機体がいい。慣れているし、火器が大きい。スピードは落ちるが攻撃力が高ければ、後は機体の維持の仕方次第で何とかなる。が、

「向こうが同じか、格上だったら……」

勝ち目はあるのか。思い、ナナニエルは息を飲んだ。相手はスーパーエリートと呼ばれる中でもスーパーエース級のパイロットだ。十二歳、配属二年にして戦績ランクはCで自分と同じだが、ランク内の順位はあちらの方が上だ。それに、何度か対戦してはいるものの、勝った事は一度もない。

「でも、今度こそ……今度こそ、絶対に……」

勝たなければ。強く思い、まだ何も映し出されていない正面のメインモニタを睨む。そうだ、負けてたまるものか。稀代のスーパーエリートだろうが、自分より順位が上だろうが。だってあの子はイオを殺した。当然のように助けられたくせに。相手の準備完了を待ちながら、ナナニエルは念じ続けた。

しかしマチルダからのコールは届かない。何をしているのか。苛立ちが体を駆け巡る。こちらは既に戦闘準備が整っているのに。舌打ちしてナナニエルはパネルの一つを指で叩いた。相手ピットとの通話回線が開かれる。メインモニタの一部に相手側の映像が映し出されると、ナナニエルは苛立たしげに言った。

「ちょっと、待たせる気?何をしてるの?」

『……うるせぇ、気が散るだろ。黙ってろ』

俯き加減のマチルダの顔が映し出される。不機嫌そうなその様子にナナニエルは眉をしかめた。が、口許にはすぐに笑みが上った。調子に乗っているのも今のうちだ。すぐにでも、倒してやる。今までに勝った試しはないが、それはそれらが単なる『模擬戦』だったからだ。これからするこの戦いは、模擬戦であってそうではない。イオニアの敵討ちなのだ。負けるわけにはいかない。それに、誰も彼もの目の前で公然とこの子供を責め立てて、打ちのめせる。本当のではないから死にはしない。それでも、その恐怖を味合わせてやれる。イオニアがどんな気持ちだったのか、思い知らせてやれる。そうだ、どれだけ将来を嘱望された、優れた「戦闘兵器」であったとしても、その能力をもって戦況の打破を期待される「戦争代行人」であっても、許されない事があるのだ。ナナニエルは笑っていた。嗜虐的な恍惚に酔いしれて、喜びに打ち震えた。復讐を成せるその事が、こんなに気分がいいとは。思うナナニエルの口からは、笑い声すら洩れた。

『対戦機、準備完了。これより模擬戦開始のカウントダウンに入ります。20秒前、19、18、17、16、15、14、……』

カウントの度に胸が高鳴り、僅かに息苦しくさえなる。けれどそれさえもどこか心地いい。ふー、ふー、と低く呼吸して、ナナニエルはその唇をぺろりと舐めた。

『5、4、3、2、1、戦闘開始』

カウントが終了する。同時にコクピット内の全てのモニタに映像が展開された。自身の機体をチェックするより前に、ナナニエルはその目で敵機を確認した。

「向こうは……アシュム?こちらは……ザラ?!

相手機よりもこちらの方が機体が軽い。パワーは小さいが足が速い。しかし攻撃タイプだ。瞬時にそれを判断し、ナナニエルは足元のペダルを強く踏んだ。マシンは目の前の敵に突進する。しながら、ナナニエルは主装備の戦槍を構えた。

「食らえ、イオニアの仇!」

 

ブース内にいつの間にか設置された大型モニタには、岩砂漠で対峙する二機のマシンが映し出されていた。一方は中量型、もう一方は重量型の、どちらも攻撃重視に開発されたもので、現在ミッシュ・マッシュで主力とされるマシンである。戦闘開始とともに先に動いたのは中量型、ピンクグレーを基調カラーにした、ザラと呼ばれる機体だ。もう一方、アシュムという名のアッシュインディゴの重量型マシンも、装備していた戦棍を構え、その攻撃に備える。

「おい、どっちがどっちだ?どうなってる?」

「アシュムがマチルダでザラがナナニエルらしいぞ」

人垣の中からそんな声があがる。その後ろで、わずかに見えるモニタを、マデリンはどこか落ち着きなく、不安げな目で見ていた。時折ぐらつくその様子に、側らにいたエドが尋ねる。

「マデリン、大丈夫かい?どこかに座った方が……」

しかし返事はない。視線も心も、そのモニタに釘付けのようだ。エドは何も言わず、自分もやっと見えるモニタに目を向ける。

「流石だな……速え速え」

「そうか?ザラならあのくらい訳ないだろう」

「バカ、ザラじゃねぇ、アシュムだよ。移動力15%減だろ?」

「ザラの俊敏度はアシュムの20%オーバーでしょ?それで避けられてるのは……」

辺りから様々な声が聞こえる。マシンはそんなものとは関係なく、ひたすら攻防を続けていた。戦槍に攻められながら、アッシュインディゴの機体はじりじりと後退している。誰が見ても劣勢には違いないのだが、繰り出される攻撃は全て交わされていた。逃げている、と言う様子でもないのだが、攻撃を仕掛ける様子は伺えない。

「グリュー少尉……マチルダ、変よ」

モニタを見詰めながら小さくマデリンが言った。振り返って、エドは瞬きして、

「マチルダが?変って、どういう……」

「だってあれじゃ……勝負がつかないわ。負けもしないけど、勝てもしないじゃない」

体が震えているのを感じて、マデリンは自分の拳をぎゅっと握った。マチルダの様子は、おかしい、と言うより、普段とは違っていた。自分と対戦シミュレートをする時のマチルダは容赦がなかった。どれだけ先に仕掛けてもそれを交わし、或いは真っ向から受け止め、こちらの隙を見つけるなりあっさりと攻撃し、ほぼ一撃で自分の動きを止める。何度も繰り返してシミュレーションするうちにそのパターンも読めて来たが、それでもマデリンはまだマチルダに勝てたことはない。が、この戦闘は今まで見てきたマチルダのやり方とは違う。確かに巧みに攻撃を避け、機体へのダメージをほぼ受けないではいるが、これでは戦闘とは言えない。まるで戦う事を放棄しているかのようだ。思うマデリンを余所に、エドは淡々と言った。

「そうかな。マチルダも、楽に勝たせてはもらえないんじゃないのかな」

その言葉にマデリンは振り返る。エドはそんなマデリンに一度だけ微笑みかけ、そしてまたモニタに向き直った。

「ザラは速いし、ナナは速い機体に慣れている。速いから攻撃力はその分小さいけれど、それでもやり方はいくらでもある。アシュムは打たれ強いけれど……そうだな、避けるだけで、攻撃点が見えないのかもしれないな」

「嘘!だってマチルダ、いつもはあんな風じゃないわ!」

「いつも?君と対戦している時は、じゃなくて?」

自分を見ないエドの言葉にマデリンははっとして息を詰める。返らない声を待たず、エドは言葉を続けた。

「ナナニエルとマチルダのランクは同じ、Cだ。順位は、今はまだマチルダの方が上だけど、そのうちナナはマチルダを追い越すよ。それだけの実力は持っている。でなきゃ新型なんかに抜擢されたりしない」

「じゃ……じゃあ……」

マチルダは今、互角の相手と戦っているのか。だからあんなに苦戦しているのか。マデリンはそれを口に出来ずに飲み込んだ。マシンの打ち合いは続けられる。ザラの戦槍が空を切り、アシュムを捕える。が、それは腕で止められた。

「アシュムにヒットしたぞ!」

ブース内のギャラリーがどよめく。今の攻撃でザラの戦槍が折れる。致命的なダメージは与えなかったようだが、その衝撃でアシュムの動きにブレが生じた。モニタに大きくない文字でアシュムの機体状況が示される。

『左下腕部、稼働率7%減』

しかしそれを確かめる間もなくザラの攻撃は続いた。戦槍を捨て、今度は電磁鞭を装備し、アシュムに叩きつける。まともに体勢を立て直さないまま、アシュムはその鞭先から逃れるために大きく後退した。

「うっわ、派手にやってやがる……」

「というより、一体誰がこんなセッティングを……」

側で聞いたことのある声がしてマデリンが振り返る。驚く顔のジェイクと呆れ顔のコニー、そして緊迫した表情のフェーンがそこにいた。エドも振り返り、いつもと変わらない様子で、

「君たちも聞きつけて来たのかい?シミュレーションの様子なら、全棟で見られるだろうに……」

「って、全棟に垂れ流しかよ?これ。無茶するなぁ……」

何気ないエドの言葉にジェイクが思わず声を上げる。それを横目に見ながらフェーンは深刻な顔つきでエドに言った。

「一体どういうことになっているんです?これは」

「僕にも、詳しいところは解らないけど……」

「ナナニエル・クーパー少尉は貴方のパートナーでしょう?どうしてこうなる事を止められなかったんですか!」

「申し訳ないけど、僕もその場に居合わせなくて、聞いて駆けつけたんだよ。マチルダと何かあったらしい……」

「らしい、じゃないでしょう!グリュー少尉、貴方には事が事だからと、隊長からも直々に……」

叱責とも八つ当たりとも取れるフェーンの強い声が続く。エドは困ったように苦笑すると、

「副長の言い分はごもっともだよ。でも、僕から言わせれば、このままあの二人を放ってはおけなかったんじゃないかな。ナナはともかく、アレン少尉には他にも色々とあるようだし」

エドの言葉にフェーンは声を詰まらせる。その様子にエドは軽く微笑むと再びモニタに向き直り、

「起こってしまったことは仕方ないよ、ここは二人の対決でも観覧しようじゃないか。こんなことを言うと君はまた怒るだろうけれど、パイロットとして実に興味深い模擬対戦だよ」

言葉に、フェーンは黙ってモニタを見上げた。電磁鞭を振り回すザラはアシュムを執拗に追い続ける。電荷された鞭先が機体にヒットすれば高圧の電流が流され、機器に影響を及ぼす他、乗っている人間も無事ではすまない。

「何か変に恐ぇな、ザラ。ぶちきれたヒス女みてぇ……」

「言い得て妙だね。あれはナナニエルだよ」

何気ないジェイクのぼやきにエドが笑う。ぼやいたジェイクはぎょっとして、

「うっわー、ビンゴかよ……でもなんでナナニエルのヤツ、あんなにマチルダに構うんだ?」

何気ないジェイクの言葉にフェーンが気色ばむ。エドは軽く肩をすくめると、

「さぁ、どうしてだろう。でもマチルダを倒せばナナのランクは確実に上がるよ。負けたら大恥だけど」

そう言ってまたフェーンを見る。フェーンは苦い表情で、薄く笑うエドを見返し、思わず呟く。

「グリュー少尉……貴方という人は、一体何を……」

エドはフェーンの言葉に何も言い返さない。対峙しているような二人の周りでは、幾度目かのどよめきが辺りに響く。

「逃げ切る気か、マチルダのヤツ」

「と言うより、ナナニエルがマチルダを捕まえられないみたいだな」

「やっぱり感情的になってると操縦にも響くよな……」

そんな外野の声も聞こえないのか、マデリンはモニタに釘付けのままだった。すぐ側にいるフェーンとエドのやり取りも耳に入っていないらしい。ぎゅっと手を握り締め、モニタに食い入るマデリンを見、コニーがどこか不安げに声を掛ける。

「マデリン……震えてるわ。どこかに座った方が……」

「……やっぱり変よ。全然反撃してない」

その声も聞こえないらしい。マデリンが呟き、思わずコニーが聞き返す。

「え?」

「マチルダよ。反撃できないんじゃなくて、してないのよ!」

マデリンの声が大きくなる。目を丸くさせ、首をかしげながらジェイクが、

「は?マチルダが?何だよそれ」

「だってこれだけ時間があったら火器のチャージだってできるし電荷系の武器だってスタンバイできるはずよ!なのに避けるばっかりで……手だってスカスカじゃない!」

「だからそれは……ナナニエルに隙がないからだろ?」

言われている言葉の意味が良く解らずにジェイクは眉をしかめる。が、その直後、

「いや……マチルダならクーパー少尉が戦槍を捨てた隙にカウンターに出られたはずだ。アシュムにザラほどの速さはない。けど、カウンターの仕方によってはザラより速く動ける。アシュムの主装備は戦斧だから間合いが小さい。その分相手に近付く必要があるから簡単にはいかないけど、ヒットすれば相当のダメージになる。マチルダがあの隙に戦斧を取らないなんて……確かに変だ」

言葉とともにフェーンの表情がいぶかしげなものへと変わる。ジェイクは眉をしかめたまま、

「そりゃマチルダを買い被りすぎだろ?ナナニエルだってランクCのパイロットだぜ?そんな隙……」

「ナナニエル機は隙だらけよ。鞭のふりが大きすぎるわ。それに、電荷鞭のエネルギーを使いすぎれば、移動力に影響も出てくるわ」

「もうすでに、ザラの足も遅くなりかけてるね」

コニーの言葉の後に何気なくエドが言った。モニタでは未だに執拗にザラがアシュムを追い詰めている。唸る鞭先は空を切るがその機体に届かず、その度に鞭の動きは大きく、雑に変わっていく。

「でも鞭は厄介だ。手首のひねり一つで向きも変わるし、当たれば高圧電流も……」

「じゃあ電圧が下がるまで待つ気か?マチルダのヤツ」

「そんなことをする前に相手機の手を破壊する方が速いわ。若しくはカメラか」

「しかしモニタを見ているだけでは、両機がどの程度の装備なのかも解りませんね」

「そうだねぇ。マチルダ機が丸腰、ってことも有り得るからねぇ……」

会話の中で何気にエドが言う。それを聞いたマデリンは打たれたように振り返り、発火するような勢いで声を上げた。

「何よそれ、どういうこと?どうしてマチルダがそんな……卑怯よ、ずるいじゃない!」

「そうは言われても……シミュレーターのランダム選出のシステムが、そう設定してたら、そうかもしれないってことで……」

怒鳴りつけられた体裁のエドがマデリンに答えかけたその時、マデリンはその場から駆け出していた。目の前の人だかりに向かい、金切り声めいたものを発して突進していく。

「ちょっとどいて、通してよ!邪魔だって言ってんでしょ!通しなさいよぉっ」

見送るコニーとフェーンはあっけにとられ、エドはにこやかに笑っている。ジェイクは先ほどしかめた眉を元に戻さないままだ。そして、

「でも本当に、なんでナナニエルのヤツって、マチルダにだけああもきつい、っつーか……嫌いなんだ?」

そうぼやいて首をひねる。その疑問に答える人間は誰一人としておらず、ただエドだけが苦いものの混じった笑みを漏らした。

 

「隊長、隊長!!

人ごみを掻き分け、マデリンはシミュレーターの制御コンピューターに辿り着く。その側にいたガベルとレオン、そしてカイルが驚いた様子で振り返った。

「何だマデリン、どうした?」

「どうした、じゃないでしょ!!何してんのよ!やめさせなさいよ!こんなのただのケンカ、っていうかあの人の八つ当たりでしょ?それに、どうしてマチルダがあの人にこんなことされなきゃいけないの?大体、私闘はご法度だ、とか言ったくせに、どうして無理やりにでも止めないのよ!おかしいでしよ!」

ヒステリックにマデリンが叫ぶ。その言葉にガベルは一瞬度肝を抜かれるが、すぐにも嘆息し、

「ああ、悪かったよ。けどなマデリン、もし仮に今は止められたとしても、いつかはこんなことになるのがオチだ」

「何無責任なこと言ってんのよ!それでも隊長なの?」

その嘆息とともに吐き出された言葉に噛み付くようにマデリンが反論する。ガベルはどこかうんざりした顔つきになると、

「それを言われると何とも言いようがないが……」

「今この戦闘を止めたら、クーパー少尉がきっと承知しないだろう。それに、止めに入った人間も恨まれかねない」

その側らでカイルが淡々と言った。マデリンはガベルの襟首を捕まえ、そこにぶら下がるような体勢でそちらを向き、

「恨まれる?どうしてよ!軍律違反はあっちでしょ?それに、マチルダがいじるられるよりよっぽどいいわ!いじめるんならあたしにしたらいいのよ!」

「いじめてるって訳じゃないんだろうがな……」

首からマデリンをぶら下げてガベルばぼやく。マデリンはその言葉にガベルに向き直り、

「じゃあ何よ?こんなのいじめでしょ?マチルダが気に入らないからってネチネチネチネチ、いい大人がすることじゃないわよ!スーパーエリートが聞いて呆れるわ!」

「それもそうだが、こいつは世間一般に言ういじめとは違っててな……やられてる方も、色々思うところがあってやられてんのさ。だからなおさら、止められない」

マデリンが怒りに任せて怒鳴る。が、ガベルの態度は変わらない。マデリンはその様子に違和感でも覚えたのか、それまでとは違った様子で僅かに眉をしかめた。

「やられてる方も、って……何よ、それ……どういう意味?」

「そいつはお前さんの相方に直接聞いてくれ。俺から話せることじゃないし……一応、機密なんでな」

ガベルの襟首を掴んでいたマデリンの手が緩む。その目に怒りではなく疑惑の光が宿り、所在なげに泳ぐのを見、ガベルは顔を上げてモニタを仰ぐ。

「まあ確かにありゃ訓練とは言えねぇな。マチルダのやつ、反撃する気がまるでない」

「逃げて時間稼いでんじゃないんですか?ザラのエネルギーがつきたところで、って戦法で」

側らのレオンが何気に言う。ガベルは苦笑すると、

「それにしちゃ、マチルダのヤツは何の準備もしてねぇぞ。主装備の戦斧もオプションの小刀もバルカン砲も持ってやがるのに」

言葉に顔を上げたのはマデリンだった。制御機のモニタには他の観戦用モニタとは違って、戦闘中のマシンのデータもある程度標示されている。制御モニタに食いついたマデリンの側ら、男達は構わず戦況の評価を続ける。

「アシュム主装備の戦斧は常時戦闘に対応できるシステムです。問題はないはずです」

「けど逃げ回ってザラのガス欠待つ、なんて、トリオGのラスボスの仕込みじゃやらんでしょう」

「アシュムなら逃げ回る必要もないだろう。パワーが違う。遅いのは足だけだ。ザラに勝ち目があるとしたら、それを狙う以外はないが」

「でもザラは、そんな気、ないみたいよ?」

マデリンが唐突にその会話に割り込む。そして、

「隊長、やっぱり止めて!マチルダ、このままやられてるだけで、反撃しない気よ!」

先程とは違う、どこか悲壮な顔つきでマデリンがガベルに訴える。ガベルは笑いもせず、

「これは訓練だ。あの二人もそれでいいと納得した。時間無制限の上、どちらかが動けなくなるまでは止めん。が……このままじゃ埒が開かねぇな」

自分を見上げるマデリンの顔つきに、ガベルがその表情を僅かに崩す。

「止めるのは無理だが、あのバカにもうちっとマトモな戦闘はさせられるかもな」

いたずらっ子の目になったその男の顔を見、一瞬マデリンは怯んだ。

 

目の前のモニタ上には岩砂漠と一機のマシンとが映し出されている。その全てが機械によって作り出された幻だ。そして、今こうして座っているこのシートも、良く似せて作られてはいるが、本物ではない。現実の戦闘で敵機と差し向かいで戦う事は殆どない。相手もこちらも複数で、対峙している機体の向こうに別の機体が見えているのが常だ。目の前で自分に襲い掛かる敵を倒しても、すぐに次の相手が現れる。戦闘には常に勝利しなければならない。敗北はイコール「死」だ。余程の運がなければ例外はない。その運も、多分とっくに使い切っていることだろう。何度か瀕死の生還もしているし、運などという非科学的なものに頼るには、余りにも日ごろの行いが宜しくない。いっそ大敗して、機体もろとも壊れてしまった方がいいのかもしれない。そうすれば負ける心配もないし、何より、死を恐れなくてすむ。モニタに映し出されるザラを見ながらマチルダはそんなことを考えていた。ザラは間合いとって、エネルギーの調整でもしているらしい。機体が軽い分、戦闘用の電源も小さめに出来ているため、長丁場の戦闘には向かない機体だ。アシュムを相手にするならカウンター狙いが普通だろ、思って、何気にマチルダは苦笑する。しかし相手の感情はそれでは治まらないらしい。

名前と顔を知っている人間の死、というのは、どれだけ回数を重ねても馴れないものだ。それが友人であるなら、そのショックの大きさは簡単に言葉では言い表せないだろう。しかも、その側にいながら生還した人間がいれば、恨み言の一つも言いたくなるものかもしれない。知った事か、とマチルダはぼやく。誰と誰とが知り合いで、どんな間柄で、なんて、自分には関係ない。ただ出て行って戦って帰って来るだけだ。余裕があればフォローの一つも出来なくもないが、そうでなければ生きて帰ることがやっとだ。それで何が悪いのか。どうしてそれが許されないのか。

「……そろそろ、動くかな」

独り言のように行ってマチルダはその首をぐるぐると回した。シミュレーターがいくら偽物とは言え、戦闘時にかかる負荷は優しいものではない。ヘッドギアを装着してゲル入りの戦闘服を着て、それでもいつの間にか痣が出来ていたり、下手をすれば鞭打ちになったりもする。まぁ本チャンの機体ほどには壊れないから、モニタやコントローラーに手足を巻き込まれる、というような惨事は起こらないけど。思って、マチルダは何気に言った。

「そういやあん時俺、どんくらいドゥローにいたっけ……」

モニタ上のザラが動き出す。シミュレーターの音声ナビゲーションが敵機の移動開始を告げる。目の前にマシンが迫り、手にしたナイフを振り上げる。除けながらマチルダはコンピューターで敵機の解析をし始める。

マシン・メイスは「完全兵器」とも呼ばれる。単体での行動、戦闘が可能なのはその高い情報処理能力と高性能で強力なエンジンを搭載している故だ。その移動力には一次装甲の下に展開された太陽光発電機によって作られた電力を使用し、戦闘時にはさらにそのエネルギーでメインの発電機を動かし、発電する。外部からの電力供給は殆ど必要としないため、長距離の移動と長時間の戦闘が可能となっている。元々は土地改良のために作り出された工事用作業ロボットだったそれは、たった十数年で全く別の機械に進化していた。土を耕していたはずのそれが、今や重火器を背負い、泥沼化した戦場を駆け回っている。何つーか、ばかみてぇ。心の中だけでマチルダは呟き、その口許に苦い笑みを浮かべた。ばかばかしいが頭は下がる。ある意味、人間では出来ない事をやってのけるその機械に。そしてそれを乗りこなしている自分にも、感心しながら、吐き気がするほどの嫌悪を覚える。

「……なんで俺が、こんなとこにいるんだよ」

目の前をナイフが幾度も掠める。コクピットはそれを避けるたびに大きく左右に揺れた。接近戦になれば、逃げ続けるにも限度がある。こちらの方が明らかに動きも反応も遅い。向こうの関節がだめになるのを待つのも手だが、待ったところで戦闘がすんなり終るとは限らない。こぶしを振り上げなければ決着はつかない。けれど、そうしたくない。

「なんで俺が、イオの友達と殺し合いなんか、しなきゃなんねーんだよ!」

たった一人のコクピットでマチルダは叫んだ。

そのパイロットと自分は、その日たまたま教導隊の訓練を兼ねたパトロールに同行していた。入ってきたばかりの新人の列の後ろで、有事の際にすぐにでも動けるようにスタンバイしていた。その教導隊の中に敵の工作員がいるなどと、誰が思っただろう。そしてその工作員が、敵の一個小隊を手引きしていた、なんて。

イオニア・レーンは教導隊を率いて退却していたはずだった。マチルダは突然現れた敵小隊を単機でかき回し、その足を止めようとしていた。しかし、ある程度味方機との距離が出来た頃、イオニアは引き返してきた。そのために退却ルートが敵に知れ、教導隊は潜行していた敵の別部隊に八割が撃破され、残った二割のマシンのパイロットも全員が負傷し、未だに入院している。マチルダも勿論無傷とは行かなかったが、手首を多少傷めた程度で生還し、その後新型のパイロットに抜擢された。敵マシンをたった一人で撃退した、その功労のように。

「なんで俺が生きてて、イオニアが死んじまうんだよ!逃げろって……せめて味方連れて来いって、そう言ったのに!」

誰にも聞こえない、でなければ叫ぶ事などできない。ここでしか吐き出せない。だけど本当は、吐き出すものなんてなければいい。思って、マチルダは笑った。声が漏れて、なんでこんな時に笑えるんだろうと、そんな思いさえよぎった。だから本当は、どこかで負けてしまいたい。こんな偽物ではなくて、本物のマシンの中で。死んでしまえばこんな思いはしなくてすむのだ。自分が終わってしまったら、もう誰の死にも動じなくてすむ。誰かがいなくなっても傷ついても、何も思わなくていい。殺されてしまったら、何もかもが終わってなくなるのだ。

『マチルダ!!

突然コクピット内に甲高い声が響いた。驚いてマチルダは我に返る。同時にモニタ上に小さなウィンドウが開き、そこにインカムをつけたマデリンの顔が映し出された。外から通信回線が開かれたらしい。マチルダは思わず声を上げた。

「まっ……マデリン?!何だよ?」

『何だよ、じゃないわよ!何やってんのよ!このままじゃマチルダ、負けちゃうでしょ!』

マデリンの、怒っているようなないているような顔が映し出されている。マチルダはそれに眉をしかめ、

「うるせぇ!お前の知った事か!集中できないから切るぞ」

『集中って何よ?逃げてばっかりでしょ?それに、マチルダが勝たなかったらクーパー少尉、もっとマチルダに意地悪するわよ?いいの?』

必死の表情でマデリンが訴えてくる。マチルダはそのナナニエル・クーパーの攻撃をかわしながら、怒鳴り返すように言った。

「んなモンおめーにゃカンケーねーだろ!それに、あいつは俺をいびりたくてやってんだぞ!負けてやったら気がすむんじゃ……」

『バカ、何言ってんのよ!』

マチルダよりもはるかに大きな怒声でマデリンがその言葉を一喝する。怒鳴られたマチルダは思わず肩をびくつかせた。

『わざと負けたりしたら、承知しないんだから!もしマチルダがあの人に負けたりしたら、今度はあたしがクーパー少尉に嫌がらせしてやる!』

「は?……何だそりゃ」

しかしその直後のマデリンの発言にマチルダは拍子抜けする。首を軽くかしげているとマデリンは更に言った。

『だってそうでしょ!そうするわよ!クーパー少尉がマチルダにしたのより、ずーっと意地悪で嫌なことしてやるんだから!ご飯も食べられなくて夜も寝られないくらい、ずーっといびってやる!』

「……何だよそれ。なんでお前が……」

呆れて、マチルダは言葉を失う。その態度にマデリンは怒ったらしい。更に声を上げて、

『なんでって、当たり前でしょ!なんでそんなことも解んないの?マチルダのバカ!!ばかばかばかばか……ばかーっっ』

キーキー言い放った挙句マデリンはその場でわんわんと泣き始める。訳が解らないながらもマチルダは苦笑し、それから小さく言った。

「バカはそっちだろ……そんなことで泣くなよ」

『なっ……泣いてないもん!泣いてないんだから!あたしっ……あたし泣かないもん!マチルダがわざと殺されようとしたって、死のうとしてたって、泣いてなんかあげないもん!生きて帰って来なくたって……泣かないもん!泣かないんだから!絶対っ……絶対っ……』

「お前……模擬戦だぞ?誰が……」

『絶対っ……やだっ……マチルダ……生きて、帰ってきて……ちゃんと、帰って来てよぅ……うぇぇ……』

モニタからマデリンの顔が消える。どうやら泣き崩れたらしい。これは模擬戦で、誰も死なないと言うのに。心の中でそう言ってマチルダは呆れの吐息を漏らす。同時に目蓋が熱くなって、マチルダはかすかに眉をしかめた。

「ばかやろー……泣かすなよ、バカマデリン」

呟いて、マチルダは手元のパネルを叩いた。今まで自分を取り巻いていたコントローラーが一旦下がり、別のコンピューターが手元、足元に上ってくる。

「ナビ!向こうの速さは?ついていけそうか?」

『移動速度、本機の120%、攻撃の俊敏度は予測150%

「っても……今まで避けてた分、こっちの方が分が悪いか……こっちのエネルギーは?」

『移動力60%以下まで低下、攻撃用動力、チャージ終了』

機械の合成声が機体の状況を告げる。間合いを取るように機体を後退させ、マチルダは息を大きく吐き出す。

死んでしまいたいと思っていた。多分この先もそれは変わらない。ここには嫌なことが余りにも多すぎる。だからその方がましだと思っていた。この戦闘も、やる気どころかまともに相手をするつもりもなかった。勝っても負けても、ナナニエルは変わらないだろう。だったらわざと負けてやって、多少なりとも気分を晴らせばいいと、そう思った。でも多分それも、出来ないのだろう。やり切れないから怒りがあって、だから何かに当り散らしたいのだ。そうでなければ自分を維持できないから。きっと彼女は自分を殺したいのだろう。でも殺しても、何も変わらないに違いない。ただ、誰かを失った悲しみが深くなるだけだ。そしてそれを理解するのは、余りにも難しい。難しいのはそれだけではない。それが何なのか、はっきりとは知らない。

でも、ここでわざと負けたら、今度はマデリンがナナニエルと同じ様に、もしかしたらそれ以上に、怒ったり当り散らしたり、哀しんだりするらしい。自分が生きていても、それでもそうするつもりらしい。それも良く解らないけど、とマチルダは思った。

「しょーがねーから……今回はお前の言う通りにしてやるよ、マデリン」

『機体の疲弊度40%、戦線からの離脱を勧告します』

ナビゲーションコンピューターが抑揚のない声で告げる。構わず、マチルダはコントローラーにかけた手を強く引いた。

「小刀出せ!ホバー全開!」

 

 

 

 

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Last updated: 2007/09/08