LACETELLE0062
-the CREATURES-

Act 12

マシンの微調整並びに出発準備がほぼ終了した後、ボガード隊とその護衛であるドゥーロー第三防衛大隊、第二中隊、第六アシュム小隊、通称メイネア隊との合同ミーティングが行なわれた。が、

「隊長……マチルダがいません」

「何」

開始早々のフェーンの言葉にさしものガベルも凍りつく。同席しているメイネア隊の四名の視線も厳しい。

「またあの子なの?ちょっともー、いい加減にしてよねー」

「稀代のスーパーエリートだか何だか知らないけど、大事なミーティングの席にもいないって、どーゆーことよ?説明してもらえる?隊長さん」

「確かに彼女の戦績といい、戦闘センスと言い、年下とは言え経緯を表するべきものはあるけれど、所詮は子供ということかしらね」

ミーティング開始早々の集中砲火にガベルは閉口していた。傍らでは副官が苦渋の表情で、

「すみません……捜して来ます」

「そんな余裕はない。出発は明日だし、我々にはまだ機体の準備も残っている。アレン少尉抜きでも構わない。始めよう」

メイネアが毅然とした表情で言い放つ。ガベルは肩をすくめると、

「悪いな、メイネア」

「君達の機体は二人乗りの仕様だろう。この場にはそのどちらかがいれば事は足りる。その二人に信頼関係が成り立っていれば、の話だが」

言葉と共にメイネアはちらりと、室内の片隅にいたマデリンを見遣った。マシンの調整の途中から、マチルダとの口論で泣いていたマデリンの目は、真っ赤に腫れている。その後にも彼女はまともにマシンに触ることもできないままだった。とりあえずの出発準備は済ませたものの、このまま二人で機体を動かすことが出来るかは疑わしい。

「今回は機体の移送が目的だ。いざとなったらフォワードなんざ無視して構わんだろう。マデリン」

「はっ……はいっ……」

メイネアの視線に怯えるマデリンに、ガベルが声を投げる。らしくない態度で返事をしたマデリンにガベルは苦笑し、

「そう緊張するこたない。初乗りったってたかが二、三時間、マシンを走らせるだけだ。それに、あの馬鹿は当てにできなくても他に頼れるヤツがいないわけじゃなし。気楽にしてろ、な?」

言葉に、その場の数人が苦笑する。マデリンはどうしていいのか解らず、困惑の目でガベルを見ていた。ガベルはそれ以上は何も言わず、ただマデリンを見て笑っている。

「隊長、あの、すみません」

おずおずと、余り高くない声が聞こえたのはその時だった。何気にガベルはそちらに目を向ける。

「何だコニー、どうかしたか?」

「……すみません、ジェイクも、いません」

困惑と羞恥と罪悪、そして自責の念、そんなものが入り混じった複雑な表情を浮かべた、真正面を向けない様子のコニーが言った。ガベルはその場で再び凍りつく。

「ちょっと隊長さん、あんたんとこの部下、一体どうなってんのよ?」

「子供が一人ならともかく、いい年の大人までいないなんて、普通じゃ考えられないわね」

「っていうか、その人ってミネアで三度も機体自損させてるようなパイロットなんでしょ?なんでそんなのが新型の部隊にいるわけ?」

メイネア対の面々が再び口々に椅子件を述べ始める。ガベルはわざとらしく乾いた笑い声を立て、恐る恐るメイネアを見遣った。

「メイネア……これは、その……」

「まともに部下の教育も出来ないのか。呆れた男だな、ガベル中尉」

淡々と放たれた言葉に、ガベルには為す術もなかった。

 

ミーティングの為の移動の途中でマチルダはその列からわざと逸れ、適当に周囲の人間をまくと、再びハンガーに戻っていた。出発準備のほぼ整った機体を前に、それでも、整備担当者達があちらこちらへと動いているのが見える。壁に張り付くようにつけられた回廊の手すりにもたれて、マチルダは見るでもなしにその光景を眺めている。あの列からはぐれたことに、今頃誰かが気付いているだろうか。それとも、自分のことなど構わずに、明日のための打ち合わせは始まっているだろうか。どの道自分は上官の指示通りに動くだけだ。狭い室内の説明会などに出る必要などない。それよりも、規律を乱した科か何かで、その辺の営倉に三日くらい入れられたい。いや、マシンに乗って外へなんか、出て行きたくない。思ってマチルダは眉をしかめる。マシンメイスのパイロットである以上、それは許されないことだ。自分はその為により分けられ、生かされている。食べるものも着るものも住まう場所も、そしてそれに加えて過多なサラリーまで与えられて。別にそれを望んだ訳ではない。知らない間に奇妙なテストを受けさせられ、気がついたら訓練をさせられていた。そして否応なしにマシンに放り込まれ、何度か死にそうになったのに、たまたま未だ生きている。

死にたい訳ではない。でも、このまま、生きていくことに意味なんて、あるのだろうか。

自分は孤児で、物心ついた時には施設にいた。似たような子供達がいた中で、突出して目立っていた訳でもないし、極度に引っ込み思案だった訳でもない。ラステルの法では地上居住者の遺児であっても、十五歳になればほぼ強制的に地下都市に移される。年齢に達しなくても受け入れ可能な施設があれば、そちらに移る子供も沢山いる。

たまたま、自分はその時そこにいた。たまたま、特務機関のテストをクリアして、訓練しているうちに、たまたま、その能力に優れていることを見出された。そこにいれば食べるものも着るものも居場所も、与えられる。だからそこにいた。追い出されたら生きていけなくなる。死にたい訳ではなかった。でも。

「マチルダ、なんでお前こんなとこにっ……」

声がして、マチルダはとっさに振り返った。しまった見つかった、と思うと同時に見た顔には、自分と同じ感情を顕にした男の、間の抜けた顔があった。

「……そっちこそ、何やってんだよ、スーパーヘボ」

驚くが、すぐにマチルダはそれを察した。その男もミーティングをエスケープしたのだ。でなければここまで焦らないだろう。マチルダはそこにあるジェイクの顔を見て軽く笑う。ジェイクはマチルダの言葉にむっとしたらしい。唇を尖らせ、

「誰がスーパーヘボだ、誰が」

「少なくとも俺じゃないぜ。ランクD

言い返すも、更なる減らず口に再び閉口する。言い返せずにいるジェイクの様子にまたマチルダは笑い、しかしすぐにも視線をその顔からそらした。直後、嘆息が洩れる。

「てかお前、何さぼってんだよ、こんなとこで」

気がつかないのか、言いながらジェイクはマチルダのすぐそばまでやってくる。振り返りもせず、

「そう言うあんただってさぼってんじゃねぇか。いいのかよ?」

「そりゃ……よかねぇだろうけど……腹が立つじゃねぇか」

ぶつぶつと、ジェイクがぼやくように言う。マチルダがちらりとそちらを見ると、ジェイクはそのまま言葉を続けた。

「ろくすっぽ機体のことも知らされないで、聞いてみりゃ聞いたで、何かヤバい部隊みたいだし……そんで、国内の移動だってのに護衛つきで二次装備だぜ?ふざけんなってんだよ」

その言葉に、マチルダは何も言い返さない。ジェイクは無言で自分を見詰めるマチルダに気付き、

「……何だよ」

「別に。ヘボもヘボなりに、色々考えるんだな」

「お前なぁ……ヘボヘボ言うなよ。へこむだろ」

がくりと、ジェイクの首が落ちる。マチルダは瞬きして、言葉の通りにへこんだ男を見遣る。

「新型に引っこ抜かれて、コニーと一緒になったはいいけど、回り見てみりゃとんでもねえのばっかで……なんで俺みたいなのがこんなとこにいるんだか、解んねぇのによ……」

トホホ、と言葉と共にジェイクが漏らす。マチルダは目をしばたたかせ、思わず言った。

「何だ……解ってんのか、お前」

「解ってるって……そりゃどういう意味だよ」

「だってヘボ過ぎて、こいつ頭回ってんのか、とか、思ってたから……」

素直に驚くマチルダの顔に、ジェイクは怒鳴り返そうとするも、直前でそれをやめた。そのままへたり込むようにして手すりに捕まり、眼下に兵器を見ながら、話し始める。

「俺だって、分不相応、っつーか、向いてねぇのくらい解ってるよ。体質だけでパイロットになったようなもんだからな。お前に言わせたら、ヘボどころのレベルでもねぇんだろうし」

マチルダは呆然としてそんな風に話すジェイクを見ていた。何かを吐き出すように、ジェイクはそのまま、マチルダに振り返ることなく言葉を続ける。

「マシン倒したのも、一度や二度じゃねぇし、そんで配属先変えられて、ここに来たのも盥回しみたいなもんだし……この先どうしていいのかとか、解んねぇし……」

「どうしていいのか、って……どうにもできねぇだろ」

戦争代行人に「退役」はない。生きて動ける限り、戦争が終わらない限りは、その役目は消えることはない。マシンのパイロットになったら最後、死ぬまでそれを駆り続け、戦い続けなければならない。それを思ってマチルダはそんな風に言った。ジェイクはちらりとマチルダを見ると、

「そーゆーんじゃねーよ……何つーか……俺みたいなヘボでも、どうしたらいいのか考えてんだよ」

「どうって……何をだよ?」

「だから……どうやったら自分で納得いくか、とか、後悔しないですむか、とか……色々あるだろ?」

繰り返されるマチルダの問いかけに、ジェイクはたまらず声を荒げる。それでも呆然としたまま、マチルダはジェイクを見ていた。いらついた様子で、それでもジェイクは言葉を続ける。

「ここに来ちまってこういうことになっちまったのは、通達なしだったけど、もう、しょーがねーって諦めるしかねぇ。でも未だこの先は何も決まってねぇし、どうなるかも解んねぇだろ。だったら、後でぐずぐず考えなくてすむように、どうすりゃいいかって、お前は思ったりしないのか?」

「……何だ、それ」

が、マチルダの反応は奇妙だった、言葉の意味が解っていない、とでも言いたげな、不思議そうな、そして力の抜けたような顔で、やや憤り気味のジェイクを見ている。ジェイクはそれにいらついて、再び声を荒げた。

「だから、俺だってなぁっ……」

「死にたくなかったら、ミッシュマッシュに入らなきゃ良かったんだろ?だったらなんでテスト受けようなんて思ったんだ?」

唐突なマチルダの問いかけにジェイクは一瞬怯む。が、

「うるせぇ、そんなの今カンケーねーだろ!てかお前、人をおちょくるのもいい加減にっ……」

「あんた、地下の人間だろ?なんで戦争代行人になんかなろうと思ったんだ?そのまま下で大人しくしてりゃ、死にそうな目に会ったりしなくてすんでたんだろ?」

真っ直ぐに、マチルダはジェイクを見詰めた。ジェイクは、強さを増したマチルダの視線にまた怯む。が、

「馬鹿言え!コニーが「放っておけない」つって出てきちまったんだ。放っとけるか!」

直後、怒鳴るように答える。マチルダはその声の大きさと言葉の意味に同時に驚き、思わずその身を強張らせた。そして、

「って……すげぇシスコン……」

「言ってろ!大体あいつは、俺より年上で、しっかりしてるように見えるけどな、俺よりよっぽどのヘボなんだぞ。俺がついてなきゃどこでへこんでるかも解んねぇくらいだ。そんなのがお前、戦争やりに出てくなんて言い出してみろ。心配で、下でヘラヘラ笑ってられるかっつーの!」

一息にジェイクが言い切る。マチルダは一瞬唖然とするが、直後、声を立てて笑い出した。

「あはっ……あはは、あはははは!」

「……何がおかしいんだよ、え?お前が聞いたんだろ?なんでスーパーエリートになったのか、って……俺は答えただけだぞ?笑うな!」

とうとうジェイクが怒りに任せて怒鳴り出す。マチルダはそれでも笑い続け、ひとしきり笑った後、にやついた顔で言った。

「悪りィ悪りィ、スーパーヘボが何言い出すかと思ってよ?」

「だからヘボって言うな!」

「そうだよな、ランクDでもあんた、立派にスーパーエリートだもんな?」

言って、マチルダは再び笑う。ジェイクはむっとした顔になって、笑うマチルダを睨んでいた。

「けど……ヘボってのは訂正してやるよ。あんたがそんな風に思ってたなんて、知らなかったし」

言葉は、笑いながら紡がれる。が、ジェイクはそれでも虚を突かれた顔になった。驚きに目を丸くさせるジェイクに、マチルダは続けた。

「ジェイク・ライド少尉、あんたの操縦ってのは、俺や隊長もそういうのがあるけど、俺等よりももっと、何つーか「感性重視」なんだ。そんで機体がついていけないから、バランス取れねーんだよ」

「何だよ、いきなり……今更俺にレクチャーか?」

続いた言葉にジェイクは眉をしかめる。笑ったまま、構わずマチルダは続けた。

「マシンこかすのも、あんた自身は戦闘体勢に入ってるのに、マシンに準備ができてないからだ。あんたが今まで乗ってたのって、ネイヴとかサヴァとかだろ?あいつら、確かに安定したいい機体だけど、どう頑張っても機械なんだよ。管制システムも」

「……だから、何だよ」

言われている言葉の意味がよく解らず、ジェイクは首をかしげる。マチルダは笑い顔をくずすことなく、

「コニーのサポートになったら、てか、新型はその辺も段違いに処理が速い。あんた、化けるぜ?」

その子供には珍しく、そこに満面の笑顔があった。ジェイクはそれに不意打ちでも食らったかのように驚き、直後、何故か赤面する。うわ、何だこれ、てかこのクソガキ、こんなツラだったか?ジェイクは胸中そんな思いで、マチルダの、輝かんばかりの笑顔から、慌てて、露骨なまでに顔をそらす。その態度に、マチルダは笑うのを止めて首をかしげる。双方共に、何がどうしてジェイクがそんな反応をしているのか解っていない、そんな様子である。何だこいつ、急に赤くなったりして、などとマチルダが思っている矢先、余り高くはないが耳につく、喚くような声は届いた。

「ちょっとマチルダ、あんたこんなとこで何やってんの!」

回廊の、二人のいる地点目掛けて、油塗れのつなぎを着たカリナが駆けて来る。ジェイクはそれにぎょっとなるが、マチルダの表情はどこか飄々としていた。

「あ、やべ、見付かった」

「見付かった、じゃないでしょう?さっきミーティングがある、とか言ってみんなと一緒に行ったんじゃ……って、一緒にいるのは誰?」

駆けてきたカリナはマチルダの襟首を真正面から捕まえて揺さぶりをかける。マチルダは軽く眉をしかめると、

「うるせぇな、ババァ。罰でも何でも受けてやるから、静かにしろよ。てかあんた、昨夜本当に寝てないのかよ?」

「誰がババァ……じゃない!今からでも遅くないからミーティングに出なさい!そこの少尉も!ああもう、本当にあんたって子は!」

取り乱すにしても少々大袈裟すぎるカリナの様子に、マチルダは怒りも不満も通り越して呆れていた。が、すぐにも、普段以上のその慌てぶりの理由に気付き、ちらりと視線を動かした。カリナの肩越しに、灰青の詰襟が見える。上官だ。思ったその時、詰襟の人物がマチルダに声を投げた。

「罰でも何でも受ける、か。いい度胸だな、アレン少尉」

「だっ……大隊長殿!」

驚き、大きな声を上げたのはジェイクだった。同時に声の主はジェイクに気付き、

「何だ、もう一人いたのか……確か、ライド少尉、だったな?こんな所で何をしている?」

大隊長、ジョルジォ・レイシャその人に睨みつけられ、さしものジェイクも縮み上がる。が、マチルダの態度は変わらない。むしろ更に不遜さを増し、

「あんたらのやり口が色々不服だったから、一人で抗議活動してたんだとよ」

「我々のやり方が?どういうことだ?ライド少尉」

マチルダの言葉に、レイシャがジェイクに詰め寄る。ジェイクは困惑と恨恚の表情でまずマチルダを睨み、それから、怯みながらも言った。

「それは……俺達だって人間です。承服できないことだって、沢山あります。てか、このやり方はひどいっスよ……機関は、俺達を何だと思ってるんだ、とか……パイロットは、使い捨てのコマじゃねぇんだ。上手く使いたいんなら、もっと上手く立ち回ってくれ、っつーか、その……」

語調は、普段の勢いを持たない。レイシャはそれを黙って聞き、それから、苦笑と共に言葉を返した。

「確かに、君の言う通りだ。当事者である君達に、直前まで何の情報も与えないどころか、それ以上の不安を与えてしまった。しかしこちらにもそうせざるをえなかった理由がある。今ここでそれを聞かせる訳には行かないが……任務は任務だ。完遂して欲しい」

ジェイクはその言葉に、不服そうにレイシャを睨みつける。が、何も言い返そうとはしない。そんなジェイクの様子にレイシャは今一度笑みを漏らし、それから、改めてマチルダに向き直った。カリナに襟首を掴まれたまま、マチルダもレイシャを睨むように見ている。

「アレン少尉、君もだ。たかがマシンの移送とは言え、それも君達の大切な任務だ。きちんと……」

「最新型のエンジン積んだマシンに二人乗りだろ?それに、どうせ走って帰るだけだし、俺なんかミーティングに出なくても、あいつ一人が話し聞いてりゃ充分じゃねぇの?」

苛立ちを露骨にぶつけるマチルダの態度に、レイシャは軽く肩をすくめた。乱暴なマチルダの物言いに、カリナ、

「マチルダ、いい加減にしなさい。あんた、この人が誰だか、解ってるの?」

「俺らの上官で、あいつの父親だろ?なぁ?大隊長」

わざとらしいくらいの馴れ馴れしい口ぶりで、マチルダが尋ねるように言った。レイシャは口許に苦い笑みを浮かべたまま、

「伍長、手を離してあげなさい」

「少佐、でも……」

「君も疲れているだろう。こちらも暇ではないし。仕事が済んだなら、少し休んだらどうだい?」

語調は柔らかい。然しカリナの表情は難しいままだった。渋々ながらに手を離し、カリナはマチルダの傍で言った。

「いい?変なこと言っちゃダメよ?大人しく、いい子にしてなさい」

「変なことって何だよ……」

言ってカリナは退く。引き摺られるように、ジェイクもその場を後にした。何で俺が残されるんだ、この人と。思いながらも無言でマチルダはカリナとジェイクを見送り、それから、改めてレイシャを見た。銀髪に白いものが混じり始めた、しかし壮年というにもまだ若い印象の男は、自分を睨む子供に柔らかく笑いかける。

「娘が、世話になっているそうだね」

「……何だよ、そういう話かよ」

開口一番のレイシャの言葉に、マチルダは呆れの表情で言った。レイシャは笑顔のまま、

「私はあの子の父親だからね。まず最初に、君に会ったらそう挨拶しようと思っていたよ」

「それであいつら余所に行かせたのかよ?それって職権濫用じゃねぇの?」

「おや、難しい言葉を知っているね。流石はスーパーエリートの中でも、稀代と呼ばれるだけはある」

にこにこ笑う男の言葉にマチルダは眉をしかめる。露骨なほどの嫌悪の表情にも、レイシャの態度は変わらなかった。何だこのオヤジ、ただの親馬鹿か?思いながら、マチルダは言った。

「俺はあいつの世話なんかする気はねぇよ。てか、あんた俺らの人事権とか、持ってんだろ?だったらあいつとのコンビ、解消してくれ、っつーか……」

「私の持っている権限なんて、大したものじゃない。それに、そんなことをしたらそれこそ職権濫用だ。そんなことは出来ないよ」

笑いながら、レイシャはさらりと返す。マチルダの眉はますますしかめられる。構わず、レイシャは言った。

「さっき、ライド少尉が言っていたが、君も、今回のことに色々と不満があるようだね」

「あ?『護衛付きプラス二次装備で帰る』ってヤツか?」

「そちらではないよ、マデリンのことだ」

聞き返したマチルダにレイシャは即答する。マチルダはそれには何も返さない。

「確かにあの子は、人より多少頭の回転は速いみたいだが、まだまだ子供だ。君にも色々と迷惑をかけるだろう」

「だったらなんであんなのにテスト受けさせんだよ?あんたあいつの父親だろ?」

怒りをぶつけるような声でマチルダが、尋ねると言うよりも詰るように言った。レイシャは苦笑して、

「あの子は頑固で融通が利かないところがあってね。どうしてもマシンのパイロットになるんだと言って聞かなかった。だから条件を出したんだ。スキップの上に首席で義務教育を終わらせることが出来たら、テストを受けてもいい、と。そうしたら、あろうことかそれを成し遂げてしまった。驚きだろう?」

口調は、親馬鹿の父親のものだった。マチルダは呆れて、しかしやはり何も言い返さない。レイシャは苦笑を漏らし、

「私も人の親たる人間だ。一度した約束を反故にすることは出来ない。だから、テストを受けることは許した。そうしたら、結果がこれさ。こうなったらもう、どうしようもない」

言ってその肩をすくめて見せる。マチルダは不貞腐れた顔でレイシャを睨んだまま、低い声でこう尋ねた。

「あんたは……あいつがマシンに乗って出てって……平気なのか?」

「勿論、平気ではないよ。私の立場からこう言うのも難だが、あの子には、ごくありきたりの平穏な環境で、平和に暮らしてほしいと思っている。けれどこうなってしまったら、もうどうしようもない」

「どうしようもないことないだろ?そう思うんだったら、もうちょっとましなとこに回すとか、そういうっ……」

「今回の、マデリンの人事に関しては、君のことも絡んでいる。こう言っては難だが、マチルダ、君がここにいさえしなければ、マデリンがボガード隊に配属されることはなかったと言ってもいい」

レイシャが笑うのをやめる。マチルダは思いもよらないその言葉に激昂し、思わず叫んだ。

「何だよそれ!なんで俺がそこで出て来るんだよ!」

「ここからは、嫌な軍隊の話になる。聞くか?アレン少尉」

その言葉にマチルダは押し黙る。レイシャは答えないマチルダに構わず言葉を続けた。

「君のパイロットとしての能力は常軌を逸している。その年齢もそうだが、何もかもが他者の追随を許さないレベルだ。私もかつてはあれに乗っていたが、君ほどのパイロットを見たことはない。機関は君の能力を高く評価している。それは君自身も良く解っているだろう?君のその左腕は今現在ラステルが持てる科学技術の粋を集めて作られた特別製だ。それだけでもミッシュマッシュの軍事機密に値する」

「俺はそんなの知らない!この手だって、気がついたらついてたんだ!そんなの誰も頼んでねえ!勝手なこと言うな!」

「その君の能力を最大限に生かすために、ボガードは設計されている。勿論、君だけでなく他のパイロット達の能力も十二分に引き出されるだろう。マシンは二人乗りになって、その機体数は減らさざるを得ないが、それでも今まで以上の戦力になる。ボガード隊はそのための布石だ。我々はこの状況のまま戦争を続けるつもりはない。君にはその力で、ラステルの……」

「それとマデリンと何の関係があるってんだよ!マシンに乗れって言うんなら一人で幾らでも乗ってやる!あいつは関係ないだろ?」

マチルダの声が大きくなる。レイシャはその頬をぴくりとも動かさないまま、淡々と言った。

「君のサポートをできるレベルの人間は、あの子以外にはいない」

「いないって……パイロットなら他にいくらでもいるだろ?シロとかガティとか、俺よりずっと戦績のいいやつだって、沢山っ……」

「これは上の判断だ。私も、入隊したばかりの素人を特殊部隊に配属させるのはどうかと、一応の反対はしてみたが、結果はこれだよ」

言って、レイシャはその顔に苦い笑みを浮かべた。マチルダは驚きと衝撃の表情で、言葉を失っていた。そんなマチルダにレイシャは歩み寄り、目の前でその目の高さをあわせるように、屈みこむ。

「なっ……何だよ、おっさん……」

「ミッシュマッシュは狂っている。君もあの子もまだ子供だ。こんな子供に、国家の存亡を背負わせるなんて、どう考えても異常なことだ。だがそれでも、我々は戦い続けなければならない。この国の未来のために……君には、本当にすまないと思っているよ」

その顔にあったのは、苦渋だった。哀しげに目をひらめかせ、レイシャはマチルダの体をそっと抱き寄せる。唐突な抱擁にマチルダは驚くが、されるまま、それを解こうとしなかった。

「マデリンを頼むよ。そして君も、できる限り生き残ってくれ。君にもあの子にも、この先には長い未来が待っている。それをただ、戦争だけで終わらせないでくれ」

「勝手なこと言うなよ。俺はっ……」

「ダルトゥーイのテロリストがクラカラインの軍部と繋がっているらしいとの情報が入っている。が、恐らくそれはクラカラインの偽装だ。明日の移動中、戦闘が起こる可能性がある」

そう言って、レイシャはマチルダの体を開放した。マチルダは幾重もの驚きにその表情を強張らせる。

「出来うる限りの準備の指示は出した。しかし戦うのは君達だ。どうか死なないでくれ」

「無茶言うなよ……だったらあんた、今すぐマデリン連れて、先に帰れよ!」

マチルダが叫ぶ。響く声には怒りと同時に痛みまでもが入り混じる。悲痛に、泣き叫ぶように、マチルダは更に言った。

「俺は嫌だぞ!あんなのとマシンに乗らないからな!俺と一緒にボガードに乗せてみろ!自爆して死んでやる!」

「それは困るな……アルにもカリナも恨まれるし……マデリンも道連れになる」

言葉の後、レイシャはマチルダの頭をくしゃくしゃと撫でる。唐突なその行動にマチルダは驚き、息を詰める。同時に、ひッ、と、小さく声が洩れた。

「あの子を頼むよ……そして君も、無事でいてくれ」

そう言って、レイシャは奇妙な笑みを浮かべ、踵を返す。マチルダは立ちすくみ、そのまま立ち去る背中を見送る。

「ばっ……ばかやろー!勝手なこと言うな!このくそオヤジ、そんなこと言うくらいなら、最初っから、こんな、こんなとこにっ……」

怒りをぶつけようとしていたその声は、いつしか涙にまみれていた。立ち尽くして、拭いもせず、マチルダはそのまま嗚咽する。背中が立ち去って、見えなくなって、マチルダはその場に崩れた。座り込んだその床に手を着いて、そのまま額がつくほど屈みこみ、言葉にならない声で泣き続けた。

 

ミーティング終了間際、ジェイク・ライド少尉は大隊長、ジョルジォ・レイシャ少佐にその現場に連行された。まず最初に自身のパートナーから大目玉を食らい、チームメイトからは揶揄の声を浴び、警護の他部隊の面子からはねちねちと苛められ、当然のことながら散々な目に会いながらも、連行した彼の上官の一言で処罰は免れた格好にはなった。とは言え彼のその場の待遇はほぼ処罰並みである。なんで俺がこんな目に、などというぼやきには同情の余地もない。

「本当に貴方って人は。ちゃんと反省しているの?自分の立場を弁えているの?大隊長が口ぞえして下さったから何事もなくすんだけれど、前線基地で作戦会議をすっぽかしたりしたら、どういうことになるのか解っているんでしょうね?」

「あーもー、解ってるよ!いちいちいちいちうるせぇな!謝ったんだからもういいだろ?」

「その態度で何がどのくらい解っているって言うの!いいからもう一度皆に謝って!もう二度とこんな真似をしないと誓約しなさい!」

余り広くないミーティングルームで、コニーとジェイクの怒鳴り合いが続く。傍ら、

「確かにいい度胸だよなぁ、作戦会議すっぽかし、なんてよ?」

「まあ、それほどの規模じゃないけど、確かにそうだね。ある意味頭が下がるよ」

「二人とも、何を感心しているんですか。そういうことは……」

「確かにそうだな、感心できたことではない。俺のパートナーもやりかねないから、特に」

「カイル……お前、ここまで来てまだ俺がそんなに信用できないのか?ああ?」

「君ならやりかねないだろう?いつぞや隊長に向かって暴言も吐いたことだし」

「いやはや、仲がいいねぇ、二人とも」

「……そうでしょうか……」

誰が何を言っているのかはともかく、そんな具合であった。その、同じ室内。

「マデリン」

ミーティングの最中、一言の口も聞かず、その片隅でただ座っているだけだったマデリンの頭上から、低く声が投げられる。ぼんやりと顔を上げて、マデリンはそこにある笑顔を見た。

「パパ……」

「元気……じゃあ、なさそうだね」

上官であり父親でもある男は、そう言ってマデリンの隣に座る。マデリンはすぐに目をそらして、

「元気じゃなかったら、何?連れて帰るの?」

「パパとしてはそうしたいところだが、ここではそういうことはできなくてね。どうだい?こちらの様子は」

苦笑交じりに父親が尋ねる。マデリンはそっぽを向いたまま、

「……どうでもいいでしょ。パパには関係ないわ」

「あまり、良くはないようだね」

娘のすねた横顔に、彼は苦笑する。マデリンは眉をしかめて、そのまま何も言い返さない。レイシャは苦笑しながら、そんなマデリンに話し続けた。

「マチルダはハンガーにいたよ。明日のことはお前一人に任せておいても、支障はないだろうと言っていた。尤も、移動だけだから、と言う意味でだがね。仲良くやっていないのかい?」

「パパには関係ないでしょ?」

「なくはないさ。私は君達の……」

「上官だから気にするの?だったらそういうのは隊長に聞いてよ」

滅多にないほどマデリンは機嫌が悪い。おやおや、こじらせたな。自身でレイシャは思って、それでも尚変わらず、話し続けた。

「マデリンは、マチルダをどう思う?返答次第では、私も多少考えるところがあるんだが」

「考える?」

ちらりと、マデリンが彼を見る。彼はそのままの表情で答えた。

「そうだね、お前を別の部隊に移動させる、とか……」

「……マチルダが、そうしろって言ったの?」

「まあ、それもあるが」

その言葉に、マデリンの表情が凍りつく。そのまま、その大きな目に涙があふれて、レイシャはぎょっとする。

「マデリン?どうか……」

「あたしのこと嫌いなのは、マチルダよ。あたしはマチルダのこと、大好きなのに……どんなに頑張っても、我慢しても、あたしと一緒は嫌だって……あたしとは絶対にマシンに乗らないって……」

そのまま、マデリンは手で顔を覆って泣き始める。突然の号泣に、室内の全ての視線がそちらに集まる。が、構わずレイシャは自分の娘を抱き寄せ、その背中をそっと撫でた。

「あたしはマチルダと一緒がいいのに、マチルダが、マチルダが……うぇぇぇん……」

「そうか、あの子が一方的にお前を嫌がっているのか。それは……困ったね」

レイシャは娘を宥め始める。心配そうにフェーンが無言で歩み寄るが、手振りだけで大丈夫だと返し、レイシャはそのまま続けた。

「とは言えパパが話した感じだと、そんなにひどく嫌われていることも、なさげだったが」

「そ……そんなの、解んないわよ……だってマチルダ、いつもいつも、あたしとは一緒にマシンに乗らない、って、そう言って……」

ひっくひっくとしゃくりあげながら、マデリンはそんな風に言い返す。レイシャはかすかに笑って、

「それはパパも聞いたよ。どうしてもお前と一緒は嫌だ、って。パパだって、お前にマシンになんか、乗って欲しくはないよ。マチルダだって、そう思っているんじゃないかな」

言葉に、マデリンは顔を上げる。笑いかけて、レイシャは言葉を続けた。

「お前は無理を言って、押し通して、だから私はお前の入隊を許した。だから今となってはお前を引き止めたりしはしないし、できないが……マチルダも、出来ることならお前に戦争なんか、させたくないんだろう」

「……どういうこと?だってあたし、折角パイロットになったのよ?」

すんすん鼻を鳴らしながら、マデリンは父親に問い返す。レイシャは柔らかな表情のまま、

「そういうことさ。マシンに乗るだけなら、適性さえあったら後は訓練次第で何とでもできるようになる。しかしそれに乗ってすることは、戦争だからね。子供のすることじゃない」

「でも……」

不満そうに、マデリンは言葉を濁す。レイシャはそっとその手を解き、やわらかにマデリンの髪を撫でた。

「この先のこともある。もう一度マチルダと話しておいで。それでもどうしてもダメなら、明日の移動だけではなくて、その後にも差支えが出るだろう。そうなったら本当に、お前かマチルダの配置換えも検討せざるを得ない」

「大隊長、そいつは……」

レイシャのその言葉に、ガベルが思わず言葉を挟む。振り向きもせず、その手振りだけでレイシャはそれを制し、マデリンに重ねて言った。

「マチルダと話しておいで。きっとまだ、ハンガーにいるだろうから」

戸惑うようにマデリンは視線を泳がせる。が、時間をおかず、頷くと無言で席を立った。立ち去るマデリンを見送り、レイシャは笑みを浮かべたままで軽く息をつく。ガベルが今一度、そこに声を投げた。

「大隊長……本気ですか?」

「何がだ?ガベル中尉」

驚きの表情のガベルへとレイシャは振り返る。奇妙に引き攣った顔で、ガベルは上官に尋ねた。

「マチルダかマデリンを移動させる、ってのは……」

「マチルダがこれ以上搭乗を拒否し続けたら、の話だよ。フォワードのパイロットが戦場で戦闘を放棄するようなことがあれば、それこそ何らかの処分も考える。もっとも、生還すればの話だが」

「って……あいつだってそう簡単に死にたかないでしょう。そいつは考えすぎなんじゃ……」

「機関全体の士気にも関わる。放置できる問題でないのは確かだ」

レイシャはそう言って軽く息をつく。そして、

「ミーティングの一度や二度のエスケープくらいなら、私が適当に誤魔化す。あの子はまだ子供だ、そういうことも大人である我々に比べたら、大目に見られる。だが新型に乗っている情況で戦闘を放棄すれば、司令部も黙ってはいない。私のフォローも効かなくなるし、何より、マチルダ自身の命にも関わる。それだけは避けたい」

「そいつは……マデリンが一緒だからですか?」

少々皮肉めいた問いをガベルが投げる。レイシャは苦笑して、

「そう聞こえるか?アル」

ガベルの表情はどこか硬く、渋い。レイシャは肩をすくめて、周囲を見渡すと、言った。

「因果な職に就いたものだな。私自身は、人並みに平和主義者のつもりだが」

「戦争屋がそう言っても、誰も信用しませんよ」

「我々の使命は国家を守り、一日も早くその戦争を終わらせることだ。みんなも、それだけは心に留めておいてほしい。できることなら未来ある若者を死に急がせたりはしたくない。だが、国家を他国の武力で蹂躙されるのも、許すことは出来ない」

レイシャの言葉に、室内の視線の全てが集まる。真摯な表情のその中、ガベルだけが不満そうにレイシャを睨んでいる。

「そう言えばアル、君もハンガーに様子を見に行った方がいいかもしれない」

不意に、睨まれていたレイシャがそう言った。ガベルはその言葉に目を丸くさせる。構わず、レイシャ、

「アレン少尉がとんでもないことになって、整備主任伍長がかなり手を焼いていた」

「マチルダが?」

言葉に思わずガベルがそう声を漏らす。レイシャはにこにこと笑って、

「多少きついことを言ったからね。怒ったか拗ねたかくらいは、したかもしれないな」

 

マデリンがハンガーに辿り着く。既に人気は殆どなくなっていた。が、広いドームの中には真昼のように煌々とライトが灯されていた。機械音もエアー音もしないそのだだっ広い伽藍堂の中、かすかに女性の、叫ぶような声だけが聞こえる。

「ちょっと、本当にいい加減に……マチルダ、開けて、出てきなさいってば!」

マシンに近付くと、それだけ声は大きくなる。足早に駆けて辿り着くと、整備用のリフトの荷台に乗ったカリナの姿が見えた。立たせたマシンのパイロットルームのハッチの外から、中に向かって怒鳴っているらしい。もっとも、マシンの外装は鋼鉄製でその扉も機密性の高い密封式だ。声が届いているとは考え難い。

「カリナさん!」

マシンの足元まで来て、マデリンがその名を呼ぶ。振り返って、カリナはその場で僅かによろめいた。

「マデリン……」

「マチルダ、どうしたの?中にいるの?」

「……ええ」

疲れた顔で言って、カリナは苦笑する。マデリンはリフトのシートに飛び乗ると、操作パネルを動かし、その荷台を下へと降ろす。

「さっきから閉じこもって……出てこようとしないのよ」

「閉じこもってって……どうして?」

降りて来たカリナはふらつく足取りでその荷台を降りる。恐らく朝から休むことなく動き詰めだったのだろう。顔色も良くない。それに加えて落胆した様子で、カリナは首を横に振った。

「解らないわ……大隊長が来て、何か話していって、そうしたらあの子、急に中に入れろって言って……整備が終わって、部屋に戻るから、って呼んでも、出てこなくて……」

「そんなの、外から無理やり開けちゃったらいいじゃない。コントローラー、繋がってるんでしょ?」

「でもあの子……泣いてたから……」

責めるようなマデリンの言葉に、そう言ってカリナは息をついた。マデリンはその言葉に驚き、

「な……マチルダが、泣いてたの?どうして?」

カリナは答えない。そのままふらふらと数歩歩いて、マシンのすぐ脇に座り込む。マデリンはマシンのコクピットを見上げ、リフトの荷台に乗ってそれを操作し、その荷台をコクピットの傍まで上昇させた。

「マチルダ、マチルダ!ねえ、聞こえてる?ここ開けて、出てきて!」

鋼鉄の扉の前でマデリンが呼びかける。が、聞こえていないらしく反応は何もない。そのまま、マデリンはその顔をくしゃりと歪ませた。昇ったリフトの荷台を見上げ、カリナは無言で息をつく。

「カリナ、どうした?」

足音と共に、ガベルの声が聞こえる。座り込んだままのカリナはそちらに目を向け、力なく笑った。ガベルと、その後からフェーンとが駆けて来るのが見える。先に辿り着いたガベルは座り込んだ彼女の傍にしゃがみこみ、答えを聞くより前に更に言った。

「お前……顔色が悪いぞ?あれから休んでないのか?」

「ええ、残念ながら、そんな余裕がなくて」

「マチルダは?どこに……」

矢継ぎ早の質問に、カリナは無言でマシンの上方を指差した。それに従ってガベルが顔を上げる。

「閉じこもっちゃって、出てこないのよ」

「フェーン!外のパネルからこいつの蓋開けろ!」

自分に着いて来た副官の名を怒鳴るように呼び、ガベルが指示を出す。が、すぐにもそれをカリナが制した。

「アルやめて。あの子が開けるまで、待ってあげて」

言葉に、ガベルはカリナを見る。困ったようにカリナは笑い、そしてこう続けた。

「すぐに出てくるわ。だから、待ってあげて」

「待てって……お前、そんな悠長な……」

「無理やりこじ開けて引きずり出したら、あの子、また同じ事するわよ。もしかしたら私や貴方の見てないところでやるかも。それじゃ何にも意味がないでしょ?」

「……何か、あったのか?」

上官の指示でなく整備主任の言葉に従っているのか、フェーンはコントローラーの前に立って、それを操作しようとはしなかった。黙ってカリナと、その傍にしゃがみこむガベルを、どこか不安気に見ている。カリナはマシンを見るように顔を上げ、そして溜め息をつくと言った。

「大隊長と何か話してて……その後、泣き出して……凄かったわ。どうしたの、って聞こうとしたら、乗せろって言い出して……そのままよ」

「少佐と、何かあったんでしょうか……」

言ったのはフェーンだった。そちらを見て、カリナは肩をすくめる。

「解らないわ。何か話があるみたいだったから、私は離れていたし……」

「何か言われたんだろうよ。あの人は俺なんかよりよっぽど食えない男だ。そうでもなきゃパイロットからたたき上げで、あそこまでになれる訳がない」

ガベルが言いながら舌打ちする。カリナは困ったように笑って、

「だったら余計に、よ。無理やりこじ開けたりしないで」

「けどお前、俺達は明日には……」

「アル、お願い」

重ねて、カリナが言う。ガベルは忌々しげに舌打ちすると、座り込むカリナを唐突に抱き上げた。

「アル?急に、何……」

「フェーン、暫く様子を見てろ。俺はこいつを宿舎に放り込んでくる」

突然のことにカリナが驚く。フェーンもガベルの行動に虚を突かれる。が、

「解りました。何かあったらすぐに呼びます」

かすかに笑って、そのまま立ち去るガベルを見送る。抱き上げられたカリナはその腕の中で、

「アル、何言ってるのよ!今はマチルダが……」

「お前はお前でちゃんと休め。そんなふらふらで、まだあいつに付き合う気か?」

「私のことより今はマチルダの方が心配でしょ?降ろしなさいよ!」

「悪いな、俺はお前の体も心配なんだよ。どうだ、嬉しいだろ?」

痴話げんかともつかないやり取りをしながら、ガベルはカリナを抱いて去っていく。フェーンは苦笑で見送って、それから、リフトの荷台のマデリンを見上げた。

「マチルダ、開けて。ここ、開けてよ!」

外の音は、回路を開いていなければ、コクピットには全く聞こえない。まともな会話をしたいなら外から通信回路を開いて、マイクとイヤホンを通すほうが確実だ。とは言え、中にいる人間がそれを拒否して回路を切断すれば、それも叶わない。カリナも一度はそれを試みたのだろう。だだをこねた子供が閉じこもるには、その中は本来、余りにも外に対して開かれすぎている。なのにそれをこじ開けようとしなかったのは、カリナがそれだけマチルダを案じているからだ。何でもかんでも強行突破するような人なのに。思ってフェーンはまた軽く笑った。しないのではなくて、出来なかったのかもしれない。号泣する子供の前に、大抵の大人は無力だ。それに、泣きじゃくって拒む子供に、無理強いなど出来ない。それがその生死に関わるほどの問題なら、尚の事だ。マチルダがしたくないというなら、ただそれだけの理由で、カリナもガベルも、マチルダがマシンに乗ることを拒むだろう。

機関構成員である以上、戦争に関わらずにはいられない。ましてやマシンのパイロットは、出撃を拒否することが許されない。それでも拒み通した人間がいると聞いたことはないが、マチルダがそれを拒否したことは一度としてない、という。戦争をしに行くことを、あの子はどう思っているのだろう。マシンを駆って、死にそうな目にも会っているのに、それでも一度たりとも、その命令を拒否したことはない。今回もそうだ。出撃しろと言われれば、マチルダは返事を濁すこともなく前線に赴くだろう。だがボガードに乗って、マデリンと共に出撃することだけを強く拒んでいる。最初は、訓練校を出たばかりの初心者とコンビを組むのが嫌なのかと思っていたが、マデリンはデータ上ではマチルダと遜色のない能力の持ち主だ。多少の不安材料もあるだろうが、そんなものはすぐにも解消されるだろう。だったら一体何が、そう思った時、フェーンの頭に過ぎったのはごく自然な、当たり前の考えだった。

「僕も、大切な誰かがここに来て戦争をすると言ったら、きっと君の様にそれを拒むよ」

コクピットを見上げて、フェーンは呟く。十二歳の「稀代のスーパーエリート」と呼ばれる天才パイロットは、異様に賢く聡く、勘も鋭く、扱い難い子供だ。こちらの僅かな言葉の端も捕まえて、何もかもを感じ取るほどに。侮るどころか、一瞬も気を許せない。そんな子供でも、思う事は単純で、ごく普通の人間のそれと変わりがない。大事な誰かを危険な目に合わせたくない。だから無理やりにでも置いて行きたい。それだけなのだ。

「マチルダ、開けて、開けてよ!」

マデリンの声に悲痛な何かが混じる。気がつくとマデリンはその拳で、マシンのハッチを叩き始めていた。素手で叩いているにしては大きく耳につくその音に、フェーンは慌てて制止の声を上げる。

「マデリン、やめるんだ。そんなことをしたら手が……」

「開けてよ、マチルダ、開けてったら!」

が、マデリンにそれは届いていないらしい。仕方ない。思ってフェーンは整備用の外部コントローラーを操作し、中にいるマチルダに呼びかけた。

「マチルダ、聞こえるかい?」

カメラを使った対面通話の回路が開く。コクピットの中の様子が目の前のモニタに映し出され、呼びかけるようにフェーンが言った。

「ハッチを開けてくれ。マデリンが呼んでいるよ」

『……うるせぇ、切るぞ』

シートに座って、膝を抱え込んだマチルダが見える。泣いているのか、声はひどくひび割れていた。フェーンは苦笑して、更に言った。

「隊長も整備主任もしなかったけど、何ならこちらから開けても構わないよ。いいかい?」

マチルダの答えはない。フェーンは重ねて言った。

「マデリンが、ハッチをずっと殴ってるんだ。手が潰れるかもしれない。そうしたら、彼女はマシンを動かせなくなってしまうよ」

『別に……関係ねーよ』

「そうだね。そうなっても彼女は君を恨んだりしないし……むしろ辛いのは、君だろうしね」

マデリンが、血まみれの手でマシンを殴り続けたら、マチルダは顔には出さずとも、自分を責める。勿論マデリンにさえそんなそぶりは見せないだろう。それでも、手に取るようにフェーンにはそれが解った。そういう子供だから、気にかかる。そしてだからこそ、パイロットとしても信頼できるのだ。誰かを思いやれない人間は、基本的に信頼に値しない。目の前で逃げられるくらいなら構わないが、己の保身のためにそれ以上のことをしかねない。が、マチルダはそうではない。戦争代行人としても、友人としても、充分に信頼して余る。尤も、マチルダが自分をどう思っているのかは解らないが。

「本当に構わないのかい?マチルダ。あのまま泣き喚いたら、リフトから落ちるかもしれないよ。そうなったら無傷ではないだろうし……まあそのままこちらに入院したら、明日の移動も今後の出撃も、どうなるか解らないけど……」

とは言えそれは、半ば賭けだった。その脅しでマチルダが動かない可能性もある。マデリンが隊から離れれば、それはそれでマチルダには好都合ではあるのだ。もしマデリンが負傷して、こちらに留め置かれることになれば、当分彼女は戦闘に関わらずにすむことになるし、隊を外される可能性も出て来る。自分を責め苛みながらも、そうなってくれたらと、その異様に聡い子供が判断すれば、その作戦は失敗に終わる。駆け引きなんて、本当は得意じゃないんだけどな。思いながら、フェーンは僅かの間、マチルダの動きを待った。待ちながらも、言葉を続けた。

「出て来いとか、僕を入れろとか、そういうことは言わないよ。中にいたければそれでいい。マデリンに答えてやってくれ。外の様子が解るだろう?」

通話回線を開くと同時に、外部の管制コンピューターで機体の状況も把握できるようになる。電源は全く落ちている訳ではない。ピットの中では外の音も、視覚情報も得られるようになっている。解っていてやっているのだ。単に拗ねているだけだな。思ってフェーンは嘆息する。それから数秒後、外部マイクを通したマチルダの声が辺りに響いた。

『あんまり殴るな、中でも見えてる』

「マチルダ!」

反応があったことにマデリンが声を上げる。ハッチが僅かに開いて、マデリンはその隙間から中を覗き込んだ。

「マチルダ!」

「開けてやったんだ、聞こえてる。だから怒鳴るな」

「ま……マチルダ、マチルダぁ……」

ハッチにマデリンが手をかける。その余りにも狭い隙間から体をねじ込ませようとする様子に、マチルダは眉をしかめた。

「お前、何やってんだよ」

「何って……だってここじゃ、マチルダの傍じゃないじゃない……」

「入ってくんな!解ったら降りて、どっか行け!」

マチルダが声を上げる。コントローラーの傍のフェーンは通信回路を切り替え、やれやれと言いながらそちらに向き直る。

「マチルダ、中に入れてよ!入れてったら!」

「だから降りろって言ってんだろ!フェーン、何とかしろ!」

マチルダが再び怒鳴る。フェーンは声もなく笑うと手元のコントローラーでマシンのハッチを操作した。がくんと、それは広く開いて、直後、

「えーい!」

「えーいって……この馬鹿、危ないだろ!」

リフトからマシンへと、マデリンが飛び移る。直後、再びの外からの操作でマシンのハッチは閉じられた。ぶぅん、という音と共に、機体内部のモニタが復帰する。気がつかないまま、マチルダは飛び込んできたマデリンを見ていた。

「えへへへへー」

「って……えへへじゃない!お前、落ちたらどうなってたか!」

怒鳴るマチルダの顔が青くなっている。気付いているのかいないのか、マデリンはそのまま続けた。

「だって落ちなかったじゃない。平気よ」

「だから、落ちたらどうなってたかって……」

「マチルダだって、ハッチ、開けてくれたでしょ?」

その物言いに、マチルダの言葉はなかった。確かに多少開けはしたが、それを広く開けたのはフェーンが外からしたことで自分の意思ではない。やられた。思ってマチルダは怒鳴った。

「おいフェーン、何しやがった!」

『何って……あれじゃ顔もろくに見えないと思って、少し広く開けたんだけど……閉じたのはどうしてかな?』

「ってテメエがやったんだろうが!フェーンのくせに!」

外で惚けるフェーンに向かい、意味の解らない罵声をマチルダが浴びせる。が、フェーンは変わらない様子で、

『そうは言われても、僕は一生「フェーン」だからね……どう答えたらいいのか……』

「ここもう一ペン開けろ!で、リフトもっと近付けろ!こいつ降ろす!」

「ええっ、どうしてよ?やっと中に入れたのに!って言うか、マチルダが降りないならあたしだって降りない!」

笑っていたはずのマデリンが、直後マチルダに食いつくほどの勢いで反論する。マチルダは振り返り、同レベルの強さですぐさま怒鳴った。

「降りろ!」

「いや!マチルダがここにいるなら、あたしだってここにいる!」

それはいつもの反応とは違っていた。眉を吊り上げてマデリンはマチルダを睨む。マチルダも睨み返す格好で、更に強く言った。

「いいから降りろ!てか何しに来た!」

「そっちこそ、なんでこんなとこにいるのよ!ミーティングさぼるなんて、何考えてるの?」

「俺はいいんだ!どうせいてもいなくても一緒なんだから」

「いいわけないでしょ!明日の配置のこととか、時間配分のこととか、大事なこと沢山話したんだから!シル・ソレアに帰るまでにみんなとはぐれたりしたらどうするのよ!」

「あのな、マシンで移動するだけだったら、コースコンピューターに入れてフルオートで、勝手に走らす事だってできるんだぞ?はぐれるとか遅れるとか、そんなのあるわけねぇだろ?」

「でもだめ!ちゃんとミーティングに出て、ちゃんと色々聞かなきゃ!もし何かあったら困るでしょ?」

呼吸さえ乱れるほどの、激しい怒鳴り合いが続く。いつもと違うのは、マデリンの強さだった。いつもならこんな風に食い下がることもなく、すぐにマチルダを詰って閉口する。何だこれ、こいつ、なんでこんなに怒ってる、てか、しつこいんだ?思ってマチルダは僅かに眉をしかめる。自分がミーティングに出なかったことでひどく叱責でもされたのだろうか。それなら納得もいくが。勝手にそんな風に判断すると、マチルダはふふん、と鼻先で笑った。マデリンはそんなマチルダの胸中など解るはずもなく、あからさまに自分を馬鹿にしたその笑みに、更に怒鳴る。

「何よ、何がおかしいのよ!」

「別に。悪いことしたなら謝ってやろうかなって、ちょっと思っただけだ」

「何よ、その言い方」

マデリンがふて腐れる。マチルダは更に笑って、

「あ?言い方?ああ、こーゆーのが気に食わねぇのか。悪いな、俺はどっかの誰かみたいにお育ちが宜しくないんでな。まともな喋り方なんて出来ねぇんだ。勘弁してくれや」

「なっ……」

マデリンが閉口する。マチルダはニヤニヤと笑うが、すぐにもそれをやめた。そして、

「話がすんだんなら出てけ。で、もう俺に構うな」

「いや、ここにいる!」

その言葉に、マデリンはやはり即答した。同時に、怒りに染まっていたその顔つきが変化する。怒っている、同時に、何か真剣に思いつめた目で、マデリンはマチルダを、睨む様に見ていた。微妙なその辺かに、マチルダも気付く。その眉が訝しげに傾きかけた時、マデリンが口を開いた。

「どうしてよ……なんでこんなとこに、一人でいるのよ」

「……は?」

「泣いてたんでしょ?どうしてよ?」

マデリンの声が大きくなる。しかし声よりもその言葉に、マチルダは思わず体を強張らせた。マデリンの表情が歪む。そのまま、マデリンは手で顔を覆って泣き始めた。

「っておい……マデリン?」

「なんで……なんでこんなとこで、一人で泣いてたりするのよ?こんなせまいとこで……嫌なことがあったら、ちゃんと言えばいいでしょ?それとも……あたしがそんなに嫌い?」

ぼろぼろとマデリンの目から涙がこぼれる。訳が解らず、しかし、だと言うのに奇妙な胸の痛みを感じながら、マチルダはマデリンに問い返した。

「お前……何言って……」

「ミーティングさぼって、一人でこんなとこに閉じこもって、泣けるくらいあたしが嫌いなの?あたしは、そりゃ子供だし、パイロットになったけど、まだ全然、マシンに乗ったこともないし、マチルダみたいに頭も良くないし、強くもないし……使えないけど……」

何度も繰り返し、マデリンはこぼれる涙を拭う。しながらの言葉に、マチルダは息を飲んだ。

「あたしは、マチルダのこと大好きなのに……なんでそんなに、あたしのこと嫌いなの?」

涙にぬれた瞳が、真っ直ぐにマチルダを見る。呼吸も出来ず、マチルダはそれを見返していた。

「答えて、答えてよ!」

狭いコクピット内に、マデリンの声が響く。マチルダは呆然と、そんなマデリンをただ見ていた。口許から息が洩れる。それから数秒の後、マチルダはマデリンから視線を逸らし、その狭いコクピット内を見回した。

「マチルダ!」

「前からずっと思ってた……こん中……棺桶みたいだ」

あまり大きくない、力の抜けた声でマチルダが言った。マデリンは叫ぶのをやめて、続くであろうマチルダの言葉を待った。

「狭くて、電源落としたら真っ暗で、自分の他に誰もいなくて……多分俺、死ぬ時、こん中にいるぜ……」

視線をめぐらせて、マチルダはもう一度マデリンを見た。真っ赤に泣き腫らした目で、マデリンはマチルダを見ていた。肩が震えて、時々痙攣している。なんでこいつは、こんなにも泣くんだろう。毎回毎回。それに、さっき何か言ってた。何だっけ。ぼんやり、マチルダはそんなことを考えていた。

「マチルダ?」

「……お前は、マシンになんか、乗るな」

泣きぬれたマデリンを見て、マチルダは言った。そうだ、本当はそう言いたかったのだ。一緒が嫌だとか、使えないとか、そういうことではなくて、ここに入ってくるなと、そう言いたかったのだ。思いながら、マチルダは言葉を繰り返した。

「お前は、マシンに乗るな。こんなとこ……入って来るな……」

拒否というよりも、それは願いに似ていた。いつもと余りにも違いすぎるマチルダの声に、マデリンは驚き、戸惑う。

「ま……マチルダ?泣いて……」

「お前はマシンに乗るな。戦争なんかに出るな……頼むから、言うこと、聞いてくれ……」

言葉は途切れて、涙でふさがれる。その暖かいものがこぼれることに気付いていないのか、隠すこともぬぐうこともせず、マチルダはただぼんやりとマデリンを見ていた。

「マチルダ……」

名を呼ばれて、マチルダはかすかに息を飲む。マデリンはそっとマチルダに歩み寄って、マチルダの頬にそっと触れた。

「マデリン……?」

無言で、マデリンが笑う。マチルダは眉をしかめて、その目を閉じる。

「お前は、戦争なんかに出るな。もっとずっと、どこにいるのか見えないくらい遠くで……ずっと後ろにいろ。こんなとこ、早く離れて……」

「ダメよ。そしたら、マチルダが一人になっちゃう……」

「早く逃げろ。そんで……そんで……」

ぼろぼろと、マチルダの目から涙はこぼれ続けた。拭うように頬を撫でて、マデリンはかすかに笑っていた。

「ばかマデリン……こんなとこにいたら、死んじまうぞ」

「大丈夫よ。だってあたし、マチルダと一緒だもの。このコに乗って、マチルダとずーっと一緒にいる。ずーっとずーっと、マチルダと一緒にいる」

言いながら、マデリンはマチルダの頭を抱え込むように抱きしめる。されるまま、マチルダはマデリンの腕の中に納まって、その中で小さく声を漏らした。

「マデリン……」

「あたしは絶対、マチルダを一人にしない。だってマチルダのこと、大好きだもん。一人でまた、こんな風に泣いたりしてたら、嫌だもん」

「……それで、死にそうになってもか?」

泣きながら、それでも強がるようなマチルダの声がする。マデリンは少し笑うと、

「うん。ずーっとマチルダと一緒にいる。ずーっとずーっと……マチルダのこと、一人になんてしない」

「……遊びに行くんじゃねぇんだぞ。怪我しても死んでも、文句だって言えないし……いつ殺されるかも、解んねぇのに……」

マデリンの腕の中で、マチルダが言葉を続ける。聞いて、マデリンは不意にくすくすと笑った。

「なんかマチルダ、駄々こねてる、ちっちゃい子みたい」

「……何だよ、それ」

「え?なんて言うか……可愛いなーって」

その言葉にマチルダは瞬時に顔を上げた。勢いでその腕が解ける。驚き、マデリンはその目をぱちくりさせた。

「マチルダ?」

「誰がチビガキだよ……自分だってそうじゃねぇか」

言うとマチルダは制服の袖口でごしごしと自分の顔を拭う。マデリンはマチルダの一瞬の激変に驚き、言葉を失う。

「ま、マチルダ?」

「あーもー、面倒くせ。なんで俺がこんな目に会わなきゃなんねーんだ。ばかばかし」

言うとマチルダはマデリンに背を向けた。そして、

「いいか、ついてくるなら……腹くくれよ」

「え?」

「だから……死ぬ気でついてこいって言ってんだよ!俺様はスーパーエリートの中でも超のつくスーパーエース様だ。他のパイロットよりずーっと使える。そういう俺について来るんだ、人並みのレベルじゃ足りねぇし、それなりの覚悟も出来なきゃ、すぐにおいていくからな!」

マチルダが怒鳴る。言葉の意味が良く解らず、マデリンは一瞬放心する。が、すぐその顔に満面の笑みを浮かべ、

「うん!あたしがんばる!マチルダについていけるように、がんばる!」

「……ふん」

ふくれっ面でマチルダはそっぽを向く。それでもマデリンは笑って、そんなマチルダに今一度抱きついた。

「うわ!何すんだよ、このばか!」

「だってだってだって!嬉しいんだもん。マチルダが、一緒にいてもいいって言ってくれて。あたし、置いていかれないようにがんばるから!がんばるからね!」

抱きつかれて、マチルダは焦るが、それを解こうとはしない。傍で小さくきゃー、と声を立てるマデリンを見て、何故か赤くなってそっぽを向くと、小さく言った。

「俺も……お前のこと、絶対に守るから……」

「え、何?何か言った?マチルダ」

しかし余りの声の小ささに、マデリンには良く聞こえなかったらしい。首をかしげるマデリンに、そっぽを向いてマチルダは言った。

「……何でもねぇよ。てか……なんか、頭いてー……」

「ええっ、嘘!マチルダ、大丈夫?他には?気持ち悪いとか、おなか痛いとか、そういうのない?」

泣きすぎて浮腫んだマチルダの顔を覗いて、大慌てでマデリンが尋ねる。マチルダはそっぽを向いたまま、

「腹減った、あと、眠たい……」

「じゃ、じゃあ早くご飯食べて、早く寝ましょ!やだもう、なんでそんな時にこんなとこに閉じこもったりするのよ!具合が良くないなら部屋で寝てるって、そう言えばいいじゃない!」

マデリンがそのまま一人で騒ぎ始める。マチルダは少々うんざりした顔で、しかしマデリンの腕を解くことも、特に抵抗することもなく、

「うるせー……今なったんだからしょーがねーだろ」

そんな風に言い返した。

 

 

 

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Last updated: 2008/04/26