新型マシン「タイプb」のために編成された新部隊は現在、新型機配備を待って待機中である。よってその隊員は部隊単位での演習、または訓練カリキュラムを各自で作成して実行することが任務であった。新型配備前の部隊は交代での基地警備などの任務も免除されているため、やれることは休暇の消化や訓練程度しかなく、個人の時間も取れると言えば取れるが、そこはそれ、軍備を持つ特務機関の構成員である。基地内に詰めている間は原則として個人としての行動は制限される。
「ヒマといえばヒマだが、好き勝手にお出かけ、とか、そういう訳にもいかないよな」
「待機任務中だ、下手な行動は慎んだ方がいい」
「で、俺達は今日も哀しく男二人でシミュレーション、てか?」
「今日も、じゃない。隊長機のデータに一勝できるまでは、ずっとだ」
「お前、口で言うのは簡単だけどな、トリオGのボスにそう簡単に……」
本部棟の白く長い廊下を、その時「タイプb」小隊隊員、レオン・ニーソンとカイル・オブライエンが歩いていた。足を向けた先にはシミュレーターブースと呼ばれるスペースがあり、白い大きな箱が所狭しと設置されていた。シミュレーターのブースは各階層に一箇所ずつ設置され、その情報は建物の何処からでも取得できた。それらは中央のコンピューターに全て記録され、そのデータを元に戦闘能力の判定なども行なわれている。巨大な電算機で成績付けをされている、と言うところか。とは言えそこは軍事期間である。それらの事象は当然の事だ。
「俺、今の順位、フェーンとかジェイクとかマチルダに知られたくないなー……」
「鼻で笑われるだろうからな」
「そういうお前はどうなんだよ、カイル。人のことを言う前に……」
「僕だって同じだ。訓練校から出るのに一年半以上かかったし、新型機を当てられて、正直プレッシャーだよ」
「……いけしゃあしゃあと言うか、それを」
恐らく将来的に「レオン機」と名付けられるであろう機体のメインパイロット候補者、レオン・ニーソンは側らの自分のサポート役の科白に冷や汗しながら返す。サポート役のカイルは涼しい顔でその顔に笑みを浮かべるわけでもなく言い、何気にその顔を上げた。
「えー、つまんないー!これってただの白い箱じゃない」
その先から子供の、元気と言えば聞こえがいいが不満気な声がする。レオンの怪訝そうな顔つきもその声で色を変えた。どうやら昨日の話題の人物が自分達よりも先にブースに入っているらしい。何気に、カイルが言った。
「マチルダとレイシャ少尉がいるのか……ちょうどいいかな」
「いいって、何が」
「データじゃなく、君とマチルダで直接模擬戦を……」
「お前、人を朝っぱらから殺す気か!」
カイルの思いつきにレオンがその襟首を掴んでまで講義する。締め上げられかかっているカイルは、しかし淡々と、
「模擬戦だ、殺し合いをしろとは言ってない」
「同じことだ!言う前に自分でやって来い!」
レオンは本気で怒っているらしい。カイルはその手を解くわけでもなく、そんな彼に問い返した。
「君とマチルダとだったら五分以上だろう?どうしてそんなに嫌がるんだ」
「そういうお前はどうしてそんなにしてまで俺にプレッシャーをかけたいんだよ」
相方の、クールなのか鈍感なのか解らない態度にレオンが嘆息した。カイルは首をかしげながらも、再びブースへと意識を向けた。
「仕方ないよ、まだ機体が届いていないんだ。君にはしばらくの間、ここで機体の動かし方を練習してもらう」
「えー、折角本物があるのに、そっちには乗せてもらえないのぉ?」
「ばーか、他人の機に乗って間違ってコケでもしてみろ。整備のヤツラに大目玉だぞ」
早朝というほどの時間でもないが、ブース内の人影は少ない。その一角の白い箱の前で、マチルダとマデリン、そしてフェーンが、何やら、騒ぐと言うほどでもないがそれぞれに声を立てていた。ブースに辿り着いたレオンとカイルはそれを見つけ、レオンが声をかける。
「朝から元気だな、マチルダもマデリーンちゃんも」
その声で、歩み寄ってくる二人にその場の三人が気付く。
「お早うございます、ニーソン少尉、オブライエン少尉」
「お早うございまーす!ほら、マチルダも、挨拶は?」
マチルダは黙ってそっぽを向いている。マデリンが注意を促して睨むが、痛くもかゆくもないようだ。その態度にマデリンがふくれっ面になり、それを見たフェーンとカイルが苦い笑みを、レオンはやけに楽しげな笑みを浮かべた。
「どっちが先輩なんだかなぁ?マチルダ」
「そうよねぇ、ニーソン少尉もそう思うでしょ?朝の挨拶もちゃんとできないなんて、呆れちゃうわ」
マチルダに絡もうとするレオンの言葉に、奇妙に重い嘆息混じりの言葉をマデリンが漏らす。レオンとフェーンは顔を見合わせるが、無言のまま苦笑するばかりだ。マチルダはそっぽを向いたまま何も言わない。やれやれ、と息をついたのはレオンだった。
「副長、こんな朝っぱらから戦闘訓練か?」
「ええ。隊長からの指示です。レイシャ少尉にもっとマシンに慣れてもらうように、と……」
「カイル、場所を変えるぞ」
笑うのをやめ、レオンが突然きびすを返す。カイルは静かに瞬きして、
「何処へ行くんだ、レオン。シミュレーションならここで……」
「俺様はデリケートなんだよ。昨日入ってきたばっかの新人ちゃんの目の前で、マチルダやフェーンにボコられるなんて間の抜けたところなんか、見られたくないからな」
ちっ、低くしたうちしてレオンが言う。カイルはそれを見ると口許をほころばせ、
「だったら勝てばいいだろう。難しいことじゃない」
「口で言うのはな」
やや怒気を孕んだ声でレオンは言い、かすかに笑うカイルを睨みつけた。傍で見ていたフェーンは目を瞬かせると、
「ああ、そうだ。二人とも、隊長が、顔を見たら隊の電算ブースに来るように、と……」
そのフェーンの言葉にレオンとカイルは揃って彼に振り返り、そしてその目を丸くさせる。
「隊長が?」
「何だよ。俺達、しばらくの間は自由にやってろ、って言われてるぜ?」
「さぁ、僕にはそこまでは解りませんが」
にこにことフェーンは笑っている。いぶかしげに眉をしかめたのはレオンだった。カイルは変わらない顔で、
「だったらそちらに行く事にするよ。レオン、行こう」
「……何かビミョーにいやな予感がするのは俺だけか?」
カイルの言葉の後、それを聞いているのかいないのか、一人ごちる様にレオンは言った。が、上官の指示である。逆らう理由も特になく、二人はブースから立ち去って行く。見送って、何気に言ったのはマデリンだった。
「なぁに、今の。ニーソン少尉、マチルダやフェーンさんと一緒にシミュレーションするの、嫌なの?」
「どうかな。余りいい顔はされないよ。もっとも、彼と戦って勝つのはかなり難しいことだけど」
フェーンは苦笑してマデリンの問いに答える。マチルダも眉をしかめて、
「冗談じゃねーのばっか揃いやがって、やな隊だ」
「何それ。どういうこと?」
言葉の意味が解らないマデリンは未だに首をかしげている。マチルダはそれ以上何も言わなかったが、フェーンが次に口を開いた。
「マデリン、君には今日からしっかり基礎操作をやってもらう。訓練機と言ってもここのものは本物の機体と殆ど同じだから、しっかり慣れるように」
「えー!!基礎操作って歩いたり走ったりでしょ?そんなの訓練校でもさんざんやったわよ。模擬戦だって……」
「隊長命令だよ。マチルダはマデリンのコーチ役だ。いいね?」
ブーイングするマデリンと、無言ではあるが渋面を作ったマチルダを前二、フェーンは稍厳しい顔をしていた。マデリンはすぐにも黙るが、マチルダはただ不服そうな顔をしている。
「マチルダ、いいね?」
「歩いたり走ったりくらいならもう出来てんだろ?こいつ。戦闘訓練でいいんじゃねーの?」
重ねられたフェーンの確認の言葉に、漸くマチルダは口を開く。マデリンはそのマチルダの言葉が意外らしい。不服そうだった顔を一変させ、目を大きく開いて不貞腐れたマチルダを見た。フェーンは苦笑すると、
「マチルダがそう思うならそれでもいいよ。相手をしてあげてくれるかい?」
「逆らったらまた営倉なんだろ?それとも今度は謹慎か?」
笑うフェーンを不服そうにマチルダは見ている。フェーンは変わらない顔のまま、
「その程度ですめば御の字だよ。後で様子を見に来るから、二人とも、しっかりやるように」
言い残し、フェーンはその場を立ち去る。見送って、ケッと吐き捨てるようにマチルダが言った。傍ら、マデリンは呆然としながら、
「マチルダ」
「……昨日やっただろ?プロテクターと発信機つけて、中に入れ」
「もしかして……あたしの事、認めてくれてるの?」
問われて、マチルダはぐっと息をつめた。マデリンはぼんやりした顔から突然飛び切りの笑顔になると、
「ねえそうなの?ちゃんと動かせるって、思ってくれてるの?」
「……お前なんか、互角のマシンだったら三秒で倒せるからな。三秒だぞ。サヴァとネイヴだったから粘られたけど、互角だったら……」
奇妙に引き攣ったような顔でマチルダがそっぽを向く。マデリンの顔つきは更に明るくなり、そのままマチルダに抱きついた。
「うわっ、な、何だよいきなり!!」
「だってだってー!!嬉しいんだもん」
「べ、別に褒めたりしてるわけじゃないからな!俺はお前なんかと組む気なんかないし、それにっ……」
むきになってマチルダが反論する。マデリンはそんなものにはお構いなしで、
「あたしがんばる!マチルダに最高のパートナーだ、って言われるように、がんばっちゃうんだから!」
「いいから乗れ!うっとうしい」
うんざりした顔でマチルダが言った。それにもやはり構わず、マデリンは満面の笑みで返した。
「はぁーい、乗りまーす。よろしくお願いしまーすぅ」
無言でマチルダは嘆息する。マチルダから離れたマデリンはシミュレーターに駆け寄ると振り返り、やたらに機嫌のよさげな顔でそんなマチルダに手を振った。
一方、レオン・ニーソン並びにカイル・オブライエン両少尉が呼び出された「タイプb」小隊の電算ブースでは、ガベルが一人電算機のモニタ前でそのデータを睨んでいた。
「隊長、お呼びですか」
ブースのドアを軽く叩きながらレオンが声をかける。モニタを見ていたガベルは振り返り、その目を瞬かせた。
「おう、来たか。早かったな、二人とも」
「西の訓練機ブースで副長に会ったんで。直接こいつで呼んでもらっても良かったんですが」
上着の内ポケットの中のカード型の通信機を見るようにしてレオンが言う。ガベルはにやついた笑みを浮かべると、
「そりゃそうだが「好きにやれ」って言った手前もあるし、お前らにだって都合があるだろう?ま、ここに来たってことは大した用もないってことだろうが」
「隊長は、何をしているんです?」
砕けたガベルの言葉をほぼ無視して問いかけたのはカイルだった。その目は電算機のモニタに向けられている。ああ、と声を漏らし、それからガベルは言った。
「昨日のあの二人の模擬戦のデータだ。昨夜半徹で解析して、今電算機で計算しなおしてんだ。ランクがもうすぐ出る」
「ランクって、マデリーンちゃんのですか」
驚いたように声を上げたのはレオンだった。直後その顔が渋くなる。見て、ガベルが尋ねた。
「何だレオン。どうかしたか?」
「いや……競争相手だったんだなぁって、ちょっと思って」
「油断しているとあっという間に追い越されかねませんからね」
渋いか己音の隣で淡々とカイルが言う。レオンの顔の渋さがその一言で増し、見ていたガベルが笑い飛ばした。
「何言ってやがる「ミネアの闘犬」レオン・ニーソンが。月間迎撃数トップ、何回やらかしてんだよお前は」
「そりゃこの間の乱戦の時だけですよ。買い被らないでもらえます?」
弱りきった顔でレオンが言う。隣でかすかに笑っているのはカイルだった。そのレオンの様子がおかしいらしい。
「こちらに来てからは彼も殊勝です。あまりいじめないでやってください、中尉」
「そう言えばお前ら、同期でずっとミネア詰めだったな。二人ともずっとネイヴ中隊だったか?」
言葉とは裏腹に楽しげなカイルに何気なくガベルが尋ねる。カイルはそのまま、
「小隊は別でした。しかし彼の名前が聞こえない訳がないですが」
「だよなぁ。後方のヤツだってそいつの仇名知ってるもんなぁ。「闘犬」って聞いて、最初はどんなヤツかと思ったが」
レオンは一人不貞腐れている。勿論彼の仇名も伊達ではない。隊が撤退を始めれば進んでしんがりを務め、追い払う以上の戦果を無理やり上げる、という、言ってみれば無茶の代名詞のような事を今までにさんざんこなしている。その戦闘能力は高いが、戦闘嗜好の気があり、頼まれもしないのに単機で他部隊の応援にも出て行こうとするため、仲間内の信頼は薄い。
「闘犬にしちゃ、大人しいよな」
軽い口調でガベルが言う。カイルは笑って、
「犬は群れの生き物ですからね。ボスには従いますよ」
「何だそりゃ。ボス?」
レオンはやはり何も言わないが、不機嫌そうな顔をしている。犬扱いが気に入らないのか、それとも別の理由からか。カイルの言葉にガベルは首を傾げるが、それ以上追求する気はないらしい。ふてたレオンとカイルとを見、改めて口を開いた。
「お前ら、今から俺に付き合え」
「は、付き合う、ですか」
唐突にも感じられるガベルの言葉にカイルが返す。ふてていたレオンの顔つきもそこで一変した。ガベルは笑いもせずに座っていた椅子から立ち上がると、二人を見ずに言った。
「ちょっとやってみたい事があってな。まぁ一応、新型のためのサンプリングなんだが……」
「付き合うのは構いませんが、何を……」
「何って、決まってるだろう。模擬戦闘だ」
振り返りもせずにガベルが言う。驚くカイルの隣ではレオンがさもいやそうな顔をしている。
「隊長相手に模擬戦っすか……」
「何だ、不服かレオン」
「いや、不服ってわけじゃないですが……」
先ほどの嫌な予感が当たったらしい。レオンの口調ははっきりとしない。カイルはというと、笑うのはやめて沈黙していた。余り言い気分ではないようだが、そんな二人を無視してガベルは言った。
「じゃ、行くか、ハンガーに」
二人はしばしそこに固まっていた。ガベルはちらりと二人を見たが、無言で先に歩き出した。
ハンガー最奥の空き地は数日後に配備予定のマシンのための用地で、現在そこには二機のシミュレーターが置かれている。新型機「タイプb」の訓練機に乗れるのはそのパイロット候補者と管理部の許可を得た機関構成員のみである。その中には調整のための技術者も含まれるが、大体がマシンのパイロットだ。機関構成員の中には入隊希望動機がそのマシンによるところが大きい人間もいるため、興味本位で新型に搭乗したい人間も多数いる。最もパイロットは原則として自身が駆動する以外の機体に搭乗する事は許可されておらず、原則を破った場合には軽い懲罰もある。とは言いながら直接マシンに関与する人間の間ではそれが徹底されてはおらず、原則はあくまで原則でしかなかったのだが。
「スライサー、今ヒマか」
ガトル・スライサーはその時ハンガー内にいた。彼の現在の任務は待機で、特別に行動制限もされていないためかそのハンガーやシミュレーションブースなどで、彼の率いる部隊の隊員やそれ以外の後輩に当たるパイロットの指導に当たっていた。外見はいかめしいのだが、その外見に似合わず世話好きの上に比較的常識人の彼は、部下や後輩からも慕われ、本人もその指導をいとわない性分であった。
「ヒマって言やヒマだが……もう厄介ごとはごめんだぞ」
眉をしかめてスライサーが返した相手はガベルだ。ニヤニヤと楽しそうに笑みの下には大抵ろくでもない悪巧みが潜んでいる。それを知っているスライサーの答えにガベルは変わらない顔のまま、
「そんなんじゃねぇよ。お前さんの腕を見込んでのお願いさ」
「お前におだてられても嬉しかないぞ、俺は」
「ふてるなよ、「ミッシュ・マッシュの兄貴」とも呼ばれる男が」
「俺はお前の兄貴じゃない。大体何だ、その怪しい仇名は。誰がつけた?」
「まぁ兄貴、硬いこと言うなよ」
ガベルはそう言ってスライサーの矛先をそらそうとする。が、からかわれているだけでしかないスライサーは溜め息をつき、嘆くように言った。
「大体なんで俺がお前らと同類に数えられなきゃならないんだ。こっちは真面目に働いてるって言うのに……」
「だから真面目なお前に頼みたい事があるって言ってるんだぜ?スライサー」
「悪いが他を当たってくれ。お前と本当に同類の馬鹿とかに」
「人の話はちゃんと聞け、スライサー。新型のシミュレーションをやるから外から見ててくれないか」
やや強くガベルが言う。少し怒っているらしい。が、スライサーはそんなことは無視するように、
「何だ、そういうことか。それならそうとさっさと言えよ、ガベル中尉」
「お前が聞かなかったんだろうが」
額をかすかに痙攣させてガベルが言う。してやったりとさえ思っていない平然とした顔で、スライサーはちらりとガベルの側らを見やった。少々気負った様子の、自分達と比べればスレンダーなのだろうが、標準的な体躯の成年男子が二人、無言で自分とガベルとを見ている。その様子にスライサーが言った。
「そこの二人は?」
「うちの期待のスーパーエリートさ。今から戦闘データを取るんだ」
「ほー、「期待の」」
感心したような目でスライサーが二人を見る。ガベルの側らの二人、レオンとカイルは微妙な表情で目の前の「トリオG」の二人を見、こそこそと小さく声を交わす。
「スライサー大尉殿だぜ、おい」
「言われなくても解ってるよ。会うのは初めてだが……」
「まさかあの人相手に模擬戦しろって言うんじゃねぇよなぁ……確実にやられるぞ、俺達じゃ」
「確かに……」
「何ぶつぶつ言ってやがる。二人とも、さっさと乗れ」
男二人の男らしくないやり取りを見、ガベルがわずかに声を荒くして言う。二人は無言のままそれぞれに軽く会釈すると、あわてた様子でシミュレーターに駆け込む。見送りながらスライサーが再び口を開いた。
「ありゃニーソン少尉だろ、「ミネアの闘犬」の。もう一人は?」
「カイル・オブライエンって言って、その闘犬の相棒さ。そのうち「ミッシュ・マッシュの双頭犬」とか呼ばれるようになるんじゃねぇのか?」
「で、飼い主がお前って?」
ジョークにも聞こえないふざけた答えにスライサーは言い返す。ガベルは笑って、
「外からデータとっといてくれ。もしやりたかったら後で交代してやるよ」
「考えとくよ。ケルヴィナーにばれると後が面倒だからな……って、お前、サポートは?」
新型は二人乗りだがガベルの他にそこには誰の姿も見えない。スライサーの問いかけにガベルは笑いながら、
「こいつは模擬戦でテストだ。俺一人でどれだけやれるか、ってな」
そう言い残してシミュレーターに向かう。スライサーはまた、ほー、と声を漏らし、
「物好きと言うか……マシンバカだよな、お前も」
歩み去る背中に向かってそう言った。
そのモニタ上には二機のマシンが映し出されていた。同型のマシンはそれぞれに武器を手にして対峙している。そんなことが現実に起こりえるはずはないのだが、二機とも、ミッシュ・マッシュの現在の主力マシンメイス、ネイヴだった。汎用の大量生産機ではあるが機体の安定性が高く、五度の改修を経た現在もミッシュ・マッシュにおいて主力として配備されている。機関の所有するマシンは現在七種になるが、ネイヴとサヴァはその中でも最も古い機種であると言えた。新型の配備に伴って抹消される事もなく、またそれに代わる機体の開発もされていないわけでもないのだが、人によっては「名機」とも称されている。とは言え両機とも配備当初は最前線での過酷な戦闘を想定されていたため、その当時からすれば相当の用途変更を余儀なくされている事は否めないのだが。
『よぉっしゃああ!八勝目!』
モニタ上の一方のネイヴが轟音とともに転倒する。ほぼ同時にスピーカーから歓喜の声が聞こえて、マデリンは喚いた。
「やーん、ひどーい!何よ今の。マチルダ、ずるーい!」
西ブースと呼ばれる訓練機室の白い箱の中、髪を乱してマデリンが叫ぶ。インカムマイクから拾われた音声は相手の訓練機にも届いているらしい。すぐにもスピーカーから声が返された。
『何言ってやがる。負けたらそれで終わりだぞ。勝つために手段なんか選んでられるか』
「でもこれじゃ訓練にならないじゃない!」
『誰だよ、訓練校じゃ負けなしだ、って言ってたのは。ほらセッティング直せよ。次行くぞ』
戦闘の相手は容赦がない。初心者の自分にも全くの手心なしで攻撃してくる。マデリンはコックピットの中で呼吸も整えられないまま、電算機の設定を直し始めた。対戦相手は当然マチルダだ。朝その場所に連れられてきて、その白い箱に入ってから出ることもなく、一体どれだけの時間がすぎたのだろうか。はーはーと呼吸しながらマデリンは思うが、マチルダに反論しようとはしなかった。
昨日の模擬戦もそうだが、自分が戦っている相手はとんでもないパイロットだった。一度のシミュレーションが数分で片付けられ、尚且つ、コンピューターのリセットなしでそれを続行している。相手の機体は殆どダメージを食らっておらず、マシンの疲弊度もこちらと比べると格段に低い。同じレベルの機体でしかも、時と場合によればその出力は上を行くと言うのに、だ。
「マチルダ……一つ聞いていい?」
『あ、何だ?』
「それって……本当にネイヴ?偽装してメルドラとかにしてない?」
『じゃあお前、メルドラに変えろよ?俺はそれでも構わねぇぞ』
スピーカーから返る声が笑っている。バカにされているようだ。同時にマデリンが懸念しているような疑惑もないらしい。だったらこの出力の違い、って言うか動きの違いは何?思っているマデリンにマチルダは言った。
『予備エンジン回して予備の電源いつでも呼べるようにしとけ。そしたらその分チャージが早くなるだろ』
言われたマデリンは目を丸くさせる。そしておもむろにパネルを叩き、内壁の一部にマチルダ機内部が映るモニタを呼び出した。画像付通信の体を取ったその画面に向かってマデリンが声を上げる。
「マチルダ、そんなことしてるの?そんなことしたらエンジンに高負荷がかかって……」
『だって負荷がかかる相手じゃねーじゃん、お前』
言われてマデリンは閉口する。エンジンに高負荷がかかればそれだけエンジンの性能が早く落ちることになる。下手をすれば高温になって融解し、爆発する恐れもある。予備のエンジンはメインエンジンが破損した場合の、帰還もしくは退避用のものだ。戦闘で使うことは想定されていない。そのはずだが、
『ネイヴは使い勝手はいいけど軽いんだよ。馬力が少ない機体でさっさと戦闘終らせたい時にはこういうのが手っ取り早いんだ。覚えとけ』
「さっさとって……何よ、それ」
マデリンが膨れる。通信回線に画像データがついている、ということはお互いに顔を合わせて会話しているのと同じなので、当然相手にその表情も見える。クス、という具合にマチルダが笑うのが見えて、マデリンは激昂した。
「何よ何よ何よ!ばかにして!」
『何だよ、俺は本当のこと言ってるだけだぞ?それとも手ェ抜いた俺に勝たせてもらいたいのかよ?』
言い返され、マデリンは小さく呻く。それは論外である。模擬戦闘であっても、訓練であっても、わざと負けられたくはない。思うと同時にマデリンは何やら思いついたらしい。あれ、と言う顔になると、こんなことをマチルダに尋ねる。
「マチルダ、手加減なしなの?」
『されたくないんだろ?してやっても勝てると思うけど』
奇妙なやり取りの後、マデリンの顔に笑みが上る。何だこいつ、と言わんばかりに、モニタのマチルダが眉をしかめた。
『……何だよ、急に笑いやがって……』
「えー、何だか解んないけど、何か嬉しいなーって、思って」
えへへへへ、とマデリンが笑う。マチルダはケッ、と吐き捨てて、唐突に自分の側らのスイッチをたたいた。ブーン、と言う音とともに相手側を移すモニタが暗くなる。
「え、何?マチルダ?」
何事かと思うマデリンをよそにマチルダは言った。
『腹が減ったし疲れた。休憩だ』
「えー!まだ一勝もしてないのよ?もうちょっと待ってよぉ」
マチルダの、疲れたと言うより不機嫌そうな物言いにマデリンが即座に反論する。が、相手は一人勝手にシミュレーターの電源を切り、その箱の中から外へと出る。マデリンもあわてて起動扉を開け、
「マチルダ、待って!」
「シミュレートしてたきゃ一人でしてろ。中に対戦用ソフト入ってるから一人ででもできるだろ」
「えー、一人でやっててもつまんないー」
駄々をこねるように言ってマデリンが箱の中から飛び出す。マチルダは背を向けて、
「遊んでんじゃねぇんだ、つまるもつまんねぇもねぇ」
「しょうがないなぁ……じゃあ何か食べてちょっと休憩しましょ。何食べる?」
マデリンの切り替えは早い。ぶすっとした顔でマチルダは先へ進み、それを小走りに追いかけ、追いつくとその腕に抱きついた。
「鬱陶しいからこういうのやめろよ、お前は!」
「何でよ、腕くらい組んだっていいじゃない。じゃ、手、繋ぐ?」
「俺はそーゆーのはしないの!つーかお前、ちょっとなれなれしいぞ?」
「え、そう?そうかなぁ……」
会って二日目のマデリンの態度にマチルダは辟易している。感覚が違うらしい。マデリンはそれを嫌う方がどうかしている、とでも言いたげな顔をするが、すぐにも、
「でも嫌いな人にはしないもん。それならいいんでしょ?」
そう言ってマチルダに笑いかける。マチルダは眉をしかめ、
「勝手にしろ」
ぶっきらぼうに言いはしたが、その腕を無理に解こうとはしなかった。
目の前のさして大きくないモニタには二機のマシンが映し出されている。一方は先ほどCG合成された荒野に大仰に倒され、一方はと言うと、
『オイレオン、何遊んでる。一ペンぐらいまともに打ち込んでみろ!こっちは二人乗りを一人で動かしてんだぞ!』
『た、隊長、そんな殺生な……』
倒れたマシンに向かって怒鳴りつけている声が、モニタの側のスピーカーからわずかに聞こえる。そのモニタを見ていた男、ガトル・スライサーは関心しきりの顔つきで思わずほぉ、と声を漏らした。
「二人乗りの機体のフルオートか……思ったより動かせるもんだな」
「冗談じゃないっスよ、スライサー大尉殿!こっちは二人で動かすのにまだろくに馴れてもないんですよ!」
ブシュー、というエアの音の直後、忌々しげな肉声が聞こえる。スライサーが見遣ると、キレたと言わんばかりのレオンと、疲労困憊のカイルの顔がそこにあった。シートにベルトでくくりつけられたままの二人は、自分達のいるのとちょうど向かい合う位置に設置された白い箱に顔を向け、それぞれの表情を見せている。
「あーもー、冗談じゃねぇ。こんなのやってられっか。模擬戦で、しかも味方にたたき殺されたなんて、本気でシャレになんねぇ」
喚いているのはレオンで、その相方のカイルはただ疲れた顔のまま、何も言おうとしない。その様子を見ながら、ほーお、とのんきにまたスライサーは声を漏らす。聞こえたのか、レオンはそれを睨みつけた。
「何スか、大尉殿。何か言いたいことでも?」
上官に対するにしては乱暴な口調でレオンが尋ねる。スライサーは感心した顔のまま、
「いや、噂には聞いてたが、なかなかやるな、お前ら」
「なかなか?これのどこがですか!大尉殿は今の戦闘、見てなかったんですか?」
「見てたさ。反応は早いし攻撃点もまあ外してないし、当たれば相手は確実に倒れてただろう」
「あっさり避けられましたが」
スライサーの言葉に返したのはカイルだった。肩で息をしながらも、パートナーより格段冷静な顔つきでカイルは続ける。
「こちらは隊長の動きを追うだけでも精一杯です。パワーバランスは確かに取れていたでしょうが、あれだけ振り回されたら残った戦闘力を出す前に負けてしまいます」
「けど今までの機体より持久力は上がってるだろう?と言うか、持久戦に持ち込めば、確実にお前らは勝ってたぞ」
「中尉相手に持久戦が展開できるのは、「トリオG」の人間くらいですよ」
冷静、ではあるもののカイルの声音はどこかうんざりしていた。さんざん相手に振り回されて、挙句の果てには一撃でノックアウトさせられたのだ。幾らシミュレーター、しかも開発途中の為に他よりも振動も衝撃も再現できないレベルの箱での戦闘でも、その結果は二人にとってはショック以外の何物でもなかった。早さも判断力も、何もかもが自分達を上回っている。経験も長く「スーパーエース」の異名を取っている相手なのだから、仕方ないにしても、だ。
「あーもー、俺は降りるぞ」
言いながらレオンが箱から出ようとする。相手機の箱の上蓋が引き上がり、シートが姿を現したのはそれとちょうど同時だった。外気に触れる場所に姿を現したガベルは、逃げ出そうとするレオンを見て声を放つ。
「オイレオン、誰が降りていいと言った?」
何もしなくともそれなりに凄みのある顔つきでガベルが言う。が、レオンは全く鎌をない様子だった。慣れているのかそれとも、そういう心臓の持ち主なのか。
「隊長、勘弁して下さいよ。俺、まだ死にたくないですよ」
「何を言ってる、死にゃしないだろう。こいつは模擬戦なんだから」
「あんた、俺達をいびり殺す気ですか!」
「何だそりゃあ、人聞きの悪い」
噛み付くようなレオンの言葉にガベルは眉をしかめた。スライサーはそれを見て苦笑する。カイルは呼吸を整えながら、怒っていると言うより怯えているに近いレオンを代弁するように言った。
「隊長、我々ではまだ隊長と対等に戦闘ができるだけの経験がありません。訓練にも、サンプリングにも向かないと思いますが」
「何言ってる。同レベルのヤツラとちんたら戦闘してて、技術がさくさく上がるわけないだろ。特にお前らみたいなヤツらには、上には上がいるって骨の髄まで叩き込まなきゃならんのだ。上司の気苦労をちったぁ思え」
「その点では確かに否はありません。ですか、隊長機の単独時戦闘サンプルを取る相手に我々では、荷が勝ちすぎています」
疲れているにも拘らず、カイルは普段どおりの冷静さと滑舌だった。ガベルは苦笑し、
「そんだけ考えて喋れるんだ、余裕だろう、今のくらいは」
「……いや、勘弁してください」
苦笑しながらカイルが言った。チ、と舌打ちしたのはガベルで、
「何だよ、つまんねぇヤツらだな。ミネアでの評判はどこに行ったよ、ああ?」
「あんなものは揶揄の常套手段みたいなものです。実際、味方同士で戦闘することはないですから」
「まぁ……言われてみればその通りだが」
カイルの弁にさしものガベルも納得せざるを得ないらしい。苦い表情を解いて、ガベルは苦笑しているスライサーに顔を向けた。
「スライサー、どうだった?」
問われて、スライサーは我に返る。も、苦笑はまだ収まらない。困ったような笑みのまま、
「上々だろう。それなりの時間もあるし、ある程度動きもあった。パターンがあるに越した事はないが、勉強会の資料くらいにはなる」
ふぅん、と自分にしか聞こえない程度の声で言い、ガベルはその場でしばし考え込む。そして、
「じゃ、もう二、三パターン作るか。おいお前ら、さっさとセッティングし直せ」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ!隊長、俺が今何言ったか……」
淡々とした、冷酷にも聞こえるガベルの言葉にレオンが間髪いれず反論する。が、それもあっさり途中で退けられた。
「隊長命令だ、聞けないか、ああ?」
レオンが、シートのベルトを解いた直後の格好で放心している。カイルは返事もしないまま、一つだけ息をつくと手元のコンピューターを操作し始めた。見て、ガベルはにやりと笑う。
「今度こそ一発くらい入れてみろよ?『ミネアの闘犬』」
「『ミッシュ・マッシュの人食い熊』に言われたかないですよ……」
言いながらがくりとレオンが肩を落とす。その言葉にガベルは眉を顰め、
「何だそりゃあ。人食い熊?」
「ぶっ……わははは!……人食い熊か!そいつは豪儀だ、ぴったりじゃないか。なあ?アル」
やたらと楽しげな笑い声を立てたのはスライサーで、そのまま腹を抱えて爆笑し始める。人食い熊扱いされた男は更にひどく眉をしかめて、
「人を熊扱いすんな!お前だってグリズリーみたいなもんだろうが、ああ?」
スライサーは聞こえているのかいないのか、ガベルの言葉に反論しない。相変わらず大声で笑っているばかりである。
「くそっ、人を猛獣扱いしやがって……」
ぶつぶつ言いつつガベルはシミュレーターの上蓋を閉じる。再び始まるであろう模擬戦を待ちながら、未だスライサーは笑っていた。
「人食い熊ねぇ……ぐふっ……」
相当おかしかったらしく、次の戦闘が始まる直前まで、そうやってスライサーは笑っていたのだった。
本部棟内にはいくつものシミュレーターブースがあるように、基礎体力訓練を行なうためのジム施設やそれらに附随したシャワールームなどが設置されていた。同時に、食堂も、である。
「わー、軍隊の食堂なんて初めてー……って、病院とそんなに変わらないなぁ……」
シミュレーターブースから食堂に連れてこられたマデリンはその光景にやや落胆の声を漏らす。余り広くはないその食堂には人気も少なく、どことなく閑散としていた。込み合う中で慌しく食事をするのに比べればまだいいのかもしれないが、その寂しさに何気にマデリンは心細さを覚える。マチルダは構わず、セルフサービスのトレイを手にして歩き出す。
「あん、待ってよマチルダってば」
「ミルク飲んでるようなガキじゃねぇんだ、飯の世話くらい自分でしろよ」
不安になっているところに置いてけぼりを食らいそうになって、マデリンがあわててマチルダを追う。マデリンの言葉に振り返ろうともせず、マチルダはさっさとカウンターへと進み、陳列されているメニューの載った小皿を拾い始める。マチルダを追っていたマデリンは、最初こそ不安げではあったが、
「あっ、このクリームパスタおいしそう……あーでも、こっちのチーズカツも……マチルダ、ここ、何が美味しいの?何だか急にお腹すいてきちゃった」
その不安も空腹と疲労には勝てないらしい。気がつけば目を輝かせんばかりになってランチを選び始めている。適当に食べるものを見繕って、マチルダは目に付いたテーブルにそれを運ぶ。マデリンは悩みながらもランチをそろえると小走りにマチルダを追い、追いつくなり言った。
「ダメよマチルダ、野菜も食べなきゃ」
「は?」
突然叱られ、マチルダは眉をしかめる。マデリンは何を怒っているのか眉を吊り上げると、
「お皿は栄養のバランスをちゃんと考えて取らなきゃ。好きなものばっかり食べてると偏って……」
「なんでお前にそんなこと言われなきゃなんねぇんだよ」
何だコイツ、と言わんばかりにマチルダはマデリンをにらむ。マデリンは困ったわね、と言いたげな溜め息をつくと、
「いいわ、あたしがサラダ選んできてあげる。待ってて」
「いらない。どーせ食えないし」
「ダメ!食べられない、じゃなくて、食べるの!沢山食べないと背だって伸びないでしょ」
「……は?」
マチルダにはマデリンの言わんとしている所が解らないらしい。首を傾げるマチルダをおいて、マデリンは再びカウンターへと取って返した。変なヤツ、って言うか、なんでこんなに構うんだろ。マチルダはそんなことを思いながらテーブルにつき、一人食事をし始める。特別美味だと思ったこともないが大して不味いわけでもない食事は、マデリンが言うように偏っていた。
ここは軍事施設であり、機関構成員の最低限の衣食住は配給制である。食事は、基地内の施設であれば無償で食べられたし、住処は勝手に割り振られている。着る物は申請すれば無償だが、配給されたものを個人的な理由で返品することが原則として許可されていないため、余り利用した事はない。システムは生きていくには事欠かないだけのものを与えてはくれるが、自分の嗜好を満たすほどのレベルではない。とは言え食事は健康管理に関わる。その為に上司や医局から注意は促された。書面か、対面で。側について何を食べろ、だのという人間は少ない。もっとも、一緒に食事をする人間もあまりいない上に、大抵彼らは好き嫌いが激しかった。食べたくないものを無理して食べる必要はない、と豪語してやまないいい大人がぞろぞろいる様な所だ。無理もないことだった。
「ほら、サラダ。残さずちゃんと食べなさいよ」
ゴトン、という音を立てて目の前にサラダボウルが置かれる。顔を上げるのと同時にマデリンがマチルダの正面の席に着いた。フォークを咥えたまま、
「いらね」
「だめ、食べるの。栄養が偏ってたら、動かなきゃいけない時に動けないでしょ?そういうの、ショクムタイマン、て言うのよ?」
何故かふくれっつらでマデリンが言う。何が職務だ、昨日入ってきたばっかりの癖に。思いはしたがマチルダは何も言わなかった。サラダボウルも、マデリンも無視して食事を続ける。マデリンはその露骨な態度にわざとらしいほどの溜め息をついてから、自分のランチを取り始める。閑散とした食堂内は奇妙に静かで、自分の咀嚼音さえ誰かに聞かれそうなほどだった。マチルダは何も言わずにもくもくと食事を続け、その沈黙に、マデリンは堪えかねて言った。
「ねぇ……マチルダ」
「何だよ」
「何だよ、って……」
マチルダの反応は冷たい。突っぱねられている様だ。やっぱり、仲良くしてくれないのかなぁ、シミュレーターのところで、ちょっと話したりしたけど、もっと他のおしゃべりとか、しない気なのかしら。思いながらマデリンは眉をしかめる。そして、それでもと思いなおして、とりとめもないような話題をその場に上らせた。
「ご飯はまあまあ美味しいけど、殺風景な食堂よね。おしゃれなレストラン、とまでは言わないけど、デザートがもう少しあったら……」
「遊び場じゃねぇんだ、そんなのあるわけないだろ」
「そっ……そうだ、けど……」
ぴしゃりと言われて、マデリンは並行する。会話は途切れ、辺りはしぃんと静まり返る。何か、やなカンジ。って言うか、昨夜ずっと一緒にいたし、少しは話したりできるようになったかなーって思ったのに、やっぱりって言うか、つっけんどんって言うか、冷たいなぁ。あたしマチルダと仲良くなれるのかなぁ。何か、心配になってきちゃう。そんな事を思ってマデリンはその場でしおしおとうなだれる。マチルダはその様子をちらりと見、ぶっきらぼうな口調で言った。
「疲れたのか?」
「……え?」
「しんどいなら帰れよ。隊長に言っといてやるから」
何でもないようなマチルダの言葉に、マデリンは目を瞬かせる。マチルダは相変わらずむくれたような顔つきだったが、マデリンの驚いた様子に怪訝そうに眉を寄せた。
「……何だよ?」
「マチルダ……あたしのこと、心配してくれてるの?」
「……別に。訓練校出ただけのガキにこっちでの訓練がすぐ出来ると思ってないだけだ」
わずかにマチルダの言葉が遅れた。顔つきは更に不機嫌になる。が、マデリンはそれを見るとその頬を緩めた。そして、
「大丈夫よ、疲れてないもん。お腹も膨れたし。マチルダって、優しいのね」
「だっ……誰が!俺は、疲れてごねるガキの面倒なんか見たくないし、お前が帰ったら自由になれるし、それに俺はお前の相手なんかしてやる気は、これっぽっちもないんだからな!」
「……何よ、そんなに力いっぱい否定しなくてもいいじゃない」
即座に返されたマチルダの言葉に、緩んだマデリンの頬はすぐにも膨れた。マチルダはむすっとした顔をマデリンからわざとらしく背けると、
「俺は本当の事を言っただけだ。何も否定なんかしてない」
「そんな言い方しなくてもいいじゃない。マチルダの意地悪」
すねる子供の声でマデリンが抗議する。無視して、マチルダは空になった小皿の載ったトレイを手に席を立とうとした。
「ダメよマチルダ、サラダ、食べなさいよ!」
「うるせぇな、いらねーっつってんだろ!」
「ダメだってば!ちっちゃい子供じゃないんだから、好き嫌いなんてしないの!」
マデリンは先ほどのささやかな落胆も忘れ、サラダを食べずに席を立つマチルダに怒鳴りつける。マチルダがそんなマデリンに反論しかけたその時、くすくすという笑い声が聞こえ、二人は揃って振り返った。
「すっかり仲良しね、二人とも」
「ライト少尉……じゃない、コニーさん」
昨日会ったばかりの年上の女性の姿を見つけたマデリンの表情がほころぶ。が、それも束の間だった。
「コニーさんからも言ってよ。マチルダったら野菜全然食べないのよ?折角あたしがサラダ選んであげたって言うのに」
ふくれっ面でマデリンがコニーに向かう。チ、と、その側らでマチルダは舌打ちし、しかしそこから歩き出そうとはしなかった。コニーは二人にゆっくり歩み寄り、やわらかな笑顔でマチルダを見ると、
「あら、そうなの。マデリンは、好き嫌いは?」
「あたし?あたしはー……なくはないけど、でももう社会人よ?そういう甘えって良くないと思うの」
にこにこと、コニーはマチルダを見て笑っている。マデリンは何やら歳相応の生意気な科白を口にして今一度マチルダを見た。
「すっかり打ち解けたみたいね、マチルダ」
笑いながらコニーが言う。ケッ、と小さく吐き捨てて、マチルダはそれに答えなかった。明らかに不機嫌、である。
「何やってんだよ、コニー。バカ従弟の監視してなくていいのかよ?」
逆に、マチルダはコニーにそう尋ねる。コニーはくすくすと笑うと、
「ジェイクなら、今日は副長と一緒にジムにつめてるわ。私達は隊長からデスクワークを仰せつかって、キリがついたから一息入れにきたところよ」
そう言ってその視線を何気に泳がせた。コニーの言葉に首をかしげたのはマデリンだった。
「私達?隊長から?デスクワーク?」
「私達の隊長は他の隊長より、そういうところは人任せ、というか……」
「おっさん実戦方面はガツガツやるけど、事務処理とか全然やらねーからな。てめぇの制服の申請まで人にやらせてるしよ」
コニーの説明を補うように、陰口めいた言葉をマチルダが口にする。ふぅん、と解っているようないないような口調で言って、マデリンは再び質問した。
「コニーさんの他にもそういうの、押し付けられた人がいるの?」
「ええ……まぁ、押し付けられた、というわけではないんだけど……これも職務だし」
ストレートすぎるマデリンの言葉に、コニーは上司をフォローするような科白を補って答えた。マデリンは目をしばたたかせ、小首をかしげている。声は、そこに投げられた。
「コニー、今そこで総務のザカー伍長に……」
高すぎない声にコニーが、そしてマデリンが振り返る。トレイを手に席を立ったまま、マチルダは今一度舌打ちした。顔は上げないままだ。マデリンの視線の先にいたのはコニーと同じく昨日一度会ったきりの年上の女性だった。キャラメル色の髪を短く切った、ややつりあがったライトグリーンの目の、大人の女性というにはまだ幼い面差しの彼女は、マデリンと目が合うなりその眉をしかめた。
「ナナニエル、ザカー伍長がどうかしたの?」
同僚、ナナニエル・クーパーの姿を見つけたコニーが投げかけられた言葉に問い返すように言う。無言でナナニエルは三人に歩み寄り、辿り着くとちらりとマチルダを一瞥した。何やら、剣呑な雰囲気だ。何、この人。マチルダ、って言うか、あたし達見たら、急に顔つきが変わってない?どことなくとげとげしい気配を撒き散らすナナニエルを見、マデリンはそんなことを思った。ナナニエルは辿り着いて深くため息をつくと、
「……後で話すわ。明日中の書類のことを少し話しただけだから」
そう言うとマデリンを睨むように見る。不躾にじろじろと見られる格好になったマデリンは、その様子にやや怯えつつ、わずかにコニーに隠れるようにした。言葉はない。コニーは、そう、と軽く答えると、
「私達もこれからランチなのよ。マデリンは何を食べたの?」
「え?あたし?あたしはー……」
コニーはその場の雰囲気を察知しているのか否か、ごく自然な態度でマデリンに問いかけた。問われたマデリンはそれにあせりながらも、意識をその、ごくありふれた会話に向ける。マチルダが歩き出したのはその時だった。かすかな靴音がして、マデリンがちらりとそちらを見る。
「すっかり仲良くなったようね。営倉で一晩一緒にいれば、当たり前かしら」
すれ違いざま、ナナニエルがマチルダに声を投げる。マチルダはそれを見ようともせず、その場から歩き去ろうとする。ナナニエルの顔には奇妙な笑みが上っていた。それは年下の同僚と楽しく会話をする時のものではなく、どちらかと言うと敵意をむき出しにした、そんな笑みだ。そのまま、ナナニエルは言った。
「あんたに、せいぜい上手くやりなさいよ、なんて言ってもムダでしょうけど、私達の足を引っ張るような真似だけはしないで欲しいわね。ここは「子供だ」なんて言い分が通じるようなところじゃないんだし」
マチルダの足が止まる。そのまま無言でマチルダはナナニエルを見る。が、それも数秒のことだった。すぐにもまた視線をそらし、その場から歩き去ろうとする。そんなマチルダに、ナナニエルは更に言った。
「何?凡人とは口も利けないって言うの?失礼しちゃうわね」
「コニー……やめなさい」
テーブルについていたコニーの表情が渋くなったのはその時だった。低く押し殺したコニーの制する声の後、ナナニエルは少しだけ笑い声を立てた。何事なのか解らず、しかし、何かが確実に起こっているその場面を目の前に、マデリンは混乱し始めていた。マチルダは何も言わず、振り返ろうともしない。あははは、と声を立てて笑って、それからナナニエルは再び言葉を紡いだ。
「レイシャ少尉、貴方も、足を引っ張られるだけならまだしも、巻き添えを食わされないように気をつけなさい。この子、戦場でも手の付けようのないくらいに、わがままで勝手みたいだから」
「なっ……」
この人、何言ってるの?って言うか、マチルダ、いじめられてる?思ったマデリンは思わず声を漏らす。が、言葉は出てこない。マチルダはナナニエルをもう一度見、そうしてから再び歩き出す。マデリンはあわてて立ち上がり、立ち去るマチルダの背中に声を投げた。
「マチルダ!」
「本当、子供って困るわよね。うぬぼれもいい加減にしてもらわないと。おまけに、まだ大きな顔してのうのうと……」
「ナナニエル、それ以上はやめなさい。上官に報告するわよ」
低く押さえつけた、しかし強い声でコニーがナナニエルを制止しようとする。ナナニエルはわずかに眉をしかめたが、それ以上言葉はない。立ち上がったマデリンは自分の用意したトレイを手にすると、そのままあわててマチルダを追い始めた。
「マチルダ、待ってよ!マチルダ!」
「マチルダ、待ってよ!待ってってば、マチルダ!」
トレイを片付け、食堂を出る。どこもかしこも似通った造りの白い廊下を、マチルダはずんずん進んでいく。子供とは思えない足取りの確かさと速さに、マデリンは追いかけるのが精一杯だった。食堂を出る前からずつと、マデリンは目の前の背中を追いかけて、そして呼びかけている。が、反応は全くない。あまり大きくない、ライトグレーの詰襟の背中はただ前へと進み、こちらを振り返ろうとはしなかった。一体全体何が起きたのか、あれは何だったのか。その背中を追いかけながら、マデリンはそのことを考えていた。奇妙に張り詰めた空気と、意地の悪い年上の誰かと、何も言い返そうとしないマチルダとの対峙は、見ていてとてもいやな感じだった。恐いとさえ感じられたその場を後にしても、マチルダの、奇妙に冷たい、かたくなな態度は変わらない。何よこれ、何なのよ。何か変、って言うか、さっきとマチルダ、全然違う人みたい。思ってマデリンはその背中を追うのをやめた。足を止めると、マチルダの背中は遠のく。特務機関構成員、巨大人型兵器を操る「戦争代行人」とは思えないその小ささに、マデリンはどきりとした。胸を、不安と、現実の締め付け感とが襲う。何よこれ、何だか恐い、って言うか……どうしてあたし、泣きそうになってるの?心の中だけで自問して、けれど答えは見つけられない。背中は去っていく。追いかけなくては。思ってマデリンは今一度マチルダの名を呼び、その背中を追って駆け寄ろうとした。
「マチルダっ……きゃあっ」
勢い込んだためなのか、まだなれないブーツのかかとのせいか。マデリンは特に何もないように見える床に躓いて、転んだ。べしゃ、と聞こえなくもないその物音にマチルダが振り返る。そして、その眉は途端にひそめられた。
「……何やってんだよ、お前」
「な、何って……」
「何もない床で転んでんじゃねーよ」
数歩先を歩いていたマチルダがマデリンの元に戻ってくる。床に座り込んだまま、マデリンはそんなマチルダに向かって思わず怒鳴っていた。
「そっ、そういう言い方しなくてもいいでしょう?大体マチルダが、一人で先に行っちゃうから……」
「コケたのは自分のせいだろ。人に当たるな」
マデリンの側に戻ったマチルダは、手を差し伸べるでもなく上から言葉を投げつける。マデリンは反論しかけて、はたと我に返った。そのまま、辺りを見回す。
「……ここ、どこ?」
「は?」
「だってマチルダが、勝手に行っちゃうから、あたし焦って……やだ、迷子になっちゃった……」
じわじわと、マデリンの大きな目に涙がにじむ。不安げで怯えたその様子にマチルダは呆れのため息をつき、それからやっと彼女に手を差し伸べた。
「……マチルダ?」
「俺は迷ってない。それに、いざとなったら誰か迎えに呼べるから、心配すんな」
マチルダの言葉にマデリンは目を瞬かせる。何を言われているのかいまいち解らなかったが、どうやら何も心配はないようだ。ほっとして、マデリンはようやくマチルダの手に気がついた。差し伸べられたまま宙ぶらりんの小さな手を見て、マデリンはまた放心する。
「……何ぼーっとしてんだ、さっさと立て」
「あ……うん」
やっぱりマチルダって、優しい。何気に思って手をとり、それからマデリンは満面の笑顔で、
「マチルダ、ありが……」
しかし言いかけると、差し伸べられていた手はぺし、という風に振り切られた。振り切られたのは当然マデリンの手で、立ち上がりかけたマデリンは再びそこに転びそうになる。
「やんっ……何よマチルダ、何すんのよ!」
「な、何じゃねぇ!お前いちいち何か言うなよ!鬱陶しいだろ!」
「何かって……ありがとうって言っただけでしょ?」
マデリンの手を振り捨て、マチルダはずかずかと歩き出す。数歩また取り残されたマデリンは、マチルダの態度に腹を立てながらも、再びその後を追いかけ始める。
「何よ、何なのよ!どうして怒るのよ?」
「うるせぇ!お前がちんたらしてんのが悪い!」
「ちっ……ちんたらなんてしてないもん!何よ何よ何よ!マチルダの意地悪!」
マチルダは振り返らない。マデリンは頬を膨らませ、心の中で何よ何世を少しの間繰り返していた。が、不意に思いついて、
「マチルダ……恥ずかしいの?」
問いかけに、マチルダは足を止めた。そして振り返り、真っ赤な顔で、
「な、何がだ!俺は別に、恥ずかしいとかっ……」
しかし言葉は続かない。マデリンは思いつきが的を射ていた事に、奇妙に嬉しくなり、
「やだ、マチルダってば……かわいい」
「かっかっ……かわっ……お前!人をおちょくるのもっ……」
「やーだーもー、マチルダ、かわいい」
えへへへへへ、とマデリンが笑い出す。マチルダは真っ赤になって、どうやら混乱しているらしい。テケテケとマデリンはマチルダに走りより、何を思ったかその腕に抱きついた。パニクリのマチルダは激昂して、
「おっ、おまっ……何すんだよ!」
「いーじゃない、このくらい。減るもんじゃなし」
「バカ、やめろ!離せよ!」
ぶんぶんとマチルダがその腕を振り回す。マデリンはそれにしがみ付くようにしていたが、すぐにも振りほどかれ、またその辺でこけた。どべっ
「あーん、いったぁーい。何すんのよ、マチルダのバカ力」
「そんなのてめーがわりーんだろ!ふざけんな!」
座り込んでマデリンが甘ったれた声を出す。マチルダは怒鳴りつけて、その後しばしその姿を見ていた。マデリンはまた、えへへへ、と笑い、
「……何だよ、その笑い方」
「えへへへへー」
マチルダの問いに答えず、今度は自分で立ち上がる。マチルダはそれを見るとくるりときびすを返し、先ほど同様にしっかりとした速い足取りで歩き出した。同じく、マデリンはそれを追いかける。
「待ってよマチルダ。ねぇ、どこいくの?」
「シミュレーターブースに戻るんだよ。腹が立つからお前、今度は十秒でぶっ倒してやる」
「やーん、マチルダの意地悪ぅ。それじゃ訓練になんないでしょ?」
「うるせぇ!俺は気が立ってんだ、甘ったれた声で話しかけるな、バカ」
マチルダはずかずかと歩き出す。マデリンは、どうしてそんなにマチルダが怒っているのか解らないまま、あわててそれを追い始めた。
「あーん、マチルダ、待ってよぉ~」
レオン・ニーソンとカイル・オブライエンが上司の命令による強制的な訓練、と言うより半ばいじめの様な模擬戦から開放されたのはその日の定刻すぎだった。
「嘘みてぇ……隊長の機体にヒットした……」
「確かに、信じられないな……」
「バカ言え、丸一日やってんだ、当てるくらいのこと、できて当たり前だろうが」
五機目のマシンは既に戦闘不能になっていた、が、模擬戦は回数を経るごとに長くなり、二人の機は、最終的にはガベル機と相打ちにまで持ち込んだのだった。興奮冷めやらぬ、とは言え疲労困憊の体でつぶやく若者二人に、ガベルも疲れの浮かぶ顔で、それでもどこか冗談めかすように言った。朝からそれを見ていたはずのスライサーの姿はない。途中で直属の部下に呼ばれ、どこかへ消えてしまっていた。
「まぁこんだけモーションデータがとれりゃ、差し引きゼロって感じだな。ご苦労さん」
笑いながら、軽くガベルが言う。レオンは露骨に嫌悪を浮かべた顔で、
「差し引きゼロって何がです?何かマイナスでもあったんスか?」
世間とはやや体裁は違うが、これは部下を酷使する上司の姿である。ここまでこき使って何も得ていないと言うのはどういうことか。レオンの思うところはその辺りだった。ガベルはにやりと口許をゆがめると、
「マイナスか……しいていえば俺の期待が外れたな」
「期待?」
「『ミネアの闘犬』って二つ名は飾りか?ニーソン少尉」
からかい口調で言われ、レオンは露骨にむっとした顔になる。ガベルはそのまま、
「闘犬は闘犬でも、飼い犬じゃあなぁ……どうせだ、『地獄の番犬』くらいになってくれ、実戦配備までに」
ニヤニヤ笑いながらいやみったらしくガベルは言うと、疲労困憊の二人に背を向けて歩き出す。その背中に、カイルが尋ねた。
「隊長、どちらへ?」
「タイムオーバーだ。腹も減ったし疲れたからな、飯食ったら帰るわ。後片付け、頼むな」
すたすたと歩き去るその様子を、驚いた二人は唖然として見送りかける。が、はたとレオンは我に帰ると、
「疲れてるから帰るって、俺の方があんたよりよっぽど疲れてるぞ!隊長!」
疲労と怒りで既に敬語も覚束ないらしい。レオンは続けて叫ぶ。
「この脳筋くそオヤジ!人に仕事押し付けて勝手に帰ってんじゃねぇ!しかも言うに事欠いて『飼い犬』だぁ?ふざけんな!!」
カイルは疲れているのか驚いているのか、言葉もなくガベルを見送っている。レオンの声はハンガー内の他の駆動音にかき消され、大して響きはしなかった。が、後日「トリオGの頭に噛み付いた闘犬」として、どうでもいい悪名が広まってしまうことになる。
「この腹黒脳筋戦闘馬鹿!覚えてやがれ!」
そのかすかな遠吠えを聞いているのか、ガベルの歩みは止まらなかった。足取りはどちらかというと軽く、その顔にも、ご機嫌、と言って差し支えない笑みが上っている。人をおちょくるのはその男の悪い癖の一つだった。その悪い癖が彼の悪名を高めていて、悪名が高まる事には余り気を良くしていないはずなのだが、癖は直らないようである。
「やー……しかし、若造を鍛えてやるのは、楽しいよなぁ」
ほくそ笑みながら言うガベルの言葉は、恐らく周りには「若手をいじめるのが楽しくてならない」としか聞こえないだろう。何だかんだと人の悪いのは「トリオG」隋一のようである。
「隊長、少し、宜しいですか」
隊のオフィスに向かう廊下の途中、そんな声を投げられてガベルは足を止める。見つけた人影にガベルは目を丸くさせた。
「コニーか……ご苦労さん。デスクワークは終ったか?」
部下の女性隊員を見つけると、ガベルはそれまでの笑顔とは打って変わって、ややもすると殊勝に顔つきになる。廊下で彼を見つけたコニーは早足で彼に歩み寄り、普段どおりの柔和な笑みで返した。
「そちらはクーパー少尉と二人でしたから、滞りなく」
「悪いな、手間とらせて。お前らの邪魔をするつもりはないんだが、俺にも色々とやりたいことがあってな」
ガベルの物言いに精彩が欠ける。コニーはクス、と笑みを漏らすと、
「そちらはお気になさらず。デスクワークも任務ですから。隊長の決済が必要なものは机の上においておきましたから、三日以内にお願いします」
「了解」
そう言うとガベルはそのオフィスに向かって歩き出す。それを追いながら、コニーはその口調を切り替え、再び言葉を紡いだ。
「そんなことより隊長……クーパー少尉の事で、少しお話したいことが」
「あ?ナナニエル?何だ、ケンカでもしたか?」
歩きながらガベルが問い返す。コニーは少し黙り、それから、思い切ったように言った。
「私とではないですが、それを煽るような行為に出ています」
「……マチルダか」
コニーの言葉に困ったようにガベルは嘆息する。コニーは更に続けた。
「クーパー少尉の心情は解らないでもありません。マチルダには、色々とありますし……」
「ライト少尉、少尉はマチルダをどう見る?」
「私、ですか?」
言葉の途中で逆に質問され、コニーの声がわずかに高くなる。聞き返して、わずかの間考え込み、それからコニーは答えた。
「マシンのパイロットとしての技量は、実際に見たわけではないですが、データ上から言えば申し分ないと思われます。戦績も、入隊から二年であれだけ上げられたらエースと呼ばれるのに差支えはありませんし」
「あんな子供が人殺しの現場を席捲して、お前はその同僚だ。殺せば殺しただけサラリーも階級も上がる組織にいて、それでもそう思えるか?言っちゃ何だがペース配分的に見たら、営業成績はあっちの方が上だぞ」
「営業成績、ですか」
ガベルの言葉にコニーは苦笑する。そして困ったように息をついてから、こう問い返した。
「その能力が恨めしい、とでも言えと?」
「正直なところを聞かせてくれれば嬉しいがな。黙秘は許す」
淡々とガベルが答える。コニーはまた苦笑して、それから、
「妬ましくないと言ったら嘘になります。でも、特別嫌いでもありません。素直じゃないし変に頭は働くし、扱いにくいですけれど、悪い子じゃありませんもの」
「悪い子じゃない、ねぇ……」
コニーの物言いに、何やら疑問でも感じているようにガベルが言う。コニーはかすかに笑うと、
「小さな頃のジェイクを見ているみたいで、楽しいですよ。最も、彼はあんなにお利口ではなかったし、大きないたずらっ子の友達もいなかったから、もう少し大人しかったけど」
「何だ?その「大きないたずらっ子」てのは」
コニーの微妙な言い回しにガベルは首をかしげる。少し笑って、しかしコニーはすぐそれをやめた。そして、改めて言った。
「クーパー少尉はアレン少尉に対して、余りにも含むところが多すぎます。同じ隊の人間として、あそこまで私情に捕われていたら、戦闘にも支障が出ないとは限りません」
「……まぁ、あいつはちょっと……そうだな……」
切り替わったコニーの口調と言葉にガベルは困ったように溜め息をつく。そしてその頭をがりがりと掻くと、
「コニー、二ヶ月前の「事故」の事は?」
「は……二ヶ月前、ですか?」
唐突に問われ、コニーは目を見開く。何のことを尋ねられているのかと考えて、それから彼女は答えた。
「……話だけは、聞いていますが。教導隊の新入隊員の乗ったサヴァが制御不能に陥って、暴走した、とか……」
「まぁ……そんなネタだな」
疲れたようにガベルは溜め息をつく。コニーは首をかしげ、参ったと言わんばかりのガベルの次の言葉を待った。
「……隊長?」
「悪いな、コニー。管理職にはお前ら以上の守秘義務、てのがあってな。色々話せないこともあるんだが……実はマチルダはそいつに巻き込まれてんだ」
「マチルダが?」
聞いた話では、その事故で二機のマシンが大破した、と言うことだった。死傷者は二名。暴走したマシンと、それを制止しようとしたマシンのパイロット達だ。マシンが制御不能になるなどありえない話であったが、構成員にはその事故はそう知らされていた。コニーは眉を顰める。ガベルは肩を軽くすくめて、
「で、そん時暴走したマシンを止めに入ったのがナナニエルの友人だったらしい。そんなこんなで、あいつは特別マチルダに含むところがあるのさ」
「そんな……それは、ただの逆恨みじゃありませんか」
信じられない、と言いたげな驚きの表情でコニーが言う。ガベルは困った笑みのまま、何も言わない。信じられないのは、恐らくナナニエルの感情ではないだろう。それ以上の複雑な疑念がコニーの表情から見て取れる。ガベルは、
「ま、そういうことにしといてくれや。ナナニエルも、隊の組織から半月もたつってのに、まだ相棒と顔も合わせてなくて、色々不安だろうし。ま、そいつが来たからって落ち着くかは解らんが……それまで、ジェイクの子守はフェーンに任せて、お前はあいつを見てやってくれないか?」
困った笑みのまま、しかし普段どおりの砕けた言葉だった。コニーはその言葉に目を瞬かせる。が、すぐにもどこかいたずらっぽい眼になって返した。
「了解。クーパー少尉の側についています。ところで隊長」
オフィスのドアが近付く。手前で、コニーはガベルに尋ねた。
「何だ?まだなんかあるのか?」
「クーパー少尉のサポートって、どういう人なんです?私も、会ったことのない人みたいですけど」
ガベルはその問いに目を丸くさせ、それからにやりと口許をゆがめた。そして、
「近いうちに会えるさ。年はレオンやカイルより少し上、だったか……」
「ニーソン少尉やジェイクみたいな腕白くんでないといいんですけど」
いたずらっ子に手を焼かされているお姉さん、といった風情のコニーが冗談めかして言う。はは、と声を立てて笑って、それからガベルは言った。
「エドガー・グリュー、つってな。今ドゥーローで俺達の機体のしつけをしてもらってる。技術畑出身だが、操縦の方もお手のもんでな。パイロットのくせに整備主任伍長殿の信頼がやたらに厚い男さ」
どうやら変わり者ぞろいの特務機関でも、また一癖ある人物らしい。ガベルの言葉にコニーは直感する。そしてそう言えばと、また改めてコニーは尋ねた。
「そう言えば隊長、やっぱりエプスタイン整備主任伍長は隊長専属で、私達の機も見て下さるんですか?」
問われたガベルの表情が固まる。何かおかしな質問をしただろうか。コニーは思ってその顔を覗き込む。ガベルは眉をわずかにしかめ、無言だった。あら、何を固まってるのかしら。思いつつ、コニーはもう一度ガベルに声をかける。
「隊長?」
「……別に専属ってわけじゃないんだが、配属先が重なれば、絶対見に来るな、あいつが。しかも今回は開発補佐だからな……」
「整備主任伍長と、何かあったんですか?」
出してはいけない人の名前でも出しただろうか、コニーは首をかしげる。確か、
「隊長と伍長はとても親密な御関係と聞いていますが」
その問いは追い討ちをかけるようなもので、ガベルの顔つきは益々渋くなる。何かしら、やっぱり言ってはいけなかったかしら。思ってコニーはガベルの答えを待つ。ガベルは疲れきった溜め息をつき、
「親密かどうかは解らんが……付き合いは長いか。やっかいな相手だ、困ったことにな」
そう言って苦笑を漏らした。その微妙な表情に、コニーはそれ以上の追求をやめる。ガベルはほとほと困った様子で、
「悪いヤツじゃないんだがなぁ……なんつーか……やっかいだよなぁ……」
と、独り言のようにつぶやいた。