小噺惟神

-コバナシカムナガラ-

 

神様は無慈悲で冷酷

 

 

「五十鈴ね、ちょっとお外に御用があるの」

 

御巫五十鈴は宗教法人八百万神祇会、大御坐神社の祭主である。祭主、斎主、時には大祝、大物忌とも呼ばれ、その役目は能く神々と交わり、その意思を伝える事にあり、その為に世俗と切り離された環境で、神々と接するに相応しくあるために、厳しい斎戒の元、多くの他人と関わることのない生活を余儀なくされている。

 

「お外に御用って……え?」

「じゃ、行ってきまーす」

社務所の玄関から、珍しくワンピースを身に纏った五十鈴が出て行く。しばし見送って、本殿祭礼係にして少宮司家「御幣家の巫女」、御幣ぼたん(21)は慌ててそれを追いかけた。

「ちょっと待ちなさい、五十鈴。出かけるって、どこに……」

「大丈夫よ、神様が連れて行ってくれるから」

「ってそうじゃなくて……神様?」

にっこにこの笑顔で答えた五十鈴の目の前で、ぼたんはその眉を酷くしかめた。五十鈴はそのまま、

「そうよ。神様の御用なの」

「神様の、御用?」

ぼたんが目を上げると、そこにはいつもと全く変わらないいでたちの、祭神、御坐主の姿がある。五十鈴はそちらに振り返り、

「ね?そうよね?神様」

「……ちょっと、どういうことなのか、説明してもらえる?神様」

祭神、御坐主尊は無言で、少々不機嫌そうな顔でそこに立っていた。ぼたんは嘆息して、その手で頭を支えるように、額を押さえた。

 

数分後、あまり大きくない軽自動車の、運転席に巫女装束のままのぼたんが、その隣にワンピースを着た五十鈴の姿があった。車は、本庁本殿を出、県道を西南に向って走っている。

「ぼたんちゃん、どうして車なの?神様がつれて行ってくれる、って言ったのに……」

助手席でそう言いながら五十鈴が首を傾げる。ぼたんは笑いもせず、

「歩いて行ったら着く頃には真っ暗になっちゃうわよ。高穂木(たかほぎ)なんて……」

本庁の所在のある村から数十キロの距離にある地名を口にする。五十鈴はともかく、御坐主という存在には、人間社会の一般常識、というものが全くない。その地名が出た時、人の足では時間がかかりすぎるから、とぼたんが車を出したのも、当然と言えばそうなのだが、相手は如何せん、人智を超える存在にして、この地に千年以上も住まう土地神である。時間の捉え方も人のそれとはずいぶん違っていた。一日や二日かかることの、何が問題なのだ、と言わんばかりの態度に、いつものこととは言いながら、ぼたんは脱力し、更なる説明を余儀なくされた。とは言えたった一言である。人間は長生きではないから、そういうわけにはいかない、と。

「でも高穂木に、一体何の用なの?神様」

本殿の位置からすると南にある、今では人も余り住まない山間の地名に、ぼたんは首を傾げる。数十年前まではそこにも、あまり大きくない集落があって、大御坐神社の分祀があったらしいのだが、今ではその分祀も引き払われ、本庁の職員も、滅多に足を運ばない様な場所である。

問いかけに、答えは返らない。車内にその姿はなかった。相手は「神」である。移動手段に文明の利器など必要としない。尤も、その土地も彼の山裾の一部である。移動、という観念などないのかも知れないが。まあこの神様の気まぐれも、今に始まった事じゃないし、一応うちの祭神な訳だから、全く聞かないって訳にもいかないしね。そんな風に胸の中で呟いて、ぼたんは軽く息を吐く。

そんなぼたんの隣、五十鈴は何故かにこにこと笑っている。外出が嬉しいのだろうか。まあこの子も、滅多に宮の外にも出られないし、その辺は仕方ないか。思って、ぼたんは今度は苦笑を漏らす。自分がこのくらいの年には、ごく普通に中学生だった。御幣の家の巫女として本殿に入ったのは高校生になってからで、それからも、事ある毎に家に帰っていた。

けれど五十鈴は違う。祭主というだけではなく、遍く神々に仕える巫女として、その身を世俗に置く事を、それらの存在からも禁じられている。一年のうちでも自宅に帰ることが出来るのは、せいぜい二日か三日ほどだろう。そんなら生活を、物心つくかつかないかという頃から余儀なくされているのだ。世間知らずなのも、常識がないのも、致し方ないことだ。

「全く、時代錯誤も甚だしいわよね」

「なぁに?ぼたんちゃん」

何気に漏らしたぼたんの言葉に、五十鈴が首を傾げる。ぼたんはそれにまた苦い笑みを漏らして、

「五十鈴も大変よね、神様にこき使われて、って言ったの」

「そんなことないわ。だって五十鈴のお役目は、神様にお仕えする事だもの。それがなかったら、五十鈴は宮にいなくても良いのでしょ?」

ぼたんの言葉に、少々奇妙な答えが返ってくる。ぼたんは苦い笑みを浮かべたまま、

「あー……でも、どうだろ……五十鈴がいなかったらいなかったで……」

「五十鈴、宮は好きよ?毎日ずーっといると退屈だけど、ぼたんちゃんもふーちゃんも、依頼ちゃんも千尊勢ちゃんも、神様もいるもの」

そう言って五十鈴は無邪気に笑う。そういうものなのだろうか。そういう問題でも、ないと思うのだが。ぼたんはそう言って笑う五十鈴をちらりと見遣る。そして、

「まあ、五十鈴がそう言うなら、いいんだけど」

当人が納得しているなら、それ以上は他人が口出しする事ではない。思いながら、ぼたんは少しだけ重い息を吐き出した。

もし仮に、自分が五十鈴と同じ立場だったなら、そんな風に言えるのだろうか。神々の愛児であり、同時に采女であり、時として妻でもあることが、たかが人間の女に背負える様な役目なのだろうか。

己を妻問う相手が、神たる者とは、如何ほどの重圧だろう。まあでも五十鈴は、あの神様の「妻」じゃないみたいだけど。ぼたんは胸の中だけでそう言って、無言で車を走らせ続ける。助手席の五十鈴は変わらずご機嫌で、車窓を流れる景色を見ながら、始終はしゃいでいた。

 

「って……何、これ……」

御坐主の示したその目的地に着くなり、ぼたんはそんな声を上げた。荒れ放題の畑と、崩れかかるような廃屋がぽつりぽつりと見えるその光景は、過疎の進んだ田舎では良く見られる光景である。が、ぼたんが声を漏らした理由はそれではなかった。路肩に車を止め、車外へと出る。道の伸びる先には虎柵がおかれ、この先への人の立ち入りを禁じていた。その、手前である。

「……環境整備工事?」

立てかけられた告知看板に歩み寄り、ますますぼたんは眉をしかめた。五十鈴もそれを追って車を下り、目を丸くさせ、

「なぁに、ぼたんちゃん。何が書いてあるの?」

その背後から告知看板を覗き込む。看板の上から下まで目を走らせ、ぼたんは合点がいったとばかりに、あまり気分の良くなさげな息を吐く。

「この上の川を直すんですって。大雨が降った時、土砂が他所に流れ出さないように……神様はそれが気に入らない、って事?」

姿は見えないが、恐らくそれはすぐ側にいるのだろう。思いながら、ぼたんは言葉を紡ぐ。ゆらりと空間が歪んで、傍らに、女郎花色の狩衣を纏った青年の姿が現れる。白金の髪と真紅の瞳の、男とも女ともつかない面差しの存在は、忌々しげに口許を歪め、ふん、と小さく鼻を鳴らした。

「山から土が流れるは、世の理ぞ」

「まあ、それはそうよね。水は、高いところから低いところに流れるんだから」

大方、自分に許しも得ず、勝手なことをする人間が気に入らないのだろう。全く、なんて我侭な。思いながらぼたんは御坐主に向き直る。そして、

「でも、それをする側にだって、理由がちゃんとあるのよ?神様だってそのくらいのこと、解っておいででしょ?」

「然らば我が前にて請えば良かろう。土を流すな、と」

「今時、土砂災害が神様の仕業、なんて思ってる人なんていないわよ」

余りに幼いその言い分に、ぼたんがあきれて言葉を返す。御坐主は今一度鼻を鳴らし、それから、

「全く、つまらぬ世になった物よの。我はこうして、斯様に在ると言うに、人の子にはそれがまるで解らぬとは」

御坐主の憤る声に、ぼたんは苦笑する。そして、

「まるで、ってこともないんでしょうけどね。でも、この辺りは民家も畑も殆どないから……別のところに土砂が流れないように、こっちに引き込むって算段ね……成程……」

行政も、色々考えているらしい。少々感心して、ぼたんはそう言いながら、今一度告知看板を眺めた。その背後の五十鈴は、そんなぼたんの後ろから、変わらずその告知看板を見ていたのだが、ふいに、

「でもぼたんちゃん、ここ、お墓があるのよ?」

「お墓?」

唐突な五十鈴の言葉に、ぼたんが振り返る。五十鈴はけろっとした顔で、

「もうずっとずっと、ずーっと昔のお墓。そこに、ぼたんちゃんや五十鈴の、ずーっとずーっとずーっと昔の、おばあちゃま達もいるのよ?」

「へ?」

その言葉に、ぼたんの目が点になる。何も言わず、御坐主がその手を上げたのはその時だった。見ろ、ということらしい。ぼたんは、その指が示す方角に目をやる。が、

「……何もないじゃない、草がボーボーなだけで……」

こんもりとした小さな丘が見えるだけで、そこにそれらしいものは見当たらない。が、

「って……もしかして、円墳か何かなの?」

数秒の後、思いついてぼたんが御坐主へと振り返る。御坐主は嘆息して、

「巫女も、地に落ちたものだな。気配も読めぬか」

「……悪かったわね、激ニブの感応能力者で」

そのいやみったらしい言葉に、ぼたんは露骨に眉をしかめる。御坐主は今一度嘆息すると、面倒そうな口調で言葉を紡ぎ始めた。

「あれなるはかつての巫女の御陵(みささぎ)。何故人の手が入れられたかは解せぬが、ここは生きる人の住まう場に非ず。斯様に朽ちても、当然の事ぞ」

「へぇ、そうなの。でも、こんなところにそんなのがあったら、うちの資料室だって調査するんじゃないの?」

思ったことをぼたんがそのまま口にする。御坐主は呆れの息を吐いて、

「調べるほどの事か?ここに巫女共の御陵を作らせたは、宮の人間共であろう。知らぬ方が解せぬ。何ぞ記してある筈だ」

「記録、ねえ……文字ができてからのものだったら、そうかもしれないけど……」

もし仮に記録が残っていれば、ここが教団、というより大御坐神社の所縁の土地だという事は、古くから認識されている事だろう。しかも巫女の墓だ。そんなところに人が生活を営む場所を設けることは、ないのではないだろうか。思ってぼたんは首を傾げる。

現在でさえ、教団の、本殿に仕える人間は、死穢を忌避する。それは主祭神を筆頭に、それらの存在がその穢れを嫌うからだ。その為に、本殿祭礼係の人間は、ありとあらゆる穢れを避けて暮らしている。必要とあれば忌小屋と呼ばれる竪穴式の住居を模した建物に籠り、潔斎の儀式を行う事もしばしばだ。

それほどに忌避するその穢れの地に、古くから人が集落を作ることは考え難い。となると、この辺りに人が暮らし始めたのは、そう古い話ではないのではないだろうか。

「……資料室に行ったら、何か解るかしら」

思いながら、ぼたんが独り言のように言う。御坐主は不貞腐れた顔で、何も言わずに自身が指し示した小さな塚を眺めていた。その顔を、五十鈴が覗く。

「ねぇ、神様」

「……何だ」

「どうして五十鈴をここに連れて来たかったの?」

問いかけに、御坐主の視線が、ちらりと五十鈴を見る。五十鈴は変わらず、その顔を覗いている。不思議そうにこちらを見つめる目に、御坐主は小さく笑った。そして、

「巫女、汝は何者か」

「五十鈴?五十鈴は……」

「問いの答えはそこにあろう。汝は我が巫女、采女たる者。采女は、主に従うべきもの」

「でも神様、五十鈴は「神様の」じゃないわ」

笑いもせず、五十鈴が言葉を返す。御坐主は僅かに目を見開くも、やはり笑っている。傍らの奇妙なやり取りに、ぼたんは首を傾げた。何、今の。誰が誰の、何じゃないって言うの?そんな風に思うぼたんを他所に、傍らの二人は奇妙な雰囲気で対峙していた。先に、御坐主が視線を戻す。五十鈴は首を傾げて、また同じく塚へと目をやる。

「とりあえず、もう少し詳しいことが解らないと、何をどうしようにも手が考えられないわ。神様、五十鈴、一度宮に戻りましょ」

溜め息混じりにぼたんが提案する。五十鈴は御坐主を見遣り、御坐主は、不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らす。

「使えん巫女だな、全く」

「あら、だったら神様、神様だったらどうするのか……」

「あれが墓だと解らせれば良いのだろう?簡単な事だ」

苛立ち混じりの言葉に思わずぼたんが返すと、御坐主はそう言って、その眉をわずかに上げる。横目で見ながら、ぼたん、

「でも、あんまり無茶をしてもらっては困るんですけど、御坐主様。まさか内側から、穴でも開ける気じゃないでしょうね?」

「したがどうした」

「……それを無茶って言うのよ」

しれっとした顔で言う御坐主の言葉に、ぼたんは大きく嘆息した。そして、

「神様が自分から古いお墓を暴く、なんて言うの、聞いたことないわ」

言いながらきびすを返し、車へと歩き出す。五十鈴はそんなぼたんと御坐主を見比べ、

「ねえ、神様」

「何だ、巫女」

苛立たしげに御坐主が返す。五十鈴はその場でしばし考え込み、

「ぼたんちゃんも、きっと神様の味方よ。だから、みんながびっくりするような事、なさらないでね」

そう言って歩きさるぼたんを追い始める。御坐主は目を丸くさせ、それから、

「……当然であろう。我が宮の巫女に仇なされるなど、言語道断」

そう言って軽く笑った。

 

「高穂木に円墳?聞いたことないなあ……」

数十分後、本庁資料室。ぼたんは宮に五十鈴を置いて、一人、そこを訪れていた。応対に出てきたのは資料室の司書、松前だ。壁一面を書架で埋め尽くした余り広くない室内で、松前は両手に何冊ものハードカバーを抱えた格好で、巫女服のまま飛び込んできたぼたんの、唐突な質問にそんな風に答える。

「でもこの辺りって、結構昔から人が住んでるんでしょ?石器時代とか……」

「ぼたんちゃん、石器時代と古墳の時代じゃ全然違うよ。それに、この辺りに人が暮らし始めたのは、せいぜいが紀元前二、三百年前で、新石器時代まで遡れないし」

言いながら松前は笑う。ぼたんは構わず、

「でも、世間で古墳を作ってた頃には、とっくに人が入って来てた、って事よね?」

「……まあ、それはそうだね」

珍しく食いついてくる本殿祭礼係の様子に、松前は僅かに言いよどむ。そして、

「でも、何だって急に、そんな話が?」

「細かい事はいいから。ちゃんとした歴史みたいなのじゃなくても、伝承か何か、残ってない?」

問いかけを流され、松前は僅かに眉をしかめる。が、

「伝承ねぇ……調べられなくはないけど……急ぎなの?」

「うん、ちょっとね。今度あの辺り、結構大きな土木工事が始まるみたいなのよ。それで……」

「へーえ……」

資料室の司書は、人当たりの悪くない、そして勤勉とも言えない、ごく普通の青年である。実は神様が、あの辺りに手を入れるのを嫌がっていて、などと説明しても、解ってもらえるかどうか。思いながら、ぼたんは適当な言葉を探して言うと、松前は少し考えて、

「調べるのはいいけど……俺もヒマって訳じゃないからなぁ……これって仕事になる訳?」

「当然よ。何かあったら業務部長辺りに経費でも何でも、請求すればいいわ。秀さんなら解ってくれるもの」

ぼたんが父の従弟の名前を口にすると、松前は困ったように苦笑を漏らし、

「業務部長に、ねぇ……あの人、君には甘いの?」

「私って言うより、五十鈴に、なんだけどね」

「五十鈴?うちの『祭主様』かい?」

続いて出てきたその名に、松前が目を丸くさせる。ぼたんは、進まない話に苛立ちでも感じ始めたらしい。むっと唇を尖らせると、

「で、調べてくれるの?くれないの?」

「いや、そりゃ、業務部長や祭主様からじゃなくても、ぼたんちゃんのお願いなら、聞かなくもないけど……」

「嫌ならいいわ。別の人に頼むだけだから」

「いや、そうじゃなくて」

むっつりした顔も可愛いなぁ、などと暢気に思いながらも、松前がそう言葉を返す。ぼたんは目を丸くさせ、

「そうじゃなくて、何よ?」

「幾らぼたんちゃんの頼みでも、何の根拠もないような話を、こっちも真に受ける訳には行かないんだよ。仮に高穂木に何かあるって言うなら、とっかかりでもなきゃ」

「……不自然な小山があるのよ。それだけじゃダメ?」

これだから凡人は、思いながら内心、ぼたんは舌打ちする。露骨に機嫌の悪い顔になったぼたんの、その言葉に、松前は苦笑で返す。

「不自然な小山ねぇ……それだけじゃ、ちょっと……」

「だったら、何があったらいいわけ?」

「そうだなぁ……仮に円墳だったとしたら、せめて、入口でも見つかれば……」

よどみがちな言葉で松前は言った。ぼたんは眉を寄せ、

「……解った。探してみる」

 

で、夜。

「ぼたん、あんまり遅くに騒ぐと、ふーに怒られるぞ」

「そーじゃそーじゃ、おこられるぞ」

「てゆーかのー、わし、車って嫌いじゃー」

「そうじゃのー、ひゅーって飛んでった方が、速いかのー」

一台の軽自動車が、外灯の全くない、車一台が走るのが精一杯の、辛うじて舗装された道路を走っていた。運転席には巫女服姿のぼたんが、助手席には同じく五十鈴が、そしてそれ以外のところには、

「だったら飛べる人は飛んで行ったらどうなのよ?私に構わないで」

「じゃってどこに行くのか、よー解らんし」

「そーじゃそーじゃ」

ぎっちりと、人ならぬものが詰まっていたりする。なんでこんなとこになったのかしら。思いながらぼたんは嘆息した。

日が暮れて、一日の業務が全て終わり、その後、こっそり出かけようとしたぼたんを見付けたのは、五十鈴だった。どこに行くの、何しに行くの、と尋ねる、というより連れて行けと言わんばかりに詰め寄った五十鈴を振り払えず、上司の目を盗んでこっそり宮を出たぼたんを、今度は庭に住まう小さな神々が見付けて、同様にくっついてきた……のは最初の一人、二人だったはず、なのだが。気がつくとそれは車に一杯になっていた。乗り切れなかったものもいるらしい。外で飛び回っているのが解る。

どこへ行くのか、何しに行くのか、面白そうだ、と囃し立てるそれらは、放置も同然の状態だった。ついてくると言うならすればいい、という程度である。というより、いちいち構ってもいられない。彼らは数が多い、そして尚且つ、自分勝手に動き回る。そんなものをいちいち統率している余裕はない。それ以前に、するつもりもないのだが。

「ぼたんちゃん、でも、本当にいいの?」

「いいって、何が?」

「後で、ふーちゃんに叱られちゃう」

本殿祭礼係長の名前が出て、ぐっとぼたんは息を詰まらせる。夜間の無断外出は、確かに褒められた事ではない。自分一人ならまだしも、隣には五十鈴が、そして何故だか『庭の方々』も大勢いる。とは言え五十鈴もその他も、ぼたんにとっては不可抗力なのだが。ぼたんはその後、大きく嘆息した。そして、

「……五十鈴は、芙須美さんと神様と、どっちが偉いと思う?」

「ふーちゃんと神様?……ふーちゃん、かしら?」

「……やっぱり」

祭神より上位に上げられた係長の名に、ぼたんは奇妙な顔で笑った。本来なら宮で最上位の扱いを受けるのは、教団の祭主であるところの五十鈴の筈なのだが、その辺りの力関係は色々あるらしい。というより、宮の一切を取り仕切る祭礼係長には誰も、時として祭神でさえ逆らえない、というのが本当のところか。五十鈴は、疲れたように見えるぼたんを見て、首を傾げている。気を取り直して、ぼたん、

「あの後、資料室で、高穂木のことについて調べて欲しい、ってお願いしてきたのよ。何か古い資料でもないか、って。そしたらね」

「何の証もなく、何を調べるのか、とでも言われたか?巫女」

唐突に、御坐主の声が聞こえた。ぼたんは嘆息して、

「その通りよ、神様」

「人とは面倒だな。我の示すものが、確かでないというのか」

「貴方の示すものでは、足りないのよ、人の世じゃ。せめて、あそこに何かがあるって根拠を示せって。それで、神様の望む通りに、あの辺りの工事が止まるかどうかは、解らないけど」

車を走らせながら、ぼたんは嘆息する。五十鈴はそんなぼたんを見て、

「でも、工事をしなかったら、大雨が降った時に危ないんでしょう?土が沢山流れたら、山に住んでいる他のヒトだって、みんな困るわ」

「それはまあ……そうなんだけどね」

困ったようにぼたんは笑う。そしてそれ以上言葉発しようとしなかった。五十鈴は首を傾げて、

「だって土が沢山流れたら、森に住んでいるヒトだって、川に住んでいるヒトだって、みんな困るわ。小鳥やお魚だって、生きていけなくなっちゃうもの。直したら、何がいけないの?」

「直すのが悪いって訳じゃないのよ。ただ、何て言うのか……」

重ねられた問いかけに、ぼたんは答えられず、やや重い息をつく。五十鈴はその様子に少しだけ黙っていたが、すぐにも、

「おばあちゃまたちの御陵を、崩してしまうから?」

「そうねぇ……それは、あるわね」

ぼたんが苦笑混じりに答える。五十鈴が困ったように眉を寄せると、横目でそれを見て、ぼたん、

「先の巫女達が眠っている墓所だもの。きっとそれ以外にも何かあるだろうし。何もしないまま、荒らされる、って訳じゃないけど……でも、何の前触れもなく掘り返されたら、眠っているヒトも驚くだろうし、神様も……確かに嬉しくはないわよね」

だからと言って今からその辺りを探して、何か見付けられるという保障もないのだが。思いながらぼたんは苦笑する。ぎゃわぎゃわと車内が騒がしくなったのはその時だった。

「何じゃ何じゃ、巫女の墓所へ行くのか」

「それならそーと早く言わぬか」

「巫女の墓所?何じゃ、それ」

「ああ、いつぞや儂らが、夜中に作ったアレか」

「そんなこともあったかのー」

後部座席と、助手席の五十鈴の膝の上に溢れているモノ達が騒ぎ出す。ぼたんは眉を寄せ、

「夜中に、作った?」

「さよさよ」

「あの頃はそーゆーのが、流行だったんじゃ」

「昼間におっつかんかったからのー」

「まあ手伝いじゃ、手伝い」

返ってくる答えにぼたんは何も返さない。五十鈴はその言葉に目を丸くさせ、

「みんなで、夜に作ったの?おばあちゃま達の御陵」

「じゃってなー」

「さよさよ。巫女の墓じゃもの」

「儂らじゃってそのくらいするさ」

自慢気に、それらがそのことを口にする。五十鈴は驚いた顔で、

「だったらみんな、御陵がどんな風になってるのか、解る?」

その問いかけに、ぼたんまでもが目を丸くさせる。車内のモノ達は五十鈴の問いかけに、

「まー、解らんでもないかもしれんが」

「あんまり昔のことじゃしのー」

「てか儂、あれどこじゃったかとか、良く覚えておらんじゃ」

「何せ大昔じゃしのー」

返された答えに、ぼたんはがくりと肩を落とす。そして、

「……本っ当、役に立たないんだから……」

思わず呟いた言葉に、車内は騒然となった。

「何じゃと、巫女!儂らのどこが役立たずか!」

「まーそー言われてものー」

「しょーがないかのー」

「覚えてないんじゃ、嘘を言うのものう」

「じゃーじゃー」

 

目的地、高穂木は周囲に民家などが全くない山の中である。民家がないということは、昼夜関わりなく人通りも滅多にない、ということで、当然外灯もろくに設置されていない。山奥の夜陰は、真実の闇に包まれていた。視界が全くと言っていいほど効かない暗闇の中、ぼたんと五十鈴は車を降り、

「……エンジン回して、ライトつけてた方がいいかしら……」

「五十鈴は平気よ、見えるから」

ぼやくぼたんの言葉に、何ともなさげな様子で五十鈴が返す。ぼたんはその言葉にちらりと五十鈴を見遣り、はあ、と溜め息をつく。これが『激ニブ感応能力者』と『神々の愛児』とまで言われる巫覡との実力の差か。思うと、普段は気にもしていない自分の力なさが、情けなくなってくる。これでも一応私、少宮司家の巫女なんだけど。でも見えないものは見えないのよね。思って、無言でぼたんはまた息をついた。そして、どこから入手したのか、前方にライトのついた黄色い土木作業用のヘルメットを取り出し、それを被る。巫女服に襷がけで黄色のヘルメット、という奇妙ないでたちにスコップを装備して、ぼたんは目の前の小さな塚を見上げた。草の生い茂るそれは、昼間の光がないせいか、先に見た時よりも大きく、迫って見える。

「ぼたんちゃん、何するの?」

「何って、だから……」

入口、もしくはこの塚に内部構造があるかもしれない、という証拠を探すのだが。思いながらぼたんが振り返る。五十鈴は目を丸くさせ、

「でも、そんなので掘ったりしたら、おばあちゃま達がびっくりするわ」

「この際、その辺のことは目を瞑ってもらうわ。後で謝れば大丈夫よ」

「そう?謝ったら、平気?」

「……多分」

重ねられた、確かめるような問いかけに、ぼたんの答えはあやふやだった。五十鈴はその場で不思議そうに目をしばたたかせ、それから、

「でもね、ぼたんちゃん。ちょっと待って」

「何?五十鈴」

「もうすぐここに、秀のおじ様と、ふーちゃんが来るみたい」

僅かに後ろを振り返り、五十鈴が言う。その言葉に、ぼたんは固まった。

「え?芙須美さんと、秀さんが?」

ぎょっとした顔でぼたんは辺りを見回す。どうやら五十鈴は、近付くその気配を感知しているらしい。困った顔になって、

「ふーちゃん、怒ってるみたい……」

「そりゃ、怒ってると思うけど……じゃなくて……」

どうしてばれたのかしら、って、フツーにばれるか。相手だってただの人じゃないんだし。秀さんなんて、御幣家の直系の長男で、冗談みたいな超能力者だし。思いながらぼたんは、それでも、と塚に向き直る。そして、

「五十鈴、印象迷彩、って解る?」

「うん……かくれんぼでしょ?五十鈴、得意よ?」

「じゃあお願い。しばらくあの二人から、私も一緒に隠してくれない?」

もうこうなったらタイムアタックである。何かしらの証拠を見付けるまでの間、やってくるらしい二人にばれなければいいのだ。ぼたんは半ばヤケだった。五十鈴は少しの間、何やら考え込んだらしい。うーん、と小さく言って、

「でも、ぼたんちゃん、それすると、後でふーちゃんに叱られちゃうわ」

「その時は私がやれっ言ったから、って言えばいいのよ。五十鈴、お願い」

「でも五十鈴も、ぼたんちゃんの考えに賛成だから、ぼたんちゃんに言われた、なんて言わないわよ?」

言葉の後、にこにこと五十鈴が笑う。ぼたんはそれを見ると、少し困ったように軽く息をついた。

「困った祭主様ねぇ。こんな下っ端のやることに、加担してもいい、なんて」

「だって五十鈴も宮の巫女だもの。ぼたんちゃんだって、神様や、ここにいるみんなのためにって思ってしてるでしょ?だから一緒よ」

にこにこと五十鈴は笑い続けている。苦笑でそれに返して、ぼたん、

「……じゃあ宜しくね、祭主様。先の巫女様方、お墓を覗くような真似をするけど、お許し下さい」

言うとスコップをその手に、塚に向って歩き出す。五十鈴は見送りながら、

「じゃあ五十鈴は、かくれんぼするわね。ぼたんちゃん、頑張ってね」

 

一台の車が、夜陰の道路を進んでいた。道幅はその一台が通れるほどしかなく、周囲に明かりも殆どない。窓の外に流れる闇に向って、助手席にいる巫女装束の女性は、忌々しげに呟く。

「全く、あの二人は……昼も昼で、勝手に出かけたかと思ったら……」

「ぼたんが祭主を連れ出したのか?高穂木に」

尋ねたのは運転席の、ワイシャツにスラックス姿の、中年男性だった。助手席の女性は溜め息混じりに、

「いいえ、それが……出かけると言い出したのは、五十鈴の方で……それでぼたんが車を出したらしいんです」

「祭主が、か?また、どうして……」

「どうやらそれも、あの子の意思、でもないみたいで……「神様が」って……」

「……御坐主が、か?」

帰ってきた答えに、男は小さく唸る。巫女姿の彼女は前を向いたまま、

「私の監督不行き届きです。申し訳ありません」

そう言って頭を下げる。運転席の男はしばし黙り込み、それから、

「巫女とは、神の采女たるものだ。宮の祭神が命じたなら、従うのも道理だ。ましてやあの方は、君達本殿の人間には、余りに近くに在りすぎる。従わない訳にもいかないだろう」

「ですが……」

「ぼたんはああいう子だ。一概に君が悪い訳ではないよ。一応「おじ」としては、そちらの方が申し訳ない」

言いながら、男は苦笑する。御幣秀。本庁の少宮司の長男にして、業務部長。更にぼたんの父親とは従兄弟同士になる。彼からすれば、ぼたんは姪のようなものだ。躾がなっていない、と糾弾されれば、返す言葉もない。そのまま何も言わなくなった秀を見て、助手席の彼女、本殿祭礼係係長、稲生芙須美は今一度頭を下げる。

「でも、ぼたんもぼたんだわ。理由があるなら、ちゃんと話してくれれば……でも一体、高穂木に、何があるのかしら」

独り言めいた口調で芙須美が呟く。軽く眉を上げ、秀、

「高穂木か……あの辺りには、もう誰も住んでいないと思ったが……」

「ええ……何十年か前に宮の分祀も引き上げて……今は何もないような山の中だったと思いましたけど……」

一体その場所が何だと言うのか、そんな風に思いながら、芙須美は困ったように眉をしかめる。秀は再び、思いを巡らせるように黙し、そのまま車を走らせ続ける。

「神様が、って言っていたから、あの方にお伺いすれば、何か解るのかしら……」

「答えていただければ、な。しかし我々ではなくて五十鈴やぼたんを使っている、ということは、我々では出来ないことをしているのかも知れない」

「私達でできないこと、ですか?」

秀の言葉に、芙須美が問い返す。秀は振り向きもせず、更に言葉を続けた。

「君は、業務に当たるのに適しているから、その装束を身につけているんだろう。しかし本来の役目は『巫女』ではなく『神職』だ。巫女と神職では役目も違う。あの二人は……祭主はともかく、ぼたんは『御幣家の巫女』だ。あの方にしてみても、「使役」するには一番都合がいい」

御幣の家の名は、その役目を示している。御幣とは幣帛、即ち『捧げもの』だ。極端な事を言えば、御幣の巫女は「神への捧げもの」でもあった。神との間を橋渡しする、というよりも、その神に仕えるために差し出される。御坐主の側からすれば、それ以上に使い勝手のいい巫女は他にはいない。それに、だ。

「もしかしたら、あの方は我々など、信用していないのかも知れないな」

苦笑混じりに、秀は言葉を漏らす。芙須美はそれを見て、

「それは……なくもないかもしれませんね。私は、確かに巫覡だけど、ここの生まれでもないし、あの方には特に所縁もないし。これでも色々苦労して、お世話申し上げているんですけど……」

言いながら同じく苦笑を漏らす。が、その苦いものの混じった笑みも、瞬時に彼女の顔から消えた。僅かに目を細め、

「部長……今……」

「ああ……五十鈴だな」

言葉の後、秀は車を止めた。周囲の空気が、奇妙に歪んでいる。その気配を感じ取ったのだ。ハンドルに手を置いたまま、秀はその場で嘆息する。

「印象迷彩か……我々の事に気付いたらしい……流石は祭主だ」

言いながら秀はエンジンを切り、車外へと出る。芙須美も続いて車を降り、

「このくらいの術なら私でも破れます。全く、あの子ったら……」

ブツブツ言いながら、その右手に印を結ぼうとする。見もせず、秀はそれを制した。

「いや……しばらく様子を見よう。何をするつもりかは解らないが、あの二人にしても、そうまでしてもやらなければならないことがあるんだろう」

「部長、でも……」

芙須美が反論しかける。秀は腕組みして、閉めた車のドアにもたれると、困った顔で笑い、

「それに、あの方の不評を買えば、君の業務にも差し支える。無理矢理力を行使すれば後が厄介でもあるし。それは君も承知しているだろう?」

その言葉に、芙須美は何も返さない。それ以上秀は何も言わず、目の前に広がる闇の奥を、射抜くように見詰めていた。

 

塚の急斜面を登り、ぼたんは肩で大きく息をついた。やっぱりこの格好、動くのに向いてないわ。って言うか、なんで私着替えてこなかったのかしら。額を流れる汗を白い袖で乱暴に拭い、ぼたんは胸の中でぼやく。周囲に明かりは全くない。視界は殆ど効かないような状況だった。

塚の周辺は五十鈴の「かくれんぼ」、簡単に言えば近付くものからその印象を隠す、特殊な結界で隠されている。とは言えそれも長くはさせられないだろう。いくら五十鈴の能力が突出して秀でているとは言え、本庁には国内でも指折りの術者がざらざらいる。簡単な結界ならあっさり壊されるだろうし、壊されればいくら五十鈴もただではすまない。それ以前に、夜間の無断外出だ。お小言や多少の罰で済めばいいのだが。

ああでも、いっそクビになってもいいか。そうしたらうちに戻れるし、って私はいいけど五十鈴はそうはいかないのよね。思って、ぼたんは両手でぴしゃりと自分の両頬を叩く。これだけのことをしたのだ、ただでは帰れまい。せめて係長と部長に、言い訳の一つもできる結果を出さなきゃ。

思いながら、ぼたんは自分が登ったその塚を見遣った。とは言え、空も地面の区別がつけられないほどの真っ暗闇である。しばし黙し、

「……って、コレじゃ無理か……」

言って、ぼたんは肩を落とした。意気込んだはいいが、これだけ暗いと何が何やら全く解らない。もしかしたら次に足を踏み出したら、そこに地面がないとも限らない。こういう時、どうしたらいいのかしら。思いながら、ぼたんはその場にしゃがみ込む。そして、

「……私って本当に、無能なんだわ……」

自分の言葉に自分で打ちのめされ、更に溜め息をつく。ざわざわと、背後に奇妙なざわめきが聞こえる。どうやら、宮から着いてきたモノ達が自分を追ってきたらしい。しゃがみ込むその背中に向い、口々に、

「何じゃ、ぼたん。何しておるじゃ」

「折角昇ったに、こんなところでどん詰まりか」

「てゆーかのー、疲れたんじゃろ」

「これっぱかの登りでか。情けないのー」

きゃわきゃわと、周囲が騒がしくなる。全く、暢気なんだから。重いながらぼたんは大きく息を吐き出し、すっくとそこに立ち上がる。

「そうよ、疲れたわよ。全く、神様も、人を何だと思ってるのよ。こんなに頑張ってるのに、お褒めの言葉もないわけ?」

「お前が、何をしたと言うのだ、巫女」

苛立たしげなぼたんの声の後、呼ばれたその存在も、苛立ちを隠さない声で言葉を返す。ぼたんは見えない視界にその姿を探し、見付けると、

「あら、頑張ってるじゃない。私なんて人並み以下の巫覡なのに、こうやって神様の巫女、やってるのよ?五十鈴みたいに特に好かれてもないし?」

少々意地悪く笑ってぼたんは返す。御坐主は露骨な嫌悪の目でそれを見ると、呆れたように大きく息をつく。その様子に、ぼたんは目を丸くさせ、

「何よ、神様。だってそうでしょ?それなのに私ってば、こんなにけなげに……」

「御主と言い布都主と言い、痴れ者にも程があるぞ、ぼたん」

名を呼ばれ、ぼたんは目を丸くさせる。御坐主が名、特に人間の名を口にすることは少ない。改まって呼ばれて、ぼたんは首を傾げた。こんな時に名前を(よみ)するなんて、変なの。そういうことは、お祝いとか、特別な時にしかしないのに。

「何よ、神様。私も、鼎さんも、って、どういう意味?」

「我が見えると言うなら、その目で、全てを明らかに見られる筈。見てみよ」

「って……どういう意味よ?」

言われるままに、ぼたんは辺りを見回す。が、やはり周囲は闇に包まれ、まともに見えるものは殆どない。自分の周りに集っている小さなモノ達の騒ぐ声と、傍らの、偉大なる気配。それから、

「……ああ、星は見えるわ……暗いから……」

頭上には、満天の星空が広がっている。どうやらこの暗さに、目も慣れてきたらしい。ぼんやりとではあるが、地面と空との区別も付くようになった。でも、まだそれ以上には、何も見えない。思い、ぼたんは今一度御坐主を見遣る。御坐主はまだ不貞腐れたような顔で、そんなぼたんを睨んでいた。ぼたんはそれを見て僅かに笑い、

「何膨れてるのよ、神様。っていうか、やっぱり神様以外、何にも……」

「我が気配が読めるなら、捜す物も見える筈。汝は何者ぞ、巫女」

「何者って……私は……」

「我が巫女、我が采女。我が声を聞くは、汝が役目にして、その力。捜している物は、何だ?」

問われて、ぼたんは考える。私、何捜してたっけ。ここに古墳があって、それがずっと昔の巫女のお墓で、その証拠よね。思いを巡らせるぼたんの前、御坐主の表情が緩む。何度か瞬きして、ぼたんは自分の踏んでいる地面を見下ろした。ゆっくりと、視界が明るくなっていく。夜が明けた訳ではない。だというのに世界が、黄昏時に似た濁った光に包まれる。そしてその明らかな光景は、目で見ているものではない。直感して、ぼたんは今一度、御坐主へと振り返った。

「神様、これっ……」

御坐主はそこで笑っていた。その腕がすっと持ち上げられ、その先を、形の良い指が示す。無言で、ぼたんは示された方向に振り返った。袴の裾が下草を擦る。しゅるりという音が、その耳を確かに打った。

「……あれは……」

目の粗い濁った色の布で作られた、貫頭の衣を着た列が、塚に向って歩いてくる。列の中心には、二本の細い丸太に吊られた、大きな瓶が見える。葬列だ。思って、ぼたんは息を飲んだ。列の先頭を歩いている人物は、他とは違い、白い衣を纏い、顔に刺青を入れている。古代の巫覡のようだ。列の最後にも同じく、白い衣の姿が見える。あれは、巫女だろうか。そしてその後には、

「やだ……『庭の方々』まで?」

思わず、宮で呼び習わされるその呼称でそれらを呼ぶ。列の後ろは人間ではなかった。様々の姿をした精霊達が、巫女の後にぞろぞろと続いている。

列はそのまま、塚の南側に辿り着く。先頭を進んでいた巫覡がその前で何かの所作を行い、その下に屈みこむ。見ようとして、ぼたんは歩みを進めようとする。が、

「やめておけ」

「っ……でもっ……」

制する声がして、思わずぼたんは反論しかけた。声の主は軽く笑い、

「汝は何者ぞ、巫女。死穢に関わって、そのまま宮に戻るつもりか?」

言われて、ぼたんは我に返る。同時に、視界は元の闇に戻った。足元も覚束ない真っ暗闇の中、ぼたんは驚きの表情でしばし放心していた。今見ていたものは何なのか。自分は一体、何をしたのか。驚き、固まっているぼたんを見て、御坐主は笑っていた。そして揶揄う様に、

「御陵の入口は、見えたか?ぼたん」

「……えっ……み、見えた……見えたわ!!

言うなり、ぼたんはそこから駆け出していた。塚の頂上を過ぎ、真直ぐ南側へと駆けていく。が、その頂を過ぎるなり、足を滑らせ、

「えっ……きゃああああああああっっっ」

そのまま、塚の南斜面を転げ落ちた。

 

翌日。

「全く、貴方って人は……本当に無茶をするんだから……」

「……ごめんなさーい……え、えへ?」

「えへ、じゃありません」

ぼたんはその時、斎館の離れにいた。体中痣だらけの上、右足は包帯で巻かれている。円墳を転がり落ちる時、ひどく捻挫をしたようだ。折れてはいない、と言ったのはそれを助けに行った秀だった。顔に大きなガーゼを貼り付けたぼたんは、強く一喝するように言った芙須美の声に、驚いて目を閉じる。傍らの芙須美は眉を吊り上げ、さらに言葉を続ける。

「あの時もし私達があそこにいなかったら、どうするつもりだったの?それなのに、印象迷彩までしかけるなんて……」

「だから、ごめんなさいって言ってるじゃない……もう勘弁してよ、芙須美さーん……」

その昨夜から、芙須美の小言は終わらなかった。見付かるなり始まって、顔を見れば始終この通りである。自分のやらかしたことは棚に上げ、ぼたんはうんざりしていた。ほとほと参っているその様子に、困ったように芙須美は笑う。そして、

「でもまあ、大発見よね。あんなところに円墳を見付けるなんて。それも、かなり古いものみたいじゃない?」

「あ、そうなの?って……」

唐突に変わった芙須美の声色に、ぼたんは目をしばたたかせる。芙須美はふふ、と笑うと、

「今朝から、資料室の面子と、村の教育委員会とが大騒ぎよ。工事も一時中断、ですって。部長が夜のうちに、村の議員さんに掛け合ってくれたそうよ」

「秀さんが?」

その名に、更にぼたんは驚く。確か見付かったその時の、秀の第一声は自分を叱る声だった。しかも、相当怒らせたらしい。その後、幾ら謝っても、ろくに口も聞いてもらえなかった。まあでも、叱られても、当然よね。思ってぼたんはその場でしおしおと小さくなる。芙須美はその様子にまた笑い、

「流石の貴方も、大好きなおじ様にあんな風に叱られたら、凹むって訳ね」

「って……そういう訳じゃ……」

反論しかけるが、言葉は途切れる。半分くらいは図星らしい。その様子に、また芙須美は笑う。揶揄われているとでも思ったのか、ぼたんはそれを見るとふくれっ面になり、

「そ、そんなことより、松前さんは?何か言ってた?」

「松前くん?ああ……驚いてたわよ?まさか本当に、貴方が円墳を見付けてたなんて、とか言って」

出てきた資料室の司書の名に、すんなり芙須美が答える。

ぼたんが塚から転げ落ちると、そこはちょうど横穴の入口だった。立ち上がろうと支えを捜し、振り回した手は、その入口の扉に当たり、あろう事か勢いでその扉を押しぬき、傾斜が着いていた横穴に更に転がり込んだ。全身の痣はその時に出来たらしい。真っ暗闇の中を、更に暗い横穴に転げ落ち、秀の手で助け出された。もし彼と芙須美がぼたん達の後を追ってこなかったら、どうなっていた事か。まあでも、庭の方々もいたし、神様もいたし、誰かが助けを呼びに行ってくれたかもしれないけど。ぼたんは何気にそう思い、思いながらも、

「でも芙須美さん、どうして私と五十鈴が外に出たのが解ったの?」

問いかけると、傍らの芙須美はその目を丸くさせた。そして、

「解ったも何も。あれだけ騒いでたら、誰にだって解るわよ。おまけに庭の方々までぞろぞろ出ていくんだもの。解らない訳ないでしょう?」

言われて、ぼたんはまた閉口する。確かに、一人で出かけようとした時には、誰にもばれていなかった。が、五十鈴に見つかった途端、周囲は一気に騒がしくなった。最初は五十鈴が、そして庭のモノ達が、声を立てて騒ぎ出したのだ。そうよね、あれじゃバレバレかも。思って、ぼたんは疲れの吐息を漏らす。そして、

「あれ?でもだったら、もっと早く止められても、おかしくないんじゃ……」

「そうね、何もなかったら、止めてたわね」

意味ありげな言葉を芙須美が返す。訳が解らず、ぼたんが目を丸くさせていると、芙須美は笑いながら言った。

「拝殿の鏡が割れたのよ、いきなり。しかも三枚も」

「鏡が?いきなり?どうして……」

「どうもこうもないわ。あの方の仕業よ」

「あの方って……神様?」

返された芙須美の答えに、ぼたんは素っ頓狂な声を上げた。

 

同時刻、高穂木地区。

小山の前、作業着とスーツ姿の人間が入り混じる様子を、御幣秀は離れた場所から無言で眺めていた。傍らには相変わらず、環境整備工事の告知看板が立てられてはいるが、それが撤去され、別のものに変わるのも時間の問題だろう。動いているのは本庁の資料室の人間と、村役場の職員、それに教育委員会からやってきた県職員、というところか。資料室の人間がざっと調べたところでは、円墳は横穴式で、古墳時代でも初期のものらしい。物凄い大発見ですよ、と司書の一人が珍しく興奮していた。これでまたこの辺りの地誌も書き換えだ、などと言っていたのは村役場の人間だろうか。同時に、こんな声までもが聞こえてきた。

「でも、あれですね。これであの話も、中止です、よね?」

秀は苦笑を禁じえない。土木事業といえば、こんな田舎では、相当の人間や金が動く大事だ。頓挫すれば地域経済にもかかわってくる事になる。が、仮にあの円墳の存在を知らないままに工事を続けていたなら、また別の問題が発生していたに違いない。例えば、山の神の怒りに触れて、裾野一帯に何かしらの災害でも、起こるかもしれない。

とは言えその環境整備も、その災害を予測して、のものだったのだろう。人と神と、一体どちらが聡いものか。いや、この場合は、ずるいとでも言うべきか。

「いやでもあれは……ここで話すのは、まずいだろ」

声の中に、そんな言葉が混じっている。何事かと気になって、秀はそちらに意識を向けた。混じっている人声の中からでも、聞きたいものを選んでそれを聞き分けられる。それも、彼の巫覡としての能力の一つだった。耳を、というよりも、体中を研ぎ澄ませると、声は低く、彼に伝わった。

「しかしなあ……噂に過ぎないんだし」

「宅地じゃなくて農地で処理して、その後に売却して……しかも買い手が宗教団体らしいって……」

その言葉に、思わず秀は目を剥く。直後、

「斯様な者共に荒らされずに済んで、良かったであろう?舎人(とねり)

傍らで、笑みを含んだ声が聞こえた。秀が息をつめ、ゆっくりとそちらに振り返ると、若竹色のスーツを身に纏い、サングラスをかけた、長い白金色の髪の男の姿が見える。くつくつと笑う男は、いたずらっぽい表情でサングラスを外す。その下の真紅の目が覗き、秀は慄く、かすれた声で言った。

「御坐彦、様っ……」

「我が山裾を束ねるは、主らの役目であろう?気付かなかったか」

「……はい」

秀の返答が遅れる。御坐主はそれさえ笑って、その視線をあの塚へと向けた。

「ここは元より、弔いの地。常世と現世の境目。近くに住まえば、その命も皆、常世に引かれる。人の子の、住まいするべきところではない。故に、里ができたとしても廃れる。解らぬ方が愚かというもの」

「しかし……文献も何も、残っていませんし……」

かすれる声で漸く、秀が言葉を返す。笑うのをやめ、ふん、と小さく御坐主は鼻を鳴らす。

「文ばかりが、人に解せると申すか。それもまた、愚かしい事よの」

「それで……ぼたんと五十鈴をお使いに?」

問いかけに、再び御坐主が小さく笑った。そして、

「あれなるは我が宮の巫女。我が采女ぞ。使い走らせる事に、何の差支えもあるまい……とは言え、あれなる巫女も、己が何か、解っておらぬようだが」

「ぼたん……ですか」

その存在の思惑を量ることは、叶わない。人が神たる者の心を覗くことなど、できることではない。秀は思いながら、次の言葉を待つ。くすくすと御坐主は笑った。そして、

「真、人とは愚かしく、また面白きものよ。在る物を在るままに見る、それさえも出来ぬとは。舎人、お主もだ。開いている二つの目は、何を見ている?」

「見ているもの、ですか……」

「そこに見えるは、我らと人とで築きし塚。見んと思わば、幾らでも見られように。巫女など、何も解らぬと言って拗ねおった。故に我は見よと、そう申した。それで、漸くよ」

「ぼたんは、何を……」

見たのかと、言えないまま、秀は御坐主を見ていた。御坐主は笑い続けている。答えは、返らない。

「されど主らも、まだましな類よの。我が在ろうというに、ここなる場所に、どこぞの霊を祭ろうという輩に比ぶれば」

ふんと、つまらなそうに御坐主が鼻を鳴らす。秀は今一度、わらわらと人が集る、その小山を見遣った。もし仮に、ここに新たなる霊的存在を迎えたなら、ここはどうなるのだろう。山は、混乱するだろうか。ここに在るその主は、それをどうするのだろう。霊的な存在がやって来ずとも、山の主以外を信奉する人々がこの地に入ってきたなら。思って秀は眉をしかめる。

傍らに姿を現したその存在は、己よりも弱い者のことなど、歯牙にもかけない。ましてや小さな人同士の争い事など、全く意にも介さない。新しい宗教団体がここを拠点に活動して、それを排除する住民運動が起こったところで、全く見向きもしないだろう。しかしそれなら何故、この小さな円墳を気に掛けて、それを巫女に見せ、捜させるように仕向けたのか。ここがかつての葬礼の場で、巫女達の墓であったとしても、そんなことを気に掛けるような存在でもないだろうに。思いながら、秀は溜め息と共に言った。

「俺には……貴方という方が、解りません」

ストレートすぎる言葉にも、御坐主は軽く笑う。

「さもあろう。人に、神たる我等の事など、解ろう筈もない」

「仮にここが、貴方の「神妻」の墓だったとしても……人である妻など、一時の伽の相手でしかないのでは……」

「一時とは、如何ほどのものぞ、舎人」

その声に、秀は振り返る。御坐主は再びサングラスをかけ、遠くを見遣るようにしながら、言葉を続ける。

「人の命など、我等からするなら、瞬きの間ほどの事。然れば一時とは、如何程の事を言うのだ?伽とは、永き時を紛らわす、その手管に過ぎぬ。我等は永久(とこしえ)、なればどれだけ、それを紛らわせよ、と?」

「……それは……」

「愚かしい事だな。人の子よ。我等に、瞬きの間も、一時もない。あるは永遠のみ。時など、流れるという程にも流れぬ。そこな墓を築きし夜も、明ける前の夜も、我等にとっては同じ夜。それであるから、あれには見えたのだ。巫女の葬列が」

そう言って、御坐主はきびすを返す。秀は振り返り、言葉もなく、その背中を見送る。

神には、時の流れもまた、些細な事でしかないのだろうか。永遠に存在し続ける、肉の体を持たない、余りにも大きな力を持つ意思。どれだけの永い時を経て、今ここにあるのか、どうしてそんなものが、この世に存在するのか。人間である自分にはそれさえも解らないのだ。彼らの心など解ろう筈もない。

けれどまた人も、その神々の手によって作られたものだ。人の雛形である神の心も、もしかしたら、人とさほどの違いも、ないのかもしれない。

人間にしてみても、かつての妻の墓を暴かれるというのは、気分のいい話ではないだろう。妻でなくとも、親族や祖先の墓が荒らされれば、その上に、全く別の何者かが祭られるとしたら。

思って、秀は苦笑した。あの方もまた、心のある存在なのだ。人の言う『哀しみ』ほどでもないだろうが、別れの際には心を痛め、新たな出会いには心を躍らせ、幾つもの巡り会いを繰り返し、時に人を愛し、憎む。もしかしたならそれは、人である自分達よりも深く強く、時に激しいのかも知れない。人よりももっと、心のままにある、それが神なのだから。

 

「……ねえ、芙須美さん」

「なぁに?ぼたん」

「昔の光景を見る術、って何だっけ……『闇見(くらみ)』?」

こってり絞られた後、ふいにぼたんは芙須美に問いかける。芙須美は目をしばたたかせ、

「そうね……一口にそうとも言えないけど……人の夢の中に入るのも、未来を見るのも、透視をするのも、全部『闇見』だから……それが、どうかしたの?」

答えの後、問いが返される。ぼたんは小さく唸って、

「あの時……縄文時代みたいなのが見えたのよね……あたしってそういう術、使えたんだっけ?」

首を傾げ、そのままぼたんは考え込む。そのあやふやな言葉に芙須美は目を丸くさせ、

「あら、そうなの……へーえ、それはそれは」

「……芙須美さん、何その『それはそれは』って……」

感心しているのか馬鹿にしているのか解らないその口ぶりに、ぼたんが眉をしかめる。芙須美は意地悪く笑って、

「あら、私は単に驚いてるだけよ?流石に、「御幣家の巫女」だけのことはあるなあって」

「そうは聞こえないんだけど……」

眉をしかめたまま、やや小声でぼたんが返す。芙須美は笑って、

「でもだから余計に、貴方には自覚を持って行動してもらいたいわね。幾ら神様に言われたからって、勝手に宮を抜け出すような……」

「あーもー、解ったから!もういい加減、勘弁してよ、芙須美さぁんっ」

再び始まろうとするお小言に気付いて、ぼたんが悲鳴を上げる。芙須美は笑って、続くぼたんの悲鳴を聞いた。

「全部神様のせいなんだから!もし今度こんなことがあったら、もう巫女なんて辞めてやる!」

声は虚しく響く。答えるものはいない。山裾の社は、今日も今日とて平穏無事、のようである。

 

 

 

 

 

 

戻ル

目次

次へ

 

Last updated: 2009/08/12