『ネイヴ稼働率13%、戦闘不能』
ブース内に電子合成音のアナウンスと、どよめきとが響く。どこからともなく集まった機関構成員数十人が見守る中、その勝敗は十分とかからずに決した。
「何だよあのサヴァの動き……あんなのアリか?」
「やれないことではないですよ。最も……この後まともに戦闘はできないでしょうが」
シミュレーターからわずかに離れたその制御コンピュータのそばで、シロは笑いながらも額に冷や汗を浮かべ、フェーンは気難しいと言うより嫌悪を浮かべた顔で、それぞれにその感想を述べる。
「なんつーシミュレートだ……こんなぎりぎり、現場じゃ絶対できねぇぞ。マチルダのヤツ……」
笑いながら、とは言えその声はわずかに震えていた。自分の機体よりも重量が重く、なおかつ出力も大きな相手の機体を振り回し、挙句の果てにはそのメインカメラ、人間で言うなら顔面にこぶしを食らわせる、という路上の喧嘩と同レベルのその戦闘の仕方に、驚かない人間もいないだろう。その顔面へのヒットは大した攻撃にはなっていないようだが、直後のサヴァの動きは機械のものとは思えないほどに早かった。しゃがみこんでネイヴの足を払い、ほぼ同時に後退し、結果ネイヴは仰向けに倒れた。その間、数十秒とかかっていない。
「ネイヴとまともにやり合ったんです、パワーも残っていないはずだ。確かにサヴァの速さならできないことじゃありませんが、実戦でこんなことをすれば電力不足で立ち往生です」
「……確かに。生きて帰れなきゃ、褒められたやり方じゃないな」
フェーンの言葉にシロも苦い顔つきになって呟く。そのまま、彼は続けた。
「けどなんでこんな無茶な事やらかすんだ?あいつは。普段通りのやり方でも充分勝てるだろうに」
「そこがマチルダの悪いところです。シミュレーションでも全力以上で戦う。死に急いでいるのと代わりがない」
フェーンが振り向きもせずにきっぱりと言う。シロは目を丸く指せ、再びその面に人の悪そうな笑みを浮かべた。黙っているシロの様子に違和感を覚えたのか、ちらりとフェーンがそちらを見遣る。
「……何です?中尉」
「いや、別に何も。ぼーずも成長したもんだなあとか、思ってな」
言葉にフェーンは露骨に眉をしかめた。ニヤニヤとシロは笑い、そのまま黙っているフェーンをただ見ている。ざわざわと周囲はざわめいて、収まる事を知らないようだった。人声の波がひときわ大きくなる。かすかにエアーの駆動音がして、直後、甲高い、興奮した子供の声が響いた。
「ざまぁ見やがれ!初心者がでかい口叩くんじゃねーよ、ターコ」
勝ち誇ったようなマチルダの声にフェーンとシロはそれぞれにその表情を変えた。二期のシミュレーターの起動扉が上がり、中の二人の姿が見える。マチルダはマデリンに対して身を乗り出し、マデリンは半べそで放心状態、といったところか。金色の長い髪はくしゃくしゃに乱れていて、先ほどまでのお嬢様然とした雰囲気はどこにもない。一方のマチルダは、そんなマデリンに対して未だに憤りが収まってないなのか、勝利したと言うのに不機嫌な顔つきをしていた。ふてているマチルダをぼんやりと見て、マデリンは小さく言う。
「うそ……どうしてあんな風に動けるの……」
「そりゃ実力の違いってヤツだ。調子こいてんじゃねーぞ、ガキ」
「でも、ネイヴとサヴァだったら……」
「言っとくけど、俺がお前と同じ機体でやり合ったら、お前なんか三秒で倒せるんだからな」
不貞腐れて捨て台詞めいたことを言うマチルダを、マデリンはそのままぼんやりと見ていた。マチルダは不貞腐れた顔のまま、そんなマデリンに問い返す。
「何だよ?何じろじろ見てんだよ?」
「だって……勝ったのに、全然嬉しそうじゃない……何だか、悔しそうだから……」
マデリンの言葉に虚を吐かれたようにマチルダが一瞬黙る。が、
「は?悔しい?この俺が?何だよそれ。別に悔しかねぇよ。嬉しくもねぇけど。ガキの喧嘩じゃあるまいし、そんなことで一々嬉しがるかっつーの!」
そう言ってマデリンから目を逸らし、シミュレーターの外へと出る。ほぼ同時だった。
「あのマチルダ相手に五分持ったって……初心者にしちゃすごくないか?」
「うるせぇ!誰だ今の!出てこい!」
ざわめきの中から聞こえた声にマチルダが敏感に反応する。露骨な激昂を見せたその態度と声に、周囲のざわめきが一瞬で消えた。怒りを顕に、マチルダは喚いた。
「おい、今なんかぬかしたヤツ!どこのどいつだ、出て来い!」
「やめろ、マチルダ。いい加減にしろ」
それまでは傍観していたフェーンがそう言いながら歩み寄る。見かねたらしい。疲れと諦めの混じった顔つきの彼を見るなり、マチルダの感情の矛先はすぐにも彼に向けられた。
「今のてめぇか、フェーン!どいつもこいつも馬鹿にしやがって!」
「僕じゃないよ。けど、今の声の主が出て来たら一体どうする気だい?」
「うるせぇ、てめーの知ったことか!フェーンの癖にっ……」
「僕は僕でこれ以上何にもなりようがないから、フェーンの癖に、なんて言われると困るんだけど、君の気が落ち着くんだったら、今から僕と一戦交えようか?手は抜かないよ」
フェーンの言葉にどよどよと辺りがどよめく。表情の余り感じられない彼の顔つきに、マチルダは小さく唸るとそれ以上何も言わなくなった。とりあえず押し黙ったマチルダを見、フェーンは息を吐くと更に言った。
「確かに君は腕の立つ素晴らしいパイロットだ。けどその性格はパイロット向きじゃない。もう少し回りを良く見るようにしたほうがいい。ことあるごとにそんな風に激昂していたら、戦闘中にどんな目に会うか解らないよ。それから、その態度も。ここにいる人間は全員味方だ。嫌いな相手を無理に好きになれ、とまでは言わないけど、誰も彼も敵に回すような真似は……」
「そんな難しいこと言われてもわかんねーよ!!」
フェーンの説教を聞いていたのもわずかのことだった。耐えかねたマチルダはそう叫ぶとマデリンへと振り返る。マデリンはその目つきの鋭さに驚き、
「え、何?」
「次はねぇぞ!一発でのしてやるから覚えとけ!」
訳がわからずマデリンはその場で固まる。フェーンはそんなマチルダを見て呆れ顔になると、参ったと言わんばかりに盛大なため息をついた。
「マチルダ、少しは人の話を……」
「人の話は聞かない、言われた事はすぐ忘れる、挙句この騒ぎか。お前も人のことは言えないんじゃねぇのか?フェーン」
太く低い、そして何やら押さえつけた感情が絡められた声が聞こえたのはその時だった。聞き覚えのある、しかも機嫌の良くないその声にフェーンはぎょっとして振り返る。人ごみを掻き分けて、もとい、人の垣根は彼を見つけるなりそこに一筋の道を作っていた。堂々たる態度に怒りをまとった体裁で、彼はゆったりとした歩調でそこに向かって歩いてくる。マチルダの表情もフェーンの顔つきと変わらない。驚きと戦きの混じった焦りの表情で、フェーンは彼を著す代名詞を口にした。
「隊長……」
一人、きょとんとしているのはマデリンだった。まだシミュレーターのシートに座ったまま、一体何が起きているのか全く解っていない様子である。お出ましの隊長、アストル・ガベルはどうやら怒っているらしい。が、その理由がいまいち解らない。そんなところか。
「隊長?」
「配属初日から上司の言う事を聞かないってな、見上げた度胸だな、え?マデリン」
「隊長、これには、理由が……」
ガベルの矛先がマデリンに向く。向けられたマデリンには状況の把握が出来なかった。フェーンが反射的にその間に入ろうとする、が、
「上司の言うこと?」
「私闘はご法度だ、って言わなかったか?」
マデリンの何気ない一言が、状況を更に悪化させた。そしてガベルの返した言葉に、マデリンは更に言い返す。
「私闘?あたし、そんなことしてないわよ?だってグランド中尉が……」
言いながらマデリンは辺りを見回す。シロ・グランド中尉の姿はそこになかった。あれ、おかしいな、さっきまでそこにいたのに。思っているとガベルはその場で怒声を放った。
「フェーン、マチルダ、マデリン!この俺を怒らせたんだ、覚悟はできてんだろうなぁ、ああ?」
フェーンとマチルダの顔面は蒼白になる。マデリンは未だ状況が把握できず、シートの上で軽く首をかしげたのだった。
がしゃーん……
「ええっ、やだ、うそ!初日からこんな檻の中なの?うっそぉーっっ」
数分後、マデリンはマチルダとともに地下の営倉の一室に入れらた。鉄格子の向こうでは清々したと言わんばかりのガベルの顔がある。中からその格子を掴んで、マデリンは激しく抗議した。
「ちょっと隊長、出してよ!どうしてこんなとこに入んなきゃいけないのよ!」
「おイタした子供にはそれなりのお仕置きが必要だろうが。覚えとくんだな」
「おイタ?冗談でしょ。あたしが何やったって言うのよ!ちょっとシミュレーターに乗っただけじゃない!」
「ハンガーで大騒ぎした挙句にあのバカ男に乗せられて私情でマチルダと模擬戦、だろう?立派にケンカだ。ここは子供の遊び場じゃねぇんだ、一晩でも二晩でも、冷えるまでじっくり頭冷やしてもらうぜ」
がしがしとマデリンが格子を揺さぶる。外にいるガベルは痛くもかゆくもなさげだった。その側らには、当事者の一人にも数えられたはずのフェーンがいて、いたたまれない顔つきでとりあえず笑っていた。マデリンはそれを見て、
「フェーンさん、何とか言ってよ!今日はママが任官のお祝いだって、うちで豪華なご飯作って待っててくれるのよ!出してよー!!」
「フェーンも同罪だ。なぁ?副隊長」
物など言えようはずもないフェーンを見、にやついた笑みまで浮かべてガベルが言う。固まった笑みのまま、フェーンは何の反応も示さない。それでもマデリンは外の二人に訴えようとがしがしと鉄格子を揺さぶる。
「やーん、出してー!!帰してよー!!児童虐待で訴えてやるー!!」
「ここでそんなもんが通用するか。腹くくれ。飯も抜きだ」
言い捨て、ガベルはくるりときびすを返して歩き出す。その側らのフェーンは、
「あ、後で何か差し入れするよ。今夜はここで過ごして……トイレも、毛布あるから、大丈夫だよ」
立ち去ったガベルを気にしながらそう言って、同じくきびすを返して駆け去る。見送って、マデリンの顔は蒼白になった。
ここへ来てようやく、彼女は事の重大性を理解していた。私闘まがいの模擬戦とそれに連なる自分の、余りにも感情の任せた子供っぽい所業の数々。軍事特務機関においてその構成員がするには余りにもお粗末、かつはた迷惑極まりない事をやったのだ。叱られないはずがない。それどころか、営倉程度の懲罰で済めばまだいい方かもしれない。軍隊は子供の遊び場ではない、解ってはいたが、勿論遊んでいるつもりはないが、ここで身をもってそれを知ることになろうとは。今まで成績も一番でいい子だったのに、一気に悪い子になっちゃったかも。どーしよう。マデリンはそんな気分だった。
「あーもー……サイテー……一日目からこんなことになるなんて……」
そう言ってマデリンは鉄格子の傍にへたり込み、そのまま力なくうなだれる。背後ではごそごそと何やら物音がしたが、振り返る気力もなかった。ショックで打ちひしがれるマデリンを余所に、もう一人の営倉の客人は平静そのものらしい。室内に設置されている毛布を広げ、マットレスを敷き、着々と寝床を作りあげていく。うなだれていたマデリンが顔を上げた時、マチルダはご丁寧なことにマデリンに背中を向けて、毛布に包まって既に横になっていた。その様子にマデリンはわずかに沈黙し、しかしすぐに口を開いた。
「……どうしてそんなに平気なの?」
「うるさい。俺はもう寝る」
「……何よ、その態度。半分はあんたの責任でしょ?こんなところに入れられて、何とも思わないの?」
「別に。それに、半分は俺の責任でも、半分はそっちが悪いんだろ?いつまでもぐずぐず言ってんな、鬱陶しいから」
「……そうだけどぉ……」
言い返されても反論の余地もなく、マデリンは膨れて黙り込む。マチルダはそのまま黙し、眠ってしまうつもりらしい。その落ち着いた堂々たる態度を目の前にして、マデリンは何気に尋ねた。
「もしかして……慣れてる?」
答えはない。どうやらそうらしい。やだなぁ、これからこんな子と一緒にマシンに乗ったりしなきゃいけないの?この子に付き合ってたら何もしなくても悪い子になっちゃうじゃない。うんざりした心地でマデリンは思い、その場で深く溜め息をついた。そして小さく呟く。
「いいなぁ、男の子は。ちょっといたずらしても、悪いことしても、全然平気でいられて」
卵の中にでも閉じこもるように膝を抱えて、マデリンはそのままぶつぶつと毒でも吐くように言葉を続けた。
「ちょっとくらい下品でも叱られないし、けんかして暴れても女の子ほど何か言われないし、顔に傷がついたらしたら大変だけどステイタスにしちゃうし。男の子ってお得よね」
その言葉に、言い返す誰かはいない。マデリンが黙り込むと辺りは静まり返った。そして、特に返答も求めない愚痴めいた言葉は、更に続く。
「でも、そんな女の子みたいな綺麗な顔の癖に、男の子ってやっぱり下品で乱暴よね。テレビで見るアイドルだってそんな……」
がば、とマチルダが体を起こしたのはその時だった。寝入りばなで怒ったのか、不機嫌そうな顔を向けられてマデリンは目を見開く。
「な、何よ……」
「俺は女だ」
不機嫌な目で睨みつけながらマチルダが言った。マデリンは、謝ったそのまま、そこで固まる。
「え?」
鉄格子の中は静まり返った。凍りついた、と言い表すのに相応しい体裁のまま、マデリンはぴくりとも動かない。マチルダはむっとしたままの顔でそんなマデリンを見返していた。切りすぎた、尚且つ切りっぱなしのオレンジの髪。強いエメラルドグリーンの大きな瞳は、眠さもあいまってか半分ほどしか開いていない。血色は悪くはないが比較的白く滑らかな肌。むっと尖った唇は子供のものだが形は整っている。にこにこと笑ったなら同世代の女の子なら振り向かずにはいられない、そんな美少年の面のその人物は、その時ふてぶてしささえ感じられる顔つきでマデリンを睨んでいた。が、睨まれている方は、そんな綺麗な顔もふてぶてしい態度も全く眼中にないようだった。
「えええええ!!うそー!!」
絶叫が辺りに響く。キンキンと耳につくほどの声にマチルダは思わずその耳をふさいだ。そして、
「お前!いきなりでかい声で叫ぶな!」
「だ、だってだってだって!!マチルダ、女の子なの?!うそーっ、ショックぅー……」
「……「ショック」?」
驚いたマデリンの言動が怪しい。マチルダは眉を、先ほどとは別の意味でしかめた。一人パニックにでも陥ったかのように、マデリンは両手で自分の頬を押さえるようにして、その首を左右に振る。
「こんな綺麗な顔の男の子なんてそんなにいないって、ちょっと希少価値かなーって思ってたのに!!あでも、こんな美少年な女の子ってもっと少ないかも!!やーん、どうしよーっ」
「……何だ、そりゃ」
意味不明のマデリンの混乱に、何やら奇妙な戦慄さえ覚えてマチルダは冷汗する。マデリンはひとしきりそうやって騒ぎ、何度も「うそー」「やーん」を繰り返し、それから、照れたようにえへへ、と笑うと、床に手をついて身を乗り出すようにして、言った。
「ごめんね、それから、仲良くしようね、マチルダ」
「……アホか」
唐突の謝罪と奇妙な提案を一蹴するように言い、マチルダは再びその場に横になる。マデリンは表情を一転させ、今度は露骨に不機嫌な顔になると、
「何よ、人が仲良くしようって言ってんでしょ!かわいくなぁい」
しかしマチルダは反応しない。聞こえてないはずないのに、どうして何にも言わないのよ。思ってマデリンは膨れたが、すぐにも気持ちを切り替え、先程より明るい表情で、しかし困ったように話し始めた。
「なんか急にお腹すいてきちゃった……マチルダは?って言うか、おうちに帰らなくて平気?ああ……平気も何もないわよね。ここってお泊まりのお仕事沢山あるもの。でも連絡したりしないと、おうちで誰か心配……」
「……別に」
話し続けるマデリンにうんざりしながらマチルダが返す。マデリンは一人で笑い、
「そうか。そうよね、もう二年もここにいるんだし……」
「俺はここの宿舎で一人で住んでる。うちには誰もいない」
「え?」
マチルダの言葉の意味が解らずマデリンが聞き返す。横になってマデリンに背を向けたまま、重ねてマチルダは言った。
「俺には一緒に住んでるのも住んでないのもいない。解ったら静かにしてくれ。うるさくて眠れないだろ」
マデリンはぽかんと口をあけてそんなマチルダを見ていた。マチルダはちらりとだけそんなマデリンを見、吐息のような声で呟いた。
「なんでこんな甘ったれがこんなとこに来るんだよ、信じらんねぇな」
「マチルダ、誰もって……家族は、おうちは?」
その声が聞こえたのか否か、唐突にマデリンはそんな声を上げる。先程より更にやかましくなった彼女に眉をしかめ、マチルダは忌々しげに怒鳴った。
「うるせぇ、静かにしろ!寝られねーって言ってんだろ!」
「だっ、だって!」
おろおろとマデリンはうろたえている。マチルダは苛立ちに任せるように今一度マデリンを怒鳴りつけた。
「だから誰もいねぇんだよ!俺は戦災孤児だ、解ったか!」
「せっ……戦災っ……」
マデリンの声が引きつって言葉がそこで途切れる。フン、と強く鼻を鳴らすとマチルダはもうマデリンを見なかった。背を向け、マットに体を投げるようにして横になると、
「フェーンか誰かが食い物持ってくるまで起こすなよ、解ったか!」
マデリンはがくがくと体が震えることにも気付かないまま、それ以上何も言わなかった。
モニタにはCGで描かれた二機のマシンメイスが映し出されていた。大きすぎず小さすぎない、家庭用のテレビと大差ないそのモニタの前には四名の男女の姿がある。広くないその室内はそれでもその四名には充分なスペースだったが、誰もがそのモニタに食い入るようにして、どことなく窮屈にしていた。砂漠をイメージした背景の前でマシンが戦闘している。つい一時間ほど前の、特務機関の四割ほどを巻き込む騒ぎとなったシミュレーションのデータは、ありとあらゆる形で、いくつものパターンで記録されていた。そのビデオデータもその中の一つだ。尤も、それは映像のみを保存しただけで、戦闘データと呼べるほどの情報量は持たない。それでも、それを理解する人間が見たならそれ相応に価値のあるものではあったが。
「うへぇ、サヴァでネイヴに勝つかよ……」
マシンメイス大隊本部棟のその一室で頭を付き合わせていたのは、新設部隊の隊員達だった。今日配属されたばかりの新人と、その新人とペアを組む予定の最年少パイロットの突然の模擬戦のことは、勿論彼らも感知しており、そのうちの一人がこうしてビデオデータを録っていたらしい。映像は電子ゲームの画面にも似ていたが、それを笑って見ている人間はそこには誰一人としていなかった。ちょっとしたビデオ鑑賞会、とでも言えるその場の首謀者はレオン・ニーソン、データの提供者はそのサポート役、カイル・オブライエンだ。
軽量型と呼ばれるマシンが汎用中量クラスのマシンを軽くいなし、尚且つその速さを活かした攻撃方法で相手マシンを倒している。それに感嘆の声を上げたのはレオンで、反するように言ったのはカイルだった。
「ネイヴも、初心者とは思えない動きだ。体勢を立て直すまでに隙がない」
「こんなのに後ろから追い立てられるのかよ……勘弁してくれよ」
嘆息しながら参ったと言わんばかりにレオンが言う。同席している他の二人も当然新設部隊の隊員、コニー・ライトとナナニエル・クーパーだ。それぞれに驚きの表情でモニタを見詰めている。
「マデリンもだけど、マチルダもとんでもないわ。サヴァでネイヴの打ち込みを止めるだけじゃなくて、機体を振り回す、なんて……」
「できない芸当じゃないわよ。ただ、この戦闘に勝っても、帰還用のエネルギーも底をつくでしょうけど」
舌打ちしてナナニエルが忌々しげに言う。驚いていたコニーはそんな彼女に振り返り、
「ええまぁ、それはそうだけれど……」
「後のことを何も考えなくて良かったら、こんなこと誰だって出来ることよ。機体の設定を変えるほどのことでもないわ。ま、あの子ならそのくらいのこと、実戦でやりかねないわね。稀代の最年少パイロット、とか何とか言われてるけど、年齢と同じだけ低いレベルでしか戦えないわ」
辛辣、というよりあからさまな嫌悪が織り込まれた言葉に側らのコニーは閉口する。ナナニエルは疲れたように溜め息をつくと、
「面白いものが見られる、って聞いて、のこのこ着いてきて、馬鹿だったわ。下らない」
「おいナナ、下らないはないだろう?マチルダの戦闘データだぞ?お前だって最低三勝はしろって隊長に……」
「うるさいわね、解ってるわよ!」
レオンの言葉にヒステリックにナナニエルが怒鳴り返す。無言で目を見開いたのはカイルで、そんな彼女の様子にどこか不安げに問いかけたのはコニーだった。
「どうしたの、ナナ。さっきから……」
「な、何でもないわよ!」
コニーの言葉にナナニエルはそう言い捨てて部屋を出て行く。見送って、うんざりしたように言ったのはレオンだった。
「何だってーのかねぇ、あいつは。やたらにマチルダに絡む上に、あの態度。相当嫌いなのかねぇ」
「君だってマチルダには良く絡むじゃないか。キライなのか?」
「俺のとナナのとは全然違うだろう。まぁ、実力差を見せ付けられて、気が気じゃないってのはあるが……」
カイルの下らない問いに答え、レオンは首をすくめて苦笑する。その様子にカイルも同じく苦笑いを浮かべ、
「確かに。新設の部隊は選りすぐりだと言われて、配属されてみれば回りは軒並み超スーパーエースだ。年下の彼女達の実力をこうも見せられたら、堪ったものじゃない。クーパー少尉ほど感情的になるのはどうかとも思うが」
コニーは黙ったままナナニエルの立ち去った方向をただ見ている。その様子にレオンとカイルは顔を見合わせ、やはり無言で、揃って苦い笑みを浮かべていた。
同大隊本部棟内、パイロットオフィスの電算室。数台のモニタとそれに繋がれたモニタの数以上の各種コンピュータを前に、新設部隊の隊長と副長は、と言うと、
「さて、フェーン、あの二人は営倉だ。お前にもそれ相応の懲罰が必要だな」
「な……何です、隊長、急に」
「さっきの二人の戦闘データ、そいつらで分析しろ。で、明日の朝イチで俺んとこに持って来い」
隊長、アストル・ガベルの言葉に副長、フェーン・ダグラムは絶句した。目の前での私闘を止められなかった科のその内容は、ややもすると無茶もいいところだった。二人の先ほどのデータを分析しろ、というのである。しかも既に定刻は過ぎており、待機任務中の彼らは帰宅を許可される時間、要するに夕刻であるというのに、だ。
「懲罰だからな、手当てはなしだ。ついでに飯抜きでも構わんぞ」
「……確かに二人の私闘を止められなかった事は事実ですし、その罰は甘んじて受けます。けど、僕が一晩で分析できるようなデータじゃありませんよ?」
「死ぬ気になって寝ないでやれ、隊長命令だ」
ややもすると泣き言めいたフェーンの言葉に意地悪くガベルは返す。露骨に渋面を作った副官を見、ガベルはニヤニヤと楽しげに笑った。
「まぁ、罰ってのは半分冗談だ。俺も手伝ってやるし、他にも手も借りてやるさ。私闘に及んだ事は褒められた事じゃないが……あのじょうちゃんの戦闘データを初日から取れたったことには、功労賞でも出してやりたいくらいだしな」
フェーンの渋面が一瞬緩む。が、ガベルの言葉にその顔は更に渋くしかめられた。どうやらからかわれているらしい。不貞腐れてフェーンは言った。
「仮にも隊長である人間がそういうことを口に出さないで下さい、ガベル中尉」
「何だ、フェーン。じゃあお前はマデリンの実力に興味がなかったってのか?」
が、すぐにも問い返され、フェーンは言葉を詰まらせた。
「それは……それとこれとは話が違います」
「正直に答えろ、ダグラム少尉」
変わらずガベルはニヤニヤと笑っていた。フェーンはむっとして、
「……本人の感情は、それでは収まりませんよ。いきなりあんなものに乗せられて戦闘させられて、気分がいい人間なんていないはずです」
「言うねぇ、フェーン。経験者は語る、か?」
ガベルではない別の誰か声が聞こえる。フェーンははっとして振り返り、そしてまた更にその表情をゆがめた。これ以上の渋面は作れない、とでも言いたげな顔で、フェーンはそこに見えた二人に言った。
「……何しに来たんです、グランド中尉、それに、スライサー大尉も」
トリオGが揃った、きっとろくな事は起こらないに違いない。思ったフェーンはガベルに振り返り、彼を睨みつける。ガベルは笑いながら、
「遅ぇぞ二人とも、何してやがった」
「悪い悪い、ガティから逃げてたらよー……」
「逃げてたら、じゃないだろう。結局引っ張り込みやがって……」
人の悪そうな顔で答えたのはシロだった。スライサーは眉間に皺を寄せ、疲れ切った顔で誰とも目を合わせないようにうつむいている。三人三様の様子を見、フェーンは再度ガベルを睨む。ガベルは笑いながら、
「言っておくが、俺がシロに煽らせたわけじゃないぞ。こんなとこになったのはたまたまだ」
「煽られたら困ります。冗談でもそういうことは言わないで下さい」
「お前の時だってたまたまだぞ、本当に」
「わざとやられてたら現場で背中から光弾打ち込んでますよっ」
フェーンの語気が荒くなる。今にも怒り出しそうな彼を見て、ガベルは笑うのをやめ、笑ったままのシロは、
「お前本当にジョークの解らんやつだな。もっと大人になれよ?ダグラム少尉」
「貴方みたいな人に言われたくありません!」
怒鳴りつけられるように言われ、シロはその目を見開いて肩をすくめる。そんなシロの様子にガベルと、そっぽを向いていたスライサーとがかすかに笑った。そしてお互いに顔を見合わせ、
「じゃ、さっさと始めるか」
「そうだな。できたらここに一晩缶詰、とか言うのはごめんだしな」
そう言って二人は手近なモニタの前の席に着く。それに続くようにフェーンもコンピュータの前に座り、目の前のキーボードの操作を始めた。
「こういう時にエドが残ってりゃなぁ……もっと楽ができるんだが」
「グリュー少尉か。そう言えば今度お前んとこだったっけな。どうしたんだ?」
「新型のソフトの調整とかで、一足先にドゥーローに呼ばれてな。戻りは現物の納入時らしい」
それぞれにコンピュータの操作をしながら、男達は何やら話し始める。フェーンは聞くでもなしに聞きながら、しかし会話に入ることなく作業を続ける。パイロット達の戦闘データはその個人ごとに集積され、彼らが登場するマシンの補助プログラムにある程度のパターン化をされてから組み込まれる。そのために模擬戦も含めて、その情報は事細かに集められ、解析される。尤も、それらはコンピュータ自動的に記録し平均化するため、人の手を介する必要はない。が、その戦闘映像であったり稼動記録をチェックして、自身の戦闘時の動きを事細かに分析することもある。パイロットとしての査定、とでも言うその分析は本人を交えて行なわれる事もあり、本人も上官も全く把握していないところで行なわれている事もある。大隊本部で行なわれた模擬戦などのデータはすべて保存され、建物内のどのコンピュータからも見る事が出来、また解析が可能となっている。それがそのシステムの存在理由の一つだ。本人のあずかり知らぬところで、忘れかけていた頃の模擬戦の情報がやり取りされ、それを参考に様々な戦闘プログラムが組まれ、時としてマシンの制御システムに組み込まれることもある。個人情報も何もあったものではない。確かに、戦闘データとは言え自分のことを記録した何かが基地内のあちこちで閲覧できることは気分のいいことではない、とフェーンも思わないでもない。が、鳴り物入りの新入隊員の実力の程を知りたくない、と言っても嘘になる。自分もかつてはそうだったが、若くして「スーパーエリート」と呼ばれる人間がどれだけのものなのか、見てみたいと思わない人間が多くいるとは思えない。それは構成員としての後輩への興味であるとともに、マシンを駆る人間に対する興味でもあった。
「画像データだけ見ても充分とんでもないって解るけどなー、俺には」
「そんなこと言ってサボってんじゃねぇ、お前は」
モニタの前でふんぞり返るようにしているシロを見、ガベルがやや強めの声で言う。フェーンはそれをちらりと見るが、すぐに自分の作業に戻る。
「しかしマチルダもマチルダだな……誰だよ、こんな器用なエネルギー代替教えたヤツは」
画面に表された数値とグラフを見ながら言ったのはスライサーだった。その言葉に眉を寄せたのはガベルで、振り向きもせず、
「お前だってたまにやってるだろう?ぎりぎりまで機体の攻撃力が維持できて便利じゃねぇか」
「そりゃしないこともないが……しかしサヴァではやらないだろう、普通」
「サヴァでもシステム的には同じだから、出来なくもないですよ」
やや批判的なスライサーの言葉に思わずフェーンが口を挟んだ。ガベルとスライサーがそちらを見ると、フェーンは振り返らずに言った。
「もっとも、実戦時に単体でやれば退避できなくなって、敵機にやられてしまいますが。小隊レベルで動いている時にも普通ならそんなことはしませんし、非常時でも余程の何かがなければ出来る事じゃありませんね」
言ってフェーンは息をつく。彼の言葉に返す声はなく、構うことなくフェーンは言葉を続けた。
「マチルダもそうですが、レイシャ少尉の動きもすごいですよ。杖を取られた時点で機体のバランスを崩しても、すぐに立ち直っている。オートバランサーを使っていたらこれだけ早く対応できないでしょうから、バランサーには頼っていないんじゃないですか?」
言ってフェーンは顔を上げる。そばにいた男達三人はそれぞれに驚いた顔でそんなフェーンを見ていたが、
「流石に、誰かさんの仕込みだな。え?」
「お前とマチルダの場合は半分英才教育だもんなー、何つーか、卑怯だよなぁ?」
「……お前ら、それは褒めてるのか、それともけなしてるのか?」
微妙な物言いの二人に言ったのはガベルだった。二人は顔を見合わせると、
「そんなの、決まってるよなぁ?」
「俺は本気で感心してるけどな」
「嘘つけよ、ガティ。ごつい親父の癖して変に面倒見がいいい、とか思ってんだろ?」
「まぁ、その辺はな」
笑いもせずに放たれた言葉にガベルは眉をしかめたが、何も言わない。奇妙というか珍妙なやり取りにフェーンは苦笑し、改めて自分の前のコンピュータに向き直る。そして、その苦笑のままに再び解析を始めた。
営倉の一室には二人の子供が入れられていたが、中は奇妙なほど静まり返っていた。しかし静穏である、とは言えない空気がそこには満ちていた。ぴんと張り詰めた、やや鋭い空気が満ちる中、室内の構成は、横になっている一人とその背中を呆然と見ている一人。横になっている一人は眠ろうとしているようだが、もう一人はそれどころではない、蒼白な顔をしていた。床に手をつくような格好で体を支えて、しかもぶるぶると震えている。営倉とは言え室内にはエアコンが取り付けられ、快適とは言えずとも体調を崩すほどの悪い環境でもない。しかし、今にも貧血でも起こしそうな顔つきで、マデリンはそこに座り込んでいた。
「マチルダ、ねぇ……マチルダ」
呼んでみても、返事はない。眠ってしまったのだろうか。思っても、確かめるために近寄る事も出来ず、マデリンはそこに固まっていた。頭の中、と言うよりも、体中を巡るのは先ほどのマチルダの言葉ばかりだ。戦災孤児で、家族はいない。それは一体どういうことなのか。家に帰っても誰もいない、家族が一人もいない。そういう境遇の誰かがどこかにいる、という認識はあった。この国では戦争をしているし、そうすれば戦闘によって死傷者が出るし、死傷者の残された家族だっているだろう。中には子供もいるだろう。両親を失った子供も。けれどそれはどこか、自分とは関係のない知らないところであって、目の前であることではなかった。そのことにマデリンは驚いて、そして余りに大きなショックを受けていた。戦争に巻き込まれた子供がいること、ではなく、目の前の彼女に誰も家族がいないという、その事実に。
「マチルダってば……起きてよ……」
呼びかける声が震えているのが解る。そして自分がひどく混乱している事も。
「マチルダ、マチルダってば」
「マデリン?マチルダは寝てるの?」
鉄格子の外から数時間ぶりの声が投げられる。マデリンは驚いて振り返り、その振り返った勢いの大きさに、声を投げた彼は彼女よりも驚いた様子だった。
「ど、どうしたんだい?マデリン……脅かしたかな?」
「……フェーン、さん」
力の抜けるような声でマデリンはその名を呼び、こわばった肩の力を緩めてがくりと落とす。疲れたその様子にフェーンは首を傾げたが、すぐにも、
「遅くなったけど、これ、差し入れだよ。お腹が空いただろう?」
そう言って格子に付けられた食事の差し入れ口からその白い箱をその中に押し込む。ぼんやりとした目で、マデリンはただそれを見ていた。近寄る様子もなく、ただ脱力しているマデリンの様子に、フェーンがいぶかしげに眉間を寄せる。
「マデリン?気分でも悪いのかい?」
相手は十二歳の少女だ。もしかしたら初めての慣れない場所で体調でも崩したのかもしれない。思ったフェーンの問いにマデリンは答えず、逆にこう尋ねた。
「フェーンさんは……おうちはどこ?」
「僕?今住んでいるのは基地内の宿舎だよ。出身はヌゥイだけど、家族は、今はスティラの、マルトーって言うところに……」
何気なくフェーンが答えている間に、マデリンは突然涙をこぼし始めた。何事かとフェーンは狼狽する。そして格子越しに、マデリンに聞き返した。
「ど、どうしたんだい?マデリン。何か……」
「マチルダ、マチルダは……一人だって……家族が誰もいないって、さっきそう言って……あた、あたし、びっくりして……ふぇぇ……」
そのまま、顔を手で押さえてマデリンは泣き始める。マデリンの言葉にフェーンは呆然とし、それから、困ったように笑って返した。
「そうか……それで、驚いたのか」
十二歳で義務教育をすべて終了させ、半年で訓練校をクリアした鳴り物入りの新入隊員は、やはりまだまだ子供のようだ。奇妙な安堵感さえ覚えてフェーンはそんなマデリンを見ていた。何度かしゃくりあげ、鼻をすすり、してからマデリンは涙を拭いながら言葉を紡ぎ始める。
「あたし、知らなくて……そういう人が、いるって知ってたけど、でも、うちに帰っても、誰もいないって言われて、びっくりして……もしそうだったらどうしようって、そう思ったら、こわ、恐くなっちゃって……マチルダに、本当なの、って聞こうと思ったけど、起きなくて……」
「マチルダは孤児だ、本当だよ」
きっぱりと、けれど穏やかにフェーンは言った。その瞬間マデリンの肩が大きく跳ねる。怯えるその様子に優しく笑いかけて、フェーンは言葉を続ける。
「僕も良くは知らないけれど、マチルダは戦災孤児らしい。ここに来る前には施設にいたそうだよ」
「じゃあ……本当に、誰もいないの?おうちもないの?」
「そうだね」
がくがくとマデリンが震えている。この子を安心させるために嘘をつくことは容易いだろう。しかし、そんなことをしたところでどうなると言うのか。思いながらフェーンは息をつく。
「……どうしてマチルダには、家族がいないの?そんな……大変なのに、どうしてこんなところに……」
「それは、マチルダが起きたら聞いてみたらいい。僕が答えることじゃないよ」
震えながら紡がれた、誰に向けられたわけでもないマデリンの問いにフェーンはそう返した。マデリンは言葉もなく、涙にぬれた目で、自分に背を向けたまま眠っているマチルダを見ている。
「明日の朝になったら迎えに来るよ。お腹が空いてるだろう?それを食べて、今日はもう休んだ方がいい」
先ほどの言葉を繰り返すようにフェーンは言い、マデリンにそっと笑いかける。マデリンは無言で頷いて、けれど暫くそのまま、動こうとはしなかった。それじゃあ、と言ってフェーンは格子の前から立ち去った。かんかんとその足音が響いて、やがてそれが消える。ぼんやりしたままマデリンは、それを聞くでもない様子でただ、マチルダの背中を見ていた。再び、辺りが静まり返る。
「……行ったか?」
その沈黙の中、突然マチルダは体を起こした。マデリンは驚き、思わず、
「マチルダ、起きてたの?」
「うるさくて寝てられるかよ。で、飯は?」
くしゃくしゃの髪に不貞腐れた顔でマチルダが返す。マデリンはあっけにとられ、しかしすぐにむっとした顔になり、
「じゃあ今の、全部聞いてたの?」
なんて性格の悪い子なの、と心の中で罵りつつ質問を投げつける。が、マチルダはそちらを見もせず、
「フェーンが来たくらいからな。大体人が寝るって言ってんのに隣でいつまでもぎゃーぎゃーうるせーんだよ、お前は」
そう言って食事の差し入れ口に放置されたままの白い箱に這い寄る。何よこの無神経。人がどういう気持ちだったか解ってんのかしら。マデリンの中には怒りと恥ずかしさとが渦巻いていた。が、知る由もなく、いそいそとマチルダはフェーンの差し入れの入った箱を開け始める。
「何だ、定番かよ……まぁなんか食えるだけいいか……」
「ちょっとマチルダ、待ちなさいよ」
ぷっくり頬を膨らませ、マデリンがそんなマチルダを呼び止める。マチルダは振り返り、
「何だよ。ああ、心配すんな、人の分まで喰やしない……」
「そうじゃないわよ!」
突然のマデリンの叫びにマチルダは目を丸くさせた。マデリンは座ったままマチルダを睨みつけている。
「……何だよ、何怒って……」
「何、じゃないわよ!あんたねえ!」
「……何だよ」
マデリンが怒る理由がわからず、マチルダは首をかしげる。マデリンもそこまで言ったのはいいが、何と言って罵るなり怒鳴るなりしていいのか解らず、
「あ……えっと、その……」
言葉はそのまましぼんで、それまで渦巻いていた感情もまた、しおしおとしおれてしまった。辺りは再び静まり返り、奇妙な沈黙が降りる。マチルダは怒鳴りかけたと言うのに力の抜けてしまったマデリンをいぶかしげに見ていたが、すぐにもぷいと視線をそらした。そして、
「変なヤツだな。どうせ腹が減って頭まわんねーんだろ?食えよ、ほら」
そう言うとパックに入ったサンドイッチを、ぽいとマデリンに投げつけた。ぱさ、という音を立ててマデリンの額にそれがヒットする。かすかな打撃の後にそれをキャッチして、マデリンは包みを開くと、
「……いただきます」
そう言ってフェーンの差し入れを食べ始めた。怒っていて、恥ずかしくて、言ってやりたいことはあったのだが、勿論消えてはいないのだが、マデリンの中のそれは勢いをなくしてしまっていた。どうでもいい事ではないのだが、それと大差のないその感覚に自分でもあまりいい気分ではないのだが、それを払拭してやろうという気概もない。マチルダは包みを乱暴に剥いてガツガツとサンドイッチを食べている。言葉はない。マデリンの倍の速さでそれを食べきってしまうと、再びマチルダはその場に横になった。そして、
「今度こそちゃんと寝るからな、朝まで起こすなよ?」
そう言って再びマデリンに背を向ける。もぐもぐとサンドイッチを食べながら、マデリンはそれに返答せず、
「ねぇ、マチルダ」
「何だよ。俺は寝るって……」
「さっき言ってた事、本当なの?」
空腹がある程度満たされても、結局マデリンの中にあったのはその疑問だった。問いかけられ、面倒葬にマチルダは振り返る。マデリンは真剣な顔つきで、そんなマチルダを見詰めていた。その表情に、わずかにマチルダは怯む。そして、
「……だったら、何だよ?」
「何って……」
「俺は戦災孤児で、お前とは違って無理やり適正試験にかけられて、それでここにいる。だから何だって言ってんだよ?」
「む、無理やり?」
苛立ちを隠さないマチルダの言葉に、マデリンは驚いて声を立てた。素直に驚くその態度が気に入らないのか、マチルダの態度は益々悪くなっていく。フン、と鼻を鳴らし、
「そうだよ、無理やりだ。なりたくてなったパイロットでもなきゃ、乗りたくてあの木偶の坊に乗ってるわけじゃない。それに何か文句でもあるのか?」
マデリンは何も言わなかった。何度聞いても、それは衝撃的だった。やっぱりそうなんだ、マチルダには家族も家もないんだ。思って、マデリンはその場で震えだす。その反応にマチルダは眉を顰め、そして逆にこう尋ねる。
「何だよ……それが何か……」
「だってマチルダ……そんなの、かわいそう……」
その一言でマチルダはその場に立ち上がった。突然のその反応に驚き、マデリンが目を剥く。マチルダは一瞬でマデリンの目の前に迫り、間髪入れずにその襟首を捕まえ、ねじ上げた。
「きゃぁっ……」
「お前みたいなヤツに何が解るってんだよ!かわいそう?ふざけんな!俺だってなりたくてこんなんになったんじゃねぇ!それに、お前みたいな甘ったれにそんな風に言われるほど、惨めに生きてるわけじゃねぇ!それ以上なんか言ってみろ、殴るだけじゃ済まさないぞ!」
「ごっ……ごめ……ごめんなさ……」
「何が鳴り物入りの新入隊員だ、最年少パイロットだ!覚えとけ!俺達に帰る家も家族も必要ない。いつ死ぬかわかんねぇんだ、そんなモン……」
言いかけて、マチルダは言葉を失う。突然黙ってしまったマチルダの様子をいぶかって、締め上げられながらマデリンがその名を呼ぶ。
「マチルダ?」
「……くそっ」
何のための怒りなのか解らない、その感覚にいらついて、マチルダはマデリンの衿を締める手を離した。その拍子に投げ捨てられるようにされて、マデリンはその場でよろめく。
「マチ……」
「起きたら、どんなことになってもお前なんかと組まないって、そう言ってやる!俺は絶対誰とも組まないからな!お前と組むくらいだったらマシンとどっかで心中してやるからな、覚えとけ!」
そう言い捨て、マチルダは再び毛布に包まるとマデリンに背を向けて横になる。マデリンは息を詰めてそれを見送り、それから、細く言った。
「ごめんなさい……ごめんね、マチルダ」
声は届いているのか、マチルダの反応はない。どうしてかじわじわと湧き出した涙を拭ってマデリンはしばらく横になったマチルダを見つめていた。
翌朝。
ごち、という鈍い音とともに頭に硬い衝撃が走る。マチルダは深いまどろみの中からそのために引き出され、ひどく眉をしかめてまだ軽くないまぶたを薄く開いた。
「……いって……」
ベッドから落ちたらしい。いや、自室のベッドから落ちたならもっと高低差があるから、頭の一部を打つだけではすまないだろう。悪くすれば腕や背中を打ちつけているはずだし、自室のベッド周りにはいつだったか誰かが厚手の敷物を置いて行ったから、頭を打ったにしてもこんなに痛くはないはずだ。あのおせっかいは誰がしたんだったか。ぼんやりと、まだ半分眠っている体裁の頭でマチルダはそんなことを考えていた。朝だというのに、目覚ましは鳴っていない。まだ早い時間なのか、それとも仕掛け忘れたか。遅刻すると上司と、いうより歳かさばかり上の同僚が色々とうるさい、まだ時間でなければいいが、と思ったところで、マチルダは自分がどこにいるのかを思い出す。そう言えば昨夜は営倉泊まりだった。ということは誰かが自分を呼びに来るまで寝ていても叱られない。ここへ入れられているのは懲罰だが、ゆっくり眠っていられるのはありがたい。思ってマチルダはもう一度目を閉じた。打った頭は痛いし、奇妙に低いが気にしない。毛布を着て寝ていられればそんなこまかい事はどうでも良かった。が、
「……なぁにぃ?もう朝?」
すぐそばから間の抜けた子供のこえがしてマチルダは閉じていた目をぱっちりと開いた。眠気は一瞬で覚めていた。狭いマットの上、あまり大きくはないが子供が二人くっついている格好だと知ったのは直後だった。
「うわぁっ」
がば、と勢いに任せて体を起こす。拍子にマチルダはマットから転げ落ちた。ばさばさと音を立てて、着ていた毛布が踊る。自分が転げ落ちたマットの上でのんきに目をこすっているのはマデリンだった。
「おはよー、マチルダぁー」
まだ目も覚め切らぬ状態で、マデリンはそう言って大きくあくびをした。床に転がった格好でマチルダは思わず声を上げる。
「おまっ……お前!何してんだ!!」
「え?なぁに?」
目をこすりこすりマデリンが問い返す。マチルダはすっかり目覚めたらしい。立ち上がるとマデリンを見下ろして言葉を放った。
「何じゃねぇ!人の寝床に勝手にっ……」
「えー?ああ……だって寒くて……マチルダにくっついて寝てたら、あったかかったよー」
ふにゃふにゃした笑顔でマデリンが答える。マチルダは絶句してしばしそんなマデリンを見下ろしていた。黙ったままのマチルダに構うことなく、マデリンは乱れた髪を手櫛で整えながら、
「あー、お風呂に入ってないから髪もくしゃくしゃ……マチルダ、お風呂ってどこかにある?」
至極マイペースな様子でマチルダに聞くでもなしに尋ねている。マチルダは黙ったままマデリンを睨んでいたが、やがて疲れたような溜め息を吐き出し、無言でその場に座り込んだ。朝、起きぬけから、不機嫌、みたい。ぼんやりとではあるが徐々に眠りから覚めつつある頭でマデリンは思い、マットの上で毛布に包まったまま、むっとした顔のマチルダに言った。
「マチルダ、怒ってるの?」
マチルダは何も言わずにむっとした顔のまま、マデリンに露骨に背を向ける。何よその態度、と思いつつ、マデリンはそんなマチルダに言うでもなしに言った。
「……折角同い年で女の子なんだから、もうちょっと仲良くしてくれてもいいのに……」
「俺はお前とは違う。一緒にするな」
「何よ、聞こえてんじゃない!文句があるならこっち向いて言いなさいよ」
マデリンが膨れて言い返す。が、マチルダは振り向きもせず、
「俺はお前とは組まないし、仲良くしてやる気もない。子供は子供らしく家で大人しく……」
「あんただって子供でしょ!そりゃ……あたしとは、全然違うけど……」
バカにする言葉に反論しかけ、マデリンは躊躇する。ちらりとマチルダは振り返り、そんなマデリンに更に言った。
「それ以前に、あんな動きで俺のサポートなんて出来るかっつーの。せめて十年くらいマシン乗りこなしてから来いよ。でなきゃ使い物にもなりゃしねぇ」
マチルダが、ケッ、と最後に一声付け加える。マデリンは更に激昂して、
「何よ、仕方ないでしょ!まだ入ってきたばっかりなのよ!本物だって昨日初めて見たんだし、シミュレーターだって、訓練校のはもっと揺れないし!」
「そんな言い訳が現場で通用するか。どんなマシンで何とやり合っても、勝てなきゃ死んじまうんだぞ。こんなとろいのと組まされて、巻き添え食って死ぬなんてごめんだからな」
「何よ何よ何よ!実戦で負けなかったらそれでいいんでしょ?もっと速く動いてもっとちゃんと戦闘出来たらいいんでしょ!だったらもっと速く強くなるもん!十年もしないうちに、マチルダに負けないくらい強くなるもん、なるんだから!」
マデリンの声が叫びに変わる。驚いてマチルダが振り返ると、半べその状態でマデリンは彼女を睨んでいた。
「な……何だよ……」
睨まれて、わずかにマチルダは怯む。いや、睨んでいる目に、というよりも、泣きそうな表情のためかもしれない。マデリンは目に涙を溜めて、しかしすぐに袖口でごしごしとそれを拭った。
「おい……」
「泣いてないわよ、泣かないんだから!もう絶対泣いたりしないもん、マチルダに認めてもらうまで、引き下がらないんだから!」
その勢いに気圧されてマチルダは言葉もない。マデリンはそんなマチルダを睨み、べぇ、と舌まで出してみせる。その態度に思わずマチルダは言った。
「……ガキ」
Act 3に続く