桃源郷U(有峰湖周辺)

 有峰湖の周辺へ釣りに行くようになったのは1992年頃からだった。それから19997年頃まで毎年のように出かけていたものだ。
どこも入り口にはゲートがあり、たしか朝の6時にオープンするので、早めに到着して入り口で仮眠をした。初めてその支流で竿を出したのが19992年の秋。車の横から直ぐに入渓出来る所を選んで釣り上がったのだが、こんな簡単に入れる所は既に釣りきられているだろうと思っていたが、全てのポイントで心地よいアタリが続き、大物は出なかったが良型のイワナで、あっという間に魚篭が一杯になったのを記憶している。だからこれが桃源郷なのかというと、まあ一理あるがそういう訳ではない。

 
<こんなに釣れちゃいました>


 味を占めた私たちは毎年訪れるようになっていった。そして、1993年からは大物ポイントを発見し、尺上が必ず釣れたのであった。
 そして、忘れもしない1994年9月24日にクライマックスを迎えたのであった。この日は私とMさん、そしてネット仲間でフライマンのOさんを誘い三人で出かけていました。入渓後、余り釣れずにおかしいなあ等と言いながら、途中のえん堤に到着して竿を出すことにした。えん堤下には大きなプールがあり、その幅は30メートル弱くらいだったと思う。私とMさんは餌釣りなので中心部にはとても竿が届かないので、両側に別れて竿を出した。フライマンのOさんがメインポイントを攻めていた。
 高台から、少し隠れて竿を出してポツポツとは釣れたが何せ一番いい所には竿が届かないので、アタリが止まった時に顔を出して覗いて見た。それを見てビックリ。いるわいるわ、手のひらサイズから、それ以上も。それで、再び竿を出してみたがやはり餌にはもう見向きもしなくなっていた。Mさんと一緒になってあれこれ餌を代えてもだめであった。
 その頃、中心部を攻めていたフライマンのOさんに大物がヒットした。慎重に引き寄せてネットに収まったイワナは悠に尺を超えており、Oさんニッコリであった。我々はOさんに大物が釣れたので誘った甲斐があったと安心したが、この安心感は何処かへ飛んで行くことになろうとは思っても見なかった。

 Oさんが釣ったのを見て我々はもう毛ばりしかないと思い、テンカラに代えてみた。しかし、ラインが届く所にはチビイワナしか見えず、魚は出るものの針に乗らない状態であったので、もうだめだなこりゃと二人でOさんの見学とした。
そして、見ている前でOさんには次から次へとヒットが続き、まさしく入れ喰い状態となっており、我々は指を咥えて見ているしかなかった。それでも、さすがに尺上が10匹以上になると我慢できなくなり、ロッドを没収するとか、へし折るぞとか・・・ヤジを飛ばし始めた。だが、Oさんはそれにもめげず、何かに取りつかれた様に釣り続けたのであった。釣ってはリリース、釣ってはリリースの繰り返しで、我々はもう見るのもうんざり、昼寝を決め込んだのでした。
 Oさんが疲れたのを見計らって何とか勘弁してもらったという状況であった。

 しばらく休憩後、夕方になって近くで幕場を設営し、食事の支度を始めたが、再びOさんはそわそわしはじめたのだ。
「そろそろ、夕まずめじゃん!!」等と言い出す始末で、Mさんはそれを察して「夕食の支度はしておくから、どうぞ行って来て」と勧めた。一時間程して戻って来たOさんはニコニコ顔であったのは言うまでもない。そして、夕まずめときたら、朝まずめである。当然Oさんは、翌朝早くに出掛けて行ったのでした。


<こんなサイズが何十匹と釣れたのだった>


 だが、良いことは続かないもので、この年の台風でこのえん堤は全て砂に埋まり全滅しているのを翌年訪れた時に確認した。あのイワナ達はいったい何処へ行ってしまったのだろうか?Oさんにとってはまさしく桃源郷であったのだ。

 それから、1997年にイワナに寄生虫がいるのを発見してからは行かなくなってしまいました。そして、2002年9月に寄生虫の調査を兼ねて釣行してみたが、今の所収まったようであるが、何せ数釣れなかったので・・・・。

 
<思い出に残る川であった>
           

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